08
「で、一体どういうつもりでおっしゃったのですか?」
引き続き、王妃の庭。
東屋に今度はクラウスも加わり、三人の人間はテーブルを囲んで椅子に腰を下ろした。ちなみに、お茶も三人分用意されたが、誰も手をつけようとする者はいなかった。
ただ、クラウスとリーゼロッテの二人は庭の主であるミハヤの顔だけをじっと見つめ、その口から説明がなされるのを待ち続けている。
「ええと、ですね」
ここまで注目されると逆に話しづらい。ミハヤは少し目を泳がせながらどう話したものか思考をめぐらせた。
「とりあえず、跡継ぎが欲しいという意味合いで『家族が欲しい』とおっしゃったわけではないことは分かりましたが。では、なぜあのような言葉を?」
「そうよ、跡継ぎ欲しさじゃないのなら、一体なにが欲しいわけ? ペットかなにか?」
「いや、そういう意味でも無くて……」
首を振って、ミハヤは身を小さくする。
改めて考えてみると、自分はなんてとんでもない発言をしてしまったのだろう。
だから願いを告げた後、陛下はあんな絶望的な顔をしたのか。
まあ、それもまた失礼な話だが。
「ミハヤ様、今度なにかなさる際には女嫌いの陛下のご心情も少しは考えて下さいますようにお願いいたします。執務室に戻っていらっしゃった時の陛下は、あまりにも憐れなご様子で目も当てられないほどのうろたえ様だったのですよ。昨夜は押し倒され、今朝は『家族が欲しい』と意味深な発言をされ、あの方の精神的負担がどれほどのものか、想像するくらいは貴方にもできましょう」
「うぐ……それは、確かに昨日はやりすぎたと反省していますよ。でも、最初は強気な姿勢で行ったほうが後々事を進めやすいと思ったんですもん」
「ほう?」
「それにあちらの反応も色々と知りたかったですし……」
「そうは言っても物事には適した度合いというものがあるのをご存知でしょうか? おかげで陛下だけでなくエレンまでもが怒りで我を失い、宥めるのに朝から随分と骨を折りました」
「エレン様というと、確か陛下の乳兄弟で侍従をやっていらっしゃる……?」
「ええ、生まれたときから陛下に仕え、陛下が全て、陛下に害為す全てのものからあの方をお守りするのだ、と頑なに思い込んでいる憐れな男ですよ」
その一瞬、クラウスは疲れたような表情を浮かべて遠くを見つめた。
「そして――今回の結婚に大反対の意を示していた者でもあります。私は彼がいつミハヤ様のところに直訴にいくか、内心ヒヤヒヤしているのですよ。御身のためにも、これ以上彼を挑発するような言動はくれぐれもしないようにお願いいたします」
表面では笑いながらも、厳しい瞳で窘められミハヤは苦笑いを浮かべた。
「あ、あはは……」
「笑い事ではありません。それで、今回の発言についてのご説明は?」
「そうよ、笑って誤魔化そうだなんてそうはいきませんからね」
「……え、ええと」
これではまるで蛇に睨まれた蛙だ。
美人と冷笑の真摯に左右から睨まれ、ミハヤはポリポリと頬をかきながら、渋々口を開いた。
「だ、だからですね、その言葉のとおりなんですが……」
「言葉のとおり?」
リーゼロッテは片眉を上げる。
「そう、陛下と私は昨日式を上げて、夫婦になりました。夫婦、つまり家族でもあるわけです」
「ええまあ、そうね。で?」
「でも、家族と言っても本当の家族ではないでしょう?」
「……はあ?」
意味が分からないわ。
「式を挙げれば他人がすぐ本当の夫婦になれるわけじゃないでしょう? 特に私たちは愛があって夫婦になったわけじゃないし、私が陛下に“お願い”をして、式をあげた。だから私たちはまだただの他人で、陛下が私を拒む以上おそらくこの先本当の夫婦になることはないでしょう」
言葉を紡ぐミハヤに、リーゼロッテはやはり意味が分からないと手を振った。
「ごめんあそばせ? もっと簡単に話してくださるかしら」
男女が結婚をすれば、それはもう夫婦となるのではないのか?
愛があって夫婦になったわけではないからとミハヤは言うが、それはこの国の貴族たちにしてみればごくごく普通のことである。
一体、それの何がおかしいのか、リーゼロッテにはさっぱり理解できない。
「ええと……」
「つまりミハヤ様は『夫婦』というものは愛し合い式を挙げ夫婦になった者たちのことをいっているのですよ」
上手く説明できずにいるミハヤを見かねたのか、一足先に理解したらしいクラウスが言葉を引き継ぐ。
「我が国ではそういった『夫婦』の方が少ないですが、ミハヤ様の国では互いに愛情を持ち、信頼関係を築いた者たちを『夫婦』と呼ぶのでしょう」
訊ねるように言われ、ミハヤはそれにコクンと頷いた。
一方、リーゼロッテは呆れたように吐息を落とし、頭を抱える。
「はあ、相変わらずなんて能天気な国なのかしら、貴方の祖国って。だから貴方は頭の中までお花畑なのね」
「そこまで言いますか……」
「まあ、まあ。それより続きを聞きましょう。とりあえず『夫婦』像までは分かりました。それで、ミハヤ様が欲しがる『家族』というのは?」
「……今クラウス様が言った『夫婦』の関係にすごく似ています」
「ふむ。ということはつまり、ミハヤ様は陛下と結婚したからには互いに愛情を持ち、信頼関係を築いた仲になりたいと?」
「ええ、まあ」
愛情云々の点については恋愛の情ではなく、親愛の情であるのだが。
「理由はどうあれ、折角夫婦になったのですから、恋愛関係は無理だとしても、だからといって互いに無関心でい続けるのもあまりにも悲しいでしょう?」
だから、せめて少しでもお互いの心の拠り所になれればと思ったのだ。
本当は、昨夜そのことについて伝えようと思っていた。アルヴィフリートがあまりにミハヤを拒み、暴れるので、つい意地になりあのような意地悪をしてしまったが、本当はこれからのことについて話し合うつもりでいたのだ。
愛情も無しに結婚をした、これからの二人の関係について――
「なんって図々しいのかしら!」
と、回想に浸っていたミハヤの思考を傍らのリーゼロッテの声が引き戻す。
「王妃の座を手に入れた挙句、その上陛下の愛情まで欲しがるなんて、どれだけ貪欲な女なのかしら、貴方って人は」
「あら、帰ることのできない異世界で心を許せる家族を見つけようというのがそこまで卑下されることでしょうか?」
「相手が悪いのよ、本当に貴方は――」
――パチパチパチ
「!?」
息巻く女たちの傍ら、不意に拍手の音が鳴り響き二人は目を見開いて傍らの男性を見やった。
「ク、クラウス様! なぜ拍手をしていらっしゃるの? この女のあざとさについて、なにかおっしゃることはなくて?!」
だが、クラウスはなぜか笑みを浮かべてミハヤに拍手を送り続ける。
「言うこと? そうですね、是非頑張っていただきたいと思いますよ」
「はあ?!」
リーゼロッテは信じられないと声を上げる。
一体、この男はなにを言っているのか。
「いやはや、ミハヤ様を王妃に推してよかった。今回ばかりは私も惑いましたが、ですが、ああ、本当に貴方が陛下に嫁いで下さってよかった。あ、陛下たちのことはお気になさらずに。私が適当に誤魔化しておきましたから。また、戻り次第貴方の本意を伝えておきましょう」
「それは、どうも……」
流石のミハヤも拍手を送られると思っていなかったらしく、呆けた顔で頭を下げた。
「ミハヤ様にはこれからも頑張っていただかなくてはなりません。なにか不自由なことがありましたらすぐにでもお言いつけください。貴方の為でしたらすぐにでも飛んで参りましょう」
「はあ……ありがとうございます?」
一体、なにが彼の琴線に触れたのか。来た当初、あんなにピリピリとしていたのが嘘のように、初老の紳士はそうして笑顔のまま去っていった。
(あの人の考えていることはわからん……)
一方、残されたリーゼロッテは宰相であるクラウスがミハヤを許してしまった為、これ以上の文句を言えずもどかしい気持ちを持て余していた。
が、しばらくして彼女の中で捨て台詞が決まったらしい。
「サトウミハヤ……」
「え? はい」
「覚えておきなさい。午後のレッスンはいつもの倍以上厳しくしてやるから!」
言い捨てて、リーゼロッテもまたぷりぷりと怒りながら中庭を去っていった。
「ええ? ええぇ……」
折角の休息がとんだ茶会になったものだ。
午後の授業を思い、ミハヤはそっと手で目を覆ったのだった。