第34話
とある火曜日の夕方遅く、レスターが職場に残って仕事を片付けているところに、ケヴィンが大きな足音をたてて乱入してきた。
「レスター、ちょっと聞いてくれよ!」
レスターは自分のオフィスではなく、チームメンバーの机が並ぶ一角の打ち合わせスペースに陣取っていたのだが、その彼の対面側の席に、ケヴィンがどさっと体を投げ出す。
「――どうした? 今日はテックから直帰すると思ったけど?」
彼が荷物一式を持っていたこと、その憮然とした表情を疑問に思い、レスターは尋ねた。
「どうもこうもないよ、僕だって帰りたかったさ! だけどテックの連中が――」
ケヴィンはフロアに残っていた他チームの面々の注意を引きつけてしまったことに気づいたらしく、周囲を見回して急に声をひそめた。
「レスター、今日の帰り際、テックの事務局に呼び出されたんだよ」
くだらない質問で貴重な時間を奪われた怒りだろう、と、レスターは作業の手を止めはせず、ケヴィンを一瞥した。
彼らはよく、食事はきちんとしているか、備品で必要な物はないか、といったような、呼び出してまでする話でもない事を確認するためだけに、レスターや他メンバーを事務局までわざわざ呼び出す。
さすが、民間企業ではない、贅沢すぎる時間の使い方だ。
「そう。彼ら、何だって?」
「マーシャ・オブライエンと会うなら、テックを通してカウンセラー同席のもと、会えってさ!」
「――は?」
レスターが口を開けて唖然とすると、ケヴィンは忌々しそうな口調で言った。
「俺たちが彼女の友達だって言っても全然信じようとしないし、――っていうか、奴ら、プライベートだったとしても、彼女が俺たちと会うのが心底気に入らないんだよ。会社を通じて抗議を入れるつもりだ、って嫌味な口調で言われたよ!」
レスターとケヴィンは金曜日の午後にマーシャと二度目の再会をしたばかりだ。
テックの行為の意図など、想像に易しい。彼らもレスターたちと同じ目的の基に動いているだけだろう。
「・・・・・・なんで、バレたんだろうな」
「知らないよ! テックが彼女に監視モニターでもつけてるんじゃないの!」
その時、机上に置かれたレスターの携帯にメールが入った。送り主の欄に“MASHA”と表示されている。
完璧すぎるタイミング、と、レスターは軽い目眩を覚えた。
無音モードでメールを見ると、“今夜会える?”という短いメッセージが入っている。
首を傾げながら、レスターはそのメッセージを凝視した。
なんで急に?
憤慨するケヴィンを一瞥し、彼は迷ったあげく、どうしても外せない仕事があるから明日なら対応できる、とマーシャに事務的に返した。
彼の返事を待ちわびているだろうはずなのに、彼女から次の返事が届いたのは約二十分後だ。レスターの勤務先がある市までやってくるそうだ。
ケヴィンと二人で彼女と会う予定だったが、その直前、ケヴィンが急なトラブルで他へ外出すると言い出したので、レスターは一人で彼女との待ち合わせ場所に行った。オリーブガーデンというイタリア料理の店は昼時のせいで混雑していたが、彼は個室を予約していたので、難なく席へと通される。マーシャは既にそこに到着していた。
彼を見ると、彼女はあからさまにほっとした表情を見せた。
「忙しいのに、急に呼び出してごめんね」
「それはいいけど」と彼女に言いながら、レスターは彼女の向かいの席についた。
彼女はそわそわとして、落ち着きがなかった。
ケヴィンが直前で来られなくなった事を告げたが、彼女はケヴィンの不在でレスターと二人きりになる状況にさして喜んだ様子はなく、彼は何となく肩すかしをくらった気分になる。
「それで、今日はどうしたの?」
彼は、朝一番でテックから会社に苦情が入ったのを上司から知らされていた。ケヴィンへの口先だけの脅しやはったりではなかったのだ。彼女の口から出るのはその関連の話だと、彼は想像をつけていた。
「――テックがね」
ああ、やはり、とレスターは思い、彼女が先を言いよどむのを見て、少し気の毒に思った。
「テックが、どうした? 何か文句でも言われたかい?」
「文句なんか言われないわ。言いたいのは私の方で――」
二人の間のテーブル上にメニュー表の立体イメージが立ち上がり、会話が中断された。マーシャの手が誤って起動ボタンを押してしまったらしい。
彼女は咄嗟にそれを消そうとボタンに視線を投げたが、考えを変えたようだ。イメージ上にあった“白ビール”の文字を指先で押し、レスターに肩をすくめて小さく笑ってみせた。その口元は、飲まずにいられない、とでもいうように苦笑している。
結局、彼女に吊りこまれる形で、アルコールを飲む気のなかったレスターも赤のグラスワインを注文した。
「昨日、ケヴィンも君の件でクギを刺されたみたいだ。今朝になって、テックから正式な苦情が会社に入ったよ。・・・・・・実はね、君と単独で会うのを当分の間は控えてくれって俺も言われたばかりだ。その矢先にこうやって君と会ってるから――俺は懲りない性分だろうが」
グラスのワイン半分ほどを飲んだところで、彼はマーシャの不可解そうな視線に出会った。
「・・・・・・何?」
「私に会うな、ってテックから言われたの?」
「その話じゃなかったのか?」
「ちがうわ、そんな事は一言も・・・・・・」
レスターを見つめる彼女の瞳が怒ったように濡れていた。