第十六話
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シゲは街で何も買えなかったため渋い顔をしていた。
『マズイな、家に何にもないぞ……』
親方に文句を言われるのは間違いない、覚悟して戸を開けた。
その瞬間である、いい匂いが鼻孔に入ってきた。
「シゲ、お帰り!!」
声をかけたのは親方の娘ルリであった。
「あれ、戻ってたの?」
「明日お休みだから、帰ってきたの」
そう言うとルリはシゲに向かってニコニコした。
*
「親方、戻りました。」
顔色は相変わらず青白いが、娘が帰ってきたこともあり元気そうに見えた。
「足を洗ってこい、それから飯にしよう」
しっかり編んだ藁沓とはいえ、長時間歩いているため素足は泥だらけになっていた。シゲは言われた通り足を洗い、その後、囲炉裏に向かった。
「今日はおでんだからね」
ルリはそう言うとイソイソと椀の支度を始めた。グツグツと煮える鍋の中にはちくわ、はんぺん、大根、卵、昆布が入っていた。
「このはんぺんは高いんだよ」
ルリがそう言うとシゲは目を輝かせた。白く膨らんだはんぺんは生まれた初めての経験になる、シゲは喉を鳴らせた。
*
3人は鍋に箸を伸ばした。我先にと目的の具材を取ろうとする姿は戦い以外の何物でもなかった。体調の悪い親方も一人前をきれいに平らげた。
食事が終わるとルリがお茶を入れた。
「お前、気が利くようになったな」
「奉公も半年出れば誰でもできるようになりますよ」
そう言うとルリは饅頭を出してきた。茶色の皮に包まれた漉し餡の一品である。
「これうまいな!!」
「そうでしょ、お店の近くに新しくできたお饅頭屋さん。皮がほかの所と違うのよ」
シゲも親方もパクパクと口にした。
「ところで具合のほうはどうなの?」
親方の様子をルリはそれとなく聞いた。
「まあまあだな」
親方はそう言ったが、ルリは怪しい表情を浮かべた。
「でも、だいぶ良くなってきてんだよ、最初は死んじゃうかと思ったから」
「えっ!」
ルリは驚いた表情を見せた。
「シゲ、余計なことは言わんでいい」
親方はそう言ったが心配してくれる娘に内心はうれしいのだろう、顔がにやけていた。
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その夜は奉公の話が中心になった。奉公というのは13,4歳の女子が大きな商家や高級貴族の屋敷で下働きをしながら給金をもらうことだが、年頃の女子が多いため女同士の人間関係の難しさがモロに出る。
「うちは派閥みたいのがあるから……」
ルリの店は番頭派と仕入れ派に分かれてツバ競り合いをしているため陰湿なやり取りがあるらしい……
「あたし、どっちにも興味がないから……」
「それどっちかにつかないとまずいの?」
ルリは頷いた。
「つかないと仕事の邪魔されるのよ、マジで面倒!!」
シゲは奉公人の人間関係が貴族のそれと変わらないことに驚いた。
「職人なら腕でカタはつくけど……人間関係はな……」
ヤミカジは一言でいうと腕ですべてきまる。商人や貴族の人間関係とは全く異なる価値基準だ。ただ腕がなければ飯は食えない、職人はその辺りは厳しい……
「でも、給金は悪くないし2年くらいやればほかの業種にも移れるから」
女子の人間関係はよくわからないがシゲはとりあえず頷いた。
「ところでさ、シゲ、この前きれいな貴族の女子と歩いてたでしょ」
「えっ?」
「もう一人の男子と一緒に貴族の館跡があるほうに」
「ああ、今は見廻りしてるんだ」
「何、見廻りって?」
シゲは本当のことを言うのがマズイと思ったのではぐらかした。
「課外活動の事なんだけど……植物の採集とか」
「ふ~ん」
ルリはニヤニヤしながら聞いている、シゲの様子を見てルリは話題を変えた。
「あの貴族の女子、ものすごい美人よね」
「ノノさんね」
「ノノさんっていうんだ」
シゲは頷いた。
「サモンさん、一緒に見廻りしているもう一人の貴族なんだけど、サモンさんがノノさんにベタ惚れなんだ」
ルリは声をあげて笑った。
「すぐわかるわよ、チラチラ、チラチラ女の子のほう見てるもんね。軽く目が血走ってるでしょ。」
ルリは腹を抱えている、だがふと我に返ると一言発した。
「でも、あれは脈なしね」
冷静なルリの見解は的を射ているだろう。
「ノノさんは殿上人だから貴族の中でも扱いが違うんだ、サモンさんみたいな上級貴族でも身分上はつりあわないんだ。」
ルリは驚いた。
「そんな人がヤミカジのあんたと見廻りしてるわけ?」
「まだ学生だからね、学舎を卒業すれば政治家か研究者の道に行くじゃないかな」
そんな会話を皮切りに、二人は遅くまで近況の話を続けた。ルリとシゲは幼い頃からずっと一緒に育ってきた兄弟のような関係である、誰よりも信頼できる相手であった。会話は弾み夜遅くまで取り留めもないことを話し合った。
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翌日、学舎は休みであったが、午後の見廻りは当然のごとくあった。昨日の雨天とは打って変わり快晴であったが、道は昨日の雨でぬかるみ実に歩きづらかった。
「本日も昨日と同じだ。心して見廻りに行ってくれ、ぬかるんだ足もとに気を付けるように。」
モリタがいつものように指示を出した。
*
一方、アカシは大学校の研究所に姿を見せていた。隣にはサヨ師範がいる。
「一昨日の連絡で女郎に遺体に残った残滓と見つかった妖魔の型が一致したという知らせは頂いた。だがもう一体の遺体に関しては何の知らせも来ていない、どうなっているのか?」
アカシは骨と皮だけになった遺体の案件を受付の事務官に尋ねた。
「応接室でお待ちください、研究員を呼んでまいります。」
受付の事務官はそう言うと階段を上がって二階に向かった。しばらくすると二人の前に先日と違う研究員が現れた、血色の悪い痩せたの男である。
「骨と皮だけの遺体ですが、何か出ましたか?」
アカシが尋ねた。
「申し訳ありませんが、死体の状態が悪く残滓の検出が捗っていません。」
「そうですか……」
アカシは話を切り替えた。
「ところで先日の若い研究員は?」
「ああ、彼は身内の不幸で3日ほど暇を願い出ております。お役にたてず申し訳ない」
やせた研究員はそう言うとそそくさと席を立った。あまりに素早い退出にアカシは妙なものを感じた。
「師範、どう思います?」
「何とも言えんな……手続き上も問題ないだろうし」
「あの若い研究員なら多少は内情も引き出せたでしょうが……暇を取っているとは」
「昨日、尋ねると研究所には連絡したのだろ?」
「はい」
アカシはうなずいた。
サヨの顔は猜疑心で彩られていた。タイミングよく若い研究員が休みを取ったことに疑念を感じたのだ。
「一応、調べてみるのが筋だな……」
サヨはとひとりごちた。