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漆黒の姫巫女、愛しの陛下  作者: motomi
第一章:漆黒の姫巫女
9/15

09

 ふとした瞬間に込み上げる感情がある。

 それは、空を見上げた時。

 朝焼けや夕焼け、夜空に浮かぶ星達の美しさにいつか見た空を思い出す。

 または、人の優しさに触れた時。

 あの日、あの時、あの場所で同じように優しくしてくれた人達を思い出す。

 決して帰れない場所。失ってしまった私の時間。


 今はもう自分から振り返ることはしなくなったけれど、ふとした瞬間に込み上げる、身を焦がすほどの郷愁。

 みんな元気でいるだろうか?

 病気や怪我などしていないだろうか?

 どんなに思っても届きはしないけど。

 私は、元気でいるよ。


 ※※※


「あー、疲れた!」

 四時間ぶっ通しでダンスのレッスンとか、鬼だ!

 無理な体勢で酷使し続けた身体はあちこちで悲鳴をあげている。

 ミハヤは疲労のあまり靴も脱がずに、そのままベッドへと倒れこんだ。

 時刻はもうすぐ就寝時間。とはいえ、ついさきほど授業を終えたミハヤは夕食こそ食べたが、入浴はまだ済ませていなかった。

 優秀な侍女たちが慌てて足から靴を脱がしてくれるが、(ああ、スミマセン。そんなことまでやらせてしまって)身体は一切動きそうにない。

 これでは、少し休んでからでないと入浴もとてもじゃないけれど無理そうだ。

「お疲れ様でした、ミハヤ様」

 ミハヤに付き添い、同じく疲れているだろうにマッサージを施してくれるナティーシャの優しさに涙が出そうになる。傍らでは、ユーディリアがレモン水を用意してくれる。

「うう、よく出来た侍女を持って私は嬉しいです……ありがとう、そしてごめんなさい」

「なにをおっしゃるのですか。私たちこそ、ミハヤ様にお仕えすることができて嬉しく思っておりますわ」

「ナティーシャ……」

「このようにお優しく可愛らしい主を持って、私たちは幸せです」

「ユーディリア……」

 それはちょっと、言いすぎじゃないですか。

 本当に、優しい侍女たちに囲まれて私は幸せです。



「しかし、それにしても王妃っていうのは忙しいのね……」

 この国の頂点である国王を夫に持つのだから、そりゃ忙しいのは覚悟の上だったけれど。リーゼロッテの八つ当たりのせいもあり、過酷な授業が長時間続き、本当に今日は参った。まだ“授業”だからいいものを、今度はその授業で習った内容を実践に移し、公務を行なわなければならないのだと考えると憂鬱になってくる。

 複雑な礼儀作法や、事細かな仕来り。

 想像するだけで頭がパンクしてしまいそうだ。

「そういえば陛下って、生まれたときからこんなことやってきたんだよね……」

 改めて、凄い人なんだなぁ。

「これからは、ミハヤ様が陛下を支えて差し上げてくださいませね」

「あ、ははは……」

 すかさず言われるが、笑うしかない。

 支える……。

 できることならそうなってあげたいが、女性嫌いの陛下に、どうしたら女の自分が支えになれるのか、残念ながら疑問しか浮かんでこなかった。

「まあ、そうなれたらいいのだろうけど……」

 はたして、そううまくいくものだろうか。

 そもそも、そうなるためにはまず陛下に女嫌いを直してもらわねばならない。クラウスはじきに慣れていくだろうと言っていたが、どうなることやら。

「はあ……」

 コテン、と枕に顔を沈め呟いたその時、

 ――コンコン

「あら、誰でしょう?」

 規則正しいノックの音が響き、ユーディリアは顔を上げ入り口を見つめた。

「誰だろう? こんな時間に」

 寝返りを打って、ミハヤは寝転んでいた体を起こす。

 その隙にナティーシャがすばやく入り口の方へと向かい、ユーディリアはベッドに寝ていた為に乱れた主の髪をテキパキと直し、靴まで揃えて用意してくれる。

「ああ、ありがとう」

「いえ」

 コクンと頷いてユーディリアは美しい微笑を浮かべる。

 こんなやりとりを聞いたら、またリーゼロッテに叱られそうだが、二十年近くそうやって育ってきたミハヤにとっては癖のようなもの。今更直せと言うほうが無理な話なのだ。



「失礼する」

 しばらくして、来訪者を確かめに行ったナティーシャを引きつれ、部屋に入ってきたのは今朝ぶりに顔を合わせる夫、アルヴィフリートだった。

 なんと珍しいことか。

 身投げするほど苦手な女の集う部屋に自らやってくるなんて。

 顔色は悪く、身体は震えているが、それでも自分の目が信じられず、ミハヤは両手で瞳をこすらずにはいられなかった。

「ええと、陛下?」

「夜分遅く、すまないな」

 若干、声も震えている。

 どうやら間違いなく、本人のようだが。

「あの、どうかなさいました? ナティーシャ、ユーディリア、一度退出を。悪いんだけど侍女長にお茶を二人分頼んできてくれる?」

「かしこまりました」

 とりあえず彼の負担を減らそうと、若い侍女二人を退出させる。流石に三度も夫を気絶させたとなれば、今度こそ王宮を追い出されるだろう。

「と、とりあえずお座りになりますか?」

 すっかり昨夜の悪ふざけで懲りたミハヤは細心の注意を払い、夫と距離をとって椅子を勧めた。すると、アルヴィフリートの方も昨夜の頑なさが嘘のようにあっさりと長椅子に腰を下ろす。

「失礼する」

「あ、いえ……」

 呆けながらもなんとか言葉を返し、ミハヤも同じようにアルヴィフリートの斜め向かいに腰を下ろした。真正面に座る勇気はなかったのだ。


「ええと、それで、なんの御用で?」

 椅子に座ったきりなにも言わない夫に、ミハヤは焦れて問いかけた。

「あー……」

 だが、一方のアルヴィフリートは言葉にもならぬ声を発し、黙り込んでしまう。

 一体なにがあったのだろうか。

 そうこうするうちに侍女長がやってきて二人の前にお茶を置いた。

「あ、ありがとう」

 侍女長は僅かに困惑した後、ペコリと会釈だけを返し、部屋を去っていく。

 そうして、また沈黙は続き、淹れてもらったお茶も冷え切った頃、アルヴィフリートはようやく口を開いた。

「――巫女の家族とはどんな者たちだ?」

「え、はい?」

 ぽつりと囁くように落とされた問いかけに、ミハヤは思わず聞き返した。

 か、家族? なんで、急に。

 聞き間違いだろうか。目を瞬かせるミハヤに、アルヴィフリートは再び一言一句違わず言葉を紡ぐ。

「巫女の家族とはどんな者たちだ?」

「家族、ですか」

「そうだ」

 脈絡のない問いに、ミハヤは「ええと、」と思考を巡らせた。

 思い出そうとしなければ、もうすぐには思い浮かばない人達の姿。故郷を離れてもう三年もたっているのだ。記憶の底に沈めた暖かな思い出を、彼女はゆっくりと頭の中で浮上させる。


「――そう、ですね。私の家は、父母、妹、そして祖父母の六人家族で、ペットに金魚を買っていました」

「金魚?」

「ええ、赤い色をした小さな魚で夏祭りの縁日で父に買ってもらったんです。妹と一緒に金魚すくいをしたんですが、これが中々難しくて、結局おまけに貰う一匹しか手に入らなかったなあ……」

「そうか。妹とは仲が良かったのか?」

 何故か、恐る恐るといった様子で聞く人に、苦笑を浮かべて首を傾げる。

「よく喧嘩をしていましたけど、仲は悪くなかったと思います。喧嘩しても翌日にはコロッと忘れて仲直りしましたし、お休みにはよく一緒に買い物にも行きました」

「父母たちは、家業はなにを?」

「家業? ああ、仕事ですか。ええと、父は公務員……役所で働いていて、母は保育士、子ども達を預ける施設で働いていました。祖父と祖母は家の畑で野菜を育てていて……農家と言うよりは退職後の趣味のようなものでしたが」

「巫女はなにを?」

「高校、学校に通っていました。学生といえばいいでしょうか。ちょうどこの世界に来る直前に高校を卒業して、春から大学に通う予定だったんですよ?」

 段々と当時のことが思い出されて、ミハヤの顔には無意識の内に笑みが浮かび始める。

「学生、ということは勉強が好きだったのか?」

「いえ、特別そういうわけでは……。私たちの国では義務教育といって子どもは十五、六の歳まで学校に通わなければいけなかったんです。その後は就職するも進学するも自由でしたが、ほとんどの子が高校まで通っていましたね。大学は人それぞれですが、学んでみたいこともあったし、あと介護士の資格が欲しくて大学に」

「介護士?」

「ええと、高齢の方や障害のある人のお世話をする仕事です。祖父も祖母も、それから両親も、幸いなことにまだまだ元気でしたけど、結構な歳だったのでいつか自分の手でお世話をしてあげたいと思って……ところで、陛下のご家族は――?」


 話している内に込み上げる郷愁に、無意識のうちに囚われることを恐れ、ミハヤはそれを振り切るように夫へと話題を投げかけた。

 ――だが、

「陛下?」

 ふとそこで夫の様子がおかしいことに気づく。

 アルヴィフリートはなにやら俯き、じっと床を睨むようにしているではないか。

 まさかまた体調を崩したのだろうか?

 誰か人を呼ぶべきだろうか、入り口に目をやったその時。

「……すまなかった」

 ぽつりと、また囁きのような声が落とされ、ミハヤは自分の耳を疑った。

 空耳?

 だが、囁きは確かに目の前の人から聞こえてきた。

 ……でも、謝罪だとしても一体なにに対しての?

 いぶかしみ、その場に佇んでいると、また小さな声でなにやら呟くのが聞こえてくる。

「巫女が、あのように思っているとは知らず……いや、あえて考えないようにしていたという点もあるかもしれないが。本当に、すまなかった」

 ――ええと?

「すみません、陛下?」

「罵ってくれて構わない。いくら女性嫌いだからとはいえ私の言った暴言の数々、許されることではない。許してくれとは言わない。だが……これ以上巫女を傷つけないとここに誓おう」

 そうですか、誓ってくださるのは嬉しいのですが。

「ええと、あの、何についておっしゃっているのですか?」

 ミハヤには何のことだかさっぱりわからない。

「無かったことにしてくれるというのか? だが、そういうわけにはいかない」

「いや、あの、そうじゃなくて。無かったことにするも何も、すみません、本当になんのことについて言っているのかわからないのですが……」

 言うと、アルヴィフリートはキョトンとした目でミハヤを見上げた。

「は? 本当に……? いや、そうか、それはすまなかった。私が謝りたいのは、つまり、そなたの事を誤解していたと言う点だ」

「誤解?」

「ああ、私はてっきりそなたのことを王妃の座欲しさに私との結婚を望んだ悪女だと思っていた。怯える私をからかう様はまるで面白い玩具を見ているかのようで。まさしく悪魔か大魔王、世にも恐ろしい女だと心の底から……」

「へえ……?」

 夫の馬鹿正直なまでの懺悔に、ミハヤはギュッと掌を握り締め拳を作った。

 まあ、何度も口に出して罵倒していらっしゃいましたけど、改めて真剣な顔で言われると、ムカつきもひとしおである。

「だが、クラウスから話を聞き、それが誤解だったと分かったのだ」

「はい?」

 クラウス様が、なにを?

 首を傾げて先を促すと、アルヴィフリートはすっと目線を上げ、ミハヤと目を合わせた。

 金色の美しい瞳が、ミハヤの漆黒のそれを真っ直ぐに捉える。

「そなたは今朝言っていたな、『家族が欲しい』と」

「は、はあ……」

「私はそれを跡継ぎが欲しいと勘違いをし、なんとはしたない女なのだとそのときは思った」

「はあ、そうですか」

 やはりそうとられていましたか。内心、がっくりと肩を落とす。

 どうしてみんな揃いも揃って同じ誤解をなさるのか。

 全員が全員見事なまでにあさっての方向に解釈をしてくれるので、つい胡乱な目つきになって宙を睨む。

 だが、夫は相変わらず真剣な瞳で彼女の目を見つめ、言葉を紡いだ。

「しかし、そうではなく、そなたは、私と信頼しあえる家族になりたいと、そういう意味でそれを望んだのだとクラウスから聞いた」

「は、はあ。まあ、」

「そなたがそこまで孤独を感じ、心から拠り所を探しているなどと、私は思っても見なかったのだ……」

 目尻に涙まで溜めて声を震わせる夫に、どうやら、クラウスは昼間言った言葉の通り上手くアルヴィフリートの誤解を解き、そしていくらか美化をした状態でミハヤの話を伝えてくれたのだということが分かった。

 気恥ずかしさから、わざわざオブラートに包み(そのせいでいらぬ誤解を受けたわけだが)、あえてぼかして言葉にしたというのに、クラウスはそれを綺麗に紐解き、そしていくらかの色をつけて夫に話し聞かせたようである。全く、宰相をやっているだけあって口の上手いお人だ。

「巫女、」

「は、はい」

 金色の美しい瞳が潤むのを見ながら、なぜだかそれを願ったミハヤの方が気恥ずかしさを感じて、顔を俯かせた。

 折角式を挙げたのだから、ある程度は心許せる存在になりたいと気楽に言ったつもりだったが、一体どうしてこんな真剣な話に……。

「以前にも言ったが、私はそなたが望むなら、己に出来うる限りそれを叶えたいと思う。そなたと本当の意味での夫婦になることは、やはり難しいと思うが――だが、そなたがいう『家族』ならば、私にも出来るのではないだろうかと思うのだ」

 アルヴィフリートは、言いながら俯くミハヤの手を取った。

 だが、案の定女嫌いの夫の手は細かく震えている。

 顔を上げると、真摯な光を宿した金色の瞳と目があった。

「我が世界を救ってくれた巫女、そなたが私の望みを叶えてくれたように、私もそなたに何かを返したい。そなたがそのように望むなら、私は心からそなたの『家族』になれるように努めよう」

「陛下、」

 震える掌に包まれながら、ミハヤはふと込み上げる思いに蓋をする。


 ※※※


 私がなによりも望む願い、それは帰郷。

 どんなに見ない振りをしても、ふとした瞬間に郷愁に囚われる。

 もう二度と帰れない場所、二度と会えない人に焦がれるこの思い。

 私は生きていて、そして彼らもきっとどこかで生きている。

 けれど、この場所はとても遠くて、どんなに叫んでも彼らには届かない。

 ねえ、私はここにいるよ。


 沢山の人に慕われ、優しくしてもらっているけれど、家族あなたたちのような無償の愛を、心の拠り所を、心から欲しているのです。

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