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第29話

 事故の後処理に勤しむ警察隊員たちが道路を行き交う中、ジェフリーが激昂して怒鳴った声が響き渡り、レスター含め祖母と警官にも不快な緊張が一瞬の間に伝染した。

 ジェフリーと彼の妻は、電話上で、夫婦喧嘩というには険悪すぎる言い争いにまで会話を発展させていた。投光機の照明下で、そんな父親やレスターたちからも顔をそむけるように、祖父の死を悼む悲しみとは別の種類の哀しさとやるせなさの混ざった顔でマーシャがジェフリーの脇で佇んでいた。

 レスターは頭によぎったマーシャに関する疑問を確かめたくて仕方なかったのだが、後味の悪い思いで、祖母とその場から逃げるように立ち去る選択をしなければならなかった。


 不愉快で疑問を生む結果となったマーシャとの再会から一ヶ月半が経過していた。

 例の事故において、レスターとロバートソン教授の責任が問えないために刑事事件としては不起訴になったという、ある程度は彼も予想していた展開となり、レスターはそろそろ飽きつつあったバケーションに別れを告げ、ようやく帰国を果たした。

 学院の顧問弁護士によると、刑事事件での不起訴確定という事実が、民事訴訟でのレスターの立場にも良い方向で働くだろう、ということだ。また、事故の究明調査の段階で、予測不可能な偶発的な空間変異の可能性に加え、試験に使用された移動機の突発的な欠陥の可能性が取り沙汰されて物議を醸し出し、機器メーカーの猛烈な反発を招いている状況も知らされた。

 三週間前、現場封鎖が解かれた直後の警察による現場検証に臨んだ際の一時帰国時には、レスターの耳に入ってこなかった情報だ。

 顧問弁護士はレスターに詳しく語ろうとはしなかったが、実際、水面下では政治的な駆け引きを含めた何らかの動きが進んでいるらしく、レスターは過失罪から免れる可能性が高い、と、弁護士はあっさりと言い放った。

 くすぶっていた視界の先が、やっと明るく晴れてきたような気がしていた。


 帰国して数日後、レスターはセーラム・シティ郊外にあるロバートソン教授の自宅に療養中の彼を見舞いという名目で訪問した。同じ事故での被害者という立場を共有したいというセンチメンタルな考えなど毛頭なく、事故に関して、教授筋の情報も得たかったからだ。

 しかし、彼が想像していたよりも教授の抱える情報は少なかった。

 それに、教授の娘メリーアンが、父親だけの勝手な願望だったのではなく、レスター自身に恋心に似た感情を抱いていると知って、彼女の扱いをもてあますはめになった。教授も娘も都合よく、彼らの思い描く理想像にレスターを重ね合わせ、彼の本来の姿など見てはいない。

 この訪問が実りないものになりそうだと考えていた時、レスターはある一本の電話で彼らとの会話を遮られた。

 表示された名前を見て、彼はごくりと唾を飲み込む。

 しばらく音沙汰がなく、入社を半分あきらめかけていた、トップ・インダストリー社からだった。

「ご無沙汰しております」

 何度か聞いた人事部の女性スタッフが柔らかに挨拶し、その第一声で、この連絡が良い知らせなのだと彼は直感でわかった。

「どうも。ご無沙汰しています、アーバインさん。お元気でしたか?」

 声に不自然な力みが含まれないように注意して返答すると、電話の向こうで彼女が笑ったような気配があった。ただ、決して嫌な種類の笑いではない。

「ええ、おかげさまで元気です。あなたもお元気そうで何よりです、フレッドマンさん。ところで・・・・・・兼ねてよりお待たせしておりました、入社の件でご相談したいと思いまして、今回、お電話したのですが」

 心臓が跳ね、レスターはロバートソン教授の隣に座るメリーアンと目が合った。彼女がほんのりと頬を赤く染め、彼は彼女から素早く目をそらした。

「あ、はい。その件ですね――」

 彼は、二人のいるリビングから廊下へと移動し、声をひそめて電話に集中した。

「・・・・・・あの? 今、都合が悪いようでしたら掛け直しますが?」

「ああ、いいえ、構いません! それより、入社の件は――本当に?」

「はい。例の訴訟については、フレッドマンさんの身が問われる可能性がほぼなくなったと伺っておりますし・・・・・・」

 彼女は意味ありげに少し間を置いた。

 彼女がなぜレスターが自由になりつつあるのを把握しているのかは知らないが、とにかく、レスターの身が興奮してきた。

「それに、あなたからのメールも拝読させていただいております。ご存知のとおり、単身時空移動の研究に関しては当社も以前より取り組んではおりますが、他社同様、期待できるような成果は未だ出ておりません。フレッドマンさんが遭遇された珍しい事故には、私どもも非常に深い関心を持っておりました。事故に遭われた学生には大変お気の毒なことでしたが――」

「彼女は無事に戻ってきましたから・・・・・・彼女だから、戻って来られたのかもしれませんが」

「その所見も拝読しましたが、可能性の一部としては興味深いことです。あなたのように事故状況を直接知る当事者だからこそ、その貴重な経験を活かして私どもの研究で突破口をつかめるのかもしれません。ですから、共に今後の研究を推進したいと、当社の技術部門だけでなく上層部も、あなたの早期入社を是非にと願っている状況です。もちろん、以前にも提示させていただいたポストはそのまま用意しております。当社としては、フレッドマンさんの都合がつき次第、なるべく早いうちに当社へお越しいただきたいと希望しておりますが・・・・・・いかがでしょうか?」


 いかがも何も、イイに決まってる!


 階段手前の壁にあった鏡に、自分のにやけた顔が映し出されていた。楕円形の鏡の表面に星や花型の光る飾りが貼られていて、彼の今の心情を反映しているように、顔を輝かせている。

 彼は何だか気恥ずかしくなって口元をすぼめ、鏡の中のだれた頬を引き締めた。

「ありがとうございます。そう言ってもらえると、とても心強い。俺の方はいつでも――来月の初日ではどうです?」

 彼は、既にまとめてある家財一式が収容されている賃貸トランクを思い描いた。

「もちろん結構です。来月までには全ての準備を整えておきます。それと、フレッドマンさん? お住まいはどうされています? 不都合でなければ、当社の専用住居棟を、来社された際にもご覧になっておりますが、一室手配しておきましょうか?」

「ああ、そういえば見ましたね。そうですね、そうしてもらえれば助かりますよ。お願いします」

「承知しました」

 通信が遮断されるのを待ち、レスターはその場で二度、小さく飛び上がった。

 やった! これで、不運続きの日々から脱出できる!

 彼を見返す鏡の中のもう一人の彼は自信と精気がみなぎった風貌に一転していた。

 今後は全てが彼にとって良い方向に働いてくれる、そんな明るい予感がする。さっきまでの自分と今とは何の変わりはないのに、感情の変化による効果とは不思議なものだ。

 彼は、笑みが止まらない鏡の自分に向かって、思わずウインクを投げた。

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