第十話
20
シゲが家に戻ると親方が布団の中で息も絶え絶えになっていた。
「親方、大丈夫ですか?」
明らかに顔色が悪い、土気色である。
「大丈夫だ、ちょっとアテラレタだけだ…」
ヨヘイは槍にまとわりついてた瘴気にアテラレテいた。瘴気とは妖魔の残滓が変化したもので、人間にとっては毒になる。小さな子供や老人であればそれだけで命を落とすこともある。
「シゲ、薬湯を作ってくれ」
体力の消耗したヨヘイは荒い息をついてそう言った。
薬湯とは複数の乾燥した薬草を煮出し、それを濾したものである。味はすこぶる不味いがこうした時には一番の効能を発揮する。
シゲはツボに入った薬草を取り出すと沸騰した鍋に入れた。軽い刺激臭が鼻をつく、みるみる色が変わり黒色の液体が出来上がった。
「すまんな…」
親方はそう言うと湯呑に入った薬湯を口につけた。通常なら不味くて匂いだけでもきついのだが、瘴気に充てられた体には心地よく感じる。
「もう一杯、頼む」
シゲは心配でたまらなかった。今までのヤミカジの仕事の中で親方がこれほど憔悴したことはなかった。魔晶石を扱うヤミカジはその石の特性によって体調を崩すことがあるが、槍の研磨でここまでひどく消耗するとは考えられなかった。
「親方、本当に大丈夫ですか?」
「ああ、死にはしない。回復に時間がかかるだろうが、大丈夫だ」
シゲはもう一杯、薬湯をいれた。
親方はそれをゆっくりと飲むと再び仰臥した。
「本当に大丈夫だろうか…」
シゲはひとりごちた。
*
翌朝、シゲが親方の様子を見ると昨日よりは血色が良くなっていた。青白い顔色だが昨日の死人と間違えるほどひどくはない。まだ具合は悪そうだが命の心配はないようだ、シゲはほっとした。
「薬湯を作ってくれ、それから棚に黒砂糖が入っている、それも持ってきてくれ」
食事がのどを通らないのでミネラルを含んだ黒砂糖で栄養を補うつもりなのだろう、風邪をひいたときと同じ対策である。
シゲは言われた通りにした。薬湯を作り、黒砂糖を砕いた。盆に載せ親方の所に持っていこうとした。
まさにその時であった、
玄関の引き戸から黒い塊が現れた。シゲは驚き、盆を落としそうになった。
「槍の研磨は終わったか?」
親方に依頼した黒い侍であった、相変わらず無機質な声である。
「へい、お待ちを」
親方はそう言うと、這いながら立てかけてある槍の所に行った。
「こちらでございます」
「確認させてもらう」
侍はそう言うとおもむろに鞘を抜いた。
刀身が引き戸から入ってくる陽光に反射した、鈍く重い光が部屋の中を照らす。明らかに普通の光ではない、侍は槍全体をつぶさに観察した。
そして一言……
「いい腕だ」
侍は懐からシカの革袋を出した。
「小僧、取っておけ」
シゲは方手いっぱいに膨らんだ袋を受け取った。そのずしりとした重さに驚きを隠せなかった。
侍は何事もなかったかのように出て行った。シゲが玄関を出て見回すと侍の姿は消えていた。
「親方、これどうします?」
「開けてみろ」
シゲは侍に渡された皮袋をあけた。そこには豆板金がどっさりと入っていた。
「親方、これ……」
「かしてみろ」
親方は豆板金を一つ手に取ると噛んだ。
「混ぜもん無しだ……本物だ」
これだけの量だとゆうに2年暮らせるだろう。親方もシゲもしばらく口を開けたままになった。
21
その日の授業は特にこれといったことはなかった。算術で手間取ったがそのほかの教科は別段困ることもなく無事に昼を迎えた。シゲはいつもの場所に行って昼飯を食べようと思った。
『あれは、たしかヨイチさんだっけかな…』
黄制服に虐められていた白制服の生徒である、講師とは思えない若い貴族と話していた。
別に気にする必要はないのだが、シゲの座っている石の上からだとちょうど視界に入る。チラチラとそちらを見ながらおにぎりを頬張った。
会話は聞こえないがヨイチの神妙な表情は見て取れた。若い貴族はヨイチの方をポンポンと叩いた後、何かを渡した。シゲは何ともなしにその様子を見ていた。
*
午後は武道の時間から始まった。
「どうだ、シゲ?」
「えっ?」
「えっ、じゃねぇよ、一発芸、考えてきたんだろ?」
「あっ……」
まったく忘れていた、というか今日もやるとは思っていなかった。
「そうだよな……昨日3人ともハズシタしな……ノノさんのも酷かったからな…今
日はやめるか……」
サモンは自身なさげにつぶやいた。
そんな時である、サヨ師範の声が轟いた。
「おい、貴様ら私語は許しておらんぞ!!」
気付いた時にはサモンもシゲも投げられていた。無様な姿をさらした二人は苦笑いするほかなかった。
*
午後の授業が終わり庭に集まるとすでに見廻りに向かうべく生徒たちが集まっていた。
「諸君、本日も見廻りを頼む。何かあればすぐに緑符で知らせるように。何か質問はあるか?」
特に誰からも出なかった。
「では出発してくれたまえ!」
アカシとモリタの号令のもとサモン班は学舎を出た。
二日目ということもあり昨日より勝手がいい、ぎこちない初日の活動と比べると順調な滑り出しだった。サモン班は昨日のルートを進んだ。あばら家、路地の溝、雑草生い茂る空地、多少散策する場所を変えながら散策する。
「大丈夫そうですね、そっちはどうですか?」
「こちらも問題ない」
「シゲ、お前のほうはどうだ?」
「大丈夫です」
「じゃあ、次に行きましょう」
3人は雑草の生い茂る空地にやってきた。かつてここには貴族の別邸があったが火事によって焼失し、その面影はみじんもなかった。3人は庭跡のほうから散策することにした。
「反応ありません、サモンさん」
シゲがサモンに報告した。
「じゃあ、今日はそろそろ引き返しましょうか」
サモンがそう言ったときである。
「サモン、その……あれは……やるのか?」
ノノが神妙な面持ちで尋ねた。
「えっ、何をです?」
「あれだ……一発芸だ……」
「いや、無理しなくても……」
サモンは微妙な表情を浮かべた。
「いや、やろう。昨日の失態、取り返さねばならぬ!!!」
青の貴族としてのプライドだろうか、ノノがサモンの言葉を遮るようにして用意し始めた。ノノの無謀な試みにシゲもサモンも呆気にとられた。
『絶対…ハズスだろうな…』
シゲもサモンも心の中でそうおもった。
「いくぞ!」
ノノが大きく息を吸い込む、二人は固唾を飲んだ。
まさに、その時であった3人の持っていた魔晶石が同時に震え始めた。3人はまさかの事態に顔を見合わせた。