第十五話
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「妖魔の起源については諸説ある。1000年前から存在していたという学者もいればここ200年前に現れたと言う学者もいる。だが、妖魔の活動が活発になったのは100年くらい前からで、その辺りから人間との関わりが大きく変化した。」
「100年前に何があったのですか?」
学舎で一番出来のいいゲンタクが質問した。
「正直なところはわからん、だが妖魔が人をニエとしだしたのはこのころだ。諸君も知ってのとおりここから暗黒歴史が始まる。」
高等妖魔に分類される化け物が現れたのもこの頃である。すでにヤミカジはいたらしいがその存在はまだ広く知られていない。
「嘉悦帝が帝位に就かれまでの50年間、この国は甚大な被害に見舞われ数多くの人間が亡くなった。さらには不毛な権力争いまで生じ統治能力に欠いた帝やその近親者により政治も乱れた。」
暗黒時代の要因は妖魔の跳梁跋扈にあるが、政治の乱れがそこに拍車をかけたことも大きい。当時の混乱した貴族の無能ぶりは甚だしいものがあったと言われている。歴史の講義の中では暗黒時代に関してはあまり触れられなかったがそれは当時の貴族政治があまりに酷かったためである。
「このあたりは試験では出ないので他の所を復習するように」
講師はそう言うと教室を離れた。シゲには都合の悪いことを隠しているようにも見えたが、ほかの生徒にとっては試験範囲が狭まるためそのほうがよかった。
*
放課後、見廻りに行くべく講堂に向かった。すでに生徒は班に分かれていた。
「あんた、どっち?」
「あたしはモリタ派。」
あまり見栄えの良くない女生徒がモリタかアカシかで論争していた。
「筋肉的にはアカシよね、だけどやっぱりモリタ様ね」
モリタは役者といわれてもおかしくない顔である。切れ長の目、細いおとがい、白い肌、そして女子もうらやむようなつやのある髪、まさに羨望の的であった。アカシと比べ全体的に線は細いがよく見ればしっかりと筋肉もついていて鎧の上からではわからぬ魅力があった。
一方、アカシは典型的な武人といった容姿である。がっちりとした体躯、ごわついた髪と浅黒い肌、無精ひげを生やしていることが余計に威圧感を与える。初見ではその風体に驚くものも少なくない。
「あたしはアカシ派だけどね」
「マジで??? 」
そう言ったのは形の悪い眼鏡をかけた女生徒であった。肌は白く顔つきは悪くないがかなり太っていた。
「モリタ様のほうがよろしゅうございます」
「いえ、アカシ殿の筋肉でございます。」
容姿か筋肉かで不毛な舌戦が繰り広げられた。シゲは傍からその議論を見ていたがその鋭い舌鋒の応酬に息をのんだ。
『貴族の女は敵に回すと恐ろしいな……』
平民と違い学があるだけタチが悪いと思った。
*
そうこうしていると二人とサヨ師範がやってきた。
「諸君、静かに!!」
アカシが言うとモリタが続けて話し出した。
「今朝、討伐隊からの連絡があり、あと10日ほどで都に帰るという旨が伝えられた。諸君たちにはあと10日ほど見廻りに精を出してほしい。」
「それから本日は雨天になると思われる、雨天時は魔晶石の反応が鈍る。各自いつもより気を付けてくれ」
二人が話し終わるとサヨが続いた。
「明日の休日も見廻りは続くが、気をゆるまぬようにしてほしい。」
生徒たちは休日も見廻りがあると聞いて愉快ではない表情を見せた。
「では、本日の見廻りに出かけてくれ、解散」
*
雲行きが怪しくなってきた、いままでの見廻りはほとんどが晴天だったため雨天の経験はない。雨天に合わせそれぞれ身支度を整えた。
シゲは竹で編んだ網白笠をかぶった。浅い円錐形で顔半分が隠れるくらいの深さになっている。履物の藁草履は雨に対応できるようにくるぶしがすっぽりとおさまるようになっていた。
サモンの笠は貴族というだけあって高級感があった。形と大きさはシゲのものとほとんどかわらないが和紙を張ってコーティングされ漆で仕上げられていた。履物は貴族らしく深沓(雨天様の皮靴でふくらはぎまで覆うことができる)を身に着けていた。
ノノは笠ではなく傘を手に持っていた。鉢巻の色と同じく青色で2か所に家紋が入っていた。サモンと同じく深沓だがサモンの色は黒のであるのに対しノノの深沓は草色になっていた。
3人は昨日と同じく商業地区に向かった、すでに雨は小ぶりだが雨粒が大きく笠に雨音を立てている。
「さっさと終わらせたいな……」
「そうですね」
「お前ら、気を抜くなよ。昨日、妖魔の死骸が見つかったとはいえ何か残り香が見つかるかもしれん。」
ノノは神妙な面持ちで話した。
サモンはぬかるみ始めた道に足を取られないように歩いているが、雨天時に出歩かない貴族はそうした配慮ができなかった。
「サモンさん、轍の所はぬかるみやすいですよ」
「わかってるって!!」
そうは言っているが早速足を取られていた。一方、ノノはスイスイと歩いていく、貴族の婦女子でぬかるむ道を造作なく歩ける人間は珍しい、シゲは感心した。
*
商業地区では雨が降ってきたこともあり、人々がせせこましく動いていた。商品の搬入を急ぐもの、商品を濡れないように牛皮でできた覆いをかけるもの、みなそれぞれの仕事に追われていた。
そんな時である、3人組の男たちに目がいった。2人は貴族、1人は平民であった。
「速くせんか! 濡れるだろ!」
一番位の高い貴族がもう一人の貴族を罵倒していた。罵倒されている貴族は白衣をまとっている。
「この商品の引き渡しが終わらねばどうにもなりませんので」
大八車には木箱が3段ほど重ねられていた。
「もう良い。私は帰りたい、平民との商いはお前がやればいいだろう。」
「この商品だけはタキ様の検分と筆がなければ……」
白衣の貴族が言うや否やタキと呼ばれた貴族は証書を強引に奪い取ると自分の名を記した。
「検分はお前がやっておけ、そのくらいできるだろう」
上役の貴族は吐き捨てるようにそう言うとさっさと帰ってしまった。
このあと3人は昨日と同じくルートをたどり調べたが特に何もでなかった。帰りがけに通ってきた道を戻ると先ほどの白衣の貴族が雨に打たれながら取引の監督をしていた。下級貴族の検分の姿はなんともいえないものがあった。
*
学舎に戻り報告を終えるとシゲは急いで市場に向かった。雨ということもあり急いで行かないと品がすべてなくなってしまう……
『ああ、マジか……』
商品どころか、一件たりとも開いていなかった、雨で早めに閉めてしまったのだろう。シゲは手ぶらでトボトボと雨に打たれながら家路につくことになった。