プロローグ
彼の住むのは、安全で犯罪もほとんどなく、街中が静かで清潔で、文化的な人々の集まるアカデミックな地区だ。彼の同僚たちはここでの落ち着いた日常に満足している、らしい。
「ああ神様、ありがとう!!」
彼は神をそれほど信じているわけではないが、万が一存在していた時のために、自分の幸運を神に感謝しておいた。
市内にある宇宙工学専門の工学院ケンジントン・テックに勤務するレスター・フレッドマンは、在住八年目にしてやっと、この退屈で変わりばえしない平穏な生活から脱出できることに大喜びだった。
ここセーラム・シティは、行政機関の集結するコロンビア・シティまで車で一時間とアクセスの良い立地にあり、薬学の権威ハロルド大学や生物科学のルーツ大学など、著名な大学が名を連ねる有名な学園都市だ。彼の勤務する工学院も世界に名高い機関である。ここでは五万人ほどの全世界からのエリート候補生たちが住み、競争しながら勉強している。
日常生活から娯楽にまで事欠かないようにとの国の配慮から、市内に居住する学生および学校関係者たちには、住居から公共料金にいたるまで国の手厚い補助が入り、市内にはありとあらゆる施設が整然と並ぶ。居住者の性質上、街全体に華やかな活気はなく、勉学に勤しむ学生たちが遊びに割く時間が比較的少ないせいか、せっかくの娯楽施設はいつでも空いている。女子学生の姿も三割強にとどまっているせいで、街では女性の姿をあまり見かけない。
彼は地方の公立高校から特待奨学生としてケンジントン・テックに入学し、学院での三年間を連続トップの成績で修了した。学院での成績を認められた彼は、その後に他国の提携大学に一年間留学をし、そこでの在学中に新学説を提唱したために業界で注目される存在となった。国内に戻ってさらに専門課程の二年を過ごした後には、彼は民間・公共機関から引く手あまたの人材となっていたのだが、奨学金受領の見返りに、二年間は母校での研究・講義に従事する契約となっていた。
静かな暮らしを好む者たちにはここは天国のような環境だろうが、レスターは束縛をきらい、自由恋愛を謳歌したいタイプだ。彼は根本的にこの学園都市の雰囲気に馴染みはしないものの、契約満了のその日を無事に迎えられるよう、身辺に注意しながらずっと過ごしてきていた。