第三話:忍
「らしいって、君おかしなことを言うね。自分の名前に自信がないの?」
カエデと名乗る女性はいまだに逆さまの状態で質問をしてくる。
「ええ、なぜか頭がぼーっとしていろいろと思い出せないんですよ」
僕は後頭部をぽりぽりと掻き、とぼけた表情をしてみる。今の状況を理解するためには、目の前にいる彼女から情報を得るのが手っ取り早い。とりあえず、何かが起きて、自分の体に変化があり森の中にいて寝転んでいたという現状は把握できた。しかし理解できない、いつも通りのルーティンを繰り返して機械のように生きていた僕が、このような現状になることなど宝くじが当たるくらいありえないことだろう。夢であるかと一瞬思ったが、肌に伝わる土の感触、背中で支える大樹の脈動、森の中の独特のにおい、さわやかな風、すべてが現実よりもリアルでそれがまた夢のようだった。
「ははーん、頭に流木当てて少しおかしくなってるんだね。たまになるよね。ムエン老師に頭ひっぱられると、たまになるよあたしも。」
ケラケラ笑う彼女は、頭をたたかれる仕草をする。
「そうかそうか、え、じゃあ君は下忍の下段の忍だってのはわかってる?馬鹿にしすぎ?くっくっく・・・」
左腕に巻きつけてある白いリストバンドのようなものに目を向け、その言葉通り馬鹿にした顔で問いかけてくる。
「そこまでは、忘れてませんよ・・・カエデさんは中忍ですか?」
忍?・・・この黒い忍装束の恰好がおかしいとは思っていたが、本当に忍とは。・・・てんでわからない。なんだ、僕は日本の隠れ里とやらにいるのか。それとも、タイムスリップ・・・。現時点では、判断できないな。
「お、よく覚えてたねー、そうだよあたしは中忍の下段」
そういって、自らの左腕に巻きつけてある緑のリストバンドをみせてくる。
「ところで今何時ですか?」
当たり障りのない質問をしてみる。それに、何時であるかも把握したい。それに、できれば年もしりたい。
「そうだねー、陽の高さからいって未の刻ってとこかな。」
あぶない、未の刻と答えてくるとは予想外だった。何時という質問で伝わったのは幸いだ。昔の時間での表現ということは、江戸時代の前までの時代であるということだろうか。いや、隠れ里なら昔の表記が残っていておかしくない。ここは慎重に情報を集めていこう。
「ちなみに、年は?」
「年?今は、新歴830年よ。習うでしょ?ほんとに頭大丈夫?」
心配したのか、こちらの顔を覗き込んでくる。それにしても、新暦とは・・・聞いたこともない。新暦は、子供でも知ってる常識みたいだ、ここはなんとかごまかしておこう。
「新暦のほうは、覚えてましたよ。いや、カエデさんの歳をきいたんです。」
「あぁ、あたしの歳?え、文脈あってないでしょ。なんであたしの年が急にしりたくなるわけ?…あぁ、あたしの美貌に惚れっちゃった?」
「まぁ、そんなところです。」
「ふーん…いいわ。教えてあげる!14よ、14!あと数か月でやっと中段へいけるのよ?すごいでしょ!秋冷の儀ってのがあるらしいんだけど、なにやるのかしら・・・ま、天才のあたしならどうとでもなるわね」
カンカンカンカン
どこからか、鐘の音が響き渡る。
「参の段の修行の時間が終わったようね、それじゃあたし帰るね。君も元気になったら戻った方がいいよ。じゃあねー」
カエデは、黒い何かを腰にぶら下げた袋から取り出し、それを向かいの樹に向けて発射する。すると、先端部分が伸び、太い枝に黒い何かが突き刺さる。鉤縄に似ているが、違うようだ。括り付けるのではなく、先端部分をひっかけ突き刺しているだけに見える。さらに、その道具のあるボタンを押すと伸びたロープが先端部分に巻き込まれはじめ、カエデの体をもひっぱていく。シュルシュルと向かいの樹に進んでいき、ダンと太い幹に着地して幹に垂直に立つ。ニュートンも驚きの現象だ。そして、こちらに振り返って一言発したと思うと、樹の枝にテクテク歩き、手で何かの形をとったあと、瞬時にその場から消えた。