第2話
新学期から3ヶ月が過ぎ、そろそろ年末休暇に差しかかろうという時期だった。市内では、期末試験を目前に控えた学生たちが、研究課題の発表準備やテスト勉強に励む姿があちこちで見られた。通常であれば年末のエンターテインメントを享受しようという人々で満杯なはずの劇場やホールは、この学園都市内に限っていえば、寂しすぎるほどに閑散としていた。
時空移動機器工学の専門課程に進学するために必修となる時空移動概論のクラスでは、生徒自身が時空移動体験をする実地課題がテストの一部としてもうけられ、そのために生徒たちは体力的・精神的な訓練を3ヶ月間積んできている。一回生のマーシャ・オブライエンもそのうちの一人だ。
現段階での時空移動は、10年前と比べて危険性がかなり低くなってきている。100年ほどの単純移動であれば、所定の手続きを踏んだ上で、一定の条件を満たした大人の誰しもが経験できる。ケンジントン・テックの在籍者はその条件が免除されているのだ。
クラス担当であるロバートソン教授は、くどいほどに時空移動に伴う危険性や副作用を延々と説明した後、それでもあえて生徒に実体験をさせる必要性を、その倍の時間をかけて説いてきた。マーシャたちは、危険と隣り合わせとはいいながらも、そこから得られる教訓や知識に期待し、テストの順番がまわってくる日を心待ちに待っていた。
受験者6人目となるマーシャを送り出す当日、ロバートソン教授と助手を務めるレスターは、テストに使う移動機器の整備に余念がなかった。昨日から今日にかけて5人の学生を送り出し、全員が各30分後に予定どおりに無事帰還した。生徒一人が軽い腹痛を訴えたこともあったが、それは緊張からくる胃痛なだけだった。それぞれが異常に高テンションだったり、呆然となっていたり、反応は様々であったが、実体験から得られたものは大きかったようだ。
レスター本人も過去に同型機器に乗って100年ほど昔を数度見に行ったことがあるが、彼が学生だった当時の10年前、最初に移動した際は乗り心地も今ほど快適ではなく、機体の作る振動で気分が悪くなったのを覚えている。それから比べれば、今は、覚しい進歩をとげている。最初の移動体験こそ乗り切れば、機器自体の性能改善といった点にも自然に目が向けられるようになるはずだ、と意気込む教授の意見には、彼も同意していた。
移動機器にも外部機械にも何の異常も見られなかった。今日のマーシャが帰還した時点で今週のテストは終了となり、週明けからまた再開される予定になっている。
移動機器の前に現れた彼女は、他のテスト受験生と同様に白と赤の防護服を身につけていた。全身タイツのような不格好さだが、3cm厚の特殊素材は、移動機器からの振動や予想外の揺れによる外的ショックをやわらげてくれる。手にはヘルメットを持っていた。
彼女に目をかけている教授は満足そうにその登場を喜び、レスターも彼女の印象的な紫色の目にちらりと視線を走らせた。彼女は緊張した面持ちだったが、その目は期待にあふれ輝いていた。
「遅くなりました。」
マーシャの挨拶にレスターは無言で頷いた。
「じゃあ、早速乗って。」
彼女はヘルメットを被り、レスターの示す方向へ移動して、上に大きく開けられた扉から狭い機体の中へと乗り込む。中央の白い椅子に座ると、自動的に彼女の頭上から肩を固定するガードと腰ベルトが伸び、彼女の体を席に固定した。それを確認したレスターは、彼女に対して再度念を押すために2、3の注意点についてマイクを通じて告げた。
「オブライエン、君の行き先は100年前のアメリカだ。到着した先に記念塔が立っている。その記念塔に刻まれた文章を読んでくること。無事に帰還したとしても、それがなければ試験をパスしたとは認めない。それから、帰還時間は既に設定してあるから、そこは絶対にいじらないように。通常の移動運転の仕方はわかるね?それと・・・」
マーシャが納まった機体にレスターは近づき、透明な強化ボディ越しに機体内の装置を指差した。
「万が一、その場から所定時刻以外で撤退しなければならない状況になった時は、その緑色のレバーを上げなさい。それによって自動的に機体はこの場に戻ってこられるようになっている。ほとんど使用する機会はないと思うが・・・緊急ボタンとして覚えておくといい。」
彼女とレスターの目が機体越しに合った。
「はい。」
彼女が納得したように力強く頷くのを確認したレスターは、教授に向き直る。
「万事OKのようです、教授。」
「そうか。では、始めようか。」
2人はマーシャの乗った機体のある部屋から出て、特殊強化ガラスがはまる部屋の窓越しに彼女の姿を確認した。彼女は笑顔で、2人に大きくVサインをしていた。
教授はいつもと同じようにゆったりとした足並みでスイッチのあるところまで歩き、彼女の方を見ながらそれをONに切り替えた。2人の前で移動器機は大きく上下に震動し、段々とその姿がかすれていく。中のマーシャは彼らの目に見えるほどの大きな振動を味わっていないはずだ。
そのうち、青白い閃光がきらめいたかと思うと、一瞬にしてマーシャをのせた移動器機はその場から姿を消した。午後3時20分のことだった。
彼女を過去への旅に送り出した2人は、隣の部屋で30分ほどを待機することとしていた。教授は実地試験を受けた学生たちからのレポートを添削することにしているらしかったので、レスターはコーヒー代替飲料を手に取り、自分の生徒たちの試験結果を確認する時間に充てることにした。
数本の教授宛の内線がかかってきた以外は、室内で彼らの話す声がひびくことはなかった。それぞれが操作キーをたたく音がするだけだった。