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第38話

 市郊外には医療施設が集まるエリアがあり、その一角にトップ・インダストリー社グループの病院がある。薄いピンク色の五階建てのビルだ。地下入口はレスターたちにすんなりとガードを開け、地上へのエレベーターへの出入りを許可する。彼らを乗せたエレベーターは四階の表示を自動的に点灯させると、音もたてずに上昇していった。

「病院に来るなんて何を企んでるんだ? まさか、マーシャが入院でもしてその見舞いってわけでもないだろ?」

 ケヴィンがため息まじりにレスターに訊ねる。

「あんたって、ほんっとに何も説明がないから困るよ。僕を関わらせるんなら、ある程度は事前に状況を教えてくれなきゃ、手伝えるものもちゃんと手伝えないって」

「ああ、そうだな――後で説明するから」

 目当ての部屋の前でレスターは足を止めた。赤茶色のドアに“タコマ医師”という名札がついている。

「ここだ」

 レスターが振り返ると、ケヴィンが不機嫌そうな顔で無言で頷く。

 二人が室内に入ると、タコマ医師がおざなりの笑顔を向け、レスターと初対面のケヴィンに挨拶をした。

「彼女、もう来ているそうよ。下の控え室で待たせているわ」

 彼女はレスターにそう言い、ドア横の飲料機器を示して二人にも勧める。レスターは遠慮したが、ケヴィンは炭酸入りの水を手に取った。

「彼女とは会った?」

「いいえ。あなたたちと一緒に会う方がいいんじゃないかと思って、まだ会っていないわ」

 タコマ医師はどちらかというと素っ気無い対応をする女性だが、相手が誰であろうと態度を変えずに仕事をきちんとやるタイプなので、時空移動の際に人体にかかる負荷や影響を調べる時、レスターは彼女を好んで指定する。彼女もレスターの対応に慣れており、彼の指示に余計な口は挟まず、二人の間には一定の信頼関係がある。

「あなたの希望どおり、エレベーターに一番近い部屋をおさえておいたわよ。それから――“それ”もいくつか用意しておいたわ」

 彼女の差し示す先のテーブルには、白いボトルが四つ並べられていた。蓋に、“取扱注意”と警告用の黄色い文字が書かれているボトルだ。それを見たケヴィンが息を飲んでレスターを見た。

「抑制剤じゃないか!」

「ああ」

「それって――ああ、それを使わなきゃならない状況って! 今から、何をするつもりなんだよ!?」

 タコマ医師がケヴィンをちらりと見た後、レスターを無表情に見た。彼を責めるようでも、疑問に感じているような顔でもない。レスターは恐怖の浮かんだケヴィンの顔を見つめ返した。

「ちょっとした検査だよ、念の為だ。そう心配するなよ」

「念の為って言うけどさ! あんたは自分がやる事だからいいかもしれないけど、僕は何も知らないんだぞ!? 僕はマイクロ・ブラックホールの相手なんかしたくないよ! 検査するのはあのマーシャだろ、念の為どころか、本当に何が起こるか――」

「ケヴィン!」

 レスターはケヴィンの口の前に手をかざし、彼にそれ以上言わせるのを許さなかった。テーブルの前にいたタコマ医師が怪訝そうにレスターを見つめている。彼とケヴィンは数秒間、見合った状態となった。

 そのとき、「話に割り込むのは私の主義ではないのだけれど」と、タコマ医師が二人に近づき、切り出した。二人がはっとして彼女を見ると、彼女が真面目な顔を作り、レスターを見ている。

「レスター、それを準備するように依頼された時にも、私は念を押したわよね? ここには精密機械がたくさんあって、従業員も多いわ。もし何か想定外の事故でも起きたら・・・・・・被害は甚大よ。あなたや私の責任どうこうで解決できる問題ではないわ。それを理解した上で、あなたが手に負えると判断したことなら、と私は思って依頼を受けたのよ。そのあたり、本当にわかっているわよね?」

「もちろん」

 レスターは彼女の痛いほどの視線から目をそらさず、即答した。彼女は腕組みをして、彼を見つめている。

「これはあくまでも、“保険”だ。実際に使用することはないはずだよ」

 けれど、彼女がまだ硬い表情を崩さないので、レスターは彼女に微笑んだ。

「こんなややこしい頼みをきいてくれて、君には感謝してる。君には極力、迷惑をかけないよ」

 彼女はちらりとケヴィンを一瞥した後、肩で息をつき、言った。「――それなら、いいわ」

 そして、レスターが、中断されたケヴィンとの会話に戻ろうと振り向くと、ケヴィンがまだ怒りの治まらない様子で彼を見ていた。

「ケヴィン」

「・・・・・・あんた、都合がよすぎるよ」

 ケヴィンが口惜しそうに言い、レスターは何度も頷く。

「どうせまた、会社にも詳しい話をつけてないんだろ? だったら、一緒に巻き込む相手にぐらい、事情を先に話しておいてくれよ! あんたのやる事なら間違いはないって、僕だって少なくともそう思ってるんだからさ。できるだけ協力するから」

「ああ・・・・・・わかった」

 レスターが顔を上げると、ケヴィンが肩をすくめて苦笑した。

「本当に・・・・・・そこまで危険じゃない?」

「ああ」レスターは頷き、「例え発生したとしても、引きずり込まれる可能性は極めて少ないと思う」と、小声で囁くように彼に耳打ちし、彼を見つめた。

「どうしてそう言い切れる?」

「経験からさ。彼女と一緒なら無事でいられる。俺が居合わせた時は毎回――」

 マーシャと一緒にマイクロ・ブラックホールに遭遇した時を思い起こしていて、レスターはふと、彼女が毎回、悲しそうな、不安そうな表情をしていたことに気づいた。彼の自宅に放出された時、警察の現場検証で倒れた時、ミニョン市郊外で祖父が亡くなった帰り道でのトンネル、イタリアンレストランで彼に問い詰めていた時。何かがレスターの頭の一部を揺らしたが、それが何なのか、何かに関係あることなのか、結論に繋げられない。けれど、どうしても、“何か”が引っ掛かる。

「――毎回、何だよ?」

「ああ、いや・・・・・・」

 レスターは頭を振った。なぜそれが心に引っ掛かるのかも説明できない。

「その、ともかく、理由ははっきりしないが、彼女と一緒なら助かるってことだ」

「はぁ? 何だ、それ? あんたらしくない非科学的考えだなあ」

 ケヴィンは呆れたように言ったが、レスターをばかにしている様子ではなかった。その後、三人はマーシャが居るという階下の部屋へと移動した。


 検査設備室の隣にある狭い部屋で、マーシャに対する睡眠導入が始まった。薬は一切使わず、香りや視覚調整法で彼女の眠りを誘うというものだ。部屋には彼女に付き添う看護士が一人いるだけで、レスターたち三人は別室でマーシャが眠りに落ちていく様子を見守っている。

『レスター、私、ちゃんと思い出せたらいいんだけど』

 タコマ医師がちらりとレスターに視線を走らせた。

「余計なことは考えないで。リラックスしていればいいよ」

『だけど・・・・・・何だか、こわい』

 レスターはモニターで彼女の青白い顔を見た。脳波表示の機器の前に立つタコマ医師が、物言いたそうな表情で彼を見ている。

「心配しないで。君が大丈夫なように俺たちがずっと見てるよ」

 レスターの瞳とモニターに映るマーシャの瞳が合った。彼女から彼の姿が見えるはずもないのだが、彼女はレスターの瞳の動きを追ってくる。

「カメラじゃなくて目の前の図を見て、マーシャ」

 レスターがマイクで声を掛けると、彼女が頷きながら視線を外した。

 数分たって、タコマ医師が、マーシャの脳波に変化があり、眠りに落ちかけている、とレスターに教えた。彼がモニターで確認すると、彼女が顔を右側に少し傾けた状態で目を閉じているのが見えた。

「なんか、僕たち・・・・・・彼女を騙しているみたいでちょっとイヤだな」

 ケヴィンが体を寄せてレスターに小声で言う。レスターはマイクのスイッチを見て電源が切れていることを確認してから、彼の憂鬱そうな顔を見た。

「それ、罪悪感?」

 モニターから視線を上げてレスターと目が合うと、彼は決まり悪そうに笑った。

「彼女には、検査をやるとも言ってある。検査種類を詳しく言ってないだけだ、問題ないだろ」

「それでも、体のことだしさ――」

「彼女を裸にしてやろうってわけじゃない。それでも、もし・・・・・・そうだな、君が気にするなら、“僕たち”じゃなくて“俺”が勝手に実施していると考えてくれ。君はただ、ここに同席しているだけ」

 マーシャがいる室内の看護士が、モニターに向かって人差し指を立てて見せた。もう少しで退室する、という意味だろう。

「ええ、眠っているわ。でも、もう少し待って」

 レスターがタコマ医師を見ると、彼女が言った。マーシャの顔面近くに取り付けられているマイクを通じ、彼女の規則的な寝息らしき音が別室にも伝わってくる。レスターは時計を見た。

 その時、呻き声のようなものが聞こえ、レスターは注意を引かれてモニターを見た。マーシャは目を閉じたままだが、顔が少し動いている。タコマ医師を見ると、彼女が首を振って言った。

「起きてはいないようだけれど・・・・・・」

『――ああ、カレブ』

 レスターとケヴィンは顔を見合わせた。

「何か言ったな? 聞こえたか?」

「カレブ、って聞こえたけど」

「私にもそう聞こえたわよ。カリブ海のことかしら?」

 三人は、モニターの中で、ベッドの上で気持ち良さそうに眠っているマーシャを見やった。

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