第四章
第四章「バッテリー」
大失敗である。
物質をデータ化してケータイへ転送することにより手荷物の負担が少なくなると分かった僕は、この際に買い物をしこたまやってしまおうと思いついた。だがそれは、湧月の好奇心と物欲によって暴走を始め、僕の手には負えないほどのとてつもないショッピング地獄になってしまったのだ。
待ち受け画面に荷物を置いているので、山ほどの荷物を持たされるという事態にはならなかったものの、僕の財布の中身はすっからかんになってしまい、しかも湧月が買い物に飽きたのが夜の九時! ということで銀行のATMも閉まってしまった。
僕たちは運賃が足りなくなりバスに乗ることも出来ず、家までの徒歩五十分の道のりを延々と歩くハメになったのだ。
自分の責任を多少なりとも感じたのか、湧月も具現化したまま黙って僕についてくる。ちなみに浮かれた気分もすっかり沈んだのか、買ったばかりの洋服も着替え、いつもの着物姿になっていた。
ああ、明日が学校というのがまた憂鬱だ。
「疲れたのう」
「疲れるのか? まだバッテリーは三つあるけど」
「それは儂の肉体を維持するため、あるいは魂銘を使用するために魂を強化させる栄養みたいなものじゃ。儂の肉体が運動により負う疲労などは、人間と変わらないのじゃよ」
「なるほど。だから物欲も人間と変わらない、と」
「……ぬぅ。いいではないか。この世界にあるものは、その全てが儂にとって見たこともない新しいもの。それを己の手中に収めたいと思うのが、どうして悪なものか!」
「僕の財布にとっては、朱天よりも恐ろしい巨悪だったよ……」
一日かけてすっかりと溶けてしまった雪がアスファルトの上に水たまりを作り、僕たちの足音をべちゃべちゃという不快なものに変えている。それが余計に疲労感を募らせ、自然と僕たちから会話を奪った。だが沈黙して歩き続けるのは余計に疲れる。だから僕たちは絞り出すように言葉の応酬を続けていた。
「……小童よ。今のおぬしは、もしかしたら儂のことをとんだ金食い虫だと思っておるかもしれぬが……。しかし、いざ妖怪どもに襲われたならばその認識を改めるが良い。消費以上の働きをしてみせるぞ」
「うーん。どうせならお金を使わないで、その上で僕を助けて欲しいんだけどなぁ」
「ま、まぁ、そこは出世払いということで」
「期待せずに楽しみにしているよ……」
そんな話をしながらしばらく歩いていると、道の真ん中で突然に湧月が立ち止まった。
「んっ、どうした?」
ここは住所的には富柄台だが僕の家まではまだまだ遠い。こんな人気のない路地で一体どうしたのというのだろう。
「……小童よ。さっそく出世払いが清算できそうで、儂は嬉しいぞ」
彼女の言葉で事態を把握するのと同時に、どこからか幾つもの足音が聞こえてきた。いや、どこからか、ではない。前後左右あらゆる方向からだ。
そしていつの間にか、僕たちの歩いている道の十メートルほど先に一つの人影が現れていた。その隻腕の少女から発せられるのは、素人でも分かるほどの荒ぶる魂の迸り。
「昨日は、よくもやってくれたわね。私の腕を……よくも奪ってくれたわね」
茨姫。朱天の右腕としてかつて人間たちを苦しめた鬼。そして女性を傀儡と化して操る卑劣な魂銘の持ち主。言動からして自分の肉体に並々ならぬ自信というか、妙な愛を持っているのが分かる。そんな奴にとって片腕を奪われたことは、さぞ許しがたいことなのだろう。
湧月へ向けられる憎悪と怒気は、学校で襲ってきた時とは比べものにならない。
今は学生に化ける必要もなくなったからか、我が校の制服ではなく白装束に身を包んでいる。まるで山に住んでいる仙人か修行僧みたいな格好で、さらに植物の蔦をモチーフにした装飾が施されているという、ひどく浮世離れしたファッションだ。――まぁ、浮世離れはこちらのお姫様も同じだが。
そのお姫様はずいっと一歩前に出ると、敵に負けないくらいに荒々しく魂を迸らせる。
「ふん。わざわざ狩られに出てくるとはのう。おぬしを切り刻んでしまえば、あとは朱天を潰すだけじゃ。自ら主の死期を早めに来るとはのう」
赤い着物に身を包んだ美しい人形が、鋭い目つきで鬼を睨む。――その瞳が赤く染まった。
だが鬼は冷たい瞳でそれを睨み返すと、肩口に掛かっている自分の髪の毛を邪魔臭そうに払ってから、ゆっくりと口を開いた。
「ハッタリはよしなさい。湧月、お前たちに私を倒せる力はない」
事実だ。しかし認める理由はない。
「ふん。どうかな?」
湧月は不敵な笑みを浮かべる。それに追従するように、僕も身体の震えを抑えて毅然とした態度をとる。
正面から戦ったのでは勝てない。ただし相手にとっては実力が未知数の僕だけが不安材料。僕らが茨姫に勝つためには、ポケットの中にある棒切れを拳銃だと思わせなければいけないのだ。
茨姫はそのように気を張っている僕の方にちらりと視線を向けると、フッと表情を崩した。
「流石に場数を踏んでいるわ。湧月、お前の演技は大したものね」
そこで茨姫の人差し指が、僕の呆けた顔面を指す。
「しかし人間の方はそうもいかない。その目を見るだけで私には何を考えているか筒抜けよ。……今日の行動は不可解だったけど、恐らくはブラフのつもりだったのでしょう?」
う、バレてる。
流石は朱天の右腕。副将という立場にあるものは、冷静沈着に大局を見定める力がなければいけないのだろう。彼女は荒々しい口調と勝気そうな見た目に似合わず、そういった能力を持ち合わせているらしい。
「大方、そっちの人間を私に過大評価させて抑止力にしようと考えたのだろうけど……。そんなに強かったのなら貴重な時間を使って遊んだりせずに、さっさと神社に乗り込んで朱天様を討てばいいじゃない? それをしなかったって事は、出来なかったって事よね」
湧月は表情を変えずに、無言を貫いている。
「真正面から攻め入ったのでは勝てない。そこで私が動かないうちに、他の陰陽師と合流して共同戦線を張ろうと思った、ってところじゃない?」
そこまで看破されているのか……。というか他の陰陽師って、まさか御霊屋の事か!
「でも、残念。陰陽師なら昨日、私が殺したわ」
「なっ」
御霊屋が、死んだ……だと?
その動揺は流石に隠せない。僕は茨姫に食いかかろうとし、だが湧月が腕をぐいと引っ張り止めてくれた。
「でも、他に陰陽師がいるとも限らないし。下手に手を組まれる前に、ここで殺しておくのが朱天様をお守りするための最善手」
湧月はうっすらと笑みを浮かべているが、確かにこの作戦の矛盾点、痛いところをつかれてしまっている。完全に図星である。冷静に考えてみれば、全くもって茨姫の言うとおりだ。
「まっ、どちらにせよお前たちは死ぬ。この数を一斉に相手に出来るかしら?」
茨姫はバンドメンバーでも紹介するかのような軽いノリで、傀儡たちを僕らへと見せつける。
傀儡は僕らの背後と、茨姫の背後に控えるように十人ずつ、計二十名は集められている。これに今回は茨姫本人も加わるのだ。どう見ても戦局は厳しい。
思わず湧月の方を見ると、彼女はちらりと僕へと視線を向け、静かに頷いた。
「小童。すまぬが、茨姫は儂が相手をする。傀儡たちは何とかやり過ごしてくれぬか」
「……無理、とは言えないだろうな。けど、湧月こそ奴を相手にして大丈夫なのか?」
湧月が負ければ僕も殺される。だが何より、僕の脳裏には非常階段で殺されかけた時の血に濡れた湧月の姿が蘇っていた。湧月のあんな姿はもう見たくない。
だが、僕を見つめる紅の瞳は自信に溢れていた。そう、いつだって湧月は自信満々だ。僕の前では決して弱さを見せようとしない。
「ふふ。自分の弱さを自覚していれば、それなりの戦い方というものがあるものじゃ。今回は互角以上の戦いをしてみせよう」
ならばその自信を、僕も信頼するのが筋だ。
「……了解だ。頼んだぞ」
「任せるがよい。戦いは儂の範疇じゃ。おぬしは、ただ儂の側におればよい。そして助けを求めたい時には、儂の名を呼べば良い」
僕はこの二十人の傀儡たちを湧月に近寄らせないようにしつつ、自分の身を守らなければいけない。だがそれくらいは最低限やってみせないといけない。僕は、湧月に協力すると言ったのだから。
「さて、お喋りはそのくらいにしてもらって良いかしら?」
僕らの会話が終わるのと同時に、相対する茨姫の身体を禍々しい気が覆った。――これが魂の力。妖怪を妖怪たらしめる破壊の邪気か。
「湧月……。千年前に殺された仲間たちの、そして……昨日奪われた、この左腕の恨み……今、ここで晴らす!」
茨姫が動いた。
身体に纏わりついていた蔦がその右腕に絡まり、寄り集まって剣のような形を作る。左腕には蔦で形作られた義腕が出現した。
魂は、妖怪の象徴たる魂銘を使う為だけに消費されるものではない。熟練者はこのようにして物体の変質、強化を行えるのだと湧月は言っていた。
「蔦の剣か。千年経ってもやる事は変わらぬのう」
「お前こそ未だに御髪遊びだろうが!」
茨姫は反撃を恐れぬかのように真っ直ぐに湧月へと肉薄し、斬りかかった。
「〝玄翁の槌〟!」
迎え撃つ湧月は得意技を繰り出す。髪の毛が二束、敵を打ち付ける鉄槌となり襲う。威力はそれほどでもないが使い勝手の良い、初手にはぴったりの技だ。
その攻撃は、僕からすれば防御不可能に思える速さの一撃。だが妖怪たちにとっては、そうでもないらしい。茨姫は走りつつ身を屈めて湧月の槌をあっさりと躱すと、一気に懐へと飛び込んだ。
「湧月っ!」
再び非常階段での光景が脳裏に蘇り、僕は思わず叫ぶ。しかも今度は相手も素手ではなく武器を持っている。一撃でも喰らったら致命傷だ。
そんな僕の心配をよそに湧月は髪の毛で地面を叩き、その反動によって自分の小さな体躯を後方へと逃れさせていた。
そしていつの間にか、湧月の髪の毛が敵の右手に、というよりは蔦の剣に絡みついていた。
「もらった!」
「チィ!?」
一瞬の判断が勝敗を分ける。それが人を超える力を持った、妖怪たちの戦いなのだ。
湧月の髪の毛はピアノ線のように細く固くその性質を変え、万力のように蔦の剣を締め上げた。そして黒板を引っ掻くような不快な音と共に、その剣をバラバラに引き裂く。茨姫が危険を察知して腕を剣から引き抜くのが一瞬でも遅ければ、その片腕は蔦の剣と共に骨ごとミンチになっていただろう。
「見えなかった。いえ、隠されていた……!」
夜の闇。漆黒の髪の毛は、その一本一本を目視できるものではない。湧月は〝玄翁の槌〟によって目くらましを掛け、回避動作と共にこっそりと蜘蛛の巣のように髪の毛の網を設置していた。そこに突っ込んだ茨姫は、その右手を絡め捕られたのだ。
「……ふん。相変わらず普段はお子様脳みその癖に、人を殺すための頭だけは良く回るわね」
「人を殺す為ではない。おぬしら、妖怪を狩る為じゃ」
髪の毛を揺らめかせながら距離を取る湧月。さっきの攻防で危険な目に遭ったせいか、茨姫もそう簡単に踏み込むことは出来なくなったようだ。しばしの膠着状態が生まれる。
その間を埋めるかのように、茨姫は蔦の剣を再形成し、構えたまま口を開く。
「流石は呪いの人形。弱体化したとはいえ、上手く立ち回ってくれる。でもこの私と一対一で互角に戦える程度、とは事前に分析していたわ」
「その分析は間違っておる。一対一ならば、おぬしは儂に負ける」
そこで、茨姫の目線がこちらに向けられた。――心臓が跳ね上がる。
「湧月。ケータイを依り代にするデメリットは力の弱体化だけじゃないわよね。……大切な本体を脆弱な人間に預けなくちゃならない。この大きな弱点、私のような魂銘の使い手を相手にするには、相性が悪すぎるわね?」
い……いよいよ来るのか。
僕は覚悟を決めた。
「さっきの攻防ではっきりしたわ。お前は私と戦っているので精いっぱい。その人間を傀儡の攻撃から助ける余力はない!」
「……小童は殺させぬ。その前に茨姫、儂がおぬしを殺せば済むこと!」
茨姫が蔦を鞭のように操り地面を叩いた。それが合図となり、周りを取り囲む傀儡たちが一斉に僕へと襲いかかる!
視線を茨姫から外さないまま、湧月は僕へと叫んだ。
「儂を心配するでないぞ。小童、己の身を守る事だけを考えよ!」
言いながら湧月の髪の毛が剣に、あるいは斧に、槍に、ありとあらゆる武器に変質を始める。
対する茨姫も蔦を操り迎え撃とうとしていたが、湧月の髪の毛を見た途端に表情が憤怒に 染まる。そして感情の高ぶりに反応するように、その瞳が真っ赤に染まった。
「それは……私の仲間を、幾人も殺した……憎き技!」
「覚えていたか。喜べ、ようやく貴様も味わえるぞ! 我が刃の切れ味を!」
湧月の髪の毛がうねりを打ちながら持ち上がり、鎌首をもたげる化け物のようなシルエットを形作る。その姿はまるで、八つの頭を持つ人食いの化生――八岐大蛇だ。
「〝武双乱舞〟!」
湧月が技の名を叫んだのが最後だった。
あとは彼女たちの戦いを見る暇などなくなってしまう。何故なら二十人以上の武装した傀儡たちが、僕の命を、いや湧月の本体であるケータイを狙って攻撃をしてきたのだから。
「く、うおおお!」
無言のままでゴルフクラブを振り上げてきた主婦らしき女性の一撃を、真横に飛び込んで避ける。素早く起き上がるとカッターナイフを手に持った女子高生が、僕の頭へ目がけてそれを振り下ろそうとしている。刃はすぐ目前に迫っていた。
「うぅ、わああああッ! あぶっ、ねぇっ!」
その細い手首を両手で掴み、なんとか刃を止めることは出来た。しかしこれでは他の傀儡から攻撃を受け放題だ。やむを得ずそのまま渾身の力で女子高生を投げ飛ばす。地面に転がった彼女の身を案じる暇もなく、横手から金属バットのフルスイングが飛んできた。
「いって!」
バットをかろうじて避けた直後、後頭部に痛みが走る。振り返れば老婆が杖で僕を小突いている。その杖を取り上げて遠くへとブン投げる、と同時に木刀を持ったおばさんが正面から殴りかかってきて……。
「だ、ダメだ!」
避け切れない。木刀を何とか躱せたのが限界だった。
僕は地面に尻もちをついてしまい、あっという間に傀儡たちに取り囲まれた。これでは逃げ場もなく防ぎようもない。
やっぱり、僕では無理だったのだ。
まるで斬首刑の執行人のように、鉈を持った女性がゆっくりと僕の方へと歩み寄ってくる。
人は死の恐怖を前にすれば、固い決意もあっさりと崩れ去るものらしい。命乞いなど無駄と分かっていても、土下座しようとしたくなる。なんと情けないのだろうか。
「ひ、ひィ」
湧月の役に立とうとしていた僕の勇気ある心は何処かへと消え去った。今の僕は自分の保身しか考えていない愚かな生き物。
いや、これが本来の僕だ。
「た、助けて……誰か」
そうだ。――彼女なら僕を助けてくれるはず。
大体、僕には戦いなど無理だったのだ。彼女だって言っていたじゃないか。戦いは自分の仕事だと。――なら、僕はもう十分にやっただろう?
「湧月……助けてくれ!」
最初に出会った時と同じように、僕は叫んだ。
彼女に助けを求めて叫んだ。
ほとんど無意識の内に叫んでいた。
「言われんでも、助けてやる」
その声は僕を取り囲む包囲網の向こう側から、微かに耳に届く。
「ぐっ」
「あう」
女性のうめき声。気付けば、僕に一番近かった傀儡のみぞおちに黒い柱が突き刺さっていた。そして傀儡たちは苦悶の表情のままで気絶し、次々と濡れたアスファルトの上へと倒れる。
包囲網の向こう側、茨姫と鍔迫り合いをしていた湧月が目に入る。その髪の毛の何割かが僕を助けるために、こちらへと伸ばされていた。
「た、助かった、湧づ――」
そして次に僕の目が捉えたのは、会心の笑みを浮かべた茨姫が、湧月の頭頂部へと蔦の剣を振り下ろそうとしている光景だった。
「この時を待っていたわ! 殺った!」
そうだ。さっき奴が言っていた。
湧月は茨姫と戦うので精いっぱい。本当は僕を助けるのに力を割くことは出来ないはずだったのだ。
それなのに、僕は助けを求めてしまった。そして湧月の奴はそれに応えた。そのせいで致命的な隙が生まれ、湧月は――
「ぐああああッ!?」
僕の耳に届いたのは、意外にも茨姫の悲鳴であった。
夜道を明るく照らす雷光は、横手から茨姫を襲った御札から発せられている。
「あれは……?」
困惑する僕とは違い、湧月はその隙を逃さずに動きの止まった茨姫へと反撃する。髪の毛によって作られた槍が、茨姫の脇腹を薙いだ。
「がっ、はぐ……! くッ、そォォォ!」
御札の効力が切れたのか雷光は収まったものの、茨姫の受けたダメージは勝負を決するのに十分な深手であった。
「終わりじゃ!」
そして湧月がトドメを刺すべく更に踏み込もうとした瞬間。茨姫の右手がこちらを向いた。
「〝紫雲〟!」
そして叫び声と共に、茨姫の手のひらから紫色の煙幕のようなものが噴出する。
「ふわっ!?」
思わず腰を抜かして倒れ込む僕。
「いかん!」
湧月は瞬時に僕の元へと駆け寄り、その着物の袖で僕の口を塞いだ。
「小童、息を止めろ。これが奴の魂銘〝籠絡の紫雲〟じゃ。男のおぬしが吸っても操り人形にはならぬが、どちらにせよ身体には毒。魂をやられるぞ」
「も、がが!」
僕の口を塞ぐ湧月の背後に、生き残った傀儡たちが迫るのが見えた。それを必死で伝えようと声を出そうとしたのだが、それは余計なお世話だったようだ。
湧月の髪の毛は、後ろに目でもついているんじゃないか、と言いたくなるような正確無比な動きで、それらの傀儡を悉く気絶させていった。
「……お得意の遁走は通用せぬぞ」
湧月が僕を守るように立ちはだかり、紫雲の煙幕を睨み付ける。その向こうから、左腕のない人影がゆらりとこちらに向かってきた。
「くッ……。いつの間に、こんな強固な結界を敷きやがったッ……!」
「さぁ、儂は知らぬわ」
どうやらこの道路の周囲には茨姫が逃げられないように、いつの間にか結界が敷かれていたようだ。僕はもちろんそんな事は知らなかったし、湧月からも事前に知らされてはいない。
ただ湧月はこれが予定通りであるかのように平然としている。
「わ、私が……。完璧なる肉体を持つ私が……こんなところで朽ち果てるはずが……! こっ、こんな万年幼女体型の奴に……! 負けるはずがッ!」
「ふんっ。最期までお主は、そこを突いてくるのう。貴様の魂銘からして、己が女の頂点たろうとする気概は分かるが……。そこまでの偏執ぶりには付き合い切れぬぞ」
「ふっ、ふふっ。当たり前じゃない。私にはそれしかないんだもの。幾らこの肉体を磨き上げたとしても、あの方は……朱天様は……湧月、お前の魂に、純粋な悪意によって造られた魂に惹かれていたのだから。――ねぇ。数万の罪なき人を殺した、呪いの人形よ……!」
「ッ……!」
湧月の髪の毛が、刃と化して茨姫の心臓を貫いた。
まるでその先は喋らすまいとしたように、湧月はあっさりと茨姫にトドメを刺す。
「がふっ……。くく……お前では、朱天様には……勝てない」
茨姫の身体が地面に倒れる。それと同じくして辺りを覆っていた紫の煙は跡形もなく消え去った。
結局、どうして僕たちが勝利したのかは分からないままだったが、とにかく僕も湧月も生き残れたという事実を思うと胸中に安堵が広がる。
「終わった……のか」
脱力してその場に座り込む。実際、僕は何もしていないのだけれど、精神的には三日三晩徹夜するよりも疲れた感じがする。
「小童よ」
「ん? なんだ?」
湧月が身体の前で手を組みながら、変にもじもじしている。伸びた髪の毛が彼女の表情を隠していた。
「黙って危険な役回りを押し付けてすまなかった。おぬしが囮にならなければ、儂は傀儡たちを殺さなくては勝てなかった。……おぬしのおかげで儂は人を殺さずに済んだ。その事に関しては……その……」
なんだ、彼女が口ごもるなんて珍しい。
「僕の方こそ、また湧月に助けてもらった。お礼を言うのはこっちだ」
「……まぁ、それは」
伸びに伸びた髪の毛をまとめ上げながら、湧月は何やら顔を伏せている。
だが湧月の態度よりも、僕は何がどうなって茨姫を退けられたのかが気になる。
「なぁ、さっきの横槍は、一体なんだったんだ? 御札みたいなのが飛んできたように見えたけど……。それに逃げ場を塞いだ結界っていうのは一体誰が……」
僕が訊ねると、湧月は鼻から大きく息を吐いて、いつもの調子に戻った。
「まさかおぬし、儂が何の考えもなしに一日遊び呆けたとでも思っておるのか?」
え? いや、はい。そう思っていました。
「街中を儂のような恰好の者が練り歩いておったら、いやでも人の噂になるであろう。そして、反撃の機会を伺って潜んでいる者が、この情報を嗅ぎ付けぬ訳がない」
「ああ、それで茨姫の奴に捕捉されて、こうして待ち伏せされちゃったんだよな」
と、口にしてから自分の間違いに気づく。湧月はどうも茨姫の事を指して言ったのではないと。
「腕を取られて頭に血が上った阿呆も釣れたが、儂が本当に釣りたかった本命も見事に引っかかってくれたの。――感謝するぞ、御霊屋」
「えっ!?」
行方知れずの友人の名を出され、僕は驚きの声を上げる。
台詞と共に動いた湧月の目線を追えば、茨姫に向けて御札が飛んできた辺りの曲がり角から、見知った男が姿を現した。
「……久しいな、福室よ。もう随分と会っていなかった気がするぞ」
「お、御霊屋! お前、大丈夫なのかよ!」
現れたのは白袴に身を包んだ僕の友人、御霊屋寛。その全身は死闘を繰り広げた後らしく、血に濡れて傷ついていた。白袴は半分ほど赤黒く染められているし、メガネは左のレンズが割れてフレームも思いっきり歪んでいる。まるでリンチにでも遭ったかのようだ。
「……福室が〝封印の鍵〟と一緒にいたとは驚いたが……。そうと知っていれば、ふふ、もっと事は簡単に……」
湧月の名が出てきたことも含め、色々と聞きたいことはあるのだが、それよりなにより手当が先だ。電信柱に背を預ける友人へと駆け寄る。
「ちょ、救急車を呼ばないと……」
そして電話をかけようとケータイに手にした僕を、御霊屋の声が止めた。
「待て。それよりもお前と彼女に伝えたいことがあるのだ……。お前の家に俺を連れて行ってくれ。……そこで、現状について教える」
息も絶え絶えの彼が、その身を呈してまで伝えたいこと。その重要性は伝わってくる。
だが……。その身体では……。
「小童よ、ここは陰陽師の言うとおりにした方がいいじゃろう。……すまぬが儂もケータイの中で回復させてもらう」
言うなり湧月はケータイの中に引っ込んでしまった。ふと画面を見れば、湧月の身体を覆う赤い着物の一部が、より深い色によって染まっていた。さっきは暗さで分からなかったのが、ディスプレイに表示されたことで鮮明になったのだ。
「湧月、お前……」
『ここは傀儡から解放された女子たちが大量に倒れている現場じゃ。警察なんかに見つかったら、現場におったおぬしは数時間拘束されてもおかしくない。……このままバッテリー切れしたら、儂の傷はいつまでも癒えぬ。そんなのはごめんじゃ』
湧月の言葉に同調するように、御霊屋も続ける。
「なるほど、ケータイのバッテリーで回復できるのか。そうとなれば、益々だな。救急車を呼ぶための通話でバッテリーを消費するわけにはいかんだろう。福室、ここはお前の家に行くべきだ」
確かに二人の言うとおりにした方がいいかもしれない。自分の身体を傷つけていない僕が、傷ついた二人の意向を無視するのはお門違いな気がする。
「……分かった。二人とも、早くうちで手当てをしよう」
僕はケータイをポケットに突っ込み、御霊屋に肩を貸す。そして救急箱とコンセントの待つ我が家へと急いだ。
「まぁ、大体は湧月ちゃんの説明してくれた通りだ」
僕の慣れない手つきによる応急処置を受けた御霊屋は、ソファで横になりながら事のいきさつを説明してくれた。
「俺はこの地における妖怪の管理を任された陰陽師。これは御霊屋家の長子が代々受け継いできた役目でな。――無論のこと、うちに朱天という強大な妖怪が封印されていることも、先代であった親父から知らされていた」
御霊屋の親父さんは現在、関東で働いていると聞いた事がある。だが話を聞くと、その人も実は陰陽師だったらしい。
「ああ、親父は現役を引退して日本の陰陽師をまとめる〝陰陽師労働組合〟という組織の幹部をやっている。だが、そんな親父も、湧月ちゃんが〝封印の鍵〟になっているとは知らなかった。恐らく……何代か前にその情報が伝えられずに途絶えてしまったのだろう」
「それでお前は、朱天が復活しそうになってから、湧月の果たしていた役割に気付いたってことか」
御霊屋は頭を抱える仕草をして、深く溜息をついてみせる。
「ああ、参ったよ。うちの本殿には大仰な封印の術式があってな。それを見ていれば誰でもそっちが朱天の封印だと思うだろう? まぁ実際にそうなのだが、本命の鍵は湧月ちゃんだったという事だな」
湧月の見立て通り、その本堂にあったという封印は朱天によって自力で解除されてしまったようだ。そして僕のケータイに湧月が移ったせいで……。
「そして封印が緩んだことで湧月ちゃんの役割を理解し、あれこれと対策に奔走しているうちに……朱天は復活してしまったのだ。――同時に部下の鬼が奇襲を仕掛けてきてな」
部下の鬼とは茨姫のことだろう。あいつは朱天の復活を心待ちにしつつ、亞麻矢神社を監視していたに違いない。そして復活と同時に、はせ参じた。
「それで、愛用の霊器をほとんど抑えられた状態になってしまい、俺も命からがら自分の家から逃げ出すので精いっぱいだったのだ。今も手元にあるのは御札が数枚だけ……まったく情けない限りだ」
いや、僕からすればあいつと戦って生き残れただけでも、お前怪物かよと言いたくなるが。そりゃ剣道部でも公式大会に出ないのが勿体ないと言われる訳だ。
「あ、そうか。すると、あのボロボロの状態で登校してきた日は……茨姫の攻撃から逃れてきた後だったのか?」
「そうだ。何度か反撃を試みたが、あの傀儡たちによって完璧に防御を固められていて断念した。それで失意のうちに休憩の為に学校へきてみたワケだ。……もっと万全な状態であれば、あの時お前の懐から溢れ出る魂の迸りで、湧月ちゃんの存在にも気付けたのだが」
『のう、小童よ。ちょっと口を挟みたいのじゃが』
そこで突然、充電中のケータイから湧月の声が響いてくる。あからさまに不機嫌な声色で。
「なんだ?」
『御霊屋よ。さっきからおぬし、儂の名の後ろに変なものをつけておるの』
その言葉を受けた御霊屋は、横になったままケータイへ向けて爽やかな笑みを浮かべた。
「ん? 何のことだい、湧月ちゃん」
『それじゃ! その〝ちゃん付け〟はよさぬか!』
湧月の鋭いツッコミにも、御霊屋はその爽やかな笑顔を崩さない。
「なんでだい。こんなに可愛らしい女の子を呼び捨てになんて出来ないじゃないか?」
『それだったら、さん付けにでもすれば良いではないか。何故、ちゃんなのじゃ。儂はそんな可愛らしい呼び方はされたくない!』
「……ふふふ。まさか、俺のお気に入りの人形であった湧月ちゃんが、こんなにも可愛らしい女の子に変身できるとはなぁ。やはり俺の目に狂いはなかったのだ」
「駄目だ、湧月。今のこいつには話が通じない」
完全に目がイッてしまっている。御霊屋の奴は、すっかりと湧月の虜になってしまったようだ。もしや、こいつ……人形愛好家なだけでなく、ロリ――
『ええい、もういいわ! それより御霊屋よ。肝心なことじゃ。――朱天が完全復活を果たすまで、あとどれくらいの時間の猶予がある?』
今度の質問には流石の御霊屋も表情を変える。
学校でもプライベートでも僕に見せたことのない、鋭く険しい陰陽師としての顔だ。
「……亞麻矢神社は、大きな龍脈の集中する土地に建っている。龍脈とは死んだ者の魂が流れる、主要幹線道路だ。常に死者の魂を引き寄せ、流れを絶やす事がない。魂の地下水脈、あるいは大河と思ってくれても良い」
「……それは、どういう意味を持つんだ?」
「簡単に言えば魂がもっとも活性化される場所。封印をするのにも最適ではあるが、衰えた妖怪の身体を回復させるのにも最高の場所ということだ」
朱天の回復は早まるという事か。……僕らにとっては良くない情報だ。
『で、結論は?』
「……明日の、夕刻がピークだろう。それを過ぎればあいつは魂銘を扱える程度にまで回復する。……そして湧月ちゃんの話を信じれば、それが在尾羽町の……いや、この日本にとっての刻限となるだろう」
『儂は嘘など言っておらぬ。奴が魂銘を使ったとすれば、この町は一夜にして悪鬼羅刹どもの跳梁跋扈する地獄と化す』
「……ああ」
部屋の空気が重くなったのを感じる。改めて説明されると、自分の巻き込まれたこの戦いが如何に大変な結果を生むものか、そして自分が如何に場違いなのかを思い知らされる。
茨姫の組織していた傀儡の守りがなくなった今、朱天は一人で亞麻矢神社にいる。だが御霊屋の見立てによると、朱天は魂銘を使うまでには至らずとも、その力を半分以上は回復してきている。だからその力を完全に取り戻す前に、いち早く奴を倒しにいかなくてはいけない。
ところが頼りになる湧月と御霊屋は、大怪我で半日は動くことすらもままならないのだ。
『他に陰陽師は……戦力になりそうな者は、この地にはおらぬのか?』
「……現代の陰陽師は全て、陰陽師労働組合……陰組が管理している。俺のような土地の管理者が妖怪を監視し、手に負えない場合には救援を要請する仕組みになっている」
「な、なら助けを呼ばなきゃ! 出来るだけ早く……」
こんなところでくっちゃべってる場合じゃない!
「昨日……茨姫に神社を乗っ取られた時点で陰組には連絡している。だが、しかし……間に合わないだろう」
「ま、間に合わない?」
「陰組はまず、様子見として下級の陰陽師を派遣する。それで手に負えなかったら、より上級の陰陽師を派遣していく仕組みだ。――お前たち、昨日神社の前で傀儡を二体倒しただろう?」
亞麻矢神社へと乗り込もうとし、鳥居の前で引き返した時のことか。
「俺はあの時、実は近くに潜んでいたのだ。そのおかげで湧月ちゃんの所在を知ることが出来たのだが……。それで俺が何故あそこにいたのかというと、派遣されてきた陰陽師たちを神社に案内していたからでな。しかし、彼らはあっさりと茨姫の傀儡に返り討ちにされた」
えぇ? なんてことだ。派遣されてきた現職の陰陽師でも茨姫は倒せなかったのか。
最強クラスの湧月が戦ってくれているから感覚が麻痺しているけど、あの茨姫も相当に強い妖怪だったのだ。並大抵の陰陽師では太刀打ちすら出来ないということか。
「すぐさまそれを陰組に報告したのだが……。次に来るB級の連中は明日の夕刻に到着する予定だ。その時には朱天は復活してしまっている」
「ならさ、そのB級の人たちと湧月が協力すれば……」
「いや、陰組や派遣されてくる陰陽師からしたら、湧月ちゃんとお前は得体の知れない相手。俺ならばとにかくお前たちに協力はしてくれないだろう。連絡所のはずの神社は敵の本拠地になっているし、陰陽師個人との連絡も取れないから、ここに呼んで紹介することもできない」
聞けば聞くほど融通が利かないな、陰陽師って奴は!
「B級の連中では朱天には歯が立たないだろうから、はっきり言って戦力としては考えない方がいいだろうな。A級の俺が勝てないと言っているのに、まったく陰組の連中は……」
おいおい。なんだよ、その悠長な派遣の仕方は。最初っからA級でも何でもジャカスカ送り込んでくれれば、こんな事にはならなかったのに!
「御霊屋、お前がもっと朱天の危険性について、その陰組とかいうのに上手く伝えていれば、いきなりA級の人をたくさん呼べたんじゃないのか?」
思わず彼を責めるような口調になってしまったが、御霊屋は「言いたいことは分かるが」と冷静に受け流す。
「無理なのだよ。そういう仕組みなのだ。数少ない陰陽師をやりくりして日本全国の妖怪を退治しているのだから、いきなりA級をよこせなんて要求はまず通らない。それに俺も含め、まさか魂銘一つで日本を壊滅させられるような化け物が存在するとは想像も出来ないからな。俺の進言も、きっと未熟な餓鬼の針小棒大と受け取られているに違いない」
そこまで聞いて、僕と湧月は理不尽な現実に愕然とした。
特に湧月はその声を低くして、失望感を露わにする。
『……愚かな。儂らが、あれほどの犠牲を払って倒した相手だというのに。その脅威すらも時の流れに埋もれて、忘れ去られてしまっていたというのか……』
「しょうがない。湧月ちゃんですら〝髪の毛の伸びる呪いの人形〟という名目でうちに奉納されていたくらいなのだからな。かつての人妖大戦は、断片的な内容が書物に残されているのみ。それもこうして生き証人の話を聞かなければ、とても信じられる内容ではない。ほとんどが創作物のような扱いをされているのだ」
「……やめよう」
ここで陰組や、まして御霊屋を責めてもしょうがない。
明後日の夜まで戦力になりそうな陰陽師はこない。となれば復活の刻限までに朱天を討てるのは、ここにいる湧月か御霊屋だけという事になる。しかし、御霊屋は深手を負っている。とても戦える状態ではない。
となると、残された希望は――湧月。僕のケータイに魂を閉じ込められた、呪いの人形しかいない。
「いや、湧月ちゃんだけじゃないさ」
御霊屋の目線は真っ直ぐに僕を捉えていた。
彼の言いたいことは分かる。
「……僕、か」
「ああ、そうだ。湧月ちゃんとお前はケータイを介して魂の繋がった、一心同体の運命共同体。……今までの戦いを思い出してみろ。お前は湧月ちゃんに助けられてきたのではないか?」
そうだ。その通りだ。
雪降る道で傀儡から逃げる時も、校舎で茨姫に襲われた時も、さっきの戦いも。どれも湧月が戦ってくれた。僕は彼女の後ろで彼女に守られ、彼女が傷つくのを見ているだけだった。
僕は湧月に助けられてきた。
『そ、それは違うぞ!』
「えっ」
ケータイからの声に驚く僕。その脇で御霊屋は力強く頷いた。
「うむ、湧月ちゃんは分かっているではないか。福室、お前は湧月ちゃんに守られ、そして同時に彼女を守ってきた。そうではないか?」
「そんな事……ない。僕は何もしていない。全部湧月に任せきりで、危なくなったら助けを求めて……ただの足かせにしか……」
『儂はそんな事、思っておらぬ。学校での戦いではおぬしのおかげで命拾いをしたし、さっきだっておぬしがいなければ……儂は人間を殺さなければいけないところじゃった』
「それは……。どちらも偶然っていうか、それにさっきのは結局、御霊屋が助けてくれたんだし。僕は……本当に偶然、訳も分からないうちに湧月と知り合っただけで、何の力もない……」
自分で言っていて、ひどく情けなくなってきた。
今だって湧月は戦いの傷を癒すためにケータイの中で休んでいる。彼女が身体に傷を負いながら戦っていた間、僕が何をしていたかと言えば、傀儡から逃げ回ろうとし、それすら出来ずに最後は湧月に助けを求めた。
こんな僕が、どうやって湧月と一緒に戦えるというのだ。並び立つ資格があるというのか。
『小童。……確かに、おぬしは肉体的にも魂的にも脆弱と言わざるを得ない。本来、妖怪と戦えるような人間ではないと言える』
「ああ、だから……」
『だがな。儂は……封印から解いてくれたのがおぬしで……。背中を預けて共に戦えるのが、おぬしで……』
机の上に置いてあるケータイが、ぶるっと震えた。メールを着信したわけではない。
『おぬしとなら、朱天を倒せると思うのじゃ』
あとはお終い、とでも言うように、それきり湧月は言葉を発しなくなってしまった。
「そういう事だ。明日の夕方までに、朱天を再び倒すことが出来るのは……湧月ちゃんと福室、お前たちしかいない。だから、お前がすべきことは湧月ちゃんが休んでいる間に、そのための作戦を考えることだろう」
「さ、作戦ったって……」
「それに、見たところ……。電子妖怪? だったか。そういう特殊な体質の湧月ちゃんについて、お前はまだ十分に熟知していないと見える」
確かにそうだ。今度は御霊屋みたいなイレギュラーによる奇襲は望めない。何かしらの搦め手を使うとすれば、僕たちのまだ知らない電子妖怪としての特性を活かすしかない。
「……確かに。僕はもっと湧月の事を知らなきゃいけない」
それは朱天との戦いに備える意味もあるし、僕自身の問題として湧月の事をもっと知らなくてはいけない。――そのように思うのだ。
「頼んだぞ。元持ち主であり、陰陽師の俺が見る限り、お前と湧月ちゃんは……悔しいが……最高の〝バッテリー〟だと思う」
「バッテリー? って、電池のことか?」
「ああ、知らんのか。野球でいうピッチャーとキャッチャーの……。まぁ、ざっくり言ってしまえば夫婦みたいなものだ」
「は、はあ。夫婦、ねぇ」
僕が苦笑いを浮かべるのと同時、ケータイがまた短く振動した。それは決して、メールを受信した為のバイブレーションではなかった。