第六章
突然、声が健介の頭を過ぎった。
その声に健介は反応する。ずっと健介に話し掛けてくるあの声。それと同じ声が、今彼の頭に何度も反響している。
健介は今までと同じ様に辺りを見回す。家の中から人が健介達の方を見ている。そして赤い閃光を放つサイレン。純白の車が、彼らの近くで静止する。
そしてその中から男性達が降りてきた。慌しい様子で健介の下へと近寄り、健介が抱きかかえていて、血で染まったセーラー服を着ている綾香を、男性達は抱えて、担架に乗せようとする。自然と健介の手に力が篭る。
離したくない。ここで離せば、綾香が死んだことを認めてしまう。認めたくないのに、医者達に死んだと認められてしまう。健介の頭にそんな考えが浮かんだ。
「君、彼女を離しなさい。辛いのは分かるが……」
男性が一人、健介にそう囁いてきた。その声に健介は反応した。
何が分かるだ。あんたなんかに何が分かる? 俺の何が分かるっていうんだよ!
健介のそんな気持ちが、徐々に込み上げて来た。健介の手が震える。怒りと哀しみが入り混じった気持ちが、彼の体を震わす。
「あんたなんかに……一体何が分かるって――」
健介の怒りが頂点に達し、鋭い目付きで隣で構えている男性を見て、その言葉を言い放とうとした。しかし、その言葉は途中で途切れた。
男性の隣に、子供が居た。漆黒のローブで細身を包んでいる。女性の様な長くて透き通った緑の髪をしている。見た感じは十歳程度の子供。
しかし、何故か雰囲気が子供に感じられない。全身から溢れ出ている威圧感。それに耐え切れず、健介の手の力は一気に抜けた。健介の手から綾香の肩が離れていく。
それを見逃さず、男性は綾香の体を抱きかかえると、細っそりとしたその体を担架の上に静かに乗せる。担架の布の部分が、血で徐々に赤く染まっていく。
担架は早々と救急車の中に乗せ込まれ、車はサイレンを鳴らし、動き始めた。白い車はどんどん離れていき、もうすぐ車体が見えなくなる。――そして、見えなくなった。
人々がざわめく中、健介はただその場に座り込んでいた。赤く染まった制服。それを着たまま、動こうともせず、道路の真ん中で座り込んでいる。
意識を失っているんじゃない。その視線は、あるものに向けられていた。
先程突然現れた子供。それを未だに見つめている。どちらも動こうとはしない。ただ見つめ合っている。子供の瞳は蒼く透き通っており、視線が冷たい。子供とは思えないほど、冷酷な感じを漂わせている。
ひたすら沈黙が続いた末、とうとうその沈黙は破られた。――子供の笑い声によって。
その笑い声は高く、健介を嘲笑うかのようだ。その笑い声で、健介の目付きは変貌する。
「――何がおかしいんだよ?」
つい、健介は口を開いた。健介の声は低く、怒りで満ちていた。
その問いの答えが返ってくるまで、またしばらく沈黙が続いた。子供はただじっと健介を見つめている。
子供は微笑した。一端目を閉じ、再び目を開けた後、子供は喋りだした。
「死生の魔眼はどう? 楽しいでしょ。君の彼女、死んじゃったね。あ、彼女じゃないか」
冗談を言った感じで、再び笑い出す。その笑い声が、何度も何度も健介の頭の中で響く。そして、健介は立ち上がった。
そして子供の顔面の横を彼の拳が過ぎる。風が起き、子供の髪が揺れる。
彼はコンクリートの壁を殴った。鈍い音が響き渡る。骨が折れたような音。彼の手からは多量の血が流れ出て、それがコンクリートの壁を流れる。
「不愉快なんだよ……。黙りやがれ」
怒りで満ち切ったその声は、子供の心を少し動かした。子供の眉が粕かに動く。
しかしそこでまた、子供は微笑した。不愉快なその声を聞き、健介は眉間にしわを寄せる。今度こそ殴ってやる。健介は再び血で赤くなった拳を振り上げる。
「随分と威勢が良いね、君。やっぱ死生の魔眼を君に授けて正解だったよ」
そんな言葉が、突然子供の口から言い放たれた。不思議なその言葉に、健介は耳を傾け、拳を止めた。
「話してあげるよ。死生の魔眼。君のその……紫の瞳についてね」
そう言って、子供は微笑んだ。その微笑んだ顔は、少し綾香の微笑んだ顔と被る。その微笑を見た健介の心が、大きく揺れた。
もう流しきったはずの涙が、再び彼の瞳から流れ落ちた。