13
「どういうつもりだ? クラウス」
「どういうつもり、とは?」
入るなり己に詰め寄る主に、クラウスはけれど平然とした様子で問いを返した。
国王執務室。主より早く部屋に入り執務の準備をするのが宰相の役目であり日課。いつもならばそこにエレンの姿もあるのだが、なぜか今日は姿が見えず、クラウスは一人で書類の整理を行なっていた。
「巫女のことだ。今後食事をともにとることはやめると言ったそうだが、本当か?」
再度訊ねると、クラウスは微笑を浮かべて首肯する。
「ええ、本当のことでございます。良かったですね、陛下」
「良かった?」
眉根を寄せて顔を上げると、クラウスはアルヴィフリートの反応こそ理解できないという様子で片眉を上げた。
「以前『どうにかして巫女に触れず、近寄らず結婚生活が送れるかを考えろ』とおっしゃったのは貴方様ではございませんか」
「――っお前、それを巫女に?」
「いえ、伝えるわけがございません。……此度のことはミハヤ様の方から申し出があったのです。もう陛下の傍にはいたくない、王妃を辞めるつもりはないけれど公務の時以外は顔も見たくない、と」
――そんな
「……私は、なにか巫女の気にさわるようなことをしたのか?」
「さあ? ですが、ミハヤ様も最初からおっしゃっていたではありませんか。王妃は全ての女性の夢、一国を救ったご褒美に、優雅で豪華な余生を送りたい、と」
確かに、彼女は式の当日そう言っていた。
それを聞き、アルヴィフリートはなんと傲慢な女だろうかと嫌悪感を抱いた。
しかし、その一方でミハヤは私と家族になりたいとも言ったのだ。
折角結婚をしたからには、『お互いを愛し、信頼し合える仲』になりたいのだ、と。
「……陛下に構っていたのは、おそらく女性ならではの気まぐれだったのでしょう。顔の整った異性を傍におきたいというのは男女ともにあること。それゆえ初めは陛下に執着なさっていたのでしょうが、きっともう飽きがこられたのですよ」
良かったではありませんか。
クラウスは再度そう言ってこちらを見やった。
「ミハヤ様の方からそう『望まれた』のです。もう彼女との過剰な接触により体調を崩したり、気絶したりすることもなくなりましょう。昨夜も体調を崩されたとお聞きしました。やはり此度の結婚には無理があったのですよ。……救世主たる巫女様なら大丈夫だと思いましたが、どうやら私の考え違いだったようですね」
「――がう」
アルヴィフリートは無意識に口を開いていた。
「違う、それは違う」
「陛下? いかがされました」
「違う、違うのだ、クラウス」
呟くように繰り返すアルヴィフリートにクラウスはうかがう様な眼差しを向ける。
「なにが違うのですか、陛下」
「私は、」
しかし、アルヴィフリートは彼自身、咄嗟に口から出た言葉が信じられない様子で戸惑いの表情を浮かべて空を見つめた。
――巫女との結婚は間違いだった。
それは確かにアルヴィフリート自身ずっと思い続けたことであった。
『巫女の望むもの例えどのようなことであっても、私に可能な限りそれを叶えよう』
この言葉を言った自分を何度呪い、何度時間を戻せればと後悔をしたことか。
女との結婚など、自分にとっては自殺行為に等しい。
現に式の途中で気絶をし、初夜ではぶざまな格好を散々晒した挙句にまた気絶した。
結婚して数日だというのに、思えば彼女には数え切れないほどの苦しみを味わわされてきたことか。
けれど、
『――陛下』
にこやかに笑い、アルヴィフリートを呼ぶ声。
『それでは陛下、私は貴方様との結婚を所望いたします』
『習うより馴れろ、ショック療法という言葉もありますし、案外ショックで女嫌いが直るかもしれません』
――そんなことあるか!
『あら、試してみなければわからないじゃありませんか。さあ、仲良くいたしましょう?』
『気分はいかがですか、陛下』
――最悪だ。
『どこか、痛いところはありませんか? 吐き気がしたり、頭痛がしたりすることは』
――……ない。
『家族とは、切れぬ絆だと私は考えています。時に喧嘩をし、反発しあうこともありますが。けれど最後にはやはり『家族』のもとへと帰るのです。風邪を引けばお互いを心配し、うれしいことがあれば分かち合う。悲しい時は慰めあい……『家族』というのは、そうした心の拠り所なのではないでしょうか』
――そのような家族になれると思うか?
『さあ? どうでしょう。……何事も努力次第だと思いますよ』
気づけば、あんなにも拒んでいた“女”に自ら歩み寄ろうとしている自分がいた。
巫女の望みを叶える、その言葉が今も自分を縛っているのかもしれない。
けれど一方で、純粋にミハヤという女性に興味を抱いてもいた。
だから女嫌いというトラウマを抱えながらも、彼は体調を崩しても尚彼女のもとへ通うのをやめなかったのだ。
最初の頃はあんなにも嫌悪していたというのに、今は「もうそばにいたくない」と言われたことの方がよほど心に痛く突き刺さっている。
「そうか……」
――私はもう彼女を“家族”として考えているのかもしれない。
その考えはコトリと彼の中で腑に落ち、そして静かに心の中で溶けていった。
「クラウス」
「はい」
「悪いが、今日の執務を午前中いっぱい取り消して欲しい」
「は?」
クラウスは目を瞬いて己の主を見つめ返した。
「急ぎの仕事が溜まっていることは理解している。が、それよりも早急にしなければならないことができた」
「……しなければならないこと、とは?」
眉を顰め問われる。
――自分がまさかこのようなことを言い出すとはな。
アルヴィフリートは若干の気恥ずかしさと、そして自嘲の笑みを浮かべて口を開いた。
「妻の、ご機嫌伺いに行ってこようと思う」
「――はい?」
「ミハヤは自室か?」
「あ、ええ、おそらく。午前は教養を受ける予定になっているかと……って、陛下?」
クラウスの言葉を聞くや否や、アルヴィフリートは踵を返して部屋を飛び出していく。
おそらくミハヤの部屋へと向かうのだろう。
――やれやれ。
その後、一人部屋に残されたクラウスは、去っていく主の背中を見送りながらニタリと企むような笑みを浮かべた。
「さて、賭けはどうやら私が優勢のようですね。女性嫌いの陛下が果たして無事にミハヤ様の元まで辿り着けるかどうか……まだまだ目は離せませんが」
とはいえ、
「国王夫妻が仲直りされるまでの間、しがない僕である私は少しでも仕事を片付けておきましょうか」
言って、クラウスはチリンと呼び鈴を鳴らし「すまないが、お茶を持ってきてくれないか」お茶を頼み執務机へと向かったのだった。
※※※
「……これは、一体なんの嫌がらせか」
ミハヤの部屋を訪ねようと歩みを進めてきたアルヴィフリートは、予想外の光景に足を止めた。
目の前には、長い渡り廊下。
その奥には王妃の生活する私室があり、クラウスが言うにはミハヤはそこにいるらしいのだが。
「ご機嫌麗しゅう、陛下」
その渡り廊下の端から端までを、なぜか妙齢の若い女達が埋め尽くしている。
城内でよく見かける侍女から、夜会で顔を合わせる貴族の令嬢、そしてどうやって声をかけたのか神殿に仕える女神官や商人の娘らしき者もおり、
「うぐ……」
アルヴィフリートは思わず、込み上げる吐き気に口を押さえた。
「そなたたち、どうしてこのようなところに」
「王妃様の催されるお茶会に招待されたのですわ」
「茶会?」
「はい、私達は皆王妃様が以前国内をまわられた際に知り合いになった者たちでして。陛下とご結婚されたということでお祝いを申し上げたいとお伝えたら、お茶会を開くからぜひ参加して欲しいと誘って頂いたのです」
「そ、そうか」
それは分かったが、なぜこんな場所に。
「集ったのならばどうして部屋に入らないのだ。客人を待たせるとしても、このような場所で……」
無意識に荒くなる息を抑えながら訊くと、女達は揃ってニコリ――ではなく、ニタリと嫌な笑みを浮かべた(流石ミハヤの知り合いというべきか、以前彼女がした笑みに酷似している)。
「実は陛下。私達、ここで陛下をお留めするようにと頼まれまして……」
「――は?」
「お茶会に参加しようと王宮に参上した際、宰相のクラウス様から王妃様と陛下が喧嘩をしたとお聞きしたのです」
そして、『ミハヤ様は当分陛下の顔を見たくないとおっしゃっている。もし良かったら王妃様が教養を受けている際、大変申し訳ないが、ここにいて陛下がやってきたら追い返してくれないか』と彼は令嬢たちに頼んだらしい。
「っ……」
クラウス――!
なにが「午前は教養を受ける予定になっているかと」だ。全て見通した上で、アルヴィフリートの苦手な女性陣を廊下に配置したというのか。
なんということを……。
令嬢たちを前にして、圧倒的な威圧感を感じたじろぐアルヴィフリート。
けれど――
『クラウス様から王妃様と陛下が喧嘩をしたとお聞きして』
先ほどの令嬢の言葉を思い出し、引き返しかけた足を前へと戻す。
「……」
それから少し考えた後、視線を上げて彼は正面を見据えた。
この廊下の先に、ミハヤがいる。
ゆっくりと深呼吸を一つして、覚悟を決める。
「……令嬢方、すまないがここを通していただこう」