第三十三話
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職員室ではノノとサヨが会話を続けている。ノノは証拠がなくとも父に進言し研究所の隠ぺいを暴くべきだと主張した。一方、サヨは法廷に持ち込まれる可能性が高いのであくまで証拠を見つけるべきだと主張、両者譲らぬ状態になった。
シゲはサモンの仇が取れればいいと思っていたが、想像以上に難しい問題になっていた。
「すいません」
話の腰を折るようなタイミングでシゲが話しかけたためサヨとノノは鬼のような形相でシゲを睨み付けた。
「その、朱色の短刀を……」
「あとにしろ!!!」
ノノとサヨのシンクロした声に怒鳴られシゲは途方に暮れた。
*
サヨとノノの対立は小一時間続いた、結局のところ物別れであり生産的な議論にはならなかった。サヨは議論が終わると短刀をシゲに返した。ノノはいまだにむくれた顔をして無言の抗議をしている。
「この議論はもう終わりだ、証拠がなければどうにもならん。」
サヨが職員室を出るとノノとシゲも続いた。
「甘いものでも食べに行こう、脳に糖分を補給すればいい考えが浮かぶかもしれん、あんみつはどうだ?」
サヨ師範の懐柔策にノノはやむを得ないという表情を見せた。
「シゲ、お前も付き合え!」
サヨの言葉でシゲはついていくことになった。
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あんみつの茶店は学舎を出て峠の方向にある、3人は街と反対の方向に向けて歩きだした。シゲはあんみつを食べたことがないのでどんなものか気になった。
そんな時である峠の坂道から木こりと思しき男がおりてきた、どうやら具合が悪いらしく腹を手で抱えていた。サヨはそれを見るとノノとシゲに待つように言った。
「大丈夫か?」
サヨは声をかけた。
男は苦しみだすとその場で倒れた。サヨは近づいて脈を取ろうとした。
まさにその時であった、男は物理的にはあらぬ軌跡でサヨに回し蹴りをかました。普通の者なら死んでいただろう、だがサヨは何とか片手で蹴りを防いでいた。
「あっ……」
シゲは懐に忍ばせていた短刀が震えているのが分かった。
「お前たち、逃げろ!!」
サヨが叫んだ、その右手はあらぬ方向に曲がっている。先ほどの一撃で右手は折れていた。
男は焦点の定まらない表情で立ち上がるとサヨを蹴り上げた、サヨは坂を転げ落ちるようにして吹き飛んだ。ノノとシゲが受け止めなかったら死んでいただろう。
*
男は奇怪な声を出しながら近づいてきた。
『助けて、助けて……実験、失敗……助けて』
ノノはその声を聴いて凍りついた、ヌエに咆哮された時と同じ状態だ。
その時である、サヨがシゲに話しかけた。
「シゲ、動けるか?」
シゲは震えているが五体が正常に機能しているのを感じた。どうやら短刀の振動で妖魔の咆哮がかきけされたらしい。
「短刀を抜け。あれならいける!」
シゲは懐から朱塗りの短刀を取った。鞘から引き抜くと夕日に刃がきらめいた、その刃は青とも紫ともとれる瘴気をまとっている。
「いいか、シゲ、朱雀拳だ。相手の攻撃を避けて一撃をかませ!」
「えっ?」
シゲは素っ頓狂な声を上げた。武道に適性のないシゲにとっては絶望的な言葉である。
「やらなければ皆死ぬだけだ」
死線をかいくぐってきたサヨの言葉には達観した響きがあった。
『やるしかねぇ……』
シゲは体を開いて半身になると左前に構えた。左手は肘から下を軽くまげて腰に据える、右手は短刀を逆手に持ち替え胸の高さに置いた。
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人の姿をした妖魔は奇声を発しつつシゲに向かって突進した、明らかに人外のモノしか辿れぬ軌跡であった。
シゲは目をつぶった。
『もう、どうにでもなれ!!』
そうシゲが思った刹那であった、右手の短刀が勝手に動き始めた。
『どうなってるんだ…』
シゲの意志など関係なく妖魔の猛攻を弾き返していく、恐ろしいまでにキレのある太刀裁きは熟練した猛者でも不可能な動きだ。
『駄目だ……頭がクラクラする』
シゲは体の自由が奪われていくのを感じた。
その時であった、サヨが怒鳴った。
「気をしっかり持て、刃の持つ魔性に飲み込まれれば自我が保てなくなるぞ!!」
シゲはその一言でなんとか我にかえった。
*
妖魔は声の方に首だけを向けた。270度近く旋回させ異様に長い舌を出した。
『ヌエが俺の中に……内臓が…脳が…溶かされる』
そう言うと男は跳躍した。今までよりも明らかに速い動きでシゲを襲った。
『もう駄目だ……避けられないよ、こんなの……』
絶望がシゲを包んだ時だった、小太刀が黒光りした。暗黒ともいうべき瘴気を発しシゲを包む……シゲの意識は飛んでいた。
*
如何様な動きを見せたのだろうか、シゲには全く記憶がない。だが目の前には胴を切断された妖魔の死体が転がっていた。
「シゲ、やったぞ、シゲ、やったぞ」
正気に戻ったノノはそう言うとシゲに抱き着いた。柔らかな胸の感触とかぐわしい香りがシゲを包む。
『ヤバイ、ノノさん、めっちゃいい匂いだ~』
シゲはその香りに鼻の下を伸ばした。ノノはシゲのにやけた表情を見ると我にかえりその顔を思い切り引っぱたいた。
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その後、アカシが馬で駆けつけ事態の収拾に入った。サヨは救急班に収容され診療所に向かった。シゲとノノは討伐隊の詰所に向かい事の顛末を語ることになった。
「君が倒した妖魔はヌエが人型に変態したものだったんだ。」
アカシはそう言った。
「じゃあ、サモンを襲った妖魔は……」
「君たちの手で仇をうったことになる。」
ノノの顔がほころんだ。
「だが、それだけじゃない、私たちの調べで、君たちの倒した妖魔が行方不明の研究員であることもわかった。」
「どういうことですか?」
ノノが尋ねた。
「研究所での実験が失敗して4人の研究員が行方をくらませた。一人は骨と皮だけになり発見。一人は滝つぼで自殺、一人は自宅地下で隠棲、そして最後の1人はヌエとなっていた。そしてヌエとなった研究員は最後に人へと姿を変え君たちの前に現れたんだ。」
シゲは授業でイオリが述べていたことを思い出した。
『妖魔が変態』するということを……
「我々も実際、妖魔が変態するという事例は初めての経験で諸君たちに多大な迷惑をかけた。本当に申し訳ない。」
アカシとモリタはシゲとノノに頭を下げた。
その時であった。詰所の玄関に青の法衣を着た男が現れた。後ろに2人の侍従が付き添い法衣の裾が地面につかないように持っている。
「お父様!」
ノノの父、コウエツであった。アカシもモリタもその場で直立不動の姿勢を取った。コウエツは二人を無視して奥に進むとシゲの所に向かった。