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あやかしかるもの  作者: 越河圭士
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第三章

 第三章「着せ替え」


 午後の授業が終わり、僕は御霊屋に会うため急いで二組へと向かった。

 しかし奴は午前中で早退したらしい。まぁ、あの状態では当然だろう。その方が友人としては安心だ。――ケータイに電話をかけても出てくれないのは、少し不安ではあるが。

『ならば亞麻矢神社にお見舞いに行くとするか。ついでに眠りこけておる朱天の奴を討ち取って、さらに儂の本体も見つけられて一石三鳥じゃ』

「待て待て。攻め入る前に、ちょっと充電させてくれ」

 いつもは教室のコンセントでケータイの充電をしている人たちを「盗電行為だ」と蔑んでいたが、いざ自分のケータイもバッテリーが不足してくると、やりたい気持ちは理解できてしまう。

「ケータイの充電くらい自宅で済ませたい。……今日は流石に祠に行ってる場合じゃないな」

 林の祠への参拝は、八年前から欠かさず続けてきた日課ではあるが、今日くらいは良いだろう。

『すまぬな。バッテリーを大分、食べてしまったからのう』

 ちなみに湧月が茨姫から受けた傷は修復されている。どうやら即死レベルの重傷でなければ、ケータイの中で休んでいるだけで回復できるらしい。だがそれには、それなりのバッテリーを消費する。おかげで僕のケータイバッテリーは残り二本になってしまった。このままでは一本になるのも時間の問題だろう。

『このまま戦いに赴いて、茨姫や傀儡たちに襲われたら面倒じゃ。一旦家に帰って充電を済ませておくべきじゃな』

「……連戦出来ないっていうのは結構なデメリットだな。相手には傀儡の大群がいるから消耗戦を仕掛けてくるかもしれない……。何かしらの充電対策を立てておく必要がある」

『おぬし、意外と戦いに関しては頭が回るのう。儂も茨姫ごときに一対一で負けぬように何か策でも考えておくとするわ』

 こうして僕たちは一旦自宅に帰ってから、改めて亞麻矢神社に向かうことにした。

 まさか、こんな事に巻き込まれるとは思ってもみなかったが、こういう時に帰宅部は気楽で良い。――いちいち早く帰る言い訳を考えなくても良いからだ。

「なぁ、湧月」

 道路を一人歩きながら、ケータイで通話をするフリをして喋る。

『なんじゃあ?』

「もうすでに朱天が復活している可能性があるんだろ? そうだとしたら、そこに住んでいる御霊屋が危ないと思うんだけど……」

『安心せい。復活しているにしても魂銘すら使えない衰弱した状態に違いはあるまい。それならば成人男性一人も殺せぬ状態じゃ。仮に完全復活しているとしたら、奴の魂銘によってこの町は既に地獄絵図になっているはずじゃからの』

 それがないという事は、まだ少なくとも完全復活はしていない、と。

 この町が地獄絵図になるかならないかが、復活の目安となるのは不安過ぎる。分かった時には手遅れじゃないか。

「死者の魂を従える力か……。それを使われたら最後、湧月と僕だけじゃ止められなくなるんだよな」

『その通り。だからこれは時間との勝負じゃ。恐らく神社の周りには、儂をマークする傀儡たちが配置されているはず。それをかいくぐって朱天のもとにたどり着けるかが勝負の分かれ目じゃな』

「……なるほど」

『ところで小童よ。儂からも質問がある』

 おや、湧月から質問というのは珍しい。よし、答えてあげようじゃないか。

「なんだい?」

『ケータイの中からおぬしの生活を観察しておった時に気になったのじゃ。こうして周りを見ると他の学生たちは、二人やら何人かで帰っておるようじゃが……。何故おぬしはいつも一人で帰っておったのか?』

 ぐっ!? そこを突いてきますかッ!?

「そ、それは……。まぁ、僕には友達が少ないからだよ」

 友達百人できるかな、なんて文句は幻想である。たくさんの友人よりも、信頼できる優秀な親友一人の方が安心できる。それが僕の持論だ。

 それにあまり人と仲良くなってしまうと、いざ別れる時に辛いからな。僕はそういう精神的ダメージを未然に防いでいるのだ! 戦わなければ負けない、の理論である。

 決して友達ができなかった僻みで言っているんじゃないぞ。

『ふぅん。つまり、おぬしは人付き合いが苦手なのじゃな』

「お前……そうもはっきり言うか」

『仲間は良いぞ。儂も鬼どもとの戦いを乗り越えられたのは、素晴らしい戦友に恵まれたからじゃ。……おぬしもたくさんの仲間を作ると良い』

 それはようござんした。でも、生憎と僕は湧月のようには出来ない。何か劇的な事でも起きない限り、僕には友達なんて出来ないのだ。御霊屋と友達になれたのだって奇跡のようなものなのだから。――それに。

「お前はさっき、僕が協力するといっても断ったじゃないか。仲間になろうという僕を拒絶したじゃないか。僕を見捨てたじゃないか!」

『変に誇張するでない! あれは……まぁ、おぬしは仲間の勘定には入らぬという事じゃ。腕利きの陰陽師だったりすれば話は別じゃったが、一般人を仲間とは数えられぬよ』

「そうかい、そうかい。どうせ僕は役立たずのカス野郎だよ」

『そ、そこまでは言っておらぬじゃろう。おぬしは仲間ではないが、大切な……そうじゃ、儂の持ち主じゃからな』

「なんだそりゃ。言うならご主人様とでも呼んで欲しいね」

『調子に乗るでない。何が悲しくて儂が小童の下僕にならねばならぬのじゃ』

 そんな会話をしていると、あっという間に自宅についてしまった。

 あまりに学校と家が近いのも困りものだ。もう少し湧月との会話を楽しみたかった。

――なんて思ってしまった自分に驚く。いつもなら人との会話の後には疲労感しか残らないというのに。彼女とのそれは全く逆の感情を生んでいた。

「それじゃ、充電を終えたら早速神社に出発だ。何か他に準備するものはあるか?」

『儂の側からはない。おぬしの仕事は美味しいご飯を作る、儂の髪を切る、充電の管理、の三つじゃ。それらについてはお任せするぞ』

 いつから僕は湧月の給仕になったのだろう。と思わず愚痴を零したくなる。

 だが充電に関しては心得た。確か乾電池で充電出来る急速充電器というのがコンビニとかで売っていたはずだ。あれば役に立つだろう。あとは外でもコンセントがあれば充電できるようにケータイ付属の充電器も持ち歩いた方が良い。

「やる事はたくさんだな」

 僕はケータイをコンセントに繋ぐと、制服から私服に着替え始めた。あまり遅くの時間に制服で外をうろついていていると、警察に補導されたりする可能性もある。神社に行くのなら私服の方が良いだろう。

『ん、あ……。おい、小童!』

 学ランを脱いだところで、湧月が何かに気付いたらしく甲高い声を上げる。何事かと首を捻っていると、彼女は具現化して僕の方に歩み寄ってきた。

「あ、馬鹿。せっかく充電しているのに無駄な消費を……」

「良いから、それを見せるのじゃ」

 彼女の小さな手が僕の胸に伸びてきた。そして掴んだのは、僕が首から提げていた小さな御守り。

「これは、どうしたのじゃ?」

「ああ。昔、御霊屋の奴にもらったんだ。なんと手作りだそうでさ、神社の息子が作ってくれたんだからよっぽど効果があるんだろうと思って、ずっと身に着けているんだ」

 確か中学生の時だったろうか。心霊写真撮影の趣味について話した時、御霊屋は変な霊を呼び寄せるからやめろ、と忠告してきた。それでも止めなかった僕を見て、なかば呆れたようにこの魔よけの御守りをくれたのだった。

 そんな思い出に浸っていると、湧月が深刻な表情で口を開いた。

「……これは、〝霊器〟じゃ。本物の御守りじゃな」

「はぁ? そりゃ本物の御守りだろうさ。ってか御守りに偽物とかあるの?」

 魔除け、と書かれた赤い御守りをまじまじと見つめながら、湧月は「違う」と小さく呟いた。

「その昔、陰陽師たちは強靭な肉体と魂銘を持つ妖怪に対抗するため、人間の魂を増幅させ力とする道具、霊格暗器を考案した」

「な、なにいきなり語り出してんだよ」

「通称、霊器。これはその本物じゃ。恐らく魂を衝撃波に変換し繰り出すタイプの霊器じゃな。……なるほど、ただのぶちかましが茨姫に効いたのは、この御守りのおかげだったのじゃな」

そういえば茨姫に体当たりした時、僕は青白いスパークみたいなのを見た。あれが御守りによる効果だったのだとすれば、僕ごときの体当たりが効いたのも頷ける。

「……これって、そんなにすごい道具だったの?」

「うむ。そして、これを作っておぬしに渡したのが神社の息子、御霊屋寛か」

「あ、ああ。御霊屋だけど……」

「すると、その御霊屋は現役の陰陽師である可能性が高いな。今朝見た疲労困憊の姿はもしかしたら、朱天の復活と何かしらの関係があるのやもしれん」

 御霊屋が……陰陽師?

 そもそも妖怪を倒すという意味での陰陽師という職業が、今の時代に存在している事自体が驚きである。さらに僕の友人が陰陽師である、と言われたらすぐには信じられない。

 でも確かにあんな状態の御霊屋、よっぽどの異変に直面したとしか思えない。それにこの御守りの効果は実際に体験してしまったし。何よりあいつは、いつも白袴着ているくらいの変人だから、なんだか納得してしまった。

「……御霊屋が陰陽師っていうのは、まだ半信半疑だけど。でも、これから会いに行くんだから直接聞いてみれば分かるか」

「そうじゃな。まっ、これほど質の良い霊器を作れるものならば戦闘能力も高いと思う。協力してくれるなら心強い。……ただし、神社に行って無事に彼に会えたら……じゃがな」

 どういう意味だ。とは聞かなかった。

 朱天が封印されているのは亞麻矢神社。御霊屋の家だ。そして御霊屋が妖怪の退治や封印に関わる陰陽師であるというのなら、朱天の復活に関して彼が無関係であるはずがない。

 さっきから電話をかけても繋がらない事実が、また不安を煽る。

「心配だな……」

 そういえば昨日、御霊屋は湧月の本体が映った写真を見て、何やら呟いていた気がする。今にして思えば、あれも朱天の封印と関係があったのかも。

湧月が亞麻矢神社からいなくなり、封印の蓋がなくなった。その事情を御霊屋は知っていて、湧月を探そうと僕に心霊写真がどうだったか尋ねた、と考えると自然だ。御霊屋からすれば封印が解けた原因として一番怪しいのは、あの日に蔵へと入った部外者――僕だろうからな。

 そう考えるとここ数日の出来事が、すべて納得のいく形でフレームに収まる。一つ一つでは意味の分からなかった様々な出来事が、一枚の絵として完成された状態で僕の前に現れた。

「……なら、早く神社に行かないと。もしかしたら御霊屋は朱天を倒そうとしているのかもしれない。僕たちも協力しよう」

「朱天本人よりも茨姫と交戦している可能性の方が高いがの。復活前や直後の朱天など、陰陽師であれば一瞬で殺してしまえる。恐らくは、それを守ろうとしている茨姫に足止めを喰らっているのではないかのう」

 どっちでも良い。僕は御霊屋にもらった御守りで窮地を切り抜けた。ならば今度はこっちが彼を助ける番だ。

「湧月、僕に出来ることを教えてくれ」

「……いいだろう。時間の猶予がない。詰め込むぞ」

 それから充電が終わるまでの時間は、鬼たちとの戦いへの備えに充てた。

 まずは妖怪や魂に関する基礎知識の詰め込み。学校の勉強は苦手な僕でも、これは命に関わる問題だからか、湧月の言うことを必死になって覚えることが出来た。

 あとは霊器の使い方を教わったり、武器になりそうなものはないか家の中を探しまわったりした。――だが、こちらはあまり成果がなかった。武器になりそうなのは包丁くらいだったし、御守りの力は上手く発動できなかったのだ。湧月曰く「才能がないのう。むしろあの時に発動したのが不思議なくらいじゃ」だそうで。

 そうして僕らが身支度を終えたのは、夕方六時を回った頃だった。

「充電は終わりだ。出発するぞ、湧月」

『本当はもっとおぬしに色々と教えたかったが、仕方がないのう。まぁ御霊屋が茨姫を引きつけている間に、儂が朱天を討つという筋書きも良い。いざ出陣じゃ!』

 湧月がケータイの中から、やけにやる気に満ち溢れた声で了解する。

「……そういえば、神社には湧月の本体があるんだもんな」

 だからテンションが上がっているのだろう。僕には本体なんてものがないから共感は難しいが、確かに湧月にとっては長年連れ添った自分の身体だ。早く戻りたいのは分かる。

『ん? そうじゃったかの。忘れておったわ』

 嘘をつけ。隠せていないぞ。

 しかし、ここでふと思う。

本体を取り戻したら、あとは湧月一人で戦えるんだよな。充電なんか必要なくなるし。僕のケータイとは何の関係もなくなる。ケータイとは何の関係もなくなったら、それはすなわち僕との関係も……。

 朱天を倒した後、本体を取り戻したら彼女は――

『どうしたのじゃ? 早く行こうではないか』

「……ああ。それじゃあ、行こうか」

 近頃は日が落ちるのが早くなってきた。まだ六時だというのに、在尾羽町はもう暗くなっている。

 目指すは小山の上にある亞麻矢神社。陰陽師らしい友人の家であり、朱天という化け物の封印されている地であり、湧月の本体が眠る場所である。


 神社の入り口に来た僕たちは、目の前に現れた長い階段の前で立ち尽くした。

 全く霊感のない僕でも分かる。この石段を登っていく先にある神社は今、立ち入ってはならない場所だ。禁じられた領域である。魔境といっても良い。

『まずいな。これは……既に復活しておるかもしれぬ』

「えっ、分かるのか?」

『恐らく……じゃが。その証拠が、この鳥居に貼られている御札じゃ』

 湧月はケータイから髪の毛だけを伸ばして、階段の入り口にそびえ立つ赤い門を指さした。そこには新しく貼られたらしい真っ白な御札が一枚。

『これも霊器じゃ。比較的簡単な結界、ここに来たものを自然と引き返させる力を持っておる。ふむ、込められた魂の臭いからしても、あのメガネ少年が仕掛けたものじゃろう』

 ケータイから鼻をひくつかせる音が聞こえる。

「結界……って、なんで御霊屋はこんなものを?」

『そりゃ、一般人が立ち入って無駄な被害が増えないようにじゃろうな。つまりこの上の神社では朱天が復活し、茨姫の傀儡たちが守りを固めているという事じゃ』

「お、御霊屋は負けたってことか」

 まさか、あいつ……。殺されてしまったんじゃないだろうな!?

『いや、安心せい。こうして結界を敷く暇があったということは、勝ち目なしと判断して早々に撤退したのじゃろう。今は街のどこかで息を潜めつつ、逆転の機会を窺っている……というところかの。昔から陰陽師はゲリラ戦法が得意じゃからのー』

「でも結局、御霊屋も勝てなかったってことか……」

 せっかく頼りになる仲間が増えると思ったのに。

『一人では、な。御霊屋は恐らく茨姫と戦ったのじゃろう。朱天が戦えるようになっていれば、既に奴の魂銘で具現化した死者の魂が、この町を蹂躙しておるはずじゃし』

 そこで彼女の声が明るくなった。

『うむ! 御霊屋に関しては合格じゃ。茨姫と戦って生きて逃げられる実力があれば十分。儂と御霊屋の二人でなら茨姫を倒せそうじゃ』

 本当か! それは僕としても嬉しい。正直、僕が戦いで役に立つのは難しいからな。

 ただし、御霊屋の奴は電話にも出ないし、行方知れずとなっている。どうにかして合流出来れば心強いのだが。

「さて、どうしよう? このまま一旦帰るか、それとも……」

 朱天が完全復活したらゲームオーバー、という事を考えれば一秒でも早く仕留めにいった方が良い。しかし焦って失敗し、僕たちが殺されてしまえばそれでも終わりだ。御霊屋一人では茨姫に勝てないのだから。――それに僕だって死にたいわけじゃない。無茶はしたくない。

『朱天の復活までどのくらいの時間があるのかは気になる。しかし今は確実性を求めて御霊屋と合流したいのう。彼の話も聞きたいし。……じゃが』

「じゃが?」

『拠点の前にのこのこやってきた敵を逃がすほど、相手も間抜けではないようじゃな』

「え? ……あっ!」

 ふと気付けば、僕たちを挟むようにして前後に一人ずつ、何者かが忍び寄っていた。暗くて良く分からないが、何か長い棒状のものを持った、恐らくは女性である。

「こ、こいつら……傀儡か!」

『しかし偵察、といったところか。たった二人ならば、ちょちょいのちょい、じゃ』

「な、何言ってんだよっ! 茨姫一人でもあんなに苦戦したのに、今度の相手は二人だ! しかも挟み撃ちにされているぞ!」

『お、おいおい。阿呆なことを言うな小童! 傀儡など多少身体能力を強化された操り人形に過ぎん。流石に鬼である茨姫と比べるのは奴にも失礼じゃ』

「な、なら……任せても大丈夫なのか?」

 返事は、具現化と共に。

『うむ」

 傀儡が得物を振り上げて、全く同時に駆けだした。その感情がこもっていない機械的な動きは単純ではあるが、故に躊躇いがなく力強い。

 だが迎え撃つ湧月の表情は、退屈さに拗ねているようにすら見えた。

「〝玄翁の槌〟!」

 彼女は舞いを踊るように身体を回しながら叫んだ。それが繰り出す技の名前だと知ったのは、彼女の髪の毛が一束ずつ左右に伸びて、傀儡のみぞおちをそれぞれ的確に打った後だった。

 傀儡はうめき声を小さく漏らしたあと、得物を地面に落としてその場に倒れる。

まさに瞬殺であった。

「……あっさりだな」

 声を掛けると、彼女は自分の髪の毛をまじまじと見つめつつ、何やら納得いかない様子で首を傾げていた。

「うむ、儂も驚くくらいじゃった。……さて、逃げるぞ。増援でも出されたり、茨姫本人が出てきたら面倒じゃ」

 さっと踵を返す湧月。僕はそれについていこうとして、一旦足を止めた。どうしても湧月が倒した二人の女性が気になるのだ。

「……なぁ、湧月。傀儡ってことはあの女の人たち、操られているだけの一般人なんだよな」

「そうじゃ。あれだけの数を操っているとなると、警察にも捜索願がたくさん届いているじゃろう。確か〝わいどしょう〟は失踪事件の話題で持ち切りじゃったろ?」

 湧月は伸びた髪の毛を靡かせながら走る。僕はそれに何とかついていきながら話を続ける。

「だったら……その、罪もない人を手にかけてしまう事に、なっているんだよな」

 恐る恐る聞いた。もしかしたら、今まで倒した傀儡の被害者の中には、当たり所が悪くて重傷を負った人もいるのでは……?

「切り刻まれないだけ運が良い、と彼女たちには思ってもらうしかないのう。幸いにして傀儡は一旦気を失えば解放される、というのを儂は知っておる。だから腹に槌を当てて失神してもらっているのじゃ」

「そうか、殺しているわけじゃないのか……」

 それには安心するものの、やはり操られているだけの女の人たちを傷つけることに抵抗はある。

 そんな僕の心の内を察したのか、湧月の髪の毛がこちらに伸びてきて、あやすように頭を撫でてきた。

「……その怒りは、奴の自己中っぷりを体現したあの傀儡という魂銘に、そしてそれを躊躇いなく使い続ける茨姫に向けるのじゃな。儂らは傀儡を殺さずに済む、という事に感謝しつつ黙々と倒していくしかない」

 その言いようはまるで、自分は人を殺す辛さを知っているかのようであった。

 何百年前に起きた人妖大戦では、人間側につく妖怪もいたという。ならば逆に妖怪側につく人間も存在したに違いない。湧月はそういった者たちも相手にしたのだろう。

 それくらいは想像できたから、僕は野暮な質問はしないことにした。

「さて、このくらいまで逃げれば良いじゃろう」

 走り続けること十分。いい加減に息切れしてぶっ倒れそうな僕を尻目に、湧月は涼しい顔で言いながらケータイへと戻ってくる。

『茨姫が傀儡を使ってくるのは、恐らく儂らの戦力を見極めるためじゃ。女子たちはあくまでも、使い走りの様子見に過ぎぬ』

 茨姫は傀儡を通して、こちらの情報を得ることが出来ると湧月に教わった。傀儡とは茨姫にとって兵隊であり、かつ監視カメラの役割を担っているらしいのだ。

僕は立ち止まり息を整えながら、彼女の言葉に応える。

「確かに、あれだけ本人が強いなら傀儡なんて使う必要ないよな」

『そう。最初の襲撃で奴は、儂が全盛期ほどの力を持っていないと見極めた。だから翌日の学校で仕掛けてきたのじゃ。……が、おぬしの捨身の攻撃で奴は手痛い傷を負った。故に、今はおぬしの力を見極めようとしておるのじゃろう』

「……あんなの偶然だし、御霊屋の御守りのおかげなのにな」

『じゃが、相手が勝手に恐れてくれるのは好都合じゃ。おぬしの力を見極められるまでは、慎重な奴のこと、自分から討って出てくることはないじゃろう』

「その隙に策を講じて朱天を討つ……か」

 あっちから攻められたら終わり。だから相手が守っている間に、何とかして勝つ方法を考えるのだ。――具体的には御霊屋との合流か。

『そこでじゃ。がむしゃらに神社を攻めようとすれば、こちらが焦っていることが茨姫に分かってしまい、おぬしが大した戦力ではないと知られてしまう』

「まぁ、実際戦力でもなんでもないけど」

『ならば逆に余裕の態度を見せつければ、茨姫は更に、おぬしの事を警戒するじゃろう』

「余裕の態度……ねぇ。でも実際、朱天が復活するまでの時間は分からないし、余裕を見せてる余裕すら僕らにはないと思うんだけど」

 そこで湧月の声が途切れ、わざとらしい咳を挟んだ。

『ごほん、というわけで……明日一日だけじゃ。明日一日だけ……』

「修行でもするのか?」

『いや、遊ぶのじゃ』

「あ、遊ぶぅ?」

 意外な単語の登場に、素っ頓狂な声が出てしまった。

『た、ただ遊ぶだけじゃない。地理を知ることは戦において重要なことじゃ! 遊ぶついでに在尾羽町を見て回り、さらには〝ぶらふ〟により茨姫に対する圧力にもなる。一石二鳥ではないか! 文句あるかの!?』

 元が人形でも、具現化した肉体は人間の持つ機能を忠実に再現しているらしい。彼女の頬が赤く染まった。

 もしかして……こいつ……ただ遊びたいだけじゃないのか?

「一石三鳥だな」

『と、とにかくじゃ! 明日は早起きして街に行く。人ごみの激しい日中の街中で仕掛けてくるほど、茨姫も頭が湧いてはおらぬじゃろう。そうして時間を稼いでいる間に御霊屋と合流し、明後日には朱天を討つ。これで良いな!』

 いやいや、急にそんなことを言われてもなぁ。僕にだって学校というものが……。

「あ」

 なんという偶然だろう。明日は祝日だ。しかも日頃の勤労を祝う日だ。

 彼女はこれを知っていたのだろうか?

『そういうわけで、明日は儂をしっかりと〝えすこーと〟するように』

 それきりケータイからの応答はなくなった。

「おいおい。マジで言ってるのかよ……?」

 女の子とデートすらもしたことがないのに、電子妖怪をエスコートしろだって? 一体どうしろというのだ。ケータイショップにでも行って美味しい電気を食べさせてあげれば良いのだろうか? しかも、いつ恐怖の大魔王が復活するか分からない、この修羅場で?

 僕は湧月の提案――というより我儘に頭を抱えながら、なんとか自宅マンションへと到着した。


 翌日、僕は休日だというのに早起きを強いられていた。湧月のせいで僕の生活リズムはすっかりと健康的に矯正されてきている。

「うーむ。寒いのう」

「ならケータイの中に戻っていればいいじゃないか」

「先ほども言ったがのう。こうして自分の肌で感じなければ、その土地というものの実際は分からん。箱の中に引き篭っていては、おぬしの身を敵から守ることもできぬのじゃ」

 こう言っている通りに、湧月はその肉体を具現化させ、僕の隣に並んで歩いている。八歳くらいの女の子が着る服なんて、当然ながら僕の家にはない。だから彼女が着ているのはデフォルトの真っ赤な和服で、足元は足袋に下駄という寒々しい格好のままだ。

 ああ。僕がこんな少女を連れだって歩いているのを他人に見られたら、どんな奇異の目を向けられるか。想像しただけでも恐ろしい。ましてや学校の連中に見つかったらどんな噂を流されるか。小さい女の子にコスプレさせている変態だと思われるかもしれない。っていうか、そうしたらもはや警察沙汰だ。

「頼むからさ。ケータイの中で大人しくしていてくれないかな。観光なら中からでも出来るだろう? 目立つんだよ、その格好」

「んー、ダメじゃ。おぬしだってせっかく観光をするなら、車の中から名勝を見るよりも、外に降りて見た方が良いじゃろ?」

「まぁ、それは一理ある……んだけどなぁ」

 っていうか観光って言い切っちゃったよ。あえて突っ込まないけど。

 そんな僕の心の内を知らぬ、ウキウキとご機嫌な湧月は、己の着物の表面を撫でながら「ふむ」と頷いた。

「だが一理あるというのはこちらも同じじゃ。なにせこの格好は浮世離れしているようじゃからな。下手に目立つと不要な戦いを招くおそれがある。そうだ、街に行って私に合う服を買っておくれ?」

 随分と軽々しく言ってくれる。男子高校生たる僕が、どうやって女の子用の服を買えるというのか。

「そこは、ほら。儂を妹だと偽れば良い。周りから見れば妹に服を贈ってやる、良い兄に見られるじゃろ?」

「妹に和服のコスプレさせてる変態だと思われるよ……」

 湧月は「こすぷれ?」と首を捻っていたが、軽く無視してさっさと道路を歩いて行く。

 本当にこんな事で茨姫の注目を僕に集めることが出来るのだろうか? 今にも朱天が復活するかもしれないという、一刻を争う事態だというのに。

「うーん、この肌寒さは心地よいのう」

 からん、からん、と下駄の音を響かせながら、湧月は僕の後をついてくる。

 すれ違う通行人たちは彼女の姿を見つけると興味深げに視線を送って、そして僕を見てさっと視線を逸らす。

うん。懸念した通りだ。死にたいくらい恥ずかしい。

しかし、湧月はそれをまるで気にもしていない。

 僕だけ恥ずかしがっているのも何だか悔しいので、平静を装いつつこの辺りの地理を説明し始めた。

「ここは在尾羽町の富柄台って場所。住宅街だからスーパーとかはあるけど、女の子が見ていて楽しいような店はないかな。在尾羽駅前は栄えているから、学生は遊ぶとなったらそっちに行くね」

「駅までは、どのくらいかかるんじゃ?」

「歩いて五十分くらいかな」

「結構かかるのう。そんなに歩いたら儂のバッテリーが減ってしまうぞ」

「そうだなぁ。あまり気が進まないんだけど、バスでも使おうかな」

「なんじゃ、運賃が気になるのか? けち臭いやつじゃのう」

「倹約家とは自認しているが。……それよりも人の目が気になるんだよ」

 僕は、自分の姿がいかに浮いているかについて、どうも自覚のない湧月へ向けて溜息をつく。

「ははは。なぁに、他の者からの嫉妬の視線くらい、楽しむ男になって欲しいものじゃな」

「その見てくれで、よく言うよ」

 そう言うと湧月は、その真っ白い頬を焼きあがったお餅みたいにプクッと膨らませた。

「むぅ。なんじゃあ? おぬし、儂の容姿が気に入らぬか。これでも封印される前はその美しすぎる姿に、人心惑わす呪いの人形と謳われたものなのじゃぞ?」

「美しいか醜いかでいったら、断然に美しいよ。けど僕が言っているのはその年齢だって」

 その言葉に対し、白い頬にさらに赤みを加え彼女は反論する。

「ちょっと待て! よ、妖怪なのだから数百年生きているのはザラだぞ? 別に儂が特別に年増というワケでは……」

「いやいや、だからその逆だって。湧月は小学校低学年くらいにしか見えないんだよ。いくら可愛いからって、そんな歳の子を連れているのには、誰も嫉妬しないっての。微笑ましくは見えるかもしれないけど」

「ぐ、ぬぬ。人が気にしておることを!」

 しまった。そういえば前に容姿が幼いことを突っ込んだら、ぶん殴られたんだった。

「あ。えっと。ここがバス停だ。ここで待ってるとバスが来るから」

 助かった。ちょうど市営バスの停留所に到着したので話題を逸らせた。

ここでバスに乗れば在尾羽駅までは十五分ほどで到着だ。

 しかし、この地方でも随一の都市である在尾羽の中心地に行くとなると、やはり人ごみも相当なものだ。そんな中で和服姿の幼女を連れて行くのは、かなりハイレベルな試練だと言える。

 いっそのこと僕も和服で揃えて「今どき珍しく古風な家系なんです」って顔を装っていた方が楽な気がしてきた。

 そんな心配をして憂鬱な僕とは対照的に、彼女はまるで遠足前の小学生のようにそわそわとしている。

「バス。ふむふむ。楽しみじゃな」

 どうやら彼女は車に乗るの自体が初めてのようだ。まぁ、何百年も封印されていたのだから当然か。

「まだかのー」

「せっかちだな。そろそろ来るよ」

 ワクワクしている様子を隠せずに身体が右に左に、釣られてその綺麗な黒髪がゆらゆらと揺れている。

 見ていると吸い込まれそうな、深い黒。

「綺麗な髪、してるよね」

 何気なく、ただそう思ったから呟いた一言。

 それに対して時刻表を興味深げに眺めていた彼女は振り返り、苦笑いを浮かべた。

「また……そう言ってくれるとは嬉しいのう。ただ、この髪の黒さは……妖怪の生き血を啜って染められた、穢らわしいものじゃがな」

 そこでちょうど、道の向こうからバスがやってきた。

 彼女の放った言葉の意味を考える暇もなく、僕はバスの乗り方を教えなければなくなった。

とりあえず自動で開くドアに驚いて尻もちをついたのはスルーしておく。突っ込むと「知識としては知っておったんじゃ!」とか顔を真っ赤にして逆ギレされそうだからだ。

 次に番号札を引き抜くのを面白がっている彼女の背を押し込んでバスに乗り込んだ。中は意外と空いている。前の方に客が一人いるだけだったので、僕は「前がいいんじゃ」と訴える電子妖怪の意向を無視して、一番後ろの席に陣取った。

「おぉ、動いた動いた。動き出したぞ! 小童、動き出したぞー!」

「そりゃ動くよ。バスだもの」

 僕と並んで窓際に座った彼女は、本当になんというか整っている。端的に言えば美しい。

だが日本人形をそのままスケールアップさせたような容姿と、口から出てくる傲岸不遜で老獪な口調とは全くイメージが合わない。いや、そのアンバランスさが逆に魅力的だ。

 改めてそれに気付き、僕は苦笑する。

 僕と彼女は一蓮托生の存在であるにも関わらず、お互いに知らないことが多すぎる。成り行きで共にいるだけなのだ。そう考えると、僕の中で唐突に彼女への好奇心が湧きあがってきた。

「ねぇ、湧月はさ」

 細い市道をゆっくりと走るバス。その車窓から目を輝かせながら現代の街並みを観察する彼女へと小声で質問する。客は一番前の席にいるだけだから、走行音も手伝って会話を盗み聞きされる恐れはないだろう。

 話しかけられた彼女は面倒臭そうに、こちらへと視線を向けてきた。

「ん、なんじゃあ?」

「湧月はさ。呪いの人形、なの?」

 僕の言葉に湧月は勢い良くこちらへと向きなおり、目をぱちくりとさせた。

「その言葉、どこで聞いたのじゃ?」

「いや、さっき湧月が自分で言ってたじゃん」

 確かに言った。人心惑わす呪いの人形、とか自慢してた。

 彼女は数秒間固まったあと、深い溜息とともに自分の額に手のひらを当てた。

「はぁ~。儂はそんなことを口走っておったか」

「うん。……実は秘密にしてたのか?」

「秘密にはしておらぬが……。そんなに公にすることでもない。おぬしも呪いの人形と同居するのは気持ちが悪いじゃろう」

「いや、そんなことはないけど」

 ここ数日の言動でも別に、そんなに怖い気はしなかった。むしろ頼りがいのある、そして守りたくなる不思議な子、そんな感じだ。――〝呪い〟という言葉とは縁がなさそうに見える。

「ちょっと儂の出生について説明してやろう。おぬしにはそれを知る権利があるしの」

「……気にならない、といったら嘘だな。聞かせて欲しい」

 湧月は身体をくねらせて席に座りなおすと、何やらよそよそしい様子で語りだした。

「人妖大戦争の折、陰陽師たちは霊器を生み出した。しかし問題はそれを扱うのが脆弱な人間という点。霊器がいくら素晴らしくても、扱う人間が妖怪の攻撃に耐えられなければ意味がないからのう」

「そりゃ……。そうだよな」

 僕は身を以てそれを知っている。御守りの力で茨姫を吹っ飛ばしたものの、僕も相応のダメージを受けてしまったあの時に。――霊器の反動だけであれなのだから、もっと熾烈な妖怪の攻撃を受ければ人体などひとたまりもない。

「そこで彼らは思いついた。ならば生きた霊器を作り上げれば良い、とな」

「なっ。生きた、霊器……?」

 武器そのものが生きていれば、弱点となる使い手は必要ない。その発想は確かに理にかなっているかもしれない。だが、そんなことが実現可能なのか?

「彼らが目を付けたのは〝付喪神〟という種類の妖怪じゃ。長年人に使われ続けてきた道具などが、その想いの力によって妖怪と化す現象であるが……。それを霊器に応用したのじゃ」

「霊器を使い続ければ、それは付喪神となって勝手に戦ってくれる存在になる……っていうのか?」

「うむ。だが戦時中の話、悠長なことはしていられない。そこで彼らはもっと手っ取り早い方法を思いついたのじゃ。それは霊器に直接、人の思念を叩き込む方法、いや思念というよりは怨念じゃな」

 彼女は皮肉な笑みを浮かべ、頬を僅かに引きつらせた。

「――鬼どもに虐げられ、奪われ、燃やされ、壊され、嬲られ、犯され、殺され、埋められ。当時の人間たちの妖怪に対する恨みは、それだけで武器になるほどの力を持っていたのじゃ。何千、何万という人々が〝ある人形〟にその恨みを注ぎ込むように、五寸釘を打ち付けていった。いわゆる丑の刻参りじゃな」

「まさか、それが……」

 湧月は無意識なのだろうか、己の腹に手を当てていた。

「その恨みの力によって付喪神と化した霊器は、それは凄まじい一騎当千の力を得た。そして鬼退治の切り札として大活躍というわけじゃ。めでたし、めでたし」

 ……そういう事だったのか。湧月は生まれながらの妖怪ではなく、妖怪を殺す為に生み出された人工妖怪。希望を持って産み落とされたのではなく、絶望の中で作り上げられた兵器。

 しかし僕の目の前にいる少女の姿は、そんな陰惨な出生など全く想起させない。語る口調も実にあっけらかんとしているものだった。

「まぁ、大昔の話じゃ。人間だって生まれだけで性格が決まるわけじゃなかろう。儂もいろいろと経験していくうちに、人々の恨みという感情によって生まれたなんて事は忘れてしまっていた。……今の今までな」

「……悪いな。変なことを訊いてしまって。嫌なことを思い出させた」

「ふん、阿呆め。別におぬしのせいで思い出したわけじゃない。本当にすっかり忘れるほど儂のおつむは小さくないわ。――ただ、そうじゃな。嫌なことを思い出してしまったのなら、楽しい事をして忘れるしかあるまい?」

「……まさか」

「今日は楽しませておくれよ」

 にやり、と笑った人形にデコピンの一つでもしてやりたくなったが、それでは本当にこちらの負けだ。僕はバスが駅前に到着するまで大人しく座っていることにした。


「なんじゃあ、この雑多な街は! たいらを見習え!」

 などと文句を垂れながら、コーヒーショップでキャラメル・マキアートを飲んでいる和服少女が湧月。その横でブラックコーヒーをちびちびと飲んでいるのが僕である。

 まずは普通の服を買いに行こう、と提案した僕を完全にシカトして在尾羽の街を散策し始めた彼女は、いきなり立ち止まったかと思うと「疲れたからどこかでお茶をするぞ」と言い放った。そんな彼女のあまりに自分中心な世界観に呆れ返ったが、見た目だけは年上の僕としては、そこはグッと我慢。

 コーヒーなんてもの自体初めての経験だったのだろう彼女は、自分から店を選んでおきながら「苦いものは苦手だ」と抜かしやがったので、僕が甘そうな商品をチョイスしてやった。そしてブレークタイムに入った瞬間の、先ほどの悪態なのだ。

「たいら、ってなんだ? もっと建物を平べったくしろってこと?」

「いや、高層ビルというのは良い。儂は高いところが好きじゃからの。しかし、そうじゃな。今は平安京という名の方が通りは良いらしいの。あそこの整然さは素晴らしい」

 たいら、ってのは平安京――今の京都のことか? 僕は行ったことはないが、碁盤のマス目みたいにきっちりと整えられた街づくりで有名な場所だよな。

「ああ。あんな街つくり、それこそ平安京くらいでしか実現出来ないだろう。近代の都市は割合どこも、ごちゃごちゃした作りだよ。それでも在尾羽はまだ綺麗な方だと思うけど」

「ぬぅ。情緒がないのう。電車の路線図もぐちゃぐちゃになっておるし、現代人はやたら難解なものを好むのかの?」

 それを聞いて僕は苦笑いを浮かべる。

 電車が見てみたい、というので駅に行った時には「ぬおお! この鉄の蛇が走るのかぁー!」と目を輝かせていた彼女。それが切符売り場にあった路線図を見せてやると、一転して電車嫌いになったのだ。

 どうも、湧月は複雑に入り組んだものを好まないらしい。そりゃ、数百年前の人間からしたら、現代のあらゆるものを複雑怪奇と感じるのだろうけど。

「……あっ、なくなってしまった」

 湧月がストローを口に咥えたまま、残念そうに呟いた。ずずずっと残りを啜る音が響いたのと同時に僕は立ち上がる。

「よーし、次は君の服を買いに行くぞ!」

「なんじゃ。急に大きな声を出しおって」

「さぁ、行くぞ。さぁ、買うぞ」

 湧月に拒否は許されない。

 もう耐えられないのだ――周りの人々からの奇異の目に。僕はそこまで精神的にタフではない。むしろ杏仁豆腐並みのやわらかメンタルなのだから。

「うむ。美味しかったのう。お姉さん、ごちそうさま」

 湧月は近くにいた店員に向かって、ぺこりと頭を下げた。

 どこからか「かわいい~」という歓声のようなものが聞こえたが、その隣にいる僕に対しては全く好意的でない視線しか送られてこない。その多くは男性からのものと思われる。

ううむ。小さい女の子だから嫉妬なんてされない、という僕の考えは間違いであったかもしれない。

「それで、どこの呉服屋に行くのじゃ?」

 店を出て寒さに思わず身を縮こまらせていると、湧月がこちらを見上げながら尋ねてきた。

「呉服屋って……。そんな高いものは買えないよ」

 っていうか和服以外のものを買いに来たんだが。

「なんでじゃ。儂には当世で最高級の召し物を与えるというのが、昔からの習わしじゃぞ」

「ふぅん。道理で立派な着物を身に纏っていらっしゃるわけだ。でも、よそはよそ、うちはうちだ。郷に入っては郷に従えって言うだろ」

 母親からの仕送りは潤沢にあるのだが、それに頼って贅沢はしていられない。僕は男子高校生の一人暮らしとして、常識的な範囲での金の使い方しかしないように心がけているのだ。

 それが今は男子高校生と小学生女児の二人分になっただけ。だから彼女に買い与えるのも防寒性にだけ気を配った安物で我慢してもらう。

「くぅ、けちくさい奴じゃのう」

「文句があるなら自分で稼ぐんだな。まぁ、その姿じゃバイトもできないだろうけど」

「ぐぐぐ。可愛くない奴じゃな」

「可愛いのは、湧月だけで十分だろう」

「ほ、褒めても何も出んぞ!」

 顔を赤らめてそっぽを向いてしまう。ふむ、少しずつ彼女の扱い方が分かってきた気がする。

 僕はその後もぐちぐちと文句を言う人形を宥めつつ、安さで有名なメーカーの店へと彼女を連れていった。僕もよく利用する系列の店だ。

「いらっしゃいませー……っ!?」

 和服少女の来店に、バイトのお兄さんや買い物中の人々はひどく驚いた。だが無理もない。湧月の存在は、あまりにも現実離れしているのだ。

そして、その隣にいる僕へのビミョーな視線。ここまでの数時間で慣れたとはいえ、この先ずっとこの環境だと考えると気が重い。

いや、普通の服さえ買い与えれば大丈夫だ……! その整った顔立ちが多少の目を引くだろうが、ここまでのオーバーな反応はないはず!

 そうとなれば、善は急げ。

「さて、とは言うものの……。どうするかな」

 僕はあまりファッションに詳しくないので、女の子用の服なんてどれを買っていいか分からない。ここは本人に任せるか、店員さんに選んでもらうか、だが……。

「うむ。小童。儂は覚悟を決めたぞ」

 隣からそんな声が聞こえてきた。その手はどこで学んだのかガッツポーズだ。

「なんの覚悟だよ?」

「きらびやかな衣装が望めぬとなれば、あとは、コーディネートの自由度で勝負じゃ! 予算はいくらか、小童!」

「え、うーん、と。大奮発して一万円までいいよ」

「ぬ、う。……いいだろう。ちょっと待っておれ!」

 そういうと、湧月はパタパタと店の奥へと駆けていき、買い物カゴに次々と服を放り込んでいった。……おいおい。値札も見ていないぞ。あれじゃ、あっという間に予算オーバーだ。

「そこの、ご婦人!」

 たんまりとカゴの中に服を詰め込むと、湧月は試着コーナーの近くにいた小太りのおばちゃん店員に話しかけた。

「あら? お嬢さん、なぁに?」

 にっこりと微笑むおばちゃん店員。対する湧月は、まるで賭場で命までベッドした勝負師のような、鋭い目付きで問う。

「この服。試しにこの身に纏ってみたいのだが、よろしいか?」

「ええ、こちらの試着コーナーでお試しいただけますよ」

「おぉ、これは僥倖! では、さっそく……」

 湧月はおばちゃんに導かれ、カーテンで仕切られた試着ボックスの中に入っていく。しかし、彼女はすぐにカーテンから顔を覗かせ、おばちゃんに小声で何かを話し始めた。僕は気になって耳を傾けてみる。

「……のう。この洋服、着付け方が分からんのじゃが」

「あらあら。それじゃ、お手伝いさせていただきますね」

 にこやかな笑顔のまま、おばちゃんは試着ボックスに入る。やがて中からは衣擦れの音がしてきた。着替えについては、あのおばちゃん店員に任せることにしよう。どうも、湧月のことを一目で気に入ったようだし、良くしてくれそうだ。

「やっぱり見た目が良いのは、色んな場面で便利なんだな……」

 思わず独り言をしてしまった。ああ、僕もイケメンに生まれていればなぁ。御霊屋の言葉を借りれば僕は「平均的日本人男性の見本」のようなツラだからなぁ。

 なんて思っていると、試着コーナーのカーテンが開かれた。おばちゃん店員の背中に隠れながら、湧月は顔だけを出して僕の方に視線を送る。

「ど、どうじゃ。似合っておるか?」

「いや、隠れてるから見えないんだけど」

「ぬ、ぬぅ」

 恥ずかしがっているのか、なかなか出てこようとしない湧月を見かねて、おばちゃんがサッとその身をずらした。うむ、なかなかの身のこなし。ナイスだ、おばちゃん。

『おぉ……』

 自然と売り場には、人々の溜息が漏れた。

 その場に無防備なまま姿を晒された呪いの人形は、彼女自慢の黒髪が映える白を基調とした、まるで雪国に舞い降りた妖精のような可愛らしいコーディネートに身を包んでいた。

今時の子供用の服って結構おしゃれなもんだなぁ。まるでお人形さんみたいじゃないか。

いや、あいつは本当に人形だけど。

「似合っているじゃないか、可愛いよ」

「ば、馬鹿者! 儂が求めるのは実用性であってな……。そも儂が可愛くても誰も得せんのだ!」

「あら、お嬢さんが可愛いと私たちが得しますよ。ねぇ?」

 おばちゃんに相槌を求められて、僕も思わず「そうそう」と答えてしまった。

 だが、ふと嫌な予感がした。彼女が着ている服に、買い物カゴに入ったもうワンパターンの服。これらを合わせて一万円に収まるというのでは、いくらなんでも激安過ぎるだろう。僕はさりげなく店員に近づき、小声で尋ねる。

「えっと、こちらは全部でおいくらに……?」

「そうですねぇ。……はい、二万五千円です」

 ええ! 思ったより安い! が……。

 電卓を弾いたおばちゃん店員の答えに、僕は頭を抱えた。正直いって一万円の出費だけでも、腹を切る覚悟で口にした金額なのだ。それが倍以上のオーバーとなると。うむむ。

 そんな僕の様子から事態を察したのか、湧月が上着を脱ごうとする。

「よいよい。さっき言った通りに、儂が求めるのは動きやすさ、そして防御力じゃ。このような華やかな衣装、儂には似合わん」

 その顔はサバサバとしているように見えたが、服を買う前の期待感に胸を踊らせていた姿や、実際に試着してみて照れていた表情を見れば、それがやせ我慢だというのは明白だ。

ああ。そうだ。僕はどうせ冬服なんて買わない。去年のものをそのまま着ていればいいや。

「店員さん。それじゃ、これ全部ください」

「はい。お買い上げありがとうございます!」

 にこやかな顔のままで、買い物カゴをレジに持っていくおばちゃん。取り残された湧月は、ぽかんと口を開いたまま固まる。

「お、おい。小童よ。明らかに予算を超えてしまっておったが」

「それじゃあさ、出世払いにしてもらおうかな。僕の命を妖怪から守ってくれたとしたら、一万円なんかじゃ足りないくらいだろう?」

「いや、しかしだな。儂はおぬしを守ると言ったが、そのせいで福室家の家計を圧迫するワケにはいかぬ。無理ならば言ってくれると、助かる……」

 呪いの人形のくせに、人の懐事情まで心配してくれるとは。だが湧月が心配するのは、僕のケータイのバッテリー残量だけで良いのだ。

「気にしないでよ。大分早いけどクリスマス・プレゼントってことで」

 レジに向かいながら、僕は隣についてくる彼女の頭を撫でた。

「ぬわわ! 小童め、何をする!」

「あ、ああ。ごめん、つい……」

自分でも驚いた。自然とそういう動きになったのだが、女の子の頭を撫でるなんて慣れ慣れしい真似、以前の僕には到底できない行動だったはず。それがたとえ幼い子供であったとしてもだ。――僕は、湧月と出会ったことによって、少しずつ変わっているのかもしれない。

「またお越しください!」

 おばちゃんの笑顔に見送られながら、僕たちは服屋を後にした。

 最初は遠慮からか大人しくしていた彼女も、やはり服を買ってもらって嬉しかったのか、コートの裾をくいくい引っ張ったり、その場で唐突にくるくる回ったりして笑顔になっていた。

 最初に着ていた和服は、他の服と一緒に袋へ入れてもらい僕が持っている。ふと気づけば、湧月がその袋をじっと見つめ、思案顔になっていた。

「どうしたの?」

「いや、なに。おぬしにその袋を持たせるのも悪い。儂の部屋にそいつを置いてこようかと思っての」

「儂の部屋って……。僕のケータイの待ち受け画面のこと? あそこに服を持って行くってどういう事だ? どうなっちゃうんだ?」

「どうなっちゃう、とは、どういうことじゃ? ケータイの中にある時はデータ化されて、外に出る時には元に戻るだけじゃ。儂の着物と同じようにの」

「えっ?」

 さらりと言ってくれたが、それは随分とすごいことじゃないか? 物質のデータ化。そんな夢物語があっさりと実現出来るというのか。

「おぬしも荷物がデータ化されていた方が、いざという時に身軽で良いじゃろ? どれ、儂が持ってしんぜよう」

 湧月は僕の手から買い物袋を取り上げると、それをぎゅっと胸に抱えて、その身体にノイズを走らせ始めた。

「おわわわあああ! ちょっと待ったぁぁぁッ!」

「ぬっ! な、なんじゃ、どうしたんじゃ?」

 思わずその両肩を掴んで彼女の行動を強制的にストップさせる。

 おいおい。この人通りの激しい駅前通りで、急に人が消滅したら大騒ぎになるじゃないか。現に湧月がノイズった時、何人かの通行者が「なんだ?」と怪訝そうな顔でこっちを見ていた。

「消えるなら、人目につかないところで消えてくれなきゃ……」

「そ、そうか。うーむ。なんとも不便じゃのう。せっかくの数少ない電子化の利点なのに、思う存分に使えぬとは」

 しかし、荷物をデータ化してケータイの中にしまっておいてもらえれば、僕としても助かる。

「……湧月。君が僕のケータイに戻るのって、近くにいないと出来ないこと?」

「どういう事じゃ?」

「えっと、つまり……離れた場所から、一瞬で僕のケータイに戻ることは出来る?」

「ん。可能じゃろう。電波が届いておるのなら、そのケータイを介しておぬしと儂は一心同体。無論のことケータイへの帰還も容易じゃ」

 電気が届く範囲なら少し離れた場所にも具現化出来る。逆にケータイへ帰る場合には、電波の届く範囲で可能だという事か。それは相当な長距離でも問題ないって事だ。

「な、ならさ。例えば僕が男子トイレに入るだろ? それで、湧月は女子トイレに入っていって、人がいないのを見計らってケータイに戻る、ってのはどう?」

「うむ。やってみる価値はあるな。儂も電子妖怪としての特性については実体験が皆無じゃ。また茨姫に襲われる前に、色々と試しておくのも良いじゃろう」

 こうして僕たちは、さっそく実験を始めることにした。

 お互い男女のトイレに入っていき、機を見計らって湧月に帰還してもらう。

 その結果は……大成功。

 湧月は見事にケータイ電話の中に帰ってきた。そして彼女が持っていた買い物袋は、データ化されてケータイに収納されたのだ。

「す、すごいな。電子妖怪、めっちゃ便利じゃん」

 この機能は戦いだけでなく、日常生活でも役に立ちそうだ。主に買い物時の手提げ袋として。

「……儂もはっきりいって、この身体については良く分かっておらん。色々と試してみるのも良いかもしれんのう。どうやら儂が思っていた以上に、この魂は別の生物のようになっておったようじゃ……はは、参ったのう」

 湧月は額に手を当てつつ、珍しく弱気な声で呟いた。自分が今までとは全く違う存在に変換されてしまったのだ。その戸惑いは大きいのだろう。三日三晩で慣れるものではない。

 だがとりあえず、これで一つ有意義な情報を得ることが出来た。他にも僕の知らない、あるいは湧月さえ知らない機能が電子妖怪という存在には備わっているかもしれない。いずれ来るだろう茨姫や朱天との戦いに備え、少しずつそのテクノロジーを学んでおいた方が良いだろう。力で負けている分、絡め手の為の仕掛けは数多く持っておかなければ。

「よーし! これから、どんどん湧月を開発するぞ!」

「……何だか小童が口にすると、気にくわぬ言い方じゃのう」

 不機嫌そうに頬を膨らます湧月とは対照的に、僕はやる気に満ち溢れていた。


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