第31話
レスターと彼のチームメンバーであるケヴィンは、二日間に渡って開催される時空工学事例発表・講演会を聴講するため、東部にあるトリニティ市に滞在している。まだ九月半ばだというのに、彼らの勤務先が居を構えるコロンビア・シティよりは随分と北東に位置するという地理条件から、街を照りつける日差しは夏のそれとは完全に異なっていて、日が落ちた後の空気はかなり涼しい。長袖が必要なくらいだ。
深緑の森とエンジ色の住宅を一定区間で大小の通りが縦横に貫き、住宅街の狭小な一方通行の道から大通りまで、その両側を飾る落葉樹には赤や黄色の鮮やかな葉色が不規則に混ざっている。格式めいた風貌が残る住宅街と、それに取り囲まれた近代的な佇まいの中心地はとても対照的だ。目に映る景色こそ全然違うのだが、彼が苦手としてきたセーラム・シティと似た学術的雰囲気のある街だ。
一日目の夜に開催された懇親会が八時半であっけなく終わってしまい、二人はパーティ会場となったホテルのロビーに立ち、どこかで飲みなおす相談をしていた。
レスターは誰かと連なって行動したり遊んだりするのを基本的に苦手とするが、数ヶ月前にケヴィンと出会って以来、彼とは時々飲みに行く仲だ。大抵の場合はケヴィンが飲み場所を決め、レスターはそれに従う。
懇親会会場から二人のホテルに向かう途中にある、外から見ても賑やかなバーのカウンターで、彼らはビールグラスをかちあわせた。
「おつかれ!」
ケヴィンが怒鳴るように言い、大声を出さなければ会話できないくらいの喧騒の中で大きく笑う。
平日だというのに、彼らのいるバーはテーブル席もカウンターにも人々がぎっしりと立て込んでいた。昼間の街に行き交う人々は、男女問わず、ビジネススーツに身を包んだ人が圧倒的に多かったのに、バーに溢れかえっているのは、軽装の比較的若い者ばかりだ。大学生らしきグループもいる。
レスターとケヴィンは、今日の発表会についての批評や懇親会で知り合いとなった同じ業界人の噂など、時に憤慨し、笑い合い、ほとんど絶え間なくしゃべり続けた。
「次はミラーで!」
空いたグラスを突き出し、ケヴィンがカウンター内の男に言った。
「君はほんっとにビール党だな。俺はそんな大量にビールなんか飲めない」
ケヴィンがビールだけを注文する間、レスターはビールを三杯飲んだ後にバーボンに移っていた。
「これは家系だ、血筋だよ。そのおかげで・・・・・・見ろよ、この腹! うちは全員、ビールしか飲まなくてさ――」
ケヴィンの視線が不意にレスターの背後に動いた。何かを追うように少しずつ彼の視線が左の方に動いていく。
レスターは彼の好みの女の子でも歩いているのだと思ったが、背後を振り向いて彼の視線の対象を確かめるのは止めておいた。
やがて、ケヴィンの視線がレスターの真上に止まった。
レスターの脇に白い服を着た誰かが立った気配がし、「ねえ?」と声が降ってきた。レスターは、何気なく振り向く。
「君・・・・・・!?」
「ああ、やっぱり! こんな所で会うなんて・・・・・・びっくりした! 向こうからあなたを見かけた時はまさかと思ったんだけど」
「君こそ、ここで――」
そこまでしゃべって、レスターはケヴィンの物問いたげな目とぶつかった。レスターの隣に立つ“彼女”もレスターの視線の先を追って、ケヴィンを見て大きく微笑んだ。
「初めまして。私、マーシャよ」
「やあ、マーシャ」挨拶されたケヴィンが余所行きの笑顔になり、差し出された彼女の手を嬉しそうに握る。「僕はケヴィン、彼の部下で同僚だ。よろしく」
彼女は、部下で同僚という彼の表現を繰返し、可笑しそうに笑った。
数ヶ月ぶりに再会したマーシャは、白い半袖Tシャツの丸首のあたりにまで髪が伸びていたせいなのか、以前と雰囲気が若干違って見える。人の波が動き、客たちの移動の邪魔にならないよう、彼女が二人の座る椅子に挟まれた空間に身を寄せた。
「彼女は、俺がテックにいた時の生徒なんだよ」
「・・・・・・へえ? 君は女の知り合いが多いから、てっきり――」
ケヴィンが疑わしそうに彼とマーシャを交互に見つめる。
「いや、そんなんじゃない」
レスターが苦笑すると、マーシャがしたり顔で何度も頷く。ケヴィンの表情から疑いがぱっと消えていった。
「なるほどね。やっぱり、助教授ってモテるのね」
「ああ、だってほら、この外見だろ? そりゃあモテてるさ。彼が引っ越してきて数ヶ月だっていうのに、僕と飲みに行く先々で女の知り合いや友達に必ず会うんだよ。ま、彼女たちがどんな種類の友達なのか、実際は全く知らないんだけど!」
「えー、そうなの? 意外ね、そんな人とは知らなかったわ、やるわね」
「・・・・・・ケヴィン、余計なことをしゃべるな」
「あはは、いいじゃない? 助教授の意外な素顔がわかって、私も嬉しいわよ」
「人のプライベートを面白がるんじゃないよ」
レスターは、面白そうに肩をすくめるマーシャをあきれたように眺めた。
「それより、その“助教授”? 今は俺もただの会社員なんだから、そう呼ぶのはやめてくれないか」
「じゃあ、レスター? フレッドマンさん?」
彼女はどうも納得できないように顔をしかめた。
「その“呼び名”、あなたには似合ってると思うな。肩書きっていうより呼び名って思ったら、どう?」
「――やめてくれ。俺はその言葉の裏にある、淫靡な響きが嫌いなんだ」
「インビ? 古めかしいとか――古いお屋敷に篭って秘密の実験をやっていそうな、そんなイメージ? そうね、そう言われてみれば、そんな一面もあるような・・・・・・」
「違う! イヤらしくてだらしないってことだ!」
マーシャが笑みを頬に浮かばせる前に、二人のやり取りを聞いていたケヴィンが大げさに吹き出し、げらげらと笑い出した。
「何だよ、ケヴィン?」
「いや、君がめずらしくムキになっているものだから、つい、ね?」
彼は堪え切れないというように再び笑い、隣のマーシャもそれに引き込まれて笑う。レスターは苦々しく二人を見返した。
バーからホテルへ帰る道すがら、酔っ払って上機嫌なケヴィンは歩道をジグザグにスキップして歩いていた。その後ろを、レスターは苦笑しながら歩いている。
もう真夜中近く、歩道も車道もがらんとして沈黙を保っている。二人以外に動くものといえば、街灯のポールに備え付けられた監視装置と空を音もなく飛び回る安全センサーだけだ。
バーを出て十分もしないうち、二人は滞在するタワーホテルに到着した。人体認識装置の存在を表す薄紫色の光のアーチが二人を出迎える。二人は難なく玄関扉を通り抜けた。
アーチの先、正面玄関扉を抜けたロビーの入口には守衛サイボーグが控えているが、ロビーは無人だった。二人は高層階にある部屋へとエレベーターで向かった。
「――何だよ?」
ケヴィンが含み笑いをし、レスターを眺めている。
「あの子、君がテックとの開発協力で校舎に行くって言ったら、嬉しそうだったなあ」
「へえ。そうだった?」
「あの子、絶対に君に気があるぞ?」
「ああ、まあ・・・・・・そうかもな」
「げっ、知ってるって? でも、その口ぶりだと、その気はないな。何だか口惜しいなあ、結構かわいい子なのになあ」
「カワイイって――君にはああいうタイプがかわいく思えるのか? それに未成年だぞ」
「もう十八にはなってるから未成年じゃないさ」
「ああ、そう。どっちにしても、俺は、彼女を女としては考えられないね」
「君はセクシー系の大人な女が好きなんだよな。彼女、かわいそうに」
「そう言うけどね、彼女は俺の教え子でもあるし、あの子は・・・・・・俺の研究対象になるかもしれないんでね」
「――何だって?」
エレベーターが無音で止まり、扉が目の前から消えた。開いた扉から二人は外に出る。
廊下を同じ方向に歩きながら、ケヴィンが彼を覗き込んだ。「レスター、彼女を研究するってどういう意味さ?」
「どういうって、言葉どおりの意味だ。君にも何度か、例の事故の件を話したことがあるだろ? あの子は、その事故で行方不明になって奇跡的に現在に戻ってきた、例の“彼女”だ」
ケヴィンが立ち止まり、戸惑ったようにレスターを見た。
「行く先々でマイクロ・ブラックホールを起こしてまわっているっていう・・・・・・?」
「それは誇張しすぎだ、俺たちはここで無事にまだ生きているじゃないか」
「そりゃそうだけど」
「どんな要件が揃えば起きるのか、なぜ彼女が無事なのか、制御可能なことなのか――今のところ、はっきりした事は何もわかってない。俺はテックに行って、まずそれを見極めたいと思ってる」
レスターには、ミニョンに続くこの二回目の偶然の再会が、彼にマーシャに関わる調査を開始せよ、という強いメッセージに思えて仕方がない。
彼とケヴィンは隣り合う各自の部屋の前で別れた。