悩める騎士の凱旋1
男が男を攻略する内容ですが、基本男性向けの作品となっております。しかし、女性の方にも――すこし不愉快な表現があるかもしれません……
某月某日
新しいゲームを始めるにあたり、今日から日記を書くことに決めた。
『きっと、あなたにも誰かの宿り木が……』でおなじみのミストルティン・オンラインである。
しかし普通にプレイするつもりはない。前時代的な出会い系サイトとSNSを掛け合わせたような軟弱極まりないVRゲームを馬鹿正直に楽しめるほど俺の頭はハッピーセットではない。
ここに電脳化装置がある。湯衣の物だ。あいつはバイトやらなんやらで忙しいらしく日を跨ぐまで帰ってこない。
そこで、一つこれを使ってゲームを始めようと思う。
グレーな事柄なので文章にするのは少々抵抗があるが、この際白状しよう。
本来一つに付き一人分の生体データしか登録できない電脳化装置だが、俺は妹である湯衣の電脳化装置を使うことができる。詳しいことは分からないが、兄弟や家族などでは似通った生体データを持っている場合があるらしく、稀にこういうことが起こるのだとテレビで言っていた。
つまり、男である俺が女である湯衣のウェアラブルを使いゲームをプレイする。要するにネカマプレイだ。VRゲーム全盛のこの時代にである。
双方向恋愛ゲームであるミストルティン・オンラインに性別を偽って入り込むということは、単純に解釈すれば同性愛者ということになる。
しかし、そうではない。いや、男を攻略しようというのはその通りなのだが、俺は間違いなくノンケだ。
ではなぜ――白々しい自問だが、根拠はハッキリしておかねばなるまい。
始まりは一冊の本だった。
片山薫著『風来坊とテセウスの船』は、主人公の女子高生と塾講師である探偵が何気ない日常に潜む謎を解き明かす本格推理小説だ。今でも枕元に単行本を置き聖書のごとく読んでいるほど素晴らしい本である。
なかでも、推理小説でありながら主人公の心理描写が良い。年相応の軽さや無鉄砲さ――感じやすさと切なさ。そういった脆く危うい心境を実に見事に書き表している。まさに女性にしか書けない生々しく、しかしだからこそ憧れるキャラクターなのである。
正直に言うと、俺は『風来坊とテセウスの船』の主人公に恋をしていた。引いては、彼女を作り出した筆者に理想の女性像を見ていた。
しかしそんな恋心は無残にも粉砕される。
好きが行き過ぎた俺は、軽い気持ちで動画サイトを開き『片山薫』と検索した。すると片山薫インタビューという動画が表示された。もちろん見る。
画面に映し出されたのは頭が真っ白でシミだらけのおじいさんだった。
今回の作品はどのようなきっかけで書かれたのでしょうか。そうですね、これは――と、ゆっくりとした口調で質問に答えていた。テロップの名前の下には「代表作 風来坊とテセウスの船」とハッキリ書かれている。
そう、俺が密かに思いを寄せていた理想の女性像――それを作ることができる女の中の女は男だったのだ。片山”薫”という名前から勝手に女性だと判断し、それを疑いもしなかった。
前記の通り俺は今でも片山薫の大ファンであるが、このことは心に深く刻まれている。
随分長くなってしまったが、要するにそういうことである。
「理想の女性像は男にこそ作れる」
片山薫事件以来、俺が思い続けてきたこの持論を証明すべく、わざわざ妹の持ち物を拝借し、好きでもない男どもを落としてやろうという魂胆である。完全な悪ふざけだ。
創作の産物に科学のメスを入れ面白おかしく書き立てるがごとき酔狂なエンタテイメントだ。俺は恥知らずな道化に他ならず、たとえすべての男を惚れさせたからといって、その先に何か得るものがあるのかと問われれば、ない、と胸を張って答えるほかない。
しかしやるのだ。だって面白そうじゃん――――
1、
ミストルティン・オンライン――それはVR技術を駆使した新世代の恋愛ゲームである。
選択肢によって行動を選び、好きなキャラと親しくなろう――という従来の形式とは大きく外れ、選択肢は示されず、キャラクターもいない。
自分なりの手段で意中の相手に取り入り、人間が操るアバターを攻略するのである。言ってしまえば普通の恋愛と何も変わらない。VR空間に移っただけだ。しかしオンラインなどと銘打ち大々的にコマーシャルを展開しているあたり、やはりゲームなのである。
その根幹を支えるのがタイトルにもなっている宿り木だ。
これは、恋愛感情を可視化する仕組みらしく、ゲーム内で特定のプレイヤーに恋をして、それが一定以上の強い感情に育つと、システムが感知し、相手方のプレイヤーに宿り木が一つ送られる。
まあ、何というか有体に言ってしまうと野暮になるんだろうが、もしかしたら誰かが自分を好きになってくれるかも――とか、こんなに宿り木を集めてしまった。やっぱ俺ってモテるんだ――とか、そういう甘酸っぱ辛い青春のような欲望のような、よく分からない複雑な気分になれるというシステムだ。
自分のモテ度が見えてしまう、見られてしまう。ということはだ、そう、このゲームには手に入れた宿り木の数を競うランキングが存在する。
今や国内でトップクラスの人気を誇り、アクティブプレイヤーが星の数ほどいるこのゲームでトップランカーともなると、人気や知名度は芸能人にも劣らない。仕事のオファーが殺到し、それだけで生きていける。
まあ、そんなのは一握りの宇宙人であり大概のプレイヤーには関係ないのだが、ランキングがモチベーションになっているのは明らかだ。
他人に自慢できる、モテにつながる、というのはもちろんだが、ランクに応じて支給される報酬でゲームを有利に進められるというのがランクシステムの主なメリットだろう。
各種特権やレアアイテムなど、報酬の種類は多種多様だが、基本になるのは内部通貨だ。
服や美容整形、広義では土地や建物といった、自分のステータスになりうるものをそろえたり、食べ物や映画、本――そういった娯楽に使うなど、ミストルティン・オンライン内であれば何でもできる。
通貨はゲーム内で仕事をしたり、特定のエリアで発注できるクエストをクリアしたりと、いろんな手段で手に入れられるが、ランキング報酬は超高額であり、ある種宝くじのようなポジションにある。
とまあ、俺が事前に知っているのはこの程度の情報だ。しかし、あまり関係ないだろう。
男を落とす――俺の目的はそれだけなのだから。
2、
チュートリアルを高速スキップすると視界が暗転し、また戻る。すると、そこは家の中だった。
湯衣はすでにミストルティン・オンラインをダウンロードしていたらしく、ゲームデータが残っていた。消して入れなおそうかとも思たが、最終ログインが百日以上前だったので、そのアカウントでログインすることにした。
生体データに僅かな齟齬があるとかでアバターデータを再ダウンロードしたり、利用規約更新だなんだと面倒な手続きが多く、ずいぶん時間がかかってしまったが、俺はようやくゲーム世界にたどり着いた。
「しかしなんなんだ――ここは、俺の家なのか?」
木目の床と石の壁。それなりに広い空間の中心に木の椅子がポツンと突っ立っている。きっと家賃は三百円くらいだろう。全体的に薄汚れていてボロい。
視界の隅から指でウインドウを引っ張り出しステータスを確認する。
「名前ゆえ――所持金二千――現在地ノスタルジー:ヨーロピアンエリア――所有物ハウスNY二五六番」
何とも簡素なステータスだった。
”ゆえ”というのは湯衣の別の読み方をそのままプレイヤーネームにしたんだろう。そして、所持金は雀の涙。現在地というのは――よく分からん。
(何となく始めて最初に貰える金でなぜかこのオンボロハウスを買って、興味を失ってログインしなくなった――そんな感じだな)
たぶんあってるだろう。俺の妹はそういう離れ業をやってのける人種だ。
「まあいいや、一から始めるつもりだったし。それはそうと、何から始めたものか……」
椅子に座るか外に出るか迷っていると、突然耳元で――ポピンッ――と間の抜けた音が響いた。
「システムメッセージ――イベント告知? 本日十九時よりノスタルジー:ヨーロピアンエリアでイベントが開催されます。奮ってご参加ください――――交流イベント『白烏凱旋』――主催者:白鳥シュウ」
概要欄を読むと、どうやらこの”白鳥シュウ”という奴がランク百位以内に入った記念のイベントらしい。”王城へ続く道”という場所でパレードするから見にきてね――みたいなことが書いてあった。
参加登録というボタンが付いている。見るだけで登録とか関係ないだろ――と思ったが、どうやら終了後に選ばれた一人が城に招待されるという余興があるらしく、そのための登録だそうだ。
「白鳥シュウ――と、王城へ続く道――」
とりあえずメニューバーから検索窓を開きゲーム内検索をかける。
「白鳥シュウ。幼げな容姿と硬派で物静かな性格から『白烏』の異名が付いた。中世ヨーロッパエリアを本拠地としている。趣味は剣道であり、コロッセオでおこなわれた第三十二回武闘会で三位という成績を収めた。同時期よりランキングが上がり始め、現在九十七位――なるほど、ようわからんが強くてカッコいいって感じだな」
若干ムカッとしたが、とりあえず置いておいて次は”王城へ続く道”について検索。視界いっぱいに地図が表示される。網のようなマップの一番太い道に緑の線が引かれていて、それに寄り添うように赤い点が一つ打たれている。
「――ひょっとして」
粗大ごみのような扉を蹴飛ばし外に出る。
家の前はかなり広い道になっていた。右を見ると家が並び、そして左を振り向くと、
「王城ってあれかあ……」
城というより石でできた要塞のような物がそびえ立っていた。ここからかなり離れているにもかかわらず馬鹿でかい城壁に阻まれて城の本体がほとんど見えない。圧倒的な存在感を落としている。
マップに表示されていた緑の線はこの通りのことで、赤い点は現在地だったのだ。
(これは好都合かもしれない)
頭の中で少し整理する。
ランク九十七位白鳥シュウ――初戦の相手としては申し分ない。ランクの高い奴は取り巻きやらなんやらが多くて、近づくのが大変だろうが、今回の場合は城への招待という手軽に近づける手段まで用意されている。イベント開始時刻の十九時まであと一時間ほど、今から情報を集めればそれなりに相手のことを知ることができるだろう。ゲームを始めたばかりではあるが、尻込みしてスルーしてしまったら余りにもったいない。
「うし、決めた」
早々に決断を済ませて登録ボタンにタッチする。登録完了といったメッセージが表示されウインドウが視界から消える。
「白鳥シュウ――俺があんたの理想の女になる」
こうして俺、プレイヤーネーム”ゆえ”の男攻略は始まった。