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収束開始

第五章

 パソコンの画面を読み進んでいくが、ろくな情報が無かった。

 一兎の集め方が悪いわけではなく、警察の捜査の遅延が問題なのだろう。思った通り人手が圧倒的に足りないようで、県警からの応援が来るのは今日の夕方以降になるらしい。

「すみません」

「いや、これは一兎の所為じゃない」

 表情は悔しそうに見えないが、彼女の口調は怒りに満ちていた。

「私にもプライドがあります」

「プライド?」

「はい、私は情報面でしか役に立てません。それなのにその情報すら満足に集められないというのは。許せません」

 晶の画面をスクロールしていく手が止まった。

「うん?」

 それは金枝の家に監禁されていた少女のレポートだった。

〈氏名:高橋亜美 年齢:17歳 

 金枝宗平が蜂田商工高校に赴任してきた四月からの十ヶ月間監禁され続けた。当時蜂田高校に通っていた高橋亜美は下校途中に後ろからスタンガンで気絶させられ、そのまま金枝宗平の家に監禁された。家族からの捜索願いは二度取り下げられており、その理由は高橋亜美本人からの手紙が届いたからとある。本人に話を聞くと、金枝宗平に無理矢理書かされたものであり、本人の意思ではないとのことだ。金枝宗平は二月十日の朝七時頃出勤し、警察が保護した同日二十二時まで帰宅しなかった。高橋亜美は金枝宗平から長期に渡る……〉

 そこまで読んで一気に画面をスクロールさせる。

 一番下の部分に、金枝宗平は警視総監、金枝順一の次男である。という文章を見つけ、驚いた。それが原因でこの事件に対する警察の反応は、さらに遅くなっている。

「一兎、これは本当か?」警視総監の部分を指差す。

「ええ、先ほどは言いそびれましたが」「そうか。兄は?」

「現在の階級は警部ですが、国家試験をパスし、順調に出世しているようです」

 あたりまえだ。キャリアである上に親が警察のトップにいるのだ、余程無能でない限り出世競争に敗れる心配は無いだろう。この事件が表沙汰にならなければ、の話だが。

 さらに他のファイルには、放火の容疑者として金枝を調べていたものもあった。しかし唐突に、半端に報告書が途切れ、提出されない資料として残っていた。

 金枝は、父の圧力まで使って犯罪を隠していたらしい。改めて金枝に対する怒りが湧き上がってきたが、彼を追い詰める為の情報としては無価値なものだった。 次のファイルを開く。

 過去に放火の罪を問われた男女のリストだった。

 その数、二名。

 それらの人物と金枝との接点は無い、と結論づけられていたが、しっかり調べていた。

 一兎の根気に感謝しながら読み進めていく。さらりと流し読みして、

「無意味だな」

 期待はしていなかったが。

 次のファイル。

 ホテルの宿泊名簿。ラブホテルの入退出記録まであり、一兎の実力に恐れ入る。

 昨日二十時以降にチェックインした客をリストアップ。

 百二十一人。

 その数字を見た瞬間晶はやる気を失った。ここにあるのはただの数字だが、おそらく偽名も使っているだろう。一つ一つ調べる労力を考えれば頭が痛くなってくる。しかも全てのホテルを網羅しているわけでもなく、取りこぼしも多数存在する、と備考として付け加えてあった。

「これも駄目だ」

 その後もいくつかのファイルを見たが、直接役立ちそうなものは一つも無かった。

「……ふ、ん。……一兎、今回の事件のファイル、これで全部なのか?」

「ん。はい。それらが現在の警察の捜査方針の全てになります。ネットに繋がっていない資料も全て集めました」

「そうか」

 ファイルが欠けている。

 重要な情報では無いが、ある筈のものが無い。

 違和感。それと並列して、やはり、といった感触。先ほど浮かんだ考えをこの二人に話すべきなのか、迷う。本当に話していいものか。

「もっと頑張れよー」

 顔を寄せ、進一が励ます。

「いや、なんとなく掴めてはいるんだ。あらかた指針も決まった。けど、証拠が、な」

「証拠……? 金枝を捕まえるのに証拠がいるのか? 直接見つけて警察に引き渡せばいいじゃないか」

 根本的に考えがずれている。

 実は既に晶の中では、金枝のことはもうどうでも良くなっていた。

 まさか少女監禁まで発覚しておいてこのまま逃げ遂せるとは考えられない。晶は警察を過小評価してはいない。身内だからといって、庇いきれるにも限界があるだろう。

 それよりも、共犯者。金枝を利用した人間。

 進一ならば、可能なのだ。

 可能なのだが、証拠が無い。それに、目的が読めない。

 糾弾すべき材料が揃ってない以上、軽々しく動くべきではないのだ。

「……なあ。進一。お前って、なんでそんなに金枝を捕まえたいんだ?」

「はあ? なんだよいきなり」

 呆けたような表情を浮かべる進一を、じっと晶は見つめた。

「鈴乃が心配なのか? それとも復讐心か?」

「今そんなこといってる場合じゃないだろ。もうすぐ始発が出る時間なんだぞ?」

「答えろよ」

「…………そりゃあ、鈴乃が気になるに決まってるさ」

「本当か?」

「ああ」

 はっきりと頷く進一。

 ならば何故、学校に忍び込むことに躊躇したのか。あの時点でもっとも鈴乃のいる可能性の高かったのに。学校に対する悪戯を極めた進一が。

 疑念。疑惑が膨らむ。

 進一は、知っていたんじゃないのか。鈴乃が無事である、ということを。

 だから、無意味に学校へ行くことを厭うたのではないか。

「……」

 頭の中では新しく推理を組み立てなおす。

 大きな矛盾は無いように思えた。二度目の事件は可能だが、問題は、動機。最初の事件は? 難しいができない事はない。

 二葉の言葉を思い出す。あれが真実ならば。共犯者は。

「……お前が共犯者じゃないのか?」

「は? 何故?」

「いや。違うのか?」

「理由は?」

「……」

 どう説明しようか、晶は悩み。

「……じゃあ。僕の中で考えたストーリーを話そう。正解だったら正直に言って欲しい。理由次第では責めないから」

「ううーん? だってなあ? 俺らは知らないしねえ?」

「ええ。知らないものは答えられませんね」

 白々しく言葉を交わす二人。これは何を目的とした演技なのだろうか? 晶にはわからない。

 本気でやっているのだとしたら、かなりの大根役者だ。

「ふん。どう関係していたか言うだけ言ってみな。採点してやるよ」

「ええ、合格点なら拍手をプレゼントしましょう」

 自信ありげな二人に少し自信を失いかけながらも、未整理の考えを話した。

(まさか、いきなり殺されるわけでもないだろう)

「わかった。少し黙っていろ。……まず、第一の事件。二葉が帰るのを待ってその後をつけた。途中スーパーに寄った二葉と鈴乃が買い物をしている時に、こっそり二葉に近づき頼み事をした。二葉が滅多に通らない裏道を使わせたかったからだろう? 後は金枝に彼女が気付くまで待つ。金枝が彼女を押し倒したところで近づき、金枝を逃がしてから彼女にクロロホルムを嗅がせて眠らせる。鈴乃はその時どうしてたのかな? 協力してくれって頼み込んだのかな?」

「ふうん。見てきたかのように喋るけど、何で俺が二葉と一緒に買い物をしたと?」

「証拠がないですね」

 にやけた面を崩さずに、余裕を見せる進一。晶には彼の考えが未だに読めなかった。

「……それは後でだ。じゃあ次の事件。わざわざ鈴乃を見つけたとでまかせを言って裏庭に行き、自分に催涙スプレイをかける。その頃鈴乃はもうどこかにさらっていて閉じ込められていたんじゃないかな? 攫った理由は大事な彼女が金枝に近づきすぎたから。もしくはどこかに隠れてもらったか。わざわざそれを僕に教えたのは、いつまでも鈴乃に深く関わって欲しくなかったから」

「今一つ。論理的じゃないなあアキ」

「ええ。納得できません」

「ほかにもある。……犯人は金枝だったじゃないか。本当は、奴が犯人だって気付いていたんだろう? 奴は学校の教師だからな。十分お前の情報網の守備範囲だ」

「いや、いくら俺でも万能じゃあないからな……」

 ばつの悪い様子で煙草を取り出そうとする進一。

「……まだある。いいか、クロロホルムってのは、ハンカチから吸っても映画や漫画みたいにあっさりと気絶はしないんだ。それにすぐに気化するから、不意をつかない限り、暴れる二葉を抑えつけながらっていうのは難しいんじゃないかな。このことから、二人組み、もしくは『二葉自身が承諾していた』か、ということになる」

「え? そうなの?」

「……じゃあ、犯人は二人組みだったんじゃないですか?」

 あっけにとられた表情を浮かべる二人。何故そんな意外そうな顔をするのだろうか。思った通りの反応は得られなかったが、まだ言うことは残っている。

「そうなると鈴乃の証言が矛盾を起こすだろう? 相手は男が一人。地面に二葉を押し倒してすぐに逃げた。さて、どういうことかな?」

「鈴乃が嘘をついたってことか」

「さあな。最初の事件に戻るぞ。……スーパーからは、お前と鈴乃と二葉、三人で歩いていた。あらかじめ金枝の放火ポイントを割り出して、そこを通るよう誘導して、金枝を事件に関わらせる。金枝を逃がした後、お前か鈴乃が二葉を抑えつけ、残った一人がゆっくりとクロロホルムを嗅がせる。鈴乃にはどう言って協力させたのかは知らないが、な。でも、お前も意外だったんじゃないか? 二葉が中々気絶しないから。後は警察、救急車を呼んで出来あがり。どうだ? 違うかな?」

「なら、この事件における俺の目的はなんだ?」

 普段から細い目をさらに細め、進一が聞いてくる。

「金枝の逮捕……かな。偶然とはいえ、俺が家宅侵入したおかげであいつも逃げられないし……」

 そう、この推理じゃあ、肝心の動機が弱いのだ。自信なさげに言う晶を面白げに眺め、「ふう、ん。まあいいや。他には無いのか?」

 飄々とした態度の進一。何を考えているのか、晶にはもう予想できない。促されるままに自分の考えを語る。

「……最後だ。一兎の資料の不備はどうだ。一見必要無い情報まで余すところも無く集めた一兎が、わざわざお前の事情聴取の報告書っていう情報を集め損ねた理由。受理されなかった鈴乃の捜索願まで調べたのにだ。僕には一度も警察に行かなかった、としか考えられないんだよな。そりゃそうだ。最初の事件は手に薬品を持ってて、二度目の事件は自分が鈴乃を誘拐したんだからな」

 そこで一息。さらに続ける。

「ふう、ん。…………んーんんーんーむ。……まいったな、降参」

 この結果で妥協しておくか、といった雰囲気の進一に、釈然としない表情の一兎。

「伊木さん。いいんですか、こんなしょぼい推理で」

「ううん。ま、いいんじゃない? いちおう正解なんだから」

「でも、そんな小さなミスで。まだ誤魔化せたじゃないですか」

 一兎はまだ諦めがつかないようだったが。

「認めたか、進一」

「ああ。認めなければ、あれだろ? 山畑とやらに確認を取るんだろ」

「そういうことだ」

「ふん、まあ、あれだね。60点ってところかな」

 60? 確かに色々間違っている部分はあるだろうが……。

「随分低いな。それに、こんなことをしてただで済むと思っているのか? いつもの悪戯とは違うぞ?」

「まあ待てって、説明してやるから、さ」

「ああ、まだ始発には時間がある。理由によっては……いや、聞いてから考えよう」

「そうしてくれると助かる。まず、地下に行こうや」


 地下の倉庫には、人型の毛布が大型のストーブの前に転がっていた。

「鈴乃か? まさか金枝じゃないだろうな?」

「そ。一兎、開放して」

「はい」

 迅速な、しかし荒い手つきで毛布をはがしていく一兎。くるまっていたのは鈴乃。気絶しているようで、さしたる反応は見せなかった。手足を縛っていた縄を解き、そのまま毛布の上に寝かせる。

「ま、すぐ目も覚めるっしょ」

 そう言って進一はしゃがみこみ、ストーブにあたり始めた。

「なあ、説明はまだか?」

「ふふん、頭を使えよ、アキ。目的が金枝の逮捕? まだまだなんだよねえそれじゃあ」

 そう言って進一は、事件の概要を語り始めた。

「ふう。俺を誰だと思っている? 進一様だよ。金枝が何か危険なことやってるって、夏ごろに気付いたんだ。真面目にしらべたら一発。まあ分かったのは放火だけで、さすがに高橋さんまで監禁してるとは思わなかったよ。これは本当。高橋さんの件は別口から当たってたから全然分からなかった」

 そこでため息をつき。

「彼女には可哀想な事をしたよ。ちょっとした閃きで分かりそうなものだったけどな……。しっかし動機ねえ。ま、分からなくてもしょうがないのかねえ」

「いや、しかし。お前にとってはメリットが無いだろう」

 と、いぶかしみながらも、晶。

「はああああ。んだよもー。面倒くさいな。まずよ、いつまでたっても警察は捕まえようとしないんだよね。んで一兎に調べさせたら、あいつの親父、警視総監だって話じゃない? マジで。しっかり子供教育して欲しいよな。冬になってもやめる気配無いからいい加減頭きてさ。何とかして警察に引き渡そうと思ったんだけど。どうせ捕まえるんならアキを使おうと思ったのさ」

「だからなぜだ。捕まえてもらいたかったらマスコミにでも投稿したら良いだろう。証拠写真でも撮って」

「ううん。わかんないかな? つまりさ。高校卒業したら、俺の会社に入らない? ってこと」

「は?」

 話の流れが掴めない晶に向け、さらに進一はたたみかける。

「俺の作ったとこ、探偵会社ってなってるけど、言ったろ? 指名手配犯捕まえる仕事してるんだよ。一兎タチって」

「あ、ああ」

「まあ。アキの意思はともかく、入社試験やっちゃおうと思って」

「にゅ、入社試験だって?」

「こんなに早くバレるとは思わなかったんだけどなあ? まず金枝を捕まえてからの話のはずだったのにさ」

「はい、誤算でした。実は伊木からは、あなたのことをロジックで物事を詰めるタイプと聞いていましたので。難度を高めに設定したつもりでしたが。先ほどのは少々想像と妄想に偏った推理でしたが、確かに真相の一端を捉えられたので、条件付合格、とします。あれ以上ごまかすには多くの嘘も必要でしたから」

 ぱちぱちと、感情の篭らない拍手をしながら一兎。

「……実は何か反則しませんでしたか? 警察の方に親戚がいらっしゃるとか」

「してねえし、いない」

 二葉のヒントは反則になるのだろうが、わざわざ告げる気は皆目無かった。

「あ、ちなみに条件というのは中西とセットで入社する、ってことで」

「いや。入社しないし」

「え?」

「何故です? 楽しいですよ」

 表情を消した顔で楽しいとか言われても、全く説得力が無いことに気付かないのだろうかこの女は。

「まず、二葉を巻き込んだその方法が気に食わないし。僕はこれでも大学に行こうと思っていてね」

「あ、それキャンセルの方向で。まだお前は勉強がしたいのか?」

「ええ、大学など行っても碌な勉強が出来ません」

「一兎も大学行ってないんじゃないか。僕と同年代なんだろ」

「いえ。イギリスには飛び級というものがありますので。あそこは本当につまらなかったです」

「あ、そう……。どの道僕は研究者になる。決めたことだ。あ! それに二葉だ、ふざけるなよ。薬の所為で今も目、醒ましてないんだぞ。なんで彼女を使ったのか、その説明がまだだろうに!」

 あまりに平和ボケした会話に、いい加減にキレそうになった。

「そんなこと言わないで、一緒に働こうよ?」

 困ったような、申し訳無いような表情を浮かべる二人とは、反対方向から声が聞こえた。

「は?」

 後ろから人物の気配。

 振りかえり。

 階段に座りこみ、つまらなそうに首を傾げている病院服の女性。

「ゆ、二葉? 何で」

「久しぶり。なかなか気付いてくれないから、つい」

「目、覚めたのか」

「うん」

「ついさっきまで……」

「あ、うん。あの時、もう体に戻ってた。念話っていうの? なんかできるようになっちゃった。一兎さんのデータ見て、もう解決できるってわかったし」

「そ、そうか。え? どうやって。いや、それにでも進一は二葉を」

 晶は混乱して何が言いたいのか分からなかった。口が上手く回らない。「ネンワってなんだ晶?」進一を無視し。

「あ。あれ。私が別にいいよって言ったの」

「なんで!」

「えっとねえ、……」

 二葉の台詞を遮るように、進一が軽く手を振る。

「ああ、それは俺が話す。……実は中西に使ったクスリは、クロロホルムなんかじゃないんだよ。全く別の薬。眠ってしまうのはそのクスリの副作用なんだ」

 それで、先ほどの妙な態度の説明はつくが、ならどういうことなのか? 晶は意味がつかめなくなってきた。

「じゃあ、なんだってんだよ」

「三ヶ月くらい前、おれは一つ会社を乗っ取った。……どこだと思う?」

「知るか」

 即答はしたが、進一の言葉から考える。

「……製薬系の会社か?」

「そう、資金繰りが難しくなってきたのか、幸運にも株が大量に売りに出されたからね。前々から気になってたから、すぐに60%弱の株を買い占めた」

「……で? 結局なんなんだ」

「いいか、驚け。実はその会社ではよ、人為的に超能力者を作ろうとしてたんだ」

 思わず拳を握り締めた晶に焦ったか、慌てて付け加える。

「いや、マジで。ホントなんだって」

 その様子から、とりあえず信じることにした晶だが、今度は別の怒りが湧いてきた。

「……それじゃあ何か? 二葉を実験台に使ったてことか!」

 そういえば、確かに二葉には超能力が芽生えていた。しかしそう言う問題じゃない。

「いや、違う。それは違うんだ。クスリは完成していて、社員を募った実験も既に終了しているんだ。副作用としてしばらく昏睡状態が続くけど、安全性は確実なんだ」

「じゃ、なんでよりによって二葉に……」

「俺だってただの道楽で学生やってるわけじゃない。数年後、一緒に働く仲間を探してるんだ。有能な、ね」

「だから有能そうな二葉を超能力者にした、と?」

「いや、まあそうなんだけど……待て、待てって!」

 スタンガンに手を伸ばした晶を進一が必死で止める。

「本人にも了解はとった! 危険性も無かった! 適性も十分以上にあったんだ。問題は無いだろう?!」

 晶は、進一を睨みつけていた視線を二葉に移し、説明を促す。

「えっとね、『中西には超能力を使える器がある。なってみないか?』って」

「そんな説明で納得するな!」

 混乱して晶は叫んだ。あまりに理不尽に思えた。ここ数日悩んでいた自分が哀れになってくるほどに。

「で、どうするのですか? これで納得したでしょう。かわいらしい彼女の説得で、入社する意思を固めましたか?」

 久しぶりに一兎が口を開いたと思えば、また勧誘の話に戻っていた。

「いや。しないって」

「えええ? なんで? おもしろそうだよ探偵って」

「せっかくここまでお膳だてしたんだぜ?」

「まだ拒みますか。何が不満なのですか」

 三人に囲まれながらも晶は。

「いや。一回決めたことだし。それに勝手にそんなこと言われるのも決められるのも嫌いだ。そもそもこの俺を騙したのが気に食わない」

「いいじゃない、人間の長所は忘れられるって所だよ」

「いや、しかしな」

「ああ、わかったわかったもういいよ。じゃあ。保留っつー事で」

 手を左右に振りながらも、決着がつかない話し合いに辟易した様子で、進一が妥協した。

「入らないがな」

「うるせえ。お前は合格したんだ。いつでも入社許可してやるよ」

「あ、そ。そりゃどうも。じゃあなくてまだ俺は許すとは……」

「じゃ、金枝探しの再開と行きますか、アキ。ここまできたらもう大丈夫だろう?」

「黙れ。全然納得がいかん。あれだけ人を掻きまわしておいて、入社試験だって? 僕は認めないよ」

 未だ納得できない晶を差し置いて話が進んでいく。せめて一矢報いようと、晶は進一を睨む。

「でもよ、楽しかっただろ?」

 図星をつかれて言葉につまる。

(そう、確かに僕は、犯人当てを、リアルな謎解きを、楽しんでいた……)

 だが、あっさりとそれを認めることには拒絶を感じた。

「う、ん。……だけど」

「じゃあいいじゃん。アキにとって損はあったのか? いつも退屈だと漏らしてたじゃないかよ」

「確かにそうだ、けど」

「退屈だったか?」

「…………いや」

「ほらな? んじゃ、金枝だ。それで今回の事件は終わり!」

 一連の流れを締めくくるように、パァン、と掌を打つ。p

 どうにも腹が立つ。腹が立つが、仕方がない。何をするにしても、進一の思惑を読みきれなかった晶のほうが分が悪かった。

「だけどな、待てよ。まだやるない事があるだろう?」

「え、何で? 金枝、捕まえないのかよ?」

 眉を寄せ、進一は困ったように表情を歪めた。

「いいや。ここまで来たんだ。金枝は探してやる。が、お前は鈴乃を起こしてからだ」

「うん、置いていったら可哀想だよね」

 さあ、と血の気が引いていく進一。

「う。実はさ。鈴乃は無理矢理気絶させちゃったんだよ。本当の事言うと、今回の事件にはほとんど関わってないんだ。最初の事件で証言させる為にただ利用しただけで……一緒に謝ってくれないか?」

「嫌だ。馬鹿じゃないのか?」

「そうそう。駄目だよ。じゃ、行こう? 晶君」

「ああ。じゃあな、また後で進一」

「う、うーむ。……おーい、鈴乃ー? 起きろー遅刻だー」

 おそるおそるといった感じで呼びかける進一を残し、晶と二葉の二人は一兎を連れ、外に出た。



「しかし金枝はどこに行ってしまったんだろうな」

 時刻はもう六時。さすがに田舎とはいえ始発が出る時間。晶と二葉、それに一兎は西蜂田駅のロータリーでおでんを頬張りながら金枝を待っていた。進一と鈴乃は恋人同士の大事な話があると言うことで、二組に分かれ。後ほど合流することになっていた。さすがに一兎も、病み上がりの二葉に自制してくれたと見え、安全運転で駅前の駐車場に車を停めた。

「んん? なんで? 進一君達が共犯だってことが分かったんでしょ?」

「まあな。だから昨日のホテル名簿を、個人で泊まった客に限定してチェックしただろう」

 結果、繁華街に十五名。駅前に十二名の宿泊客がいた。

 のんびり座り、煙草を吸いながらも晶と一兎はホテルの玄関と駅の入り口を間断なくチェックしている。二葉は一人、残ったこんにゃくを箸で掴もうと一生懸命になっている。

「多分ホテルに泊まったと思うんだけど、それは他に思いつく場所がないからで、もしいなかった場合、調査は行き詰まるんだ」

「調査」

 何がおかしいのかくすくすと笑いだす二葉。そう言えば、退院許可はもらってきたのだろうか。

 その事を二葉に聞いたが、

「ううん。建物って、外から中に入るのは難しいけど、その逆は簡単にできるんだよ?」

「……あ、そう。ま、いいけどね」

 ほわっと煙をはいて、一兎が取り出した携帯灰皿に吸殻を入れる。

「記録を改ざんしておきましょうか?」一兎も晶に次いで、煙草を押し消す。

「必要無い」

 冗談だろうか、とんでもないことを言い出す一兎を形の上で止めて。

「すごいね一兎さん、なんでもできるんだ」

「ええ」

「いくつ?」「は?」

 いきなり呆れたような声を出す一兎。意外と感情を掴みやすい人間のようだ。

「歳。何歳?」

「え、ええ。四月で18になります」

「へー。じゃあ一緒だ。私も四月で18歳」

「おい!」

 晶は強引に突っ込みを入れた。それはあの運転を味わった者として、さすがに聞き捨てならない台詞だった。

「なんですか?」

「どうしたの?」

「それなら無免許じゃないか」

「ああ。日本の免許は持っていませんけど、あちらのなら持ってます」

 どちらのものだか分からないが、免許証を財布から取り出そうとする一兎を止める。

「いや、やっぱいい」

 違法だが、今更目くじらを立てることでも無いだろう、何かあっても一兎ならば警察からでも逃げ切れるだろうし。それに、晶が何を言ったところで反省するわけはないと考えなおす。

 晶が黙り込み、考え事を再開したのを見て、二葉は再び一兎に話しかける。

「ねーねーどうして伊木君の会社に入ったの?」

「ええ。スカウトされまして……たしか半年ほど前でしょうか」

「教えて教えて」

 おでんも食べ終わり、しばらく経つ。さすがに雪国の朝だけあって、体が冷えてしまった。瞳を輝かして一兎に迫る二葉を尻目に立ちあがり、「コーヒー買ってくる。何がいい?」

「私紅茶がいい」

「では私も同じものを」

 トイレの横にあった自販機で、微糖、レモンティーレモンティーとボタンを押す。さて持って帰ろうと缶をとりだし、振りかえり。見えた。

 金枝宗平。茶のニット帽に黒いコート、薄いサングラスに小さな鞄。白衣以外の姿をはじめて見た驚きと、本当に現れた事の驚きが交互に体を襲う。

 いらいらと煙草をふかしながら信号待ちをするその姿。じき駅に入るだろう。

 熱を持つ缶を両手に持ちながら、晶は早足で二葉達の待つロータリーへ戻った。

 目立ってはいけない。冷静に。

「おい。いたぞ」

 無言で首をめぐらせ、探す様子を見せた一兎を引っ張り、駅に向かう。

「とりあえず後をつけようと思う。相手は警視総監どのの御子息だからな、慎重にいこう。ほれ」

 レモンティーを二人に放り、晶は自分のコーヒー缶を開け、一口飲む。

「構いませんが」

「いいよー、でも、私財布持ってきてない」p

「気にするな、切符代なら後で進一に請求するから」

 既に構内に入ってしまった金枝を追う為に、三人分の適当な切符をまとめて買い。この駅で終わらせるつもりだったので、一番安い切符にした。

 改札を抜け、階段を走って上がり、端の方を歩く金枝を目に留める。頭だけを階段の影から出し、向かう先を見定める。

 五番線。上り電車。

 まさか東京、か? 乗り継いで新幹線に乗られたら、四時間もかからずに到着してしまう。この後に及んで親にかくまってもらうつもりなのか。

 晶は怒りに体が震えるのを感じた。

「進一に連絡はした?」

 振り向くと携帯を耳に当て、会話中の一兎がいた。

「ええ、今しています……奴は最悪、東京まで行きますね」

 電光掲示板で五番線の発車時刻を確認、後二十分ほどあるのを確認する。

「一兎、電話代わって」

「晶さんに代わります」

 携帯を受けとリ、「進一、今から駅に来ても間に合わない」

『ああ、多分な』

「金枝の犯罪の証拠。持っているんだろ?」『まあ、な』

「お前は警視総監の息子の実態とか隠蔽しようとしていたとか適当な煽りつけて、地元と東京の週刊誌、新聞社、テレビ局の有名所いくつかにネタを送っておいてくれ。現在東京に向かおうとしているって情報もつけて」

『ま、いいけど。じゃあ、金枝は任せるよ。好きにやっちゃってくれ』

「ああ。車内で捕まえるから、そうだな。蜂田市の警察にもついでに頼む。できるか?」

『当然だ。危なくなったら一兎をつかってくれ。一応合気道の訓練も受けさせているから』

「そ、そうか」

『じゃ、頑張ってなー』

 無責任ともとれる口調の進一の言葉を最後に、晶は通話を切った。

「んじゃ、行きますか。念のため聞くけど、君らも来るのか?」

「仕事ですから」

「ここまで来て帰れないよ」

 和気藹々とは決して言えなかったが、一兎、晶、二葉の三人はホームに向かった。


 携帯に向かって話し始めた瞬間から、鈴乃に蹴りを入れ続けられた太ももが痛んでいた。苦痛の声を漏らさないよう歯を食いしばり。

 さらに後ろから髪を掴んで引っ張ろうとする鈴乃を、進一は軽く睨みつけた。

「さて、行くか」

 意地でも泣き言は言わない。

「どこにさ?」

「まずはカフェット」

 帰ってくれないかなー、邪魔だなー、とか考えていたが表情にはおくびにも出さず、出来るだけ紳士な声色をつかう。

「なあ、鈴乃。今俺らが相手してるのは、金枝って一個人じゃなくて、その親。警視総監までつながるかもしれない事件なんだ」

「……それで? ほら行くんじゃないの?」

 既に進一のバイク、XJの後部座席にまたがりながら、メットを手に取っている。

「う、うん。それで、後々いろんなゴタゴタが出てくるかもしれないでしょ?」

「進一も同じじゃん」

「まあ、そうだけど。ほら、寮の外泊届とかも」

「あんたの所為で既に昨日、無断外泊になってるんだけど。……つまりなにが言いたいのかな?」

「つまりね。危ないから帰って寝て」

 ゆっくりとバイクから降り。構えから。腰の入った正拳突きを腹筋にくらい、吐き気と共に進一は思い出した。鈴乃は武道部も兼部していて、剣道初段、空手黒帯。

 手加減無しの一撃はさすがにきつかった。

「い、や」

 短い台詞に、感情を限界まで込めていた。

「うっ。……でも」

「あーあー。もう巻き込まれちゃったしなー。ここで私だけ置いていったら帰ってきてから地獄だよ? いいの?」

「じ。地獄っすか?」

「アンタ、凍死するかも」

「そ、そこまで」

「行くでしょ?」

「う、うーん」

「速く!」

「お。おう! おっけー!」

 反射的に。返事して、満面の笑みを浮かべた鈴乃と目が合う。

「ほら」もう一つのメットを差し出してくる。

「……しょうがないか。しっかり掴まってろよ」

 メットをかぶり。キイをひねり、クラッチをつなぐ。路面が乾いていることを確認しながら、少しづつスピードを上げる。グローブは履いていたがそれでも指が凍ってしまったように麻痺してくる。後ろの鈴乃も同様、いや、それ以上だろうにそれに関しては文句一つ言わない。

 風の音で、メットに遮られて。聞こえないだけかもしれないが。

 しがみついてくる、小さな手、細い腕。この確かな感触、生意気だが女の子。

「無茶やってごめん」

 聞こえないことを承知で小さく呟く。

 冬の空気を厳しさと共に感じながら。

 繁華街から一番近くのカフェットの前にバイクを停めた。

「コーヒーにする?」

 小さくカタカタとふるえながら、鈴乃は頷いた。ほんの数分の運転だったが、寒さのあまり言葉も出ないようだ。もっとも進一自身も同様で、体の芯から凍えるように冷たくなっていたが。

 店員にコーヒーとカプチーノを頼み、窓際の暖房の近くの席に座る。

 暖かい店内でノートパソコンを開き、いくつかのファイルを開く。

 右下のアイコンで、時間を確認。

「何するの?」

 少しは暖かくなったからか、震えもおさまり、パソコンの画面を覗きこみながら鈴乃が聞く。

「ああ。晶たちが乗るのが……後十五分か」

「それで?」

「……えっと、捕まえるのに三分くらい。それで……んん? ……まあいいか」

 考えることに飽きて、進一は最も無難な答えを出した。分からなくなったら一兎と連絡をとれば良い話なのだ。頑張って小難しい計算をしても、金枝や晶次第でいくらでも変わってしまう。

「いいの?」

「いいや、べつに。何とかなるでしょ」

 真剣味の欠片も無く、携帯を操作し、馴染みの編集者の番号を呼び出す。

「……あ、小泉? 今あんたのトコに面白い情報送るからさ、しっかり見てくれよ」

『……仕事がたまっててさぁ、俺今寝たところなんだけどー。事務所のソファでよぉ』

 間延びした口調の中から疲労を感じ取った進一だったが、だからといって容赦するわけにはいかない。晶や進一、そして小泉の為にも。

「あーそりゃごめんねー。でもちょうど良かったかな? 見たほうが良いと思うよー? 現警視総監の息子の犯罪ファイル。もうすぐ逮捕されるから」

『…………何の冗談だ貴様?』

「はっははー。他の新聞社にも送るから、速いトコ仕事しないと夕刊に間に合わないかもねー、ンじゃ」

 一方的に携帯を切る。

 続いて四人ばかりに電話をかけた。新聞、週刊誌の面々、いずれも実際に動く、前線で仕事をする彼らに。さらにネット上のいくつかのホームページに書き込みをする。

 ファイルをまとめて、携帯をコードでパソコンに繋ぎ、メールに添付して送り。

 最後に山畑の番号を呼び出す。

『なんだね』

 早朝だと言うのに、山畑の口調に、疲れや眠気といったものは無かった。

「前依頼された件さ。もう、ケリがつくよ」

『そうか! ……で、わざわざかけてきたんだ。他に用事があるんだろう?』

「そそ。西蜂田駅に警官五人ばかり派遣してやってくれ」

『しかし、分かっているだろう? 上からの圧力があって金枝を逮捕することは……』

「だいじょーぶだって。駅で不審者が暴れているって通報するから、それに乗じてアンタが何人か選べば良い。後はなるようになるよ。あんたは誰を逮捕したのか知らなかった。……相手はただの暴漢なんだから。調べるにつれて新たな真実が明らかに、って感じでいいっしょ?」

『本当に大丈夫なのか?』

「ああ、そうだ。後、しっかりテレビつけとけよ」

『テレビ? マスコミにタレこむ気か?! それは……』

「そういうこと。じゃ、お楽しみに」

 何か言いたそうな気配だったが、問答無用で通話を終わらせた。

 そして通報。

「西蜂田駅で変態が暴れています! 汚い格好でバットを振りまわしてるんです助けてください! あ、蜂田高校の竹淵友也です。はい住所は……あ! うわあたすけて!」

 担任の名前を勝手に使い。進一は電源を切った。

「ふー」

「終わった?」

 いつのまにか運ばれてきたコーヒーを飲みながら、鈴乃が機嫌良さげに質問する。

「ま、だ、だ、よ」

 進一もカプチーノを手元に寄せ、砂糖を入れ口に含む。

(そう、まだまだ)

「この伊木進一を舐めてもらっては困るんだよねー」

「……楽しそうじゃない?」

「もちろん楽しいさ、楽しくて楽しみで楽しめるショーが始まるんだから。……ま、後は待つだけだけどね」

「ふうん? ま、いいけどさ。あ、ホットサンド頼んでいい?」

「オッケーオッケー。俺の分も頼むよー」

 そう言って、進一はネットを経由してどこかのカメラ画像に繋げた。

「何それ?」「たとえるならこれがフィルム。俺が監督、高菜晶主演のアクション映画ってところか」

 呆れたような表情の鈴乃を無視し。ホントに楽しみだ、そう呟きながら進一は煙草に火をともした。



「いったい何を?」

 金枝の一両後ろに乗りこみ、ボックス席を確保すると同時にノートパソコンを開き、キーを打ち始めた一兎に対しての質問だったが、目は画面しか見ておらず、晶の問いは無視された。

「お仕事じゃない?」

 律儀に隣りの席に座った二葉が反応してくれる。

「仕事っていっても」

「まあまあ、で、どうするの?」

「んー。そうだな。後何分くらいで発車するんだ?」

「え? えっと」

「六時四十二分の予定ですから、後十三分ですね」

「そ、ありがとう一兎」

 それでそれで? と目を輝かせて聞いてくる二葉に向け、晶は答えた。

「じゃあ、十分を過ぎたら、やるよ」

「何を?」「秘密だ」

『教えてよー』

 突如頭に一兎く声。その声が予想以上にクリアなことに焦る。下手に話すよりもはっきりと『聞こえる』

「やめろ」

『いや。教えて?』

「内緒だ」

 怪訝そうに晶を見る一兎。声には出さないが、いきなり独り言を言い始めた晶を不思議に思っているのは目に見えてわかる。

『教えてくれてもいいじゃない』

 口に出さなくても伝わるかも、と期待して脳内で返事を返してみる。

(挑発して正当防衛を発動させる)

『早くー』

 無理だった。

(何故こんな無意味な能力をつけたんだ。一方通行の念話なんてただわずらわしいだけじゃないか)

「二葉、あと少しだから」

『ええー』

「しっかり口に出して話せ」

「だって何かつまんないし」

「すぐに終わらせるから」

 あっさりとした晶の答えに諦めたのか、二葉は窓の外に目を向けた。

 静かになったのを幸いに、これからやることに穴は無いか考え始める。

(事後処理は? OK。金枝の反応は? シミュレーション済み。一兎と二葉は? 二葉はここに置いていく。一兎は金枝の現行犯の証拠を撮るだろう)

 立ち上がりながら、ちらりと、隠す様に一兎の鞄から覗くレンズを確認する。

 問題は、晶自身が実際に動けるかどうか。

「なるようになる、か」

 こればかりはやってみなければ分からない。

 無性に、煙草が、欲しかった。



 車内のボックス席に座っている金枝は、焦り、混乱していた。

 何故突然自分の家が警察に荒らされたのか、分からなかった。

 確かに少女を家に持ち帰ったが。何故。警察に対しては、父が圧力をかけていたはずなのに。父は何を考えているのだ。もし息子が捕まれば、彼の地位も危ないというのに。

 まさか、息子の連続放火にとうとう我慢出来なくなったのか? それとも生徒監禁の事実がバレたのか?

「もう、やめるつもりだったのに」

 いや、と金枝は考えなおす。あの男の恐さは、息子の自分が最もよく知っている。これが父の意思ならば、金枝は逃げる余裕も与えられずに拘留されているはずだ。

(やはりあの手紙の奴の所為だろうか)

 切手も消印も無い封筒を思い出す。正体の分からない相手にあっさりとしたがってしまった自分に腹が立つ。

 財布も携帯も無いことに気付いたのは、犯行を見られた日の翌日だった。父に連絡もとれず、おかげで現金を友人から借りることになってしまった。返すつもりは勿論無い。身分証明もできず、随分と行動を束縛されてしまった。

 思い出すといらつきが増すように思えて、金枝は思考を止めた。

「ともかく、親父に会わなきゃならん……親父に会って、会って」

(会ってどうしろというんだ? 切り捨てられたら全て終わりなのに)

 絶望を味わいながらもカチカチと、震える手で懐から煙草を取り出し、電車内は禁煙だということに気付き、舌打ちと共にまた懐にしまう。

 この車両には他に乗客はいないが、あえて目立つマネをするわけにはいかない。

「……吸わないんですか? 金枝さん」

「お、お前?」

「ああ。そう言えばここ、グリーン車じゃないですか。禁煙でしたね」

 平然とした顔で、金枝の目の前に直立する青年。薄暗い車内で、サングラスが目立っていた。両手には黒い手袋、口元まで巻かれた黒いマフラー。

 高菜晶の名は金枝も知っていた。毎回詳細なレポートを出してくる、優秀な学生の一人。一流の原型などと呼ばれていい気になっているが、今年金枝が担当してからは一度も授業をサボったりしていない。そんな優等生だったはずだが、何故、平日の朝からこんなところにいるのだろう。

「お、おま……学校はどうした、高菜!」

 怒鳴り、萎縮させようとしたが、彼はわずかに目元を細めただけで、金枝が期待したほどの反応は無かった。

「まあ、いまさらその程度の決まり事を破っても、良心は痛まないでしょうが。そういえば、何故煙草を吸うのにグリーン車にしたんですか?」

「関係ないだろう!」

「他人に見られたくないからでしょう? あなたこそ学校はどうしたんです?」

「……わ、私は、急な学会が決まって。今は私が質問して」

 声が震えるのを自覚し、金枝は拳を握り締めた。

「どのような学会です?」

「あ、あーそれは、」

「放火と監禁についての発表でも頼まれましたか?」

 あまりの事に頭がうまく働かない。この、優等生は、今、何を言った?

「? ……! お前、お前があの手紙を」

「いえ、脅しているわけではありません。少しばかり、責任はとってもらいますけど」

「責任だと!?」

 誰もいない、車内に金枝の怒声が一兎く。

「ええ。僕をこんなつまらない事件に巻き込んだ責任という奴だ」

 優等生の仮面を外し、完全な無表情となった晶に、金枝は完全に気圧されていた。

「な、何を」

「あんたみたいなクズは、しばらく刑務所いってきてくれないと困るんだ。少しでも僕の溜飲を下げるために」

 晶の表情がさらに変わり、怒りという感情のこもった、茶の瞳が金枝を睨みつける。

「それとも、今、ここで、地獄に行きたいの、かな?」

 殺人予告としか取れないその言葉と同時に、晶の手が無造作にズボンのポケットにのびる。その動作に恐怖を感じた金枝は、覚悟を決めた。

(こいつを殺し、国外に逃げる)

「おおおおお!」

 一挙動で腰を浮かせ、目の前の晶にタックル。吹き飛んで後ろ側の座席に座りこんだ晶を見ながら、鞄からナイフを取り出す。通販で買った物だが、まさか使うことになるとは思わなかった。

 刃渡り15センチを越えるこのナイフ、間違い無く銃刀法違反だが、だからこそ殺人には適している。

(殺す)

 ただその意思に突き動かされ、未だ座席に座りこんだままの晶に飛びかかる。

 あっけにとられたような表情を浮かべながらも小生意気に腕を上げ、ボクサーの様にガードしているが、構わない。

 首筋につきたてる予定を変え、ナイフを腰だめに構えなおし、右のわき腹に。

 その時。ぞくりと、体の芯から寒気が。ナニかに脳髄を掻き回されるような。感触があった。

 それでも体は惰性で前に進む。

 空白。

 空白。

 空白……。

 ドッ!

 思ったより遥かに強い、手応え。数瞬後、手首に激しい痛みを感じた。

 金枝が、いつのまにか瞑っていた目を開け、見ると、座席に刺さった自らのナイフがあった。

 ナイフを引き抜かなければ。

 しかし、体が動かない!

 バヂッ。と、鋭い音が、体の中から聞こえ、金枝は、目の前が暗くなってくるのを感じた。

『ごめんね先生』

 かすかに、女の声が聞こえ、それが、誰の声なのか気付く前に、もう一度衝撃。

 蹴り飛ばされた、そう感じる暇もなく、金枝は意識を閉ざした。


 

 倒れた金枝に近づき、手際良く手首を拘束する一兎を見ながら、晶は質問した。

「一兎、君もこんな面倒な入社試験を受けたのかい?」

 手首から先が壊死してしまいそうなほどに、強くワイヤーで縛り付けた一兎は立ち上がり。

 笑みを浮かべた。

「なあ、一兎……?」

「さて。貴方の勇姿は撮らせていただきましたが、放映してもよろしいでしょうか?」

「勇姿?」

「さっき晶君が先生を蹴ったところを、一兎さんが録画してたの」

「ああ、あれか。別に構わないけど。……しかし危なかった、まさかナイフで来るとはなあ」

 そう、二葉を妙なクスリで眠らせたのは進一。進一の催涙スプレイは自作自演。

 金枝がそれらの道具を使ってくるという保証は何も無かったのだ。

 二葉も笑みを浮かべ。「危なかったねー」

「ああ、さっきは助かった。金枝を止めたのは、二葉だろう?」

 証拠は無い、が。

 あの時、ほんのわずかに、聞こえたのだ。『左に』と。

 考える間もなく、左に転がり、ナイフを避けて。

 首をめぐらせると、座席にナイフを刺したまま硬直している金枝が見え。落ち着いてスタンガンを当て、蹴りまで入れることができた。

 金枝に対し、何をしたのかは分からないが、きっと二葉が手助けをしてくれたのだ。そう、晶は判断した。

 笑顔を深めた二葉は、「私は何も、してないよ?」

「なら僕は、勝手に感謝する事にするよ」

「……じゃあ、伊木くんの会社に入る?」

「いや。それはまた別の話だ」

「あ、晶さん、どうぞ?」

 唐突にノートパソコンを差し出す一兎に驚き、「いきなりなんだ?」

「いえ、見たほうがよろしいと思いまして」

「何を……」

 画面には、フルスクリーンに拡大された晶と金枝の姿が。

「わざわざ見るまでもないよ。金枝を警察に引き渡す時にでも使えばいいだろう」

「あ、これもどうぞ」

 イヤホンを耳にあてがわれ。

 熱い声で叫ぶ晶の声が、聞こえた。

『貴様の悪事、これ以上見逃すわけにはいかない!』

『何を言うかガキが!』

『証拠だって出揃っているんだ、大人しく法の裁きを受けろ! 悪党が! 天が許してもこの俺が許さない!』

 口の動きと台詞が合ってなかったが、そんな些細なことを考えていられる余裕は、晶には無かった。

『ふざけやがって! こうなったらお前だけでも殺してやる』

 そう言って、画面の中の金枝が晶にタックルを。

『ぐ、貴様なんかに……』

『死ねぇぇ!』

『負けるかー』

 見ていられなくなって強引に画面を閉じ、

『うおおおおおお!』

 イヤホンのコードを思い切り引っ張る。晶の体が恥と怒りで体が震え出す。顔が熱く火照るのを感じた。何から口にだそうか、非常に悩み。

「一兎」「はい?」

「これは、いつ、作ったんだい」

「ええ、つい先ほど完成したところです。中々面白い作品になったと思われますが。声はどうです? 合成物ですが、本人に声質を似せるのに一番苦労しました。あ、ちなみに台詞の趣味は伊木の脚本です」

「なんのつもりだ」

「ご存知の通り、私たち一般人に逮捕権はありません」

「そうだ。だから証拠としてビデオに残すのも黙認したんだろう! 現行犯なら捕まえられるからな!」

「ええ、何が問題ですか?」

「勝手にこんな台詞を入れるな! 冗談じゃない、恥ずかしいだろう!?」

「裁判に使うのでは?」

「いらん! 消せ! 肖像権の問題だぞ!」

「ん。そうですか。ではこの映像は消去しましょう」

 未だ晶の手の中にあったパソコンを奪い、いくつかの操作をし。

「はい、消えました」

 あっけにとられ、晶は一兎の顔を眺めた。

「何が、目的だ?」

 嫌な予感がした。何かの意味が、あるはずだ。こんな手間のかかる映像を作っておいて、あっさりと消去する。何か、今の晶にはわからない、重大な意味があるはずだ。

「いえ、特に何も。あ、ちなみに何も処理していない、ただの記録映像の方は残してあります」

「そうじゃなくて」

「あら? いつのまにかハッキングをされていたようですね?」

 画面を、見ながら。笑みを、浮かべながら。

「困りましたね。全然気付きませんでした。世間は広いですね」

 嫌な、予感が、した。

「……まさか、さっきの、映像」

「ええ、申し訳ありません晶さん。どうやら何者かにコピーされてしまったようです。音声ごと」

 肖像権を主張する相手を失い。

 状況は、果てしなく、最悪に、近かった。


杉沢一兎・レポート


〈駅には異常な数の人間が集まり、一犯罪者の捕縛としては異例の盛り上がりを見せた。

 原因は、数分前から駅のテレビに流れている映像にあった。

 高菜晶のプロフィール、卒業後の進路まで注釈としてついていたその映像は、匿名の何者かにネットに流されたものであり、公式には未だその何者かは判明していない。

 集まった群集は一様にニヤニヤと、ぬるい笑みを浮かべ、彼を注視していた。金枝の身柄を引き取りに来た警官までも同様に。

 何か誤解したのか、握手やサインをねだる女性も数人いて、警察官からパトカーに乗せてもらわなければ、そして中西二葉の必死の抑止が無ければ、彼は怒りのあまり群集に殴りかかっていただろう。

 後々、彼の怒りを静める為の作戦を考える必要があり、即急に対策を考えるべき〉


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