第九話
シゲは講堂でのやり取りが終わった後、街へと向かった。夕餉の品を買うためだがすでに時間が遅くどの店もほとんど商品がなかった。結局、大根だけ買って家路についた。
家に帰ると親方が囲炉裏のところで一服していた。白湯をのみながら岩塩のかけらを口に含んでいる。岩塩はミネラル分を含んでいるので普通の塩とちがい疲労回復に役立つ。
「親方、大丈夫ですか?」
「ああ」
眼窩が窪んでいる、明らかに疲労困憊なのが分かる。
ヤミカジは退魔の武具を作るとき身を清め断食する。空腹時の鋭敏な感覚なくしては微細な魔晶石の変化をとらえられないからだ。だが親方のありさまは空腹と疲労から生じたようには思えない。
「親方、飯はどうします?」
「……」
シゲは親方の表情から夕餉が必要ないことを悟った。
「明日で終わる。」
親方はそう言うと布団の中に入った。シゲはそれ以上、何も聞かず自分の部屋に戻った。
17
翌日、シゲは朱色の小太刀を持って学舎に向かった。サヨ師範に頼まれていたものである。職員室に入るとサヨが書類に目を通していた。
「これなんですが…」
「おう、頼んでいたものだな。ちょっと見せてくれ」
小太刀を握るや否やサヨの表情が変わった。
「お前、こんなものを持ってきたのか?」
「えっ?」
「お前、これが何かわかっているのか?」
「いえ…」
サヨ師範は大きなため息をついた。
「まだ、ヨヘイはお前に何も教えてないようだな…」
「親方を知っているんですか?」
「当たり前だろ、討伐隊の武器はヨヘイが鍛えたものだ。私の薙刀もそうだ。」
「そうだったんですか」
親方はあまり口数の多い人間ではない。典型的な職人で食事の時のわずかな会話以外はほとんどしゃべらない。サヨの薙刀を鍛えたことは初耳であった。
「まあいい。だがこの小太刀は普通の武器ではない……私でも扱えるかどうか。」
サヨは小太刀を鞘から抜くと刀身を眺めた。
「見事だな……ほれぼれする。ところでヨヘイは元気か?」
「はい、でも今は仕事にかかりきりなので…」
「そうか。いずれにせよ小太刀はこちらで預かろう。座学の時間に使わせてもらう。」
サヨはそう言うと小太刀をしまった。
「あの、見廻りのことなんですけど…」
「何だ?」
「仕事があるときは行けないんですが……」
「あらかじめ、断ってくれれば構わない。」
「あっ、そうですか」
シゲは断れないと思っていたのでほっとした。その様子を見てサヨがシゲに声をかけた。
「平民の身で貴族の学校に通うのはどんな感じだ?」
「はい…むず痒いような……微妙です」
「微妙か」
サヨは笑った。
18
午後の授業が終わると見廻り組に選ばれた生徒は東庭に集まった。
「早速だが見廻りについての内容を説明する。見廻りは放課後の2時間程度、毎日行う。街中だけの見廻りのため危険はないと思うが、気を緩めないでほしい。」
「質問があります。」
澄んだ声がモリタに向けられた、声の主はノノである。
「結界が張られているのに、妖魔が街中に入ることはあるのですか?」
結界とは妖魔の進入を阻むために造られた防壁である。魔晶石を用いた霊的な防壁で目には見えないが妖魔には絶大な効果を発揮する。
「基本的にはない……だが、下等妖魔が結界をすり抜けることはある。めったにない事案だがな、いずれにせよ守備隊が帰るまでの2週間は警備が手薄になるので万全を期したい。」
モリタの説明に対し付け加えるように話し出したのはサヨであった。
「よいか、貴様ら、かりに平民が妖魔に襲われそのまま野放図にすれば貴族に対する信頼が損なわれる、たとえ下等な妖魔であれそれを平民に気付かれぬうちに排除することが重要なのだ。お前たちはその手助けをすることになる。日の明るいうちに妖魔が出ることはまずないと思われるがよもやのことも考え見回りに出てほしい。」
モリタが変わった。
「諸君たちにこれから魔晶石と緑符をわたす。この二つがあれば妖魔を発見した時に我々にすぐにつなぎがつく。見つけた場合はすぐに我々に知らせるように。くれぐれも自分で妖魔を倒そうなどと思うな。日の明るいうちとはいえ妖魔はあくまで妖魔だ。実戦を経験していない諸君たちに怪我をされてはたまらない。」
そのあと生徒たちは魔晶石と緑符の使い方を教わった。
「早速、今日の午後から見廻りに入る。心してかかるように!!」
モリタはそう言うと3人組の班と見廻りの経路を発表した。
*
張り出された表を見るとシゲの班割には『ノノ』と『サモン』と記されていた。特にうれしくはなかったがサモンの様子は別であった。声こそ出さないもののガッツポーズをしている。
『これで俺とノノさんの仲が……』
サモンのエキサイトした姿を見てシゲは苦笑いした。
18
初日の見廻りということもあり多少緊張したが、日も明るく妖魔に襲われる心配もないのでみな意気揚々と出かけた。
「あの、私、サモンといいます。この前はこいつがノノさんに大変、失礼なことをして申し訳ありません」
サモンはノノに投げられたシゲの話をした。
「謝る必要はない、それよりシゲ、頭のほうは大事ないか?」
「大丈夫です。」
「そうか」
ノノがシゲを気遣う様子を見てサモンは微妙な雰囲気を感じた。
「ノノさん、ちょっと厠に行ってまいりますので」
そう言うとシゲの袖を引っ張った。
「ちょっと、シゲ、こっちにこい」
*
「お前、ノノさんに声かけてもらったけど、どんな関係なんだ?」
サモンの真剣なまなざしがシゲを見つめる。
「えっ、何、言ってるんですか?」
「だから、どういうことなんだ!!」
「何もないですよ、投げられ時に意識が飛んだんで……頭をうったと思ったノノさんが……」
シゲはあの日の出来事を説明した。
多少いぶかしむ雰囲気はあったが話を聞くうちに『嘘はないだろう……」とサモンは判断した。
「とりあえず、信じることにする。」
そう言うとサモンはシゲをちらりと見た、『信じる』と入ったもののその眼差しには明らかな疑念が写っていた。
こうして3人の見廻りが始まった。3人が手渡された地図には見廻りする範囲が記されていた。学舎を中心にして南東方向をカバーするようだ。
「ノノさんが班長でいいですよね?」
「別にお前でもいいぞ」
「いや、ぼくは…」
ノノの思わぬ提案にサモンはたじろいだ。
「遠慮するな、たまには男子にも頼ってみたい」
「えっ?」
「冗談だ」
「何だ……」
ノノは笑うと言葉を続けた。
「だが班長はお前でもいいのだぞ」
サモンは神妙な顔をした。
『ここは班長としてカッコいいところを見せるべきか…』
心中そんな考えも浮かんだが、もちろんそんな能力はサモンにはない。お調子者としての笑いのセンスはあるが人を統率する力はない。
「シゲはどう思う?」
ノノがシゲに尋ねた。
「サモンさんでいいんじゃないですか」
「えっ??」
「明るいうちは、妖魔は出ないわけですし、実戦の可能性はないわけですから」
「そうだな、我々はサモン班で行こう」
ノノの一言でサモン班が誕生した。
19
サモン一行は地図の区画をくまなく散策した。細い路地、あばら家、町はずれの空き家も調べた、だが魔晶石が共鳴することはなかった。
サモンの班長ぶりは常にノノの言動に左右されてお世辞にもいいとは言えなかったが、本人なりに努力しているのがうかがえた。
「何も出ませんね」
「でなくて当然だ。」
「どうしますか?」
「どうするって、お前が班長だから、指示を出せ。」
サモンはうなずいた。
「とりあえず、区画は全部調べたのでこれで終わりにしましょう。では無事に終えたので……各自、一発芸を!」
「何だ、それ?」
班長として大した役回りもできなかったのでサモンは笑いを取ってその場を繕おうとした。
「では、いきます!!」
サモンは大きく息を吸うとヒョットコのような表情を作った。
「班長、形無しでござ~る」
ノノの顔色を窺いながら指示を出しているため班長としての威厳がない。そうした内面をおちゃらけた表情をうかべ滑稽さとして表現したわけだが……面白くなかった。
サモンは空気を変えるべく言葉を発した。
「シゲ、お前の番だ!!」
「えっ! やるんですか」
とんだ飛ばっちりである。
「班長命令だ!!」
シゲは『どうしよう』と思ったが、サモンの表情から『やるしかない。』とおもった。
シゲは持てる能力すべてを使った。
「昨日、商店でボヤ騒ぎがあったって知ってるか、どこの店だい? 鍛冶屋だよ(火事と鍛冶をかけている)」
「…………」
一同再び沈黙した。微妙な空気が場に流れた。サモンはその流れを変えるべくノノに振った。
「では、ノノさん、お願いします」
ノノはどうするかしばらく迷っていたが………大きく息を吸い込んだ。サモンとシゲはノノがどんなネタを見せるのか注視した。
「今、すごい速度で虫が通過しましたが、何の虫でしょうか?」
サモンとシゲの間に緊張が走る、まさかあの言葉が……
「ハエ~」
絶対零度ともいうべき空気が一同を襲った。
発言したノノは顔を真っ赤にしてうつむき、サモンとシゲは引きつった笑いを浮かべた。
かくして初日の見廻りは終了した。