悩める騎士の凱旋2
3、
時刻はパレード開始の十九時まで残すところ、あと五分。俺は持ち家の椅子に座って最後の悪あがきをしていた。
といっても、白鳥シュウについての情報収集は我ながらうまくいっており、まあ時間あるし――ぐらいの気持ちだった。
この一時間弱の時間で、俺は白鳥シュウというキーワードを元にありとあらゆるページを探った。本人が投稿した短文日記や、プロフィールはもちろん、ゲームのまとめサイト、匿名掲示板、ニュースサイトなどなど――
攻略に関係あることないこと色々な情報が集まったわけだが、その中で特に重要と思える項目が二つあった。
まず一つ目。白鳥シュウは確かに人気者だが、一定数アンチがいる。
これについては誰だってそうだろと言われたらその通りなのだが、俺は、支持者から受ける印象とアンチから受ける印象が違いすぎる点に注目している。
どうやらシュウは強さだけでなく、優しさも兼ね備えているらしく、誰それを助けただとか、こんな心配りをしていただとか、その手の噂が多い。
その反面、愛想がない、冷たいといったマイナスの評価もまた多い。
この事実を解釈するにあたって、重要なのは評価する側の視点である。俺が見てきた膨大な資料の中では「~していた」だとか、「~と聞いた」という体でシュウを褒めているのがほとんどだった。
しかし、一転アンチの意見は「話しかけたけど無視された」だとか「手を振ったのに返してくれなかった」といったような、自分の経験が元になっている場合が多い。
これはつまり、見ている分にはいい奴だが、いざ付き合ってみると淡泊ということになる。
そして、忘れちゃいけないのは、そう判断しているのは九割がた女ということだ。
まとめると白鳥シュウは「女性にとって、見ている分にはいい奴だが、実際接してみるとそうでもない」人物なのである。
二つ目。白鳥シュウは騎士に憧れている。
これは、正直言ってカンの部分が大きいのだが、一応証拠もある。
紹介ページに載っていた、なんたら大会入賞みたいな文面を思い出して検索をかけてみた。すると、その表彰の時に撮られたらしき写真が出てきた。
紙吹雪が舞う中、仏頂面の美少年が立っており、それを斜め前から写した写真だった。
スカしやがってカッコつけめ――と、感情に任せてページを閉じかけて違和感に気づいたのを覚えている。
写真の中のシュウはゴツイ鎧を着て、槍を持っていたのだ。
彼の趣味は剣道であり、剣道について話し合う掲示板やコミュニティーに所属している。そのログを覗いた印象としては、本当に剣道をやっていて好きなんだなあ――という感じだった。いわゆる”にわか”には見えなかったし、書き込み頻度などからそれなりの情熱を持っていることも明白だ。
にもかかわらず鎧と槍である。もしかしたら大会で剣を使えないのでは――と考えもしたが、大会要項にはそんな項目はなく、実際参加者の多くは剣を使っており、むしろ人気武器のようだった。ゲームの攻略的観点から何かしら有利があったのでは――というのも考えはしたが、武器や装備は形式だけのものであり戦況に大きく影響しないそうだ。
だから騎士に憧れているのではないかと思うのだ。
そこから派生して”騎士道精神”なるものを知ったのだが”硬派で物静かな性格”という、やつの特徴は騎士道の目指す理想の人物像と似ているように思える。
これは一見表層的な要素に見えるが、もし事実だったとすれば、攻略の糸口になるのである。何かしらの形式を信仰しているということは、望みや考え方がそこに引っ張られているということだ。理解し、操ることができれば相手に取り入るのは簡単なのである。
(そう簡単なんだ。理論上はな……)
「そろそろか」
玄関の方が騒がしい。すでに人が集まっているのだろう。
俺は若干の緊張を感じつつ、外に出ることにした。
「――おっと」
その前に、大事なものを忘れていた。
椅子の下に置いてある紙袋を開き、中から白くてこじんまりとした布を引っ張り出す。
女ものの手袋である。それなりにいい生地ではあるが、軍手には見えない――くらいの品物だ。
(そのうち金策も考えないとな……)
しかし、別に着飾る目的ではないので、こんなものでいいのだ。
これは、白鳥シュウを落とす布石なのだから。
4、
その通りは、気が違ったような騒ぎになっていた。色とりどりのドレスに身を包んだ女たちが沿道にひしめき合い、中には『シュウLOVE』などと書かれたプラカードを持っているミーハーなのもいる。
「――参った」
その中で一番地味な黒のワンピースを着た女――マイラはやれやれと頭を振って足を止めた。
すると、立ち止まったマイラの背中に目の覚めるような黄色のドレスを着た女がぶつかる。マイラはとっさに「あ、すみません」と謝り路を開ける。すると、ドレスの女はニコッと笑って歩いて行った。しかし、少し進んだところで、
「――まったく貧乏人が、なんでこんなところにいるのかしら」
と、わざわざ聞こえるような大声で嫌味を言った。
(悪かったわね! ここはいつもの散歩コースなんだよ)
マイラは大きくため息をついて、一番近くにある家の前にせり出た小さな階段に座った。胸ポケットから煙草を一本取り出し火をつける。足を投げ出し、吸い込んだ紫煙を大きく空に吐き出す。
「はあ……」
彼女は半年ほど前からミストルティン・オンラインをやっている。いわゆる”まったり勢”というやつで、特に誰かと群れるわけでもなく、何となくゲームの世界観に浸って楽しんでいた。
しかし彼女はこのところ悩んでいた。なあなあに続けてきたこのゲームを辞めてしまおうかと。
何かきっかけがあったわけではないのだが、ふと思い立ってそれが尾を引いているのだ。
(居ても居なくても大して変わらないしね)
好みのエリアを当てもなく歩き回ったり、買い食いをしてみたり――ここでの遊びを彼女はそれなりに楽しんでいた。しかし、それは現実でもできる範囲のことだ。これじゃなきゃだめ――という意味が見つけられなければ、人の心は簡単に揺れる。何となくそうする、というのは案外難しいのだと、なにやら人生の教訓じみたものを彼女は実感していた。
「はあぁ……」
キャーキャーと甲高い話し声がそこらじゅうで上がる中、マイラはもう一度煙を吐く。
すると、そのとき背後で――ぐぎぎぃ――と悪魔のいびきのような不気味な音が響いた。
「……?」
首をひねって背後を見ると、仁王立ちする少女が見えた。
どこか卑屈そうではあるが、目が大きく唇の形が奇麗な少女だった。垢ぬけない鼠色の町娘風衣装を着ているが、それを差し引いても十分可愛らしい。こじんまりとした体格やつややかなロングの黒髪も手伝って、愛想のない猫のような印象がある。
(やけに堂々としてるなあ――男みたいだ)
などと失礼なことを考えつつ、どうやらマイラに気づいてない様子の少女に声をかける。
「やあ、悪いね。勝手に座ってる」
すると少女はその大きな瞳をマイラに向け、
「いや、いいさ。こんなボロ家、他に使い道ないだろ」
平然とした態度で――しかし、甲高く可愛らしい声で言うと、マイラの隣に座った。
(やっぱり男前だ)
マイラはそう思うと、愉快な気分になった。
「ひょっとしてあなた初心者? その衣装たしか最初に貰えるやつよね?」
「ん――ああ、始めたのは今日、ついさっきだ」
少女は何か考えているような、どこか上の空な様子だったが、マイラは構わず話しかけた。
「ねえ、私はマイラっていうんだけど、あなた、名前は?」
「ゆえ」
「可愛らしい名前ね。えっと、ゆえちゃんはなんでこのゲームを始めたの?」
と、そこでゆえと名乗った少女は不機嫌を隠そうともしない顔でマイラを見た。
「たのむから”ちゃん”はやめてくれ」
「う、うん――じゃあゆえって呼び捨てでいい?」
「いい――なんで始めたかって、そりゃ男を落とすために決まってんだろ」
「え? ええ――」
さらりと凄いことを言う。一瞬冗談かと思ったが、ゆえは「なんかおかしいこと言ったか? そういうゲームだろ、これ」とあくまで真面目な様子である。
「それはそうだけど……見た目によらず肉食なんだね」
ゆえの態度から、てっきり自分と似たような恋愛に興味のない”まったり勢”だと思い込んでいたマイラは面食らった。
「あんたはこんなところで何してんだ? 白鳥シュウのファン――には見えないな」
言いつつ、ゆえは遠慮のない視線を向けてくる。髪くらいはちゃんとしてるが、安物のワンピースにノーメイクである。おまけに指の間に煙草を挟んでいる。
マイラは妙に恥ずかしくなり携帯灰皿でタバコの火を消した。
「散歩してたら巻き込まれたの。それで疲れたから休んでた」
「そいつは災難だな。しかし凄い人数だ――これがみんな白鳥シュウのファンってわけか」
「ここは終わりの方だからこんな感じだけど、前の方は路地まで満員だったわよ」
マイラは人の少ない方、少ない方と歩いてここにたどり着いたのだ。町の入り口付近はもはや暴動と化していたのを思い出す。
「流石ランカーってところか。倍率が高すぎるな――」
「倍率って――もしかしてゆえはイベントに参加してるの? 招待状を狙ってる――とか?」
「さっき言ったろ、男を落とすためにゲームを始めたって」
またしても面食らう。始めたその日にランカーのイベントに参加して、あまつさえ落としてしまおうというのだ。言っちゃ悪いが、流石に舐めている。
「でも、白鳥シュウって硬派で有名な人だよ。たしかに、ゆえは可愛いけど、相手のこともほとんど知らないで落とせるとは思えないけど――」
すると、ゆえはニヤリと笑った。悪戯を仕掛ける子供のような、含みのある笑い方だった。
「そう思うだろ。だから俺はやるんだ――まあ見てなって驚かせてやる」
そのとき、マイラは不思議な感覚に囚われていた。大口をたたくゆえに対して、自分とは違う種類の人間だな――と本能的に敬遠しつつも、心のどこかで、もっと話してみたい、彼女についてもっと知りたい――という感情が渦巻いている。背反する二つの感情が、反発することなく同居している。この不可思議な感覚の意味するところをマイラはまだ理解できないでいた。
「…………」
マイラがボーっとゆえの横顔を眺めていると、突然アナウンスが流れだした。
『これより、交流イベント「白烏凱旋」が開始されます――――』
地鳴りのような歓声が上がり、沿道のボルテージは最高潮に達する。
一通り注意事項などを話し終えると、音声が切り替わり音楽がフェードインした。
焦燥感を掻き立てるような出だしから、聞き覚えのあるフレーズに変わる。力強くて壮大なこの曲は――
「新世界より――第四楽章か。悪趣味な王子様だ」
ゆえは立ち上がっていた。そして、その手にはいつの間にか白い手袋が嵌められている。
「それは?」
少女は、城とは反対側の道を睨んで答えた。
「こいつは、騎士を骨抜きにする魔法の手袋さ――」
煽情的な旋律に乗せられて女たちは前後左右に激しく揺れている。
しかし、マイラの目にはゆえだけが映っている。キンキンと騒々しい声も、ドヴォルザークも彼女には聞こえていない。
これから何かが起こる――という期待と、それを見逃してなるものか――という執念のみがマイラを支配していた。
少女と出会う前のアンニュイな感覚はすっかり彼女から失われている。