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漆黒の姫巫女、愛しの陛下  作者: motomi
第一章:漆黒の姫巫女
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 ドタドタドタ。

「キャー!」

「わー、そっちに行かれたわよ!」

「いやー!」

 ドタ、ガタン!

「っ……は、はあ……」

 女性たちの波を抜け、ようやく廊下と部屋とをつなぐドアの内に入り込んだアルヴィフリートはドアに背を預け、そのままズルリとしゃがみこんだ。

 ――し、死ぬかと思った。

 彼が経験したのは挙式の日以来の地獄。いや人数が多い分、今日の方が尚更性質が悪いといえよう。震える体を撫でさすり、アルヴィフリートは浅くなった息を落ち着けようと深呼吸を繰り返した。

 女性特有の化粧と香水の匂いに男を惑わす高い声。

 背後のドアを開けばまた同じ地獄が広がっているのだと思うと、それだけでぞっとする。


「はあ」

 ようやくなんとか心を落ち着けたアルヴィフリートは、一つ溜息を落として視線を上げた。

 ――王妃の私室。

 ……といっても、ここは家でいう玄関のようなもの。目の前数歩先にはまた奥の部屋へと続く扉が佇んでいる。

 扉を開いて、また若い女性陣がずらりと立ち並んでいたらどうしたらいいだろうか。

 寸の間そんな不安がよぎったが、扉の内側からは教養を受けているらしいやりとりが聞こえてきた。

「だから、そこは――で、こうだと言っているでしょう」

 教育係である女性に叱られてでもいるのか、ヒステリックな声が響いた後、「あ、はあ、すみません」と苦笑交じりで謝罪する声が聞こえる。

「……」

 ああ、巫女の声だ。

 同じ女であるというのに、こうも印象が異なって聞こえるものなのか。

 漏れ聞こえてくるミハヤの声に、アルヴィフリートはなぜだか心が浮上するのを感じて吐息を落とした。

 この扉の先に、巫女がいる。

 そうしてゆっくりと立ち上がり、目の前の扉を二度ノックする。


「――はい」

 と、最初に聞こえてきたのは侍女の声。

 ついで扉が開かれ、以前ミハヤの部屋を訪れた際と同じ侍女が顔を出した。

「教養の講義中すまない、巫女と話がしたいのだが」

 要件を告げると、彼女はちょっと驚いたように目を見開き、そしてしばらく考えた後「どうぞ」と彼を迎え入れた。


「失礼する」

 アルヴィフリートが室内に入ると、部屋の中央には三人の女性――ミハヤと教育係の女性、そしてもう一人侍女の姿が見える――が集まり教養の講義をしていた。

「陛下……」

 夫の声にふと顔を上げたミハヤは、目があった瞬間気まずげな表情を浮かべてその場に固まる。

「講義中、突然訪ねて悪かったな」

「は、いえ……」

 固まるミハヤを他所にほかの女性たちはすぐさま一礼だけしてその場を去り、残されたアルヴィフリートは「失礼」と言ってミハヤの正面へと腰を下ろした。

 それから、じっと彼女の顔を見つめる。

「……」

 顔色が悪いわけではないから、体調はいいのだろう。

 少しほっとして、けれども視線を合わせようとする度にスイッとそらされる瞳に、いつもの彼女ではないことを思い知らされる。

 女達は喧嘩をしたと言っていたが、まさか本当になにかについて怒っているのだろうか?

 しかし、それにしては雰囲気がピリピリしているわけでもない。

 ――一体、彼女は何を考えているのか。

 訝しげに眉を顰めて更に視線を送り続けると、

「あの、陛下」

 流石に気まずさに耐え切れなくなったのか、ミハヤの方から問いかけがなされた。

「なんだ?」

「……よく気絶されませんでしたね」


 開口一番聞くことがそれか。

 ガクッと若干呆れながらも「まあな」と呟き、「死ぬかとは思ったが」と恨めしげな視線を送る。

「どうやら我が妻は私を殺したいほど怒っているらしいな」

 冗談半分でそう口にすると、しかしミハヤはまたも気まずそうに目を逸らして黙り込んでしまう。

「……なにか怒っていることがあるのか?」

「べつに」

 訊ねるが彼女に応えるつもりはないらしく今度は顔を俯かせ床を睨む。

「クラウスからそなたがもう私と顔を合わせたくないと言っていると聞いた。本当か?」

「……はい」

「家族が欲しいといったのはそなただったが、それはもういいのか?」

「……」

 目を伏せたまま、また黙り込む。

「なにか私はそなたの気に触るようなことをしてしまったか?」

「いえ」

「それでは、エレンがなにかそなたに言ったか?」

「……」

「黙っているばかりでは分からん。なんでもいい、話してくれ。これでは死ぬ思いまでしてここに来た意味が無駄になる」

 焦れてそう言葉にすると、ミハヤはしばし悩んだ後今にも消え入りそうな小さな声でぽつり呟いた。



「――私、この国が嫌いです」

 震えた声が空気を揺らす。

「この国の人々も、陛下も、大嫌い」

 嫌悪を示す言葉とは裏腹に、声には懺悔でもするかのように後ろめたい響きが含まれている。アルヴィフリートは、一瞬眉根を寄せ、しかしそのまま口を噤んで続きが話されるのを待った。

「以前お話しましたよね、私ここに来る前はちょうど高校を卒業して春から大学に通う予定だった、と」

「ああ」

「大学に通って介護士の資格をとって、祖父母や両親の面倒をみるつもりだった。大学に入ったらバイトやサークルにだって入りたかったし、あちらには大切な家族や友達だって沢山いた」

 それなのに――

 ようやく上げられた視線がアルヴィフリートを捉える。

「突然わけの分からない世界に召喚された私の気持ちがわかりますか? あるはずだった人生を奪われて、巫女という意味不明な役目を押し付けられて……」

 こんなところ、来たくなかった。

 彼女は言う。

「貴方達はあちらで生きていた“私を殺した”のよ。巫女になって世界を救えと言われてその通りにしたけれど、本当はただただ恐ろしかっただけ。巫女を拒否したらどうなるか、怖いくらいに想像ができた。人生を奪われ、勝手に救世主なんて大役を押し付けられて……それでも、それを拒むことの出来なかった私の気持ちが、貴方にわかりますか?」

「巫女……」

「――こんな世界、嫌い」

 ――ぽた。

「大嫌いよ」

 気がつけば、涙が頬を伝って落ちていた。

 後から後からあふれ出てくるそれを慌てて掌で拭いながら、ミハヤはまた顔を下へと俯かせる。

「エレン様に言われて、改めて自分の中にある感情に気づきました。私は貴方達を酷く憎んでいる。陛下との結婚を望んだのも、クラウス様に頼まれたからじゃなくてなにか仕返しをしたかったから」

 そしてどこかで『巫女という役目を果たしたのだからこれくらい当たり前だ』と思っている自分もいたかもしれない。

「これ以上、お傍にいたら私はあなたを傷つけるでしょう。そうなる前に、――解放して差し上げます、陛下」

 顔を上げて涙ながらに笑みを作ったミハヤは、

「……?」

 次の瞬間、なにか大きなものに包まれるのを感じて目を瞬かせた。



 それは挙式の時にも感じたぬくもり。

 彼女よりも一回り大きいそれはすっぽりと彼女を包み込み、そして緩やかに彼女を抱きしめた。

「――って、陛下!? ちょっと、放してください!」

 また気絶するつもりか。

 ミハヤは慌てて両腕を突っ張り、体を離そうと試みる。

 折角身を引いてやるといっているのに、これでは飛んで火にいるなんとやらである。

「陛下っ」

 しかし、両腕に力を込め精一杯離れようとするミハヤとは反対に、アルヴィフリートは一層の力を込めて抱きしめようとする。体にじっとりと冷や汗をかき、小刻みに震えてすらいるくせに彼はミハヤを放そうとしない。

「……あの、」

 力で駄目なら言葉で説得を。どうせ男と女では男の方が力は上なのだ。

 観念して口を開いたミハヤは、その刹那

「ミハヤ」

 耳元に落とされた呟きに、固まった。

「解放など私は望んでいない。それどころか、最近の私はそなたといることに安らぎすら感じることがあるのだ」

 ――ミハヤ。

 もう一度、囁くように名前を呼ばれる。

「私はもう、そなたを家族のように思い始めているらしい。……外の女たちが言っていた。これは“喧嘩”なのだろう? ならば、私は跪いて妻の許しを請えばいいだろうか」

 固まったままのミハヤを一度引き離し、アルヴィフリートはそっとその片手を取って膝をついた。

「って、何しているんですか!」

 正気に返り腕を振り解こうとするが、やはり放してはくれない。

 こんな場面、リーゼロッテに見られたら絞め殺されそうだ。

 顔を真っ赤にして喚くミハヤに、アルヴィフリートはまた彼女の名を呼んで真摯にその瞳を見上げた。

「親愛なるわが妻、そなたの素直で真摯な心根が私は好ましいと思っている。この国が嫌いだとそなたは言ったが、一方で深く愛してもいるのだろう?」

「なっ……」

「そなたの様子を見ていればわかる。どのような相手に対しても感謝の心を忘れず、そして彼らからも慕われる、そんなそなたが、嫌悪だけを抱いてこの国にいるはずがない」

 外の女たちも、そして彼女の侍女もクラウスも彼女を知る者は皆、彼女について話す際に不思議と和らいだ表情になる。感謝、敬愛、親愛の情。それらは、おそらく彼女自身が彼らに対し同様の感情を抱いているからこそ、接する彼らも同じように彼女を慕うのであろう。

 ……もし、

 アルヴィフリートは懇願する。

「もし、私のことも少なからず思う心があるのなら、お願いだ、どうか私を拒まないでくれ」


 触れられた手が小刻みに震えている。だが、それが彼によるものなのか、それとも自分のものであるのか、ミハヤには分からなかった。

「ミハヤ、私はそなたと本当の意味での夫婦になりたい」


 ――ああ、もう一体なんだというのだろう。

 目尻に溜まっていた涙が再びポロリと零れ落ちる。

 本当に、この国の人たちは私の心に入り込むのが上手いんだ。


「陛下、」

 次から次へと込み上げる涙を片手で拭いながら、ミハヤは掴まれた方の手をぎゅっと握り返し夫の瞳を見つめた。

 金の瞳と漆黒の瞳が綺麗に向かい合う。

 そして、ミハヤはたった一人の家族に向かって心からの笑みを浮かべた。

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