02
純白のドレスに、可愛らしい花のブーケ。海沿いに建てられた西洋式の教会で、親しい人たちに囲まれながらこの世で一番愛しい人と一生の愛を誓う。二人手に手を取り合って、これから先の人生を互いに支えあって生きていくのだと。病める時も健やかなる時も、どんなときもずっと一緒にいるのだと。
「本当に、素敵なお式でしたわ」
乳白色の湯船につかり、湯に浮かべられた桃色の花弁を見るともなしに眺めていたミハヤは、そんなうっとりとした囁きを耳にして思わず噴出しそうになった。
振り返れば、王妃付きの侍女であるナティーシャが夢見る少女の瞳でタオルを握り締めている。
「素敵な式、ねえ」
侍女の言葉を鸚鵡返しに呟いて、ミハヤは漏れそうになる笑いを隠しチャプンと口元まで湯に使った。
広々とした浴室にはナティーシャとミハヤのほか人はいない。
本来、王妃の入浴とあればもっと沢山の侍女がその世話をするのだろうけれど、生粋の庶民生まれであるミハヤにとって大勢の他人に裸を見られるのはもってのほかである。大勢でなくても恥ずかしいのだが、その辺りはミハヤの羞恥心と侍女たちの仕事にかける熱意との間で様々な話し合いが行なわれ、結果入浴時でも最低一人は世話役をつけるということになったのだった。
「そういえば、ナティーシャは今日の昼間休みをとって広場からお披露目を見ていたのだっけ?」
プハッと湯から顔を上げ訊ねると、ナティーシャはすかさずハンドタオルを手渡しながら答えてくれた。
「はい。本当ならばミハヤ様のお傍近くに仕え、婚礼のお支度を手伝いたかったのですが、残念ながらユーディリアたちに役目を取られてしまいましたので……」
プクッと顔を膨らませて言い、ナティーシャは残念そうに目を伏せた。
ユーディリアとは彼女と同じくミハヤの侍女をしている女性の一人だ。彼女達の主であるミハヤと国王の婚礼に際し、誰がその支度を手伝うか、侍女たちの間でひそかに争奪戦が行なわれたらしい。どうやらくじ引きをして決めたようなのだが、残念ながらナティーシャはその役目から漏れてしまったのだという。
「私としては全員手伝ってくれても良かったのだけどねえ」
むしろ、最初はそのつもりだった。
そもそも、ミハヤ付きの侍女はそれほど多くない。入浴時に限らず、ミハヤは基本一人でなんでもできるため、顔と名前が一致する程度の侍女しかつけていないのだ。
その侍女たち全員を集めたとしても、それほどの大所帯になるわけでもない。むしろ王妃となる者の世話をするのだからこれぐらいは当然という適度な人数が揃う。
しかし――
「陛下が人数を指定なさったのですから、仕方がありませんわ」
本日付でミハヤの夫となった国王陛下は直々に、ミハヤが連れ立つ侍女の数を指定してきたのである。
「侍女の数を少なくしろだなんて、何様だって感じだよねえ」
そりゃ、女嫌いの国王様にとっては必要不可欠な条件なんだろうけども。
それでも、このお願いはちょっとどうかと思う。侍女の数は王妃の権威でもあるのに、それをわざわざ減らしてくるだなんて……。
正直、権威うんぬんはどうでもいいのだが、沢山の侍女を引き連れ陛下の反応を見ようと思っていたミハヤは初っ端から出鼻をくじかれてしまいやるせない気持ちでいっぱいだ。
結局、式には衣装等の支度に最低限必要な人数だけを連れて臨むこととなり、残念ながら抽選に漏れた、ナティーシャは広場から御披露目を見ることとなったのであった。
「でも、お二人の口づけの場面を近くで拝見することができなかったのはかなり残念です……」
心の底から悔しそうに言う侍女に、ミハヤは今度こそ噴出した。
口づけをした瞬間の、あの陛下の顔。思い出すだけで笑いが込み上げてくる。
「あの、ミハヤ様? どうなさいました?」
クスクスと肩を震わせて笑い続ける主に、ナティーシャは首を傾げた。
「いや、なんでも。というか、そんなに他人のラブシーンなんか見たいものかねぇ」
「当然です! なんといっても、我らが国王陛下と国を救った姫巫女様とのキスシーンですもの。御伽噺にある物語の様で私うっとりしてしまいましたわ」
両手を握り合わせナティーシャは頬を染める。
うっとり、か……。
だが、彼女が頬を染めるような場面ではなかったことを、当事者であるミハヤはよく知っていた。
(……彼女の夢を壊すのは少々忍びない気もするけれど、後から他の侍女にでも聞かされるだろうし)
「あのさ、ナティーシャ。夢見ているとこ悪いんだけど、してないよ、口づけ」
「……え?」
大きな茶色の瞳を点にして、彼女は固まった。
「し、してないってどういうことですか」
驚いていても、湯から上がったミハヤにタオルを手渡すのを忘れないあたり流石ベテラン侍女である(彼女は十一の時から城で働いているそうだ)。
「そのままの意味だよ。あぁ、でもちょっと違うかな? 口づけはしたけど、唇と唇が触れたわけじゃなかったの」
「と、仰いますと……?」
「陛下の唇が触れたのは、ここ」
言ってミハヤは自分の唇から少しずれた位置を指差した。
あの時、できたてほやほやの新妻と期待を満面に滲ませた国民とに死刑宣告――もとい妻との接吻を迫られた陛下は、最後の最後で唇同士の接触をぎりぎり避けた。離れたところにいる国民からは口づけを交わしたように見えるよう、しかし実際には触れ合わないすれすれの場所に、彼は口づけを落としたのである。
それはあの数瞬、彼の頭に色々とよぎった葛藤の末の妥協案だったのだろう。
(本当、上手く逃げたよねぇ……)
が、それでも本人は大ダメージを受けたらしい。テラスから室内に戻った途端嘔吐を訴え、彼は控えていた従者達(♂)によって寝室へと運ばれていった。
「本当、失礼しちゃう。今頃自室でうなされていることでしょうよ」
「……」
夫が精神的な瀕死状態に陥っているというのに、どこか楽しそうに語る主に、ナティーシャは一瞬どう反応を返していいか迷った。
「……ミハヤ様って、一体陛下のことをどうお思いなのですか?」
「ん? ふふふ」
笑って誤魔化す主に、ナティーシャはますます表情を曇らせる。
「でも、ただ口づけをしただけで気を失われたのでは、先が思いやられますわね。特に今宵は……」
途中で言葉を切り、おもむろに窓の外を見上げる彼女に、ミハヤも同じように空を仰ぎ口の端を上げた。
空には美しい星たちが輝いている。まるで国王夫妻の結婚を祝福しているかのようだ。
今宵はもう一つ一大イベントが残っている。式を挙げた夫婦たちが皆共通に通るだろう道。
――そう、“新婚初夜”がミハヤたち国王夫妻を待ち構えているのだった。