第十七話
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商業地区の見廻りは飽きがこない、商人たちが交渉で鍔迫り合いを見せる様子は白熱していて妖魔の痕跡を探すよりも気になった。
ノノはいろいろな取引を見て回っていた。見られる商人のほうはノノが邪魔に映ったが高級貴族を怒鳴り散らすわけにもいかずチラリと横目で見るだけで気にしないそぶりをしていた。
「シゲ、あれは何だ?」
「あれは反物の検品でしょうね」
「シゲ、あっちの軒にぶら下がっているのは何だ?」
「干しイモですよ、皮をむいて適当な大きさに切って吊るすんです」
「シゲ、あの平民が運んでいる材木はどうするのだ?」
「あれは箪笥か家具にするんじゃないでしょうか」
シゲはノノの質問にほとんど詰まることなく答えた。平民なら誰でも知っていることだが、高級貴族にはこうした平民の日常生活は珍しく映るのだろう、ノノの目は輝いていた。この後もノノはシゲに多くの質問をぶつけてきた。
一方、面白くないのはサモンである。シゲに質問ばかりしてノノは自分のほうに声もかけない。嫉妬の炎が燃え上がっていた。
シゲは横目でサモンを見ていたのがその表情から自分がマズイ状況に近づいていることに気付いていた。
「サモンさん、班長としての指示を!!」
シゲは状況を打開するべくサモンに指示を仰いだが……
「ない!!!」
にべもない答えが返ってきた。
『やべぇ、怒ってんなサモンさん……明日からどうなるんだろ……』
シゲは気が重くなった。
*
学舎に戻り報告を済ませるとシゲは夕餉の買い物をするべく夕方の市に向かった。昨日とはうって変わり人であふれていた。だがそこで耳にしたのは聞きたくない話だった。
「おい、昨日の夜、出たらしいぞ」
「何が?」
「妖魔!」
「えっ??」
野菜を売っているボテフリとその客の会話だった。
「黒くてでかいやつが、夜中に刑武将の役人を襲ったって」
「ほんとか?」
「俺も小耳にはさんだ程度だけど」
二人の会話はシゲにとって驚きであった。見廻りで妖魔の死骸を見つけていたので、もう出ることはないと高をくくっていた。
「眉唾なんじゃねぇの?」
「そうだといいけどな……」
ボテフリの親父は威勢よく話しているが、内心は恐れているのだろう。その声はどこか落ち着きがなかった。
「まあ、あくまで噂だしな」
そんな会話を耳にしながらシゲは買い物を済ませた。
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家に戻ると親方が道具の手入れをしていた。
「今、戻りました」
親方はシゲをチラリと見た。
「シゲ、話がある。」
まだ体調は回復していないが、段々と復調の兆しがある。体の動きにリズムがあった。
「町で妖魔が出たらしい、役人を襲ったとのことだ」
「えっ?」
「どうした、その顔は?」
「実はさっき、その話を夕市で聞いたもので」
「そうか、もうそこまで知られてるのか……」
親方は神妙な面持ちになった。
「今日の晩から鍛冶の用意をする。」
シゲの脳裏に浮かんだが結界のことである。
「親方、でも結界があるんじゃ……」
「妖魔はあの結界は抜けられないはずだ。」
「じゃあ、どうして妖魔が出たんですか?」
「シゲ、余計なことを考えるな。俺たちはヤミカジの仕事をするだけだ。」
親方も不審に思っているのだろう、だが今は与えられた仕事をこなすことに重きを置いていた。その眼はヤミカジのそれになっていた。
*
その夜、シゲと親方は身を清めるべく断食し、鍛冶の神に供える米飯、味噌、アワビの乾物を用意した。二人は工房に行きそれらを備えると祈りをささげた。
「明日の早朝から打ち始める。今日は早めに休め」
「親方、体は大丈夫なんですか?」
親方は答えなかった。
*
早朝起きると親方が握り飯を作っていた、早朝に炊いた白飯に多めの塩をつけて握っている。仕事の前には食事をとることが許されていた。
「シゲ、食っとけ」
シゲはわしづかみにすると口の中に放り込んだ。塩辛かったが、鍛冶場に入ればその熱でいやというほど汗をかく、塩は多すぎるくらいとっても足りないくらいだ。
親方はシゲの食べる様子を見ながら話し始めた。
「今日の火入れはお前がやれ」
シゲはのどが詰まった。『火入れ』とは最初に炉に火をおこす作業だが重要な意味を持っている。それは鍛冶場を仕切るという意味でもあるからだ。
「そうだ、今日はお前がやるんだ。」
「でも、おれ……」
「こっちが段取りは踏む、お前もこれまで俺の仕事を見てきただろ。そろそろいい頃間だ。」
シゲは大きく息を吸い込んだ
「今日は太刀を打つ。」
どうやら、今日はヤミカジとしてシゲが初仕事をすることになりそうだ。