第二十話
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翌朝、シゲが学舎に向かう時であった。玄関の戸をあけ2,3歩進むと黒い影がシゲを覆った
「おう、坊主、ここがヤミカジの家か?」
シゲに話しかけてきたのは2人の男と1人の女であった。そのうち一人は異常に体の大きな男で身長は2m近く、体重は100kgをゆうに超えていた。その体は緑鎧につつまれ、フルフェイスの兜をかぶっていた。
もう一人の男は鎧男の肩にチョコンと座っていた、子供とも大人とも見える不思議な顔立ちをしている、シゲに声をかけたのはこの男だ。
「かわいらしい坊やねぇ」
3人目の女がシゲに近寄るとシゲの顎に手をかけ息を吹きかけた。甘い香りが鼻孔をくすぐる、シゲは頭がクラクラしてくるのが分かった。そんな時であった、親方が玄関から出てきた。
「お前がヤミカジか?」
「へぇ、そうですが」
緑鎧の肩に座っていた男が飛び降りた。身長はシゲよりも小さく背中に丸いこぶが2つあった。俗に言う背虫男だ。
「俺たちのモノを磨いてくれ、明後日の夜までにだ」
「へぇ」
親方は明らかに困った声を出していた。
「心配スンナ、料金は討伐隊の連中が払ってくれる」
背虫男は慇懃な言い方だが明らかに恐喝している、親方は聞かざるを得なかった。
「この坊やちょっと借りるわよ」
そう言うと息を吹きかけた女がシゲを連れて行こうとした。
*
その時である、血相を変えて親方がその場で土下座した。
「申し訳ございやせん、その弟子がいねぇと時間的に仕上げることができなくなりやす、何とかそれはご勘弁を!!」
親方は額を地面に擦り付け懇願した。女はそれでもシゲを連れて行こうとする、シゲはフラフラしていた。親方は地面に頭がめり込むぐらいに頭を下げた、額には血がにじんでいる。
「よしな、研磨が間に合わなければ仕事もできねぇ」
背虫男に言わると女はシゲから手を放した。
「しっかり頼むぜ、あとで取りに来る。」
背虫男はそう言うと再び緑鎧の肩に乗った。
*
「シゲしっかりしろ!!」
親方はそう言うと水をシゲの顔にかけた。シゲは息を吹き返したかのように目を大きく見開いた。
「あぶねぇとこだったな……」
「俺どうしてたんですか?」
「覚えてねぇか?」
「息を吹きかけられたところまでは」
「おめぇ、ヤバイ所だったんだぞ……」
シゲは呆けた顔で親方を見た。
「鎧と背虫は気味悪かったですけど、女の人はきれいでしたね」
親方はがくんと肩を落とした。
「あれはヤマネ3兄弟、狩人の連中だ。」
「3兄弟?」
「お前に息を吹きかけた狩人は男だ、女じゃない…」
親方の言葉を聞いてシゲは卒倒した。
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シゲが学舎に行くとサモンとイオリが話していた。ノノに夢中なサモンはイオリの話をあまり聞かず、どこか上の空で相槌を打っていた。恋に燃えるムードメーカーにとっては友人よりもノノである。そんなサモンの様子をイオリはどこか苛立たしく感じていた。
*
講義が終わるといつものごとく3人は見廻りに出発した。サモンはノノの機嫌を取るため猫なで声を出している、これもいつものことだ。妖魔が出たという知らせで多少の緊張感はあったが、サモンにとってはノノと一緒にいられることのほうがはるかに重要らしい。
アカシとモリタは生徒たちを送り出した後、講堂でサヨが来るのを待っていた。
「一昨日の黒い妖魔、お前はどう思う?」
「人足の報告では微弱な反応しか感知できなかったそうだ、生き残った役人は背後から襲われたため何も覚えてない、証言としては役に立たんよ。」
「魔晶石の反応が微弱なら下級妖魔の類だろ。」
「ああ」
モリタがうなずいた。
「お前が見つけた抜け殻になった遺体、今回見つかった妖魔の仕業と考えるべきか……」
二人とも悩んだ。
「しかし、嘉悦帝の創られた結界をすり抜ける事案が立て続けに起こるとは……」
「もしかして結界が弱まっているんじゃ?」
「実は俺もそう思っているんだ」
そんな二人の会話に飛び込むようにサヨ師範が入ってきた。
「それはない、確認した。」
「師範、お疲れ様です。」
「学長を通して帝の息女に確認を取った。」
「そうですか、かたじけない」
「結界が弱まっている兆候はないそうだ。」
「それなら、新たに出た妖魔は一体……」
3人とも沈黙した。
「私は仮説を立てている、仮に私の予想が当たるなら……」
サヨは二人に考えを打ち明けた。
アカシとモリタはとも『まさか……』といった表情を見せた。
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サモン班の見廻りは何事もなく過ぎた。妖魔が出たという知らせを受けているので緊張感があったが何も出ることはなかった。3人は魔晶石の振動ないことを確認すると学舎に戻った。
だが、彼らには別の展開が待ち受けていた。
「ロ班がまだ戻ってきていないな。」
「ヨイチさんの班ですよね」
「そうだな」
全班集まってから見廻りの報告は行われる。学舎から一番近くの見回りを担当していたロ班が戻ってない、明らかにおかしかった。
「ロ班はまだだが、何かあれば緑符で連絡して来るはずだ」
アカシは言った。
だが1時間してもロ班は戻ってこなかった。
「諸君たちには悪いがロ班捜索の手伝いをしてもらう。日が暮れないうちに終わらせたい。ロ班のルートを手分けして捜索。一番遠いところは私が馬を走らす。諸君たちは学舎の近隣だけでいい。」
こうしてロ班の捜索が始まった。
*
捜索は簡単に終わりを迎えた、アカシとモリタが捜索を打ち切ったからである。シゲ達や他の生徒には緑符を通じて捜査終了の旨が伝えられた、わずか30分であった。
「何だよ、すぐ見つかるんなら俺たち使うなよな」
「ほんとだよ」
生徒達から不満の声が漏れた、それぞれ愚痴を言いながら帰って行った。
そんな中、ノノだけは腑に落ちない表情を見せていた。
「どうしたんですかノノさん?」
サモンがノノの顔を覗きこむとノノが口を開いた。
「見つかったとは符に書いてなかったな」
「そうですね」
「何かあったのか……」
ノノは真剣なまなざしをサモンに向けた。
『ヤバイ、ノノさんやっぱり、綺麗だわ。』
サモンは再びキトキトになった。
「どう思う、シゲ?」
「いや、考えすぎじゃないんですか」
「そうか?」
ノノは表情を崩さなかった。
「ロ班の奴ら今頃、説教食らってんじゃないんですか」
サモンは自信ありげに話した。
「それならいいんだが……」
ノノの表情は相変わらず陰鬱であった。
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シゲは帰宅すると親方に頼まれた玉鋼の選別を行った。この作業は板についたもので見ている親方も安心していた。その作業が終わると夕餉になった。母屋の戸を開けると味噌のにおいが漂ってきた。
「ルリ、戻ってたの?」
「ちょっと寄っただけよ、ついでにご飯も作ったけど」
囲炉裏の中ではなめこと野菜の入った味噌汁が煮えていた、ルリはそこに卵を落とした。頃合いを見てルリは椀になめこ汁を盛ると二人の前に出した。
3人は囲炉裏を囲んで食事をとると特に会話もなくとぎを過ごした。家族間の距離というのは沈黙の中に温かさがあるが3人の雰囲気はまさにそれであった。
「シゲ、ルリを送ってやれ」
「大丈夫よ、まだ日が高いし、一人で戻れるわ」
「駄目だ!」
「そうだよ、最近は妖魔が出て…」
シゲは思わず本当のことを話してしまった、親方はシゲをにらんだ。
「やっぱり、その噂ほんとなんだ」
「いいから、早く戻れ。」
親方のヨヘイはドスの利いた声でルリを一喝した。