第1話
とある金曜日の午後、レスターはロバートソン教授から提示された資料を授業で生徒たちに見せることになっていた。
それは科学庁からの資料で、学生たちに解決策を出させるための問題提議のものだ。その他に予備資料が3本あるが、それは生徒たちが授業以外で各自に勉強してもらう。
「水曜の授業でも言ったが、これが例の“問題提議”の資料だ。各自、心して見るように。」
彼らが提出した解決案の中で、発想が独創的または実現性が極めて高い案に関しては、専門学者たちの目に触れるものとして提出される。それは自分の将来にも大きな影響を与えかねないため、学生たちはこぞって真剣に画面に注目している。
その様子を教室前方の教師席から眺めていたレスターだったが、既に頭は今夜予定している逢瀬のことしか考えていなかった。
彼が偶然に学校施設のプールで彼女と会ったのは1年前だ。
その彼女は特殊機器設計を専門とする同院4年生で、来年の1月には海外企業で勤務することが決まっている、将来を約束されたエリート学生の一人だ。他の女子生徒と比べれば、彼女は非常に一般的で健康的な女性で、校内では束ねている髪をふりほどくと、別人のように容姿が変わる。そのキャラディーン・ロケッツとレスターがそれぞれに快楽に渇望していた1年前に出会って以来、2人の体だけの関係は月1ペースで続いてきている。彼女にはコロンビア・シティの政府機関に勤める婚約者もいる。レスターとは、本当に割り切った関係だ。
彼はそのほかに、彼女の知人で秘書をしている既婚女性とも不定期に会っている。もちろん、キャルと同様にお互いに割り切った関係だ。彼がこの都市であまりの平凡さに死んでしまわず過ごしていけたのは、彼女たちのような女の存在も大きかった。
1クラス15人中3人を占める女子学生とキャルことキャラディーンをつい比較してしまったレスターは、彼女たちを女性として見てみようとして、そのばかな考えに頭を振る。
3人の中で最も一般的なのは、オブライエンという新入生だ。自分を見る彼女の視線から、彼女はどうやら自分に好意を持っている。とはいえ、飛び級で入学した彼女は17でまだまだ幼い。自分より10も下だ。
年齢こそキャルとあまり変わらないが、彼が食指を動かされるほどの色気はないし、自分の生徒に手を出すような浅はかなマネは、彼はしない。
優秀さという面で見れば、彼女はまだまだ未熟で発展途上だが、彼の見たところでは、彼女の着眼点や洞察力は優れたものがあり、物事に対する吸収力も非常に早いように思う。新入生のわりにこのクラスでの成績は上位だ。
全員が資料画面を1つも漏らさぬようにと食い入るように見る中で、レスターの視線にぶつかって肩をすくめてしまう彼女は、何だか頼もしいようにも思えた。
その日の深夜に帰宅したレスターは、いつものように家事ロボットXR-2に迎えられた。これは大学から無償で与えられるサービスの一環で、機械なだけに余計な詮索をせず、家事をそつなくこなす。
“彼”にはレスターも大いに助かっていた。明日から一泊で出かける外出の準備も、既にきちんと終らせてくれてあった。
「夜食ヲ、ゴヨウイイタシマショウカ?」
XR-2がレスターに訊いたが、彼はいらないと言い、すぐに寝ることを伝えた。
「明日は9時頃になったら起こしてくれ。」
「カシコマリマシタ。」
それから寝室につづく書斎を通り抜けた彼は、ふと思い立って留守電を起動した。外部からのメッセージが3件入っている。
そのうちの1つは、明日会うことになっているトップ・インダストリーの社長秘書から明日会う場所確認。もう1つはオスロ在住の森林研究者から鑑定依頼の結果、残る1つは、南部に独りで暮らす彼の母親からの連絡だった。
母親からのメッセージは、彼が帰宅する30分ほど前に入れられたものだった。返信しようとすればまだ可能な時間だろうが、あまり気が進まない。息子が心配といいながら彼女自身の境遇の不公平さを愚痴る母親に、つきあうような元気はなかった。彼だけでなく、他の兄弟も同じように彼女を相手にはしていない。
「どうせ、今のオトコへの愚痴に決まってる。」
もう若くはない母親ではあるが、外見上は魅力的だ。そのうちまた誰かを見つけて、再婚するに違いない。
ベッドに体を委ねた彼は、遠のく意識の中で満足感をかみしめていた。体は疲れてはいたが、心地よい倦怠感。キャルとの関係はとても都合がよく、体の相性もよかった。
彼はつい一週間ほど前に、兼ねてより希望していたトップ・インダストリーへの就職が決定した。これでセーラム・シティとも、頭の固い退屈な学校関係者ともおさらばだ。
彼はその通知を受領して、狂喜した。
ああ神様、ありがとう!!
来年1月になれば別々の方面へと旅立つことがレスターもキャルも決定しているので、この好都合な男女関係も今年限りだろう。多少は惜しい気もしていたが、それぞれまた別の相手を新天地で見つけるはずだ。
彼女の体の隅々を愛おしく思い出しながら、彼は深い眠りに落ちていった。