06
「まったく、困った方」
テーブルを挟み向かい側で食事をとる夫に、ミハヤはこれみよがしに溜息をついた。
身投げしようとするアルヴィフリートをなんとか押しとどめ、部屋に戻したのがおよそ一時間前。それでもパニックを起こし動揺する彼を宥め賺して、老年の侍女長たちに着替えを手伝わせた。
どうしてか彼は、若くはない――といっては失礼だが、それなりに年を召した女性に対してだと態度が平常に戻るらしい。彼が幼い頃から仕えているからなのか、それとも特別“若い女性”に対してトラウマがあるのか、それはよくわからないが。
今、食事をしているときも、先ほど着替えを手伝ってもらっていたときも、ミハヤや二人を起こしにきた侍女たちに見せたような過剰反応をみせることなく、ごくごく普通に振舞えている。それでも若干、挙動不審気味なところもあるのだが、それは同じ部屋の中にミハヤと、若い侍女たちが侍っているからで、老年の侍女たちのせいではないだろう。
「まさか朝っぱらから身投げなさろうとするなんて、心臓が止まるかと思いましたよ」
やれやれ、と首を振って茶を飲み干したミハヤに、側に控えていた侍女ユーディリアが新しいお茶をカップに注いでくれる。
麗しい金髪に青色の瞳をした美人の侍女は、アルヴィフリートとの婚礼の支度を手伝ってくれた侍女のうちの一人だ。
ありがとう、と言って茶を受け取るミハヤに、ユーディリアは美しい微笑を返す。
(こんなに綺麗な侍女たちなのに、それが畏怖の対象になるなんて、本当に難儀な人だなあ……)
ちら、と夫の方に視線をやり、ミハヤは呆れながら思った。
妻とその侍女たちの一挙一動を、内心怯えながら観察する夫。平常心を装っているのだろうが、ミハヤが動くたび、そして侍女が配膳をするたび、アルヴィフリートの身体はビクリビクリとかすかに跳ねる。
おそらく昨夜のミハヤの行き過ぎた行動も原因となっているのだろうが、女たちの中に留まるぐらいなら身投げした方がマシとは、重症すぎて笑う気も起きない。
「陛下って、本当に目も当てられないくらい女性が苦手でいらっしゃるんですね」
溜息交じりに言うと、アルヴィフリートは食事をする手を止めて、ジトと恨めしげな視線を寄越した。
「だから、私は最初からそう言っているではないか」
「まあ、聞きましたけど」
まさかここまでとは思ってなかったので。
しれっと言うミハヤに、アルヴィフリートはわなわなと身体を震わせる。
「お前は本当に悪魔のような女だな。人の弱点をついて好き勝手するなど、恥ずかしくないのか」
「いや、恥ずかしくないのか、と言われましても……」
正直に言うと、少し楽しかった。加虐趣味を持ったことは無いが、怯えるアルヴィフリートをからかうのは……言っては悪いが、いいストレス発散になったのである。
「嫌がられるのをみると、ますますしてみたくなるのが人というものではありませんか?」
「そんな悪趣味、お前だけだ」
「でも、芸人の世界では『押すな』は押せ、『やめろ』はもっとやれ、の意味になりますし」
「芸人?」
アルヴィフリートは首を傾げるが、そもそもミハヤは芸人でもなんでもないので、説明したところでその理屈は否定されて終わることだろう。
「お前の国の常識はよくわからん。とにかく、我が国では女が嫌がる男の腹に乗っかり、腕を拘束した挙句、服を脱がそうとするなど言語道断。いるとしたらそれは痴女か性犯罪者だけだ」
言う彼に、周囲の雰囲気がざわつく。
そりゃ、日本でだって嫌がる男の人をどうこうする女性が普通かといったらノーだろう。そも、女性に限らず嫌がる異性をどうこうすること自体あれなのだが、しかし今はそんなことよりも。
「あの、陛下? よく人前でそんな恥ずかしいこと言えますね」
ここは王族用の食堂で、食事をしているのは彼と自分の二人しかいない。が、しかしその世話をするため十何人かの侍女たちが侍っているのだ。
聞かぬフリをしていた侍女たちの視線が、今度ばかりは自分に集まるのを感じ、ミハヤは羞恥心から頬が赤くなるのを感じた。ついで、アルヴィフリートもようやくそれに気づき、八つ当たりのように声を上げる。
「お前がしたことだろうが!」
「いや、まあそうなんですけど。別にこんな人目のある場所でおっしゃらなくても……」
これは、後で絶対問い詰められるだろう。世話をしてくれる侍女たちと仲良くなるとこういうときが厄介だ。
ミハヤは火照る頬を押さえながら、またアルヴィフリートに向き直り、口を開いた。
「昨夜のことは、確かに自分でもやりすぎたな、と反省しております」
正直、今思えばあの時の自分はどうかしていた。
彼があまりにも暴れ、嫌がるものだからこちらもつい向きになり色々と調子に乗りすぎてしまったのである。
(……でも、まさかそれであそこまで体調を崩すなんて思っても見なかったんだもの)
宰相のクラウスに事の次第を伝えると案の定、驚かれ、初日に二度も夫を気絶させるなんてとお小言を戴き、早急に侍医が寄越された。
「本当に、申し訳ありませんでした」
今後はもう少し自重することにしよう。
心の底から反省したミハヤだったが、一方のアルヴィフリートは戸惑いの表情を浮かべて彼女を見返した。どう反応を返していいか分からないのだろう。
(まあ、そりゃあ、信用ならないよねえ……)
はあと溜息をついて顔を上げようとした時、
「……別に、よい。分かってくれたのならそれで」
ぽつりと予想外の言葉が聞こえてきた。
「許してくれるんですか?」
「許すも何も、私の方にも落ち度があった。巫女の望むもの、何であっても叶えると言って置きながら、あのように動揺し……まあ、この欠点は治せそうにもないのだが。けれど、それに関すること以外なら。約束に違わずお前の求める全てを叶えたいと思う。この国の王として、ミハヤ=サトウの夫として」
真摯に言葉を紡ぐ彼はまさしく世に賢帝と謳われる国王の姿をしている。先ほど慌てふためいていた彼の変わり様に、侍女たちはみっともない姿など忘れてしまったとでも言いたげに感嘆の溜息をついた。
「なにか不自由なことがあればすぐに言ってくれ、私でなくとも、クラウスや侍女などを通してでもよい」
食事を終えて立ち上がろうとする彼を追ってミハヤも立ち上がる。
「陛下……」
「なんだ」
振り向く彼の目は、しっかりとミハヤの目を捉えていた。それを見て、ミハヤも同様にその目をじっと見つめ返した。
「もし、本当に私の願いを叶えて下さると言うのなら、」
一つお願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?
いつになく真剣な彼女に、アルヴィフリートは首肯して続きを促した。
――紡がれる言葉が、彼を地獄へ突き落とすものだとも知らずに。




