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疾走開始

  寮についたのは七時を少しまわったところだったが、今日も晶は晩飯をキャンセルした。

 学校からの帰り道で、おおよその考えをまとめていたが、不明瞭な部分が多すぎて未だ犯人はわからない。

 不確定な部分を埋めるには、一度寮に戻る必要があった。押入れの奥から新学期に作った住所禄を掘り出し、地図と合わせてチェックしていく。

 犯人は鈴乃に近い人物だろう、と、晶は大体のあたりをつけていた。情報収集能力でいえば、鈴乃は進一に遠く及ばない。おそらく鈴乃の守備範囲である学校関係者かその友人。

 そして鈴乃をさらった場所は学校。

 鈴乃と犯人、どちらが呼び出したにしろ、犯人は学生か、教師。学校の関係者以外に考えられない。

 そして、放火が始まったのは去年の春から。

 新入生、転校生、新任の教師の住所を順に調べていく。寮には門限があるから、寮に住んでいる人間を排除。自分の家が燃えては困るのでは、と放火現場にあまりにも近いと思われる人間にも線を引く。

 指で住所をたどっていた晶の手が止まる。ペンで印をつけ、他の住所も調べる。

 結局、条件に合致した人間は一人。金枝宗平。

「見つけた。……この野郎ならありえる。クロロホルムも実験室から持ち出せるしな」

 過去の経歴も調べておきたいところだが、情報収集の手段を持った進一がいない上、時間が無いので強引に探ることにする。人に迷惑をかけなければ犯罪では無い、といった考えを晶は持っている。

 この場合の『人』には、犯罪者は含まれない。

 金枝が部屋に居なかったら、不法侵入も辞さない。

 だがなにも盗みを犯すわけではない。ただ証拠を探すだけなのだ。

 机の中から薄い色のサングラスを見つける。部屋の隅に放り出していた鉄の棒を掴み、ズボンのポケットに入れた。

 直系五センチ、長さは三十センチ程の鉄棒。中心部はくびれ、持ちやすくなっている。晶が一年の時工業実習で作ったものだが、ずしりとした安心感を与えてくれる。材料の強度試験の為に作った物だったが、人を殴るのに適した形状をしている。催涙スプレイを使う相手にどれだけ通用するか疑問だったが、あると無いとでは心構えが違う。

 進一も連れていきたかったが、彼は警察か病院で治療を受けさせられるだろうし、待っていては金枝が身を隠してしまうかもしれない。

 そもそも証拠を漁りにいくだけの予定だったので、楽観していた。鉄棒は保険の為に持ったにすぎない。

 寮を出て、自転車で犯人の家へ向かう。

 電気の通っていない街灯のすぐ脇に立っている、古いアパート。

 既に日は落ちて、あたりは暗い。部屋の電気はついていない。

 街灯の下で住所録を確認して、203号室のチャイムを鳴らす。

 出てこないことに苛立ち。

 ガンガンと、扉を叩き。

 ノブを掴み、鍵が掛かっていることを確認する。

 予想していたので落胆は少なかった。むしろ直接対峙することが無くて、わずかに安心した。

 近くの消化器の裏や排水溝などを探ってみたが、合い鍵がある様子はなかった。

「しかたない」

 一階に降りて裏に周り、周囲に人影が無いことを確認し。

 晶は排水管を足がかりにして、壁を登り出した。配水管は錆かかって、体重をかけるとメキメキと音を立てて歪んできた。冷汗をたらしながらも、次の足がかりを探す。

 自分が危険なことをしているのは十分に分かっていた。

 こんなことをしなくても、警察に知らせるのもいい方法だろう。

 しかし晶は。

 自分の手で。

 犯人を捕まえたかった。

 物事の道理を叩きこんでやりたかった。

 狙ったかのように晶の数少ない友人ばかりを襲う犯人に、かつてない程の怒りと屈辱がわきあがってくるのを感じた。

 その為には、どうしても奴が犯人である、という確実な証拠がほしかった。

 罪悪感など欠片も感じなかった。

 配水管以上に錆に侵食されたフェンスを掴み、苦労して二階のベランダに体を押し上げる。

 目の前にガラス戸があった。カーテンはかかっていない。ガラス越しに中を見ようとして、顔を近づけ、誰かと目が、合った。

「うおおおお!?」

 ガシャ! と、背中がフェンスにぶつかり音を立てる。

 てっきり留守だと思っていたので、心底驚いた。 

 ただ単純にあせり、逃げ出そうとして今ぶつかったフェンスに足をかけて、

「あれ?」

 部屋の中にいる人物が、動かない。

 一般にベランダに不審者がいた場合の住人の対応としてはおおよそ三つだろう。ガラス戸を開け、確認するか。玄関から逃げだすか。もしくは警察に通報するかだ。

 しかしガラスの向こうの人物は動こうとしない。

 いや、うごめいてはいるが行動しようとする気配が無いのだ。

「おや?」

 落ち着いて、先ほど目が合った人物の顔をよく見る。

 曇ったガラス越しだが。口に布を噛まされた彼女は、目を見開いて、助けを求めているような表情を浮かべていた。



 鈴乃は、ただ、怒っていた。

 少しでも晶の役に立とうとしてしたことなのに。

(私、何も悪いことしてないじゃない! まったく! よりによってこのあたしを監禁するなんて!)

 そんな不満も、口元をハンカチで縛られてしまっている彼女は、口に出すことすらできなかった。

(ここどこなんだろう?)

 ひたすら寒い。毛布に簀巻きにされて、どこかに転がされてているようだ。その毛布も安物なのか薄いのか、防寒具としての役割を果たそうとする意思に欠けていて、凍死、という概念について何より流暢に語ってくれている。

 直接目隠しされているわけではないが、何も見えない。いや、かすかに毛布の隙間を見つけ、体をもぞもぞと動かし、そこに眼の位置を合わせる。

 ガムテープしか見えず、鈴乃はわずかな希望を失った。テープで目張りしたのだろう。テープ越しがわずかに明るかったので、夜ではない、ということだけが判明する。

 恐らくどこかの倉庫か、もしくは屋外に寝かされているに違いない。

 毛布を通じて伝わってくる寒さが尋常じゃない。コンクリートらしき床からも氷のような冷気を感じられる。

 暗闇のなか、鈴乃はだんだん不安になってきた。

 もしあいつに忘れられていたら。

 ここに置き去りにされたのだったら。

 助けを呼ぼうとしても、内にこもった、むーむーという異音にしかならず、すぐに酸欠になってしまう。

 もしかして私ここで簀巻きにされたまま死ぬのかも! と、絶望を感じた時、何者かの足音を聞いた。

 ざりざりと、砂を擦る音が近づいてくる。

 警察の助けが来たかもと思ったが。

「おきたかい?」

 その声を聞いて諦めた。あの、スプレイを吹きかけた時の声と同じ声。

 聞きなれた、腹立たしい声。

(この野郎……助かったらガチガチになるまで氷風呂につからせてやるわよ!)という声もやはり、むがもごといった音に変化してしまい、どうしようもないやるせなさを感じた。

 彼にはそれで十分だったようで。

「起きていたか。じゃあ。ごめん」

 言葉が聞こえると同時に、顔のあたりの毛布が冷たくなり、憶えのある酸味のある刺激臭が鼻につく。

 薬品に対する本能的な不安を感じて身を激しくよじり、息も止めたが、すぐに眠気に襲われ、意識が朦朧としてくる。

 体を持ち上げられたような気がしたが、憶えていられたのはそこまでで。

 鈴乃は再び長く、浅い眠りについてしまった。



 進一は軽い治療と用事を終え、寮に向かって走っていた。

 携帯の電源を入れて見ると晶からメールがきていた。

『犯人はおそらく化学の金枝だ』

「……ふふん?」

 バイクから鍵を抜き、自室に戻り、ノートパソコンを立ち上げる。

 彼が実質的に経営している会社へメールを送り、チャットルームで待機する。この会社、探偵社となっているが、実質やっていることは警察の手伝い調査だった。

 彼が経営している六つの会社の中で唯一赤字経営だが、自らの趣味と非常時の為に設立した会社でもある。

 公私混同という意識など微塵もなかった。

 これが、進一の切り札にして本職。

 今大事なのは、金枝を外国に飛ばさないことだ。

「ん。きたか」

 社員の一人、杉沢一兎だ。彼女の情報収集能力はすさまじいが、まだ未成年のため見習い扱いとなっている。スタッフの中では事務所内の担当だが。

:一兎:準備できました社長。

:イチ:他に誰かいないか? 今から詰めに入るんだぞ?

:一兎:はい。チーフは今、岐阜で八百万の獲物を追い詰めたところです。奥谷サンはそのアシストに。梅木サンは今東京に。イリスは学習塾に行っています。

 進一はなんだか悲しくなってくるのを感じ髪を掻きみだした。しばらく前のことなので忘れてはいたが、イリス・クシェラに広東語を習っておけと命令したのは進一自身だった。

(なんであいつらそんなに仕事熱心なんだ)

:イチ:そうか。仕方ないな。鈴乃の件は?

:一兎:問題ありません。すぐに済ませ、22時迄には合流の予定です。

:進一:他に、奴を国内に閉じ込めたい。

:一兎:はい。

:進一:国外に出たらさすがに晶では無理だからな。

:一兎:はい。空港に連絡して、あらわれたら止めておきます。

:イチ:以上だ。

 パソコンの電源を落とし、大きく伸びをする。

「さて」

 寮を出て、繁華街に向かう。

 『イチ』。そう書かれた看板の前にバイクを止め、店の中に入る。

「いらっしゃいませーえ!」

 威勢のいい掛け声を無視し、厨房に入る。

「あ。伊木さん。おはようございます! 店長ぉー! 伊木さんっすよ!」

 若い調理人に店長を呼ばせ、「ああ。適当に二人前たのむわ」

「あ、はい!」

 奥にある階段を上り、店長室に入る。

 純和風の店内にくらべ、あくまでも洋風を意識して作られたVIPルーム。

 腰が埋まりそうなソファーに腰掛け、店長を待つ。

 ここも進一が経営する店の一つ。

 自室には保管できないものや、いざという時のために雇っている人材をここに置いてある。

 例えば、

「ういっす。どうしました伊木さん」

 明らかに特殊な訓練を受けた物腰の青年。首には引きつれたような火傷の痕があり、目の上にも大きな傷痕が残っている。下手に端正な顔立ちをしている分その傷の醜さが際立っている。

 自衛隊を怪我で退役し、目的も無く街をぶらついていたところをスカウトしたのだ。もともと料理と経営の才能があったらしく、カムフラージュでしかないが居酒屋の店長としてしっかり利益を上げている。店で一番の古株で義理堅く、信頼できる人間でもある。

「ああ、少し、持ち出そうと思ってね。使うことになるかもしれない」

「はい、銃ですか」

「いや、スタンガンでいい」

「あ。またあれ使うんですか。……伊木さん、刺身きたみたいですよ」

 ノックの音に扉を開け、器用に両手で二つの船盛りを受け取り、音も無くテーブルに置いた。

「ああ、お前も食うか?」

「いえ、仕事がありますので」

 そういって青年は退室していった。

 進一は独り静かに刺身を食べた。

「うん。全くの素人だったのに、ずいぶん上手くなったもんだ」

 スカウトしてきたのは四人。始めは皆、ずぶの素人だったが、半年ほどで十分職人と言える程に仕上がっている。少なくとも刺身にして、飾り付ける程度には。

「そう。……アキは素人だが、警察には無いセンスと行動力がある」

 呟き。ソファーの下にあるスタンガンを取りだす。二本。それらをバックパックのポケットに入れ、居酒屋を後にした。

 携帯を取りだし、晶に電話をかけた。

 晶は電源を切っていた。この状況で電源を切るとすれば。

「先走ってんじゃねえ……アホか!」

 罵声を放ち、向かった。

 金枝宗平のアパートへ。



 晶が見つけた女性は、水緋鈴乃ではなかった。

 動けないよう箪笥に縛り付けられていた、十五、六歳くらいの少女だった。口元、足首もハンカチで結ばれて、その場からは移動できないようになっていた。全体的に痩せ細っており、かなり憔悴していて、満足に言葉も話せない状態だった。

 小さくガラスを割り、鍵を開け中に侵入し、それを確認した晶は少女に硬く口止めし、頷くのを待った。

 服もボロボロ、髪も伸びっぱなし。あまりに酷い扱いに、晶もこれまでに無いほどの怒りがわいていた。

 晶は、ニュースや新聞でこのような事件を見ても、『ああ、そうかい』、と鼻で笑うタイプの人間であったが、リアルな現実として目の前に突きつけられたこの現状に、許せないものを感じていた。

 生々しい体臭を気にしないようにして、箪笥に縛り付けていた縄を解き、部屋に散らばったガラスの主な破片をベランダに移した。少女自身が割ったと見せかける為に。ざっと、部屋の中を見渡し、他に情報を得ようとしたが碌なものが無く、大人しく鍵を開け、玄関から出ていった。

 物質的な証拠は無かったが、状況、心理的な証拠としては十分な価値があった。これ以上金枝のようなクズに躊躇する理由は、無い。

 外に出て公衆電話から警察に連絡する。

「はい、隣りに住んでいる中野と言うものですが。はい、金枝さんの家からガラスが割れるような音が聞こえて。……はい、チャイムを鳴らしても出てこないんです。電気もついてなくて。以前からたまに言い争う声が聞こえていたんですがね、……はい、お願いします」

 電話を置いた晶は、寮に向かって歩きながら、携帯の電源を入れ、進一を呼び出した。

『おう、アキか? 今どこだ』

「いま金枝のアパートから出たとこ」

『金枝はいたのか?』

「いや、奴はいなかった。女の子が監禁されていたみたい。その子以外には誰もいなかった」

『女の子? 鈴乃か?』

「いや、別人だったよ。しかしなかなか上等な犯罪者だね金枝は。放火、傷害、監禁。その他余罪がボロボロ出てくるだろうな」

『そ、そんなことまでやってたのか。……俺の方も明日には切り札がくるから、それまで何かすることは無いか?』

「切り札? ……警察署の近くに喫茶店がある。署から大通りに向かって百メートルくらいの所。黄色熊ってところだが」

『そこにいけばいいのか?』

「ああ。そこで話そう。暖かいところに行きたいよ僕は」

『オーケイ』

 携帯を閉じ。

 自転車にまたがり、走る。

 夜の風はとても冷たかったが、興奮している体にはかえって気持ち良かった。見知らぬ一人の少女を助けることができた自分に嬉しくなる。偶然とはいえ、警察よりも早く。

 達成感、というのだろうか。あの少女にはこれから幸せになって欲しい、と素直に思える。まったく逆のベクトルで、金枝には不幸になってほしいが。

 黄色熊の横にある狭い駐車場には、既に進一のバイクが止められていた。

「いらっしゃい」

 カウンターに座った野壱が仏頂面で応対する。

「なんだよ。ったく、出前に行かなきゃならねえって時に限って客がきやがる」

「出前もやっているんですか!」

「ああ、警察署御用達でな」

 深く、納得した晶は、

「あ、先に誰かきていませんでしたか?」

「ん? ああ。一人いる、奥だ。注文は?」

「じゃあコーヒーで」

「コーヒー飲むなら自販機で飲め! 馬鹿かお前!」

「いえ。じゃあ、マスターが帰ってくるまで店番してますから」

「おお? ……気が利くじゃねえか。じゃあカウンターにいてくれ」

 接客マニュアルを大きく無視した言動も、ここまで極めるとほほえましいものがある。

 薄暗い店内を進み、最奥の席を陣取って煙草をふかしている進一と目が合う。

「カウンターで話す」

「おう。聞こえてた」

 カウンターの隅に並んで座り、「しかしここのマスターなんか荒っぽくないか?」

「ああ。警察OBだそうだ」

「か。マジかよ」

 不安そうに手に持った煙草を見るが、「まあ、いいか」と開き直ったようだ。ちらりと床においたバックパックに目を向けたが、すぐにあらぬ方向に視線を向けた。

「ほい、コーヒー二丁だ」

 晶と進一の前にコーヒーを置いた野壱は足元から岡持ちを二つ持ち上げた。

「じゃあ、任せた。客がきたら待ってもらえ。十分くらいで帰ってくるからよ」

「ええ」

 足音も高く、両手に岡持ちを持って店を出て行った。それを待って、進一は。

「さて、色々聞きたいことがあるが」

「ああ」

「金枝は犯人で間違い無いんだろうな?」

「おそらく。少女監禁までやっていたんだ。残念ながら証拠はみつからなかったけどな」

「証拠?」

「ああ。軽く家捜ししたけど、大した物は出てこなかった」

 そこで晶はコーヒーを一口。「うげ、苦!」あまりの濃さに舌が麻痺し、ミルクを探す。

「不法侵入かよ」

「軽犯罪だ、気にするな。相手は凶悪な犯罪者だ。大した事じゃあない」

 カウンターの中の冷蔵庫から牛乳を取り出し、慎重に混ぜ始めた晶を、進一は冷めた目で眺めた。

「ふん? 逃げた先に心あたりは?」

 進一も同じコーヒーのはずなのに、文句も言わず飲みつづけていた。

「あるわけない。まだ逃げたかどうかも分からない。もしかしたら家に帰ってきた金枝と警察が鉢合わせするかもな」

 少し皮肉げに笑い、晶は続ける。話しながら砂糖も混ぜる。砂糖を使う様子も無い進一からも奪い、二本分。

「だが、これでさらに警察は忙しくなる」

「ん? ああ、連続放火事件、二葉暴行未遂事件、鈴乃誘拐事件、さらに少女監禁事件ってところか」

「ああ。さらに通常業務もいつもどうりにある。田舎警察にとってはかなりのダメージだ。全て一本化して捜査出来ればいいんだが、足並みがそろうまで二、三日かかるだろう。県警から応援がきて、捜査本部が立って……遅いな。その間に金枝はどこか遠くに逃げ切ってるだろうよ」

 ようやく甘いコーヒーが出来あがって、満足しながら味わう。進一の煙草をもらい、火をつける。

「俺タチでケリつけるしかないかね?」

 楽しそうに笑う進一だが、とてもじゃないが晶には解決できる自信が無かった。

「しかし、な。金枝の行方なんて掴めないだろ。僕ら一般人だぞ」

「ははーん? アキらしくないねえ。いや、むしろお前らしいのか。さっき言ったろ? 切り札が来るって。この札はかなり、つかえるぞ」

「何だ、切り札って」

「人探しのエキスパート。その情報担当がくる。俺の社員だ」

「しゃ、社員って、お前?」

「伊木探偵社。普段は普通の探偵だけどな、今、必要だから呼んだ」

「おまえそれ……役に、立つのか?」

「失踪した人間も追っている奴らだぜ? 室長なんかはあまりの暇さに指名手配犯まで追ってやがる。全社員が化け物クラスだよ。ほれ。これ持っとけ」

 バックパックから棒状のスタンガンを取り出し、晶に渡す。明らかに違法改造されたその無骨さにひるむが、おそるおそる受け取る。

「……う。どっからこんなもんを……お前はどうするんだ?」

「ああ。俺はもう一本持ってるから。……使い方はわかるよな」

 そう言って中からもう一本のスタンガンを覗かせる。

「だからどこから持ってきてるんだよ」

「気にするな。金ってのはこういう時に使うものだ。ああ、アキ。お前は帰って寝てろ」

「え? 進一はどう……」

 突然そこで野壱が扉を開けた。

 慌てて服の下にスタンガンを隠し、間違ってスイッチが入ることの無いように必死で祈った。進一は落ち着いてバックパックのチャックを閉め、顔色の悪い晶に、「安全装置があるから大丈夫だ」とささやいた。

「おう、ご苦労さん、代金はいらねえよ。何か食ってくか?」

「あ、いえ、今日のところは帰ります。進一は?」

「俺は何か食ってくよ」

 と、進一。メニューを見て驚くだろうが、わざわざ教える気にはなれなかった。

「なんだなんだお前は帰っちまうのか」

「ええ、最近かなりの寝不足でして。……じゃあ朝起こしにきてくれ」

 後半は進一に向けて、晶は黄色熊を出た。

「……あ。進一ってカレー嫌いだったような」

 煙草を吹かしながら思い出したが、連れ出すまでのことはないと思い、そのまま自転車で寮に帰った。

(もしかしたら、美味いカレーを食って考えをあらためるかもしれんからな)


『……ねえ、晶君』

「どうした」

『……助けてくれた人、鈴乃じゃないかも』

「な、何?」

『……香水の香りしてた。思い出した』

「香水……」

 後からきた人。鈴乃のことだと思っていたのだが。確か鈴乃は香水なんてつける趣味はなかったはずだ。

『……どこかで嗅いだような気がする、けどわからない』

「相手は男なんだよな」

『……うん、男の人』

「でも、顔は見てないんだろう?」

 そう、二葉はどこで犯人が男だと思ったんだろうか。

『……うん。……思い、出せそう』

 目を閉じたまま、晶は、待った。

『……制服、そう。その人と一緒に買い物して……』

「ん?」

『……頼まれて』

「は? 頼まれた?」

『……うん、その人に気絶させられたの』

 晶は思わず立ち上がった。

「何だそりゃあ!」

『……ごめんなさい』

「く、う! ……いや、こちらこそすまん。詳しく説明してくれないか」

 激発しそうな自分を抑え、座りこみ。晶はそのまま頭を抱えた。

『……買い物してて、頼まれたの。少し気絶してくれ、って。理由も説明されたけど、忘れちゃった』

「そいつは、誰だ。それに鈴乃は」

『……思い出せない』

 どちらも思い出せない、という意味なのだろう。

「なんだってんだ。いや、もういいや」

 話しながら考えていることに疲れ。目を開く。

 共犯者がいるのか、もしくは金枝とまったくの無関係の人間か。学生服だと? そうだ、あの刑事が言っていた奴だ。

 二葉や鈴乃の証言を簡単に信じ、深く追求しなかった晶自身の責任だった。

「だれなんだ? 意味が、わからない。鈴乃はどうなったんだ? 一緒にいたんじゃないのかよ?」

 これで。鈴乃でも金枝でもない第三の人物が現場にいたということが決まった。



 二葉は、時間と共に意識がだんだん鮮明になっていくのが分かってきた。

 晶が目を開いていても視覚を共有できるし、少しの時間ならば離れて散歩(散浮?)することもできる。

 今なら自分の体に戻ることもできるだろう。晶が解決するまで戻る気はなかったが。

 それに、この事件を画策した犯人も思い出した。

 動機も分かった。

 犯人に対する恨みは微塵もなかった。

 むしろ感謝すらしていた。

 何が目的かわかった今。犯人に意図的に協力しようとまで考えている自分がいた。

 退屈な日常に吹く一陣の風。

 風は小さな火を大きくし、あたり構わず火の粉を散らす。

 こういうことがあるから、まだ生きていたくなるのだ。

 この事件が終わり、晶がどう考えるか。

 今の二葉の懸案事項はただ、それだけだった。



 晶が目を覚ますと、布団の上に見なれない美女が立っているのに気付いた。

「……おはよう」

 寝起きの頭がうまく働かないことに苛つき、布団を跳ね上げる。

「ん、おきましたか」

 表情を動かさずに言葉を紡ぎ、布団の動きにあわせて片足を晶の腹の上からどけ、そのまま立ち去ろうとする。

「ちょ、ちょっと」

 慌てて起きあがり、晶は呼びとめた。

「だれ?」

「あ、杉沢一兎です」

「そ、そうですか。……高菜晶です」

「では」「いやちょっと待って」

「はい?」

 再度振り向く一兎。わずかに迷惑そうな表情を浮かべるが知ったことではなかった。

 立ちあがると、以外と長身なことに気付く。170、というところか。長く伸ばした髪を後ろで縛り、黒いスーツを着こなして、まさしくOLといった感じの女性。ほとんど表情が変わらず、美人なだけ冷徹な印象を見るものに与える。切れ長の目に薄い化粧。歳は晶と大して変わらないようだが、身についている緊張感と化粧のせいで遥かに年長に見える。

「ナニモノですか?」

 昨日、部屋の鍵を確かに閉めたことを思い出しながら、警戒し、質問する。

「ん、伊木から聞いていませんか?」

 伊木ってだれだっけ、一秒だけ考え、進一のことだと気付く。

「ああ。切り札さん?」

「……いちおう。伊木探偵社見習いです。事務を勤めています」

「見習いで事務ですか」

「ええ。では。伊木は、食堂で待っている、と言っていました」

「は、はあ。では少ししたら行きます」

 最後まで笑顔を浮かべずに、ゆっくりとドアを閉める一兎から、枕元の携帯の画面に目を移すと。

 午前三時半だった。


「進一」

「ん? 起きたか」

 誰もいない閑散とした食堂で、一兎と進一は並んで座り、朝食をとっていた。一兎は落ち着いた動作で紅茶を口に運び、

「席にどうぞ」

 やはり無表情ながらも、ぶっきらぼうな口調で着席をすすめた。

 反発心を抑えこみ、ゆっくりと席に着き、目の前に置かれたクロワッサンを手に取った。

「おい進一。これが切り札なのか」

「これ、ですか。私、先ほど自己紹介したはずなのですけれど。貴方の脳の中では私の名は記憶されなかったようですね」

 平坦な口調だが、睨みつけてくる眼光にはやたらと迫力があった。

「いや。すまない杉沢さん」

「一兎でよろしいです。晶さん。貴方と同年代ですから」

「そ、そうですか一兎さん」

「はは。少しは気に入ったかい一兎?」

「ええ。そうですね。中々良いですね」

「そうか。それは良かった。アキ、一兎が下の名で呼ばせるというのは珍しいことだぞ?」

「そうかい、そりゃどうも。……ちなみにどこが気に入ったんですか」

 この一兎の態度からはどんな慢心家でも気に入られているとは思えないだろう。何しろ表情が無いのだ。静かな口調とあいまって、ほとんど感情が読めない。

「あ。顔です」

(顔かよ)

 つい浮かんだ突っ込みを打ち消し、必死で紳士的に答えようとする。

「そ、それは、ありがとう。中々率直な意見ですね」

「ところで、この先どうするか決めているのかい?」

 その言葉に晶は、寝起きではっきり作動したがらない頭にスイッチを入れた。

「ああ。……おそらく奴のほかに共犯者がいる」

 一兎と進一は一瞬目を合わせた。何かを確認し合うかのように。

「それは、どういう、ことだい? 金枝のセンで色々準備していたんだが」

「いや、金枝の他に、この事件に関わっているやつもいる、ということだ。奴一人に拘泥するのはよくない。記憶にとどめておいてくれれば良い。奴を捕まえればわかることだから」

「ん、分かりました晶さん」

 先に答えたのは一兎だった。進一はまだ呆然としていたが、

「……了解だ」

 数秒の間を置いてそう答えた。

「さて、まず一兎さん、あなたは何ができるんですか?」

「ま、大抵のことはできます」

「じゃあまず金枝の家族構成、地元なんかは分かります?」

「ええ。ある程度は調べてきました。兄が一人。母親は八年前に亡くなっており。父親は東京、警視庁で働いています。生家はH県ですが、転々と引越しており、特に地元といえる場所はありません。運転免許も持っていません」

 するすると答えていく一兎。

「えっと、兄の所在地は?」

「東京目黒区で父親と同居しています。勤め先はやはり警視庁です」

「兄と父親が警察官か。一人だけ教師ってのはどんな気分なんだろうね。……金枝はパスポートも持っているよね?」

 金枝が、以前学会でフランスに行ったと自慢していたのを思い出しながら質問した。

「はい。まだ期限内です。他に、これを」

 そう言って差し出してきたノートパソコンの画面に映っていたのは十年ほど前の新聞記事だった。

「火事?」

「はい、彼が高校生の時住んでいた場所の近くでの事件です。放火ですが、犯人はまだ捕まっていません。手口は同じです。……まあ所詮は放火ですが」

「ふん。状況は奴が犯人だと告げているんだがなあ」

「どうしたよ、やっぱり不安なのか」

 と、進一。

「ああ。なんかおかしいんだよな。不特定多数相手の放火なんてのに共犯がつくわけないんだ。放火先全てに恨みがあったわけでもないだろうに」

「じゃあなんで共犯がいるなんて思いついたんだ?」

「いや、別に……」

 そこで頭をかき、「まあいいか、問題は金枝だからな。じゃあさ学校の鍵、開けれる?」

 晶は意識を一兎に向け、聞いた。

「鍵、ですか」

「うん。いちいちドアを壊すわけにもいかないだろう」

「出来ます。学校程度の鍵なら。……行くんですか?」

「お、おいアキ。忍び込む気かよ」

「ああ。鈴乃もいるかもしれない。それにやるなら早い方が良い。リミットは登校時間までの二時間半だ」

「う、ううん。でもよ。それより先に金枝の確保とか……」

 気が進まない様子の進一だったが、一兎になにやら耳打ちされたかと思うと、不承不承ながらといった感じに頷いた。

「……まあ行くだけ行ってみるか」


 晶には目星をつけている部屋があった。

 昨日の放課後、鍵が掛かっていた部屋の中で最も鈴乃のいる可能性の高い部屋。

 犯人の一人、金枝宗平の管理できる数少ない部屋。

 化学実験室と準備室。危険な薬品も数多く並んでおり、防犯意識の面でも優秀なロック。

 学生には入ることのできないその扉を、一兎のピッキングで呆気なく開け放った。

 余りにあっさりと開いたので「すごいね」、晶は純粋に誉めた。

「ん。この形状の鍵なら知っています。……ピッキングに必要なのは経験よりも知識なんです」

 表情に変わりないように見えたが、わずかに目元が下がっていたのを確認し、晶もこんな状況ながら嬉しくなった。

「おい、和むなはやく行け調べろ」

 後ろから強引に二人を押しのけた進一が中に入っていく。こういう直接的な犯罪を苦手とする彼にとっては、拷問にも等しいストレスがかかっているに違いない。

 進一に続き、一兎、晶の順で準備室に入り、

「……いないな」

 六畳程の狭い部屋だ。もし人がいたならば見落とすはずも無い。

「じゃあ実験室の方だ」

 準備室と実験室をつなぐドアに手をかけ、こちらはスムーズに開いた。

「いない?」

 準備室の五倍ほど広い部屋だが、やはり鈴乃の姿は無いように見えた。

「手分けして探すぞ」

 そう言った晶は、自ら腰の下ほどの高さまでの引き出しを開け始めた。本来フラスコやビーカー等実験器具を保管する場所だが、それらを掻き出せば十分に人が入れるスペースができる。

 進一と一兎も反対側から調べ始め、奥で再び合流した。

「アキ。読みが外れたみたいだな」

「……そうだな。どうやら共犯者は車か何か、移動手段を持ってたのかもな。でも、収穫はあった」

 そう言って、一つの棚を指した。以前実験に使った時にはあったはずのビンが無い。クロロホルム。施錠はされていたが、化学室の責任者である金枝ならばいつでも盗れる。

 施錠しながらも何故か興味深そうな目を晶に向けながら一兎が、

「なら早く学校を出ましょう。それとも、他に探す当てがあるのですか?」

 校門に向かって歩きながらも考える。

「……ない。ここ以外の候補はそれこそ全ての鍵のかかった部屋にある。全てを調べる暇はないから、鈴乃は警察に任せて僕らは金枝を追うしかない」

「そうか。じゃあ、居酒屋にでも行くか」

 何を言っているのか。この時間に居酒屋など開いている筈が無い。それにこの状況で酒を飲もうという神経が晶には信じられなかった。

「あ。いやいや違う誤解するな。俺の店だからいつでもフリーで入って良いんだ。落ち着いたところで一回話そうぜ」

 晶の軽蔑のまなざしを感じ取ったか、取り繕うように進一は言葉をつなげた。

「まあ、そういうことならいいけど」

 校門横に止めていた軽のワンボックスに乗りこもうとするが、外から見えないように後部のガラスがダンボールで目張りされていたり、不可解な機器が転がっていたりで、酷く乗るのに難儀する。

 学校に来た時と同様に、晶が後部のシートに座り、タバコを取り出す。

 助手席には進一が座り、

「おっけー。場所わかる?」

「はい。イチでしたね」

 そう答えた一兎が、キイを捻りエンジンをかけた。

 先ほども思ったが、後部のスペースを陣取る機器や、ダンボールが気になり、質問する。

「一兎さん、この車って、仕事で使ってるやつだよね?」

「まあな」

 答えたのは進一。

「はっきり言って、車そのものよりもお前の隣の機械の方が高いんだ。あんま触んなよー」

 なるほど。言われてみれば確かに高級感に溢れている。気になるのはネジというネジが全て錆びついていたり、ニクロム線が丸だしになっていたりする所だが、それもまあ大事に使っていると見えなくも無い。

「……よっぽどぼろい車買ったのか?」

 呟いたその瞬間、「ば、馬鹿っ!」進一が振りかえり叫ぶ。

「いえ。今、なんと?」

 そう言って振り向いた一兎の目は、ギラりと闇色に輝いているように見えた。表情は変わらなかったが。進一は無言でシートベルトを閉めていた。

「え? いや、よっぽど……安売りしてたのかなぁって」

「ん。そうですか。そこらの車と同一視してもらっては困りますね。外見は汚く偽装してありますが……いえ、体感してください」

 どういう結論に達したか。

 言葉と同時に、サイドブレーキを下ろしクラッチをつなぎアクセルをいっぱいに踏み込み、二速、三速。

 そこまでわずか十秒。

 いくら早朝の、車通りの少ない道路だからと言っても、この勢いは異常に思えた。

 何に対する反抗心の表れだろうか。

「ちょ、ちょっと一兎さん!?」

「無駄。ベルト閉めろ」

 必要最小限しか口にしたくないといった口調で進一に忠告される。

「え? あ、ああ」

 強烈な後ろ方向へGの中、慌ててシートベルトを探し、金具を掴んだ瞬間急激なブレーキ。シフトダウン。前のシートに顔面を強打し、さらに横方向に激しく揺さぶられ、横のガラスに頭をぶつける。尻の下からはキキキキギキイキーという、いつか事故を起こした車を見た時に聞いたブレーキ音と同じ、恐ろしい音が聞こえてくる。

(何で交差点でドリフトを!)

 腰が浮くような感覚と、横転してしまうのではないかといった恐怖がない交ぜになり、悲鳴すら出てこない。

 文句を言う暇も無く。

 そのまま再びシフトアップ。

 ヒュイイイイインといった感じの甲高い音が耳から離れない。ディーゼル車ではありえない、なかなかステキな音だったが、こんな状況では少したりともも楽しめなかった。シフトアップ。

 急な加速の所為でシートに埋まりそうな体を起こし、速度計を目に収める。

 130と140という数字の中間に針があった。速度計も純正のものではない。そう見てとったのれたのも、この振動のなかでは奇跡だろう。

 一兎の細い指が無骨なシフトレバーの上で踊る様は華麗だったが、暴力的な加速がさらに晶を襲い、座席に押し付けられた。黄色信号を無視してさらにアクセルを踏み込む。シフトアップ。五速。

 ちらり、と左右を確認し、赤信号を突っ走る。

 速度計を見る勇気はどこかに吹き飛んでしまい。晶は必死にシートベルトを閉めた。

「進一! どういうことだ!」

 そこで再び交差点。シートベルトのお陰で座席に固定されてはいたが、押さえつけられたその所為で腹の辺りが激しく痛い。シートも固くて尻が擦れる。

「あああもうすぐつく我慢しろ」

 進一の声も上ずり、ナニカに耐えているらしかった。

 この恐怖を自分一人で味わっているわけではないと知り、晶はほんの少しだけ落ち着いて一兎の横顔を観察した。

 わずかに笑みが。

 ブレーキを蹴りつけるように踏み込んで、シフトダウン。再びアクセル。ハンドルを猛烈な速度で回し。晶の世界も回る。

 スピンターン。

 シートベルトにまたも閉めつけられ、うめく。中学の時に行った修学旅行での遊園地でも、これほどの恐怖を感じたことは無かった。なんでワンボックスでこんなマネをするんだ重心って言葉を知らないのか、といった文句を吐き出そうとしたが、

「つきましたよ」

 冷静な声。うつむいていた顔を上げ、一兎の顔を確認したが、もう笑みは浮かんでいなかった。残念に思うと共に怒りが湧き上がってきた。

「一兎! ここは公道だろう!」

 もうサンづけする気力も義理も失せていた。

「ええ。信号につかまる事が無くて良かったです。どうでしたか?」

「……速かったよ。……非常にね!」

 不思議そうに首を傾げ、変わらないその口調に、晶は呆れ、諌めるのを諦めた。

「アキ。一兎の欠点がこれだ。整備マニアなんだ。会社の金で、エンジンをロータリーに積み替えて……」

「いい。いわなくても。分かる。心底」

 感情の薄い女性という認識も遠い海に捨て去り、スピード狂という属性を心の黒板にペンキで書き殴った。

 決して忘れないように。


 誰もいない居酒屋の二階。座敷を三人で占拠し、晶は二人に向かって話し始めた。

「さて。金枝の行動を軽く考えてみたが。奴には共犯者という変数があるせいで、予測しきれない」

「あ。ああ。そうだな」

「ここでまず困るのは密航で国外へ逃げられることだ。一兎、警察の情報を検索することはできるか?」

「ええ。何を調べます?」

 あっさりとした答えに安心感が増した。

「まず、鈴乃の誘拐事件への警察の対応。次に金枝が重要参考人になっているか。いるならどういった捜査をしているか。後は過去放火で逮捕された人間が今市内に住んでいるか。いるなら金枝との接点を探して欲しい。それと、奴の交友関係か何かは、無理かな。空港の予約も、金枝の名前があったらそれを。……最後に市内のホテルの宿泊者名簿も手に入ったら頼む」

 だいぶ無茶な注文だと晶自身思ったが、一瞬の躊躇もなく一兎は了解した。

「交友関係なら俺が調べておくよ」

 進一もわずかに仕事を請け負った。

「どれくらいかかる?」

「そうですね。長くて二時間といったところですね」

「俺は一兎が終わったらやるかな」

「じゃあお願いするよ」

「ん」

 最後に一言返事を残し、一兎はノートパソコンを立ち上げ、猛烈なタッチでキーボードを打ち始めた。所在無くなった晶と進一は、どちらとも無く部屋を出て、厨房に下りていった。

「なあアキ」

「何だ?」

「お前さ、もう金枝が国外に出たとは考えてないのか? さっき予約って言ったけど、もし昨日出たなら手遅れじゃないか?」

「うーん。昨日鈴乃をさらって、いきなり日本を出るとは考えにくい」

「何故に?」

「まず昨日僕が金枝の部屋に入った限り、雑然としていて、とても逃げ出す準備をしているとは思えなかったこと。保険証もあったしね。それに夜中、警察に通報したから、奴は自分の部屋に帰れない。ということは」

「いうことは?」

「少しは考えろって。お前は普段からパスポートを持ち歩くのか? 見つからなかったけど、多分まだ部屋にある筈だ」

「あ」

 そんな事初めて気付きましたといった表情の進一。

「服その他は現地で買えばいいとして、印鑑や通帳などの貴重品も家に保管するだろ。これが個人の犯行だったらもう金枝は終わっているんだ。しばらくホテル暮らしか何かしてほとぼりが冷めるのを待つしかないんだ。パスポートの偽造っていう手段もありだが、日数がかかるんじゃないかな。問題は共犯者なんだよ。そいつが誰で、何故協力しているかもわからないのにどうやって追い詰めろってんだ。正直無理だね」

 後半は愚痴になってしまったが、晶の本音でもあった。

 今のところ根拠は二葉の言葉と、山畑から聞いた防犯カメラの話しか無いが、実際に目的不明の共犯者はいると信じていた。

 いなければそれでいい。金枝はホテルに身を隠すしかない。

 晶が警察に通報した時点で終電はとうに過ぎており、タクシーなどという足のつきやすい乗り物で逃亡するとは思えなかったからだ。

「あのさ。さっきから共犯者共犯者って言ってるけどさー。なんでそう思ったわけ?」

 心底不思議そうな顔をして聞いてくる。しかし、まさか二葉が語りかけてくるとは言えない。現実主義よりの進一のことだ、何も言わずにセラピストの手配を進めるだろう。

「ああ。うん。……勘」

「勘だって!?」

「あ、ああ。……いや、根拠はあるんだ。山畑さんが、二葉と一緒に買い物してた奴がいたって話しててさ。鈴乃じゃないんだ」

「……あの日にか? 何時ごろだ?」

「……いや、……わからないが、放課後じゃないのかな」

「…………しかしな」

「可能性はまだ残ってるんだぞ? 何で金枝一人に固執するんだ?」

「いやいやそういうわけじゃないんだけどな」

「とにかくそれで疑問に思ったわけ」

 早口で進一の突っ込みをかわそうとする。この程度じゃまだ納得しないだろう、と頭の中で説得の文面を練り上げる。

「ふ、ふーん。……まあいいんじゃない?」

「は?」

「うんうん。些細なことから真相に気付くこともあるし」

 詮索を止めてくれたのはありがたいが、いつもの進一とは違う態度が妙に思えた。

「まあな。どうしたいきなり」

「もしかして鈴乃を疑ってんのか?」

「いや。まさか」

 実際はほんの少し、疑ってはいたが、金枝と共犯関係になる理由が思いつかなかったので保留にしていた。

「じゃあいい。俺はまだまだ協力するよ」

「ああ。……しかし暇だな」

「なんかすることはないのか?」

「病院、もまだ開いてないだろうしな

 朝の四時半。病院どころかスーパーすら開いてない時間帯だった。

「少し寝る。一兎の仕事が終わったらおこしてくれ」

「寝るだって? この状況でか」

「ああ、脳を休める。じゃ」

「ちっ。……マジかよ」

 一階の座敷に寝転がった晶に背を向けて舌打ちし、進一は二階に戻っていった。

 進一が視界から消えたのを確認して、晶は二葉に話しかけた。

「……二葉?」

『うん?』

「もし金枝を捕まえたら、どうしたい?」

『そうだねー。警察に引き渡すとか』

 普段よりも数倍レスポンスの短い答えに満足して続ける。

「うん。それは当然だ。しかしそれだけでいいのか?」

『うん。いいんじゃないかな』

「だってあいつ鈴乃までさらったんだぞ。高橋って女の子も」

『えっとね。それは金枝先生じゃないよ』

「高橋が?」

『違うよ、鈴乃がだよ。危険だから隠したの』

「何が? 金枝がか」

『ううん。鈴乃が危ないから、かな』

(鈴乃が危険だから、金枝が誘拐したわけではない……?)

「意味がわからないな」

『解けたらわかるよ』

「共犯者がか?」

『そう。がんばってね』

「……それじゃあ、二葉はもうわかったのか?」

『うん』

「なっ、誰なんだ?」

『正しく言うと、共犯じゃないの。だって金枝先生は知らないもの。……あっ』

「ん?」

『これ以上はだめ』

「駄目って……」

『自分で解かないとだめ。意味が無くなるから』

「さっぱりわからないな。他に何かないのか」

『私にはわかったよ。晶くんにもわかるはず』

「それがヒントか?」

『そう。頑張ってね』

「おい」

 無言。

「二葉」

 答える気が無いのか疲労したのか、しばらく待ったが返事はなかった。

 ちくちくと、荒れた畳の触感を背中に感じながら、二葉との会話をまとめる。

 共犯者は金枝の知らない奴。

 そいつは鈴乃が危険だから誘拐した。

 二葉にはもうわかっている。

「わかんねえし」

 テーブルをひっくり返して思考を放棄するのは簡単だが、二葉に解けて自分に解けないことがあるのか? まさか。

 まず共犯者は金枝を利用した、ということだろう。

 そして鈴乃を守ろうとした。さらに二葉の知っている奴。

 二葉の交友範囲は恐ろしく狭い。家、学校、図書館という三つの地域以外にはめったに行かない。しかし、少なくとも会った事程度はあるはずの関係。そして晶にもわかる、ということから共通の知り合いという事が……。

「おいおい」

 ここまで絞れれば後は消去法でも犯人が掴めてしまう。

 教師、病院の関係者、図書館の司書、クラスメイト。他に例外として二葉が晶にとりついてから出会った人たち。

「答えを教えたようなものじゃないか」

 呟きながらも脳内では簡易裁判が実施される。知り合いを一人一人ふるいにかけて無罪を立証していく。数十分かけて、残ったのは数人。さらに慎重に考えを煮詰める。

 数分後。有力候補として残ったのは一人。正確には二人だが。いくつか説明できない事柄が残ったが、直接問い詰めれば何か掴めるかもしれないが。

「まず、一兎の調査結果を見てからだな」

 それからでも遅くは無い。

 そう判断して、晶は眠りについた。


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