第十四話
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「諸君、今日からはルート変更だ。」
アカシはがそう言うとモリタが新しい巡回路を記した紙を張り出した。
「同じルートだと飽きるだろう、各班これを確認してくれ。それからサモン班は出発前にこちらに来てくれ。以上だ!!」
各班はそれぞれのルートを確認するといつものごとく白い魔晶石と緑符を持って出かけて行った。一方、サモンたちは言われた通りアカシの所に行った。
「昨日はご苦労だった。まだ死骸についての分析は終わってないが、一つ朗報が届いた。」
「朗報とはなんですか?」
尋ねたのはノノである。
「一週間前に女郎の変死体が見つかったのだが、その遺体に残された妖魔の残留物と昨日、諸君達が見つけた妖魔の死骸との間に強い共通項が見つかった。」
ノノは『なるほど』という表情を見せた。
サモンとシゲは何のことかわかっていない。
それを見たノノが説明を加えた。
「女郎を殺した妖魔と我々の見つけた妖魔の死骸が一致したということだ。」
「えっ?じゃあ、すでに妖魔によって人が襲われていたんですか」
サモンが驚いた声を上げた、それに対しアカシは静かにうなずいた。
「瓦版では強盗に襲われたように書かれていたが、実際には妖魔に襲われていたんだ。だが、これで一件落着だろう。見廻り自体は続けてもらうが、妖魔がこの先見つかることはないと思う。」
3人はほっとした表情を見せた。
「だが、本隊が遠征から帰ってくるまではこの件に関して他言無用で通すように」
3人はうなずくと見廻りに出かけた。
*
サモン班が出かけていくとアカシの所にモリタが近寄ってきた。
「お前が見つけた骨と皮だけになった別の死体、あれはどうなった?」
「実は身元もわからん、それに……」
「それに何だ?」
「残滓も出ないらしい、女郎を殺した妖魔と同じかどうかもわからん」
モリタは神妙な顔をした。
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3人は変更されたルートに向かって進み始めた。昨日までは南東方向であったが今度は北西であった。ちょうど対極にある方向だ。住宅はほとんどなく問屋や材木商といった専門店が集まる地域になる。
「こっちのほうはあんまり来たことないからな…」
小売りの行商人はよく見るが、商業地の商いは貴族にとって珍しいものでノノは目の前に広がる光景に興味津々になっていた。
「あれ、何をやってるんだ。シゲ?」
ノノが明るい声で尋ねた。
「あれは、セリですね」
大きな樽の中に塩漬けにされた鮭が入っている。その様子を見て買付人が値段を提示していた。
「ああやって値段の交渉をしているんですよ」
「高値を付けた奴が買うんだろ」
サモンが言うとシゲは首を横に振った。
「そうでもないんですよ」
ノノとサモンは不思議な顔をした。
「決済、代金を払う時なんですけど、手形で払う人と現金で払う人では扱いが違うんです。」
シゲは親方に習ったことをはなした。
「どう違うのだ?」
「手形はその月の月末ないし翌月の月末までに支払う約束をした証書です。商人にとっては現金が手に入るわけではないんです。」
「値段が多少下がっても現金のほうがいいってことか?」
サモンの問いにシゲは頷いた。
「そうです。1月後の決済より今日の現金のほうが都合がいいというわけです。」
「じゃあ、現金ほうが安く買えるのか?」
「交渉次第で値引きがあるはずです」
「なるほど」
サモンは感心していた。
*
こうして3日目の探索は何もなく過ぎた、3人は学舎に戻りその旨を報告した。見廻りを終えたシゲは街に寄って夕餉の買い物をした。時間的に残り物しかなかったが卵が買えたのは幸運だった。
家に着くと親方が囲炉裏の火をおこしていた。
「戻りました。」
親方は気のない返事をした。
「親方、飯はどうしますか?」
「適当でいい」
まだ回復しきっていない体のことを考え、シゲは野菜の煮物とその煮汁を使った雑炊を作ることにした。
「シゲ、神棚にあった短刀、知ってるか?」
「あっ、学舎に持っていきました、サヨ師範が親方に話は通してあるって」
「お前、あれを持って行ったのか?」
「はい」
「馬鹿野郎……」
親方は小声でつぶやいた
「えっ?」
「あれは普通のものじゃないんだ」
親方はそう言うと短刀の話を始めた。
*
親方の話によるとあの短刀は普通のヤミカジでは創れない業物だそうだ。故事来歴に関しては不確かなところが多く、刃に名も入っていないため製作者はわからない。だが確実なことが一つある、それはあの短刀が数多くの妖魔を屠ってきたということだ。サヨ師範が短刀の刀身を眺めていた様子をシゲは思いだした。
「だがな、あの刀には憑き物がついている。」
「憑き物?」
「ああ、妖魔の中でもヌエやオロチといった化け物の名を聞いたことがあるだろう」
ヌエやオロチは妖魔の中でも高等妖魔に分類される。討伐隊の人間が束でかからねば倒せない相手だ。
「高等妖魔の血を吸った武具は瘴気よりもはるかに強い凶気を帯びることになる、その凶気をヤミカジは憑き物と呼んでいる。」
「憑き物に憑かれたらどうなるんですか?」
「妖魔の残り香に支配され、骨の髄までしゃぶられる。普通の人間なら発狂して死ぬだろう。」
シゲは生唾を飲み込んだ。
「あの短刀は神棚においてあっただろう、あの神棚は一種の結界だ。その中にあれば憑き物も現れることはない。だが、結界の外に出れば……」
シゲは自分がとんでもないことをしでかしたと今更ながら思った。
「師範が持っているなら大丈夫だ、あの女ならそのあたりのことはわきまえている。それに嘉悦帝の張られた結界が効いている範囲にある限り問題ないはずだ。」
シゲは親方がサヨ師範のことを『あの女』と呼んだのが気になったが余計なことは聞かないことにした。
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翌日起きると親方の姿がなかった。シゲが外に出て見回すと工房に明かりがついていた。シゲは足早に工房に向かった。
「何か手伝いますか?」
「そうだな、掃除をしてくれ」
親方の体調は徐々に回復しているようだ。仰臥するだけで一日過ごしていたころに比べればはるかに顔色も良い。まだ杖を使っているが足元もだんだんとしっかりしてきている。
「その棚を拭いてくれ、それから足元にあるツボをこっちに持ってきてくれ」
親方はテキパキと指示を出すと懐から塩を取り出した。
「シゲ、どいていろ」
親方はそう言うと手にした塩を工房全体にいきわたるように振りまいた。紫色の火花が内部ではじけた。シゲは何が起こったかわからない、口を開けて驚いていた。
「瘴気の残りを浄化したんだ。」
「えっ?」
「槍を研磨した時に拡散した瘴気がここに残っている、それを清めているんだ。」
親方は再び塩をまいた。先ほどとは打って変わり塩は何事もなく地面に落ちた。
「まだだな」
地面に落ちた塩が発行しパチパチという音を立てた。
「あと2,3日繰り返せば元に戻るだろう。シゲ、明日からはお前がまけ」
親方はそう言うと工房を後にした。シゲは怪訝な表情を浮かべた。工房の床や窓を見ると弾けるような音がところどころから聞こえてくる。危険はないのだろうが不気味な雰囲気が生じているのは否めない、シゲは工房を逃げるように後にした。