12
「――ミハヤ様?」
エレンの訪問があった翌朝、ミハヤはクラウスの部屋を訪ねていった。
「朝早く申し訳ありません。お話ししたいことがあって」
「構いませんよ、どうぞ」
早い時間の訪問だというのに、既に仕事着に着替え仕事の準備をしていたクラウスは、恐縮するミハヤに柔らかく微笑み彼女を室内へ迎え入れた。
中は、流石宰相というべきか、分厚い本が詰め込まれた本棚が整然と並び、紅色の絨毯の上には高級そうな家具たちが品良く配置されている。
「どうぞ、おかけになってください。今お茶を用意させましょう」
「あ、お構いなく……」
言うよりも早く、宰相付きの侍女が呼ばれて顔を出す。
「お茶を二つ。ミハヤ様、ミルクと砂糖はいかがされます?」
「ええと、それじゃお願いします」
頷くと、クラウスはそれをそのまま侍女へと伝え、彼女は静かに一礼をして去っていく。
「さて、」
ふかふかのソファに腰を下ろしたクラウスは言って、対面に座るミハヤに向き直った。
「どうしてそんな浮かない顔を、とお聞きしたいところですが……大体見当はつきます。昨夜、エレンがミハヤ様のところに伺ったそうですね」
「……はい」
呟き首肯すると、溜息を落とす音がする。
「予想はしていましたが、まさか本当にそうなるとは。……なにか言われましたか? 陛下に近づくなだとか、解放してくれだとか」
「ええ、まあ、そんなようなことを」
再度頷くと、クラウスは眉根を寄せて吐息を落とす。
「彼は、以前も言いましたが陛下のこととなると過保護になりすぎる傾向があるのです。幼い頃から乳兄弟として一緒にいたせいか、臣下の域を超えた考えを持つこともしばしばで……」
「……エレン様は、本当に陛下のことを慕っていらっしゃるんですね」
「はあ、まあ。長い間ともに育ってきましたから、お互い兄弟のように思い合っていて、微笑ましいことではありますが、同時に主従としては困ったことでもあります」
――羨ましいな。
アルヴィフリートは家族がいない、知らないと言っていたが、なんだ、ちゃんといるではないか。
「クラウス様、私やっぱり貴方との約束を守れそうにありません」
「はい?」
言ってキョトンと首を傾げる人を、ミハヤは自嘲の笑みを浮かべて見つめ返した。
「エレン様に言われました。私は陛下の罪悪感を利用し、彼を苦しめていると」
「……っエレンめ、そんな無礼なことを」
ミハヤは静かに首を横に振る。
「いえ、本当のことですから」
「……ミハヤ様?」
そう、すべては本当のことなのだ。
『どうか、私達を助けると思って主の妃になってください』
そう言われ、クラウスの頼みに力を貸すつもりで陛下と結婚した――はずだった。陛下の女嫌いを治す手助けが自分に出来ればと、そう思っていた。――なのに。
心の底で思う。
本当はどこかで仕返しをしてやりたかったのかもしれない、と。
私をこんな目に合わせた男に、この国の代表として罪を償わせてやろう。わたしの人生を犠牲にしたからこの国は在る。そのことを、彼だけは忘れないように、一生傍で思い知らせてやりたいとどこかで思っていたのかもしれない。
だから結婚式当日、自分でも不思議に思うほど彼に執着し、気絶するまで接触を続けたのだ。もしかして家族が欲しいと思ったのも、心の拠り所が欲しいというそんな理由ではなく、自分の中にあるそういった感情が原因だったのかもしれない。
――だって、そうでなければエレンに陛下を利用しているといわれた時、あんなにも心臓が跳ねるわけがないのだ。
「クラウス様、私もう陛下のお傍にいないほうがいいと思います」
ミハヤは薄茶の瞳を真っ直ぐに見つめて口を開いた。
「なにを、ミハヤ様」
「もちろん、王妃という役目を放り出したりはしません」
引きとめようとするクラウスを遮って、言葉を紡ぐ。
挙式から数日で離縁などということになったら、大事
おおごと
だろう。それに、そもそも不可能なことだというのも理解している。理解した上で、今回のことを引き受けたのだ。
「これからも教養はしっかり受けますし、仕事もします。でも、」
貴方が望むような、陛下の女性嫌いを治す手助けはもう出来ません。
「陛下の傍に居続ければ、エレン様の言うように私はあの人を傷つけるでしょう。女嫌いのあの人に嫌がらせをしたり、もしかしたら無理に関係を迫ってトラウマを更に酷いものにしてしまうかもしれません」
だって、私は自分でも気づかないほど、深いところで彼を憎んでいるのだもの。
「この国が好きです。優しいこの国の人々が好きです。でも、それでも私はまだ故郷を忘れられない。続いていくはずだった未来をいまだに未練たらしく思い続けているのです」
知らず知らずの内に心が叫ぶ。どうして私がこんな目に、と。
「貴方達が好きです。でも、一方で酷く憎らしくも思っています」
ひとの人生を台無しにしておいて、幸せになるなんて許せない。
平和のために私という犠牲を出したことを、一生忘れてはいけない。
――そして、私自身も。
「……ミハヤ様がそこまでおっしゃるのなら、お止めしても無駄でしょうね」
クラウスはそう言って一度目を伏せ残念そうな表情を浮かべ、しかし「ただ」と言葉を続けた。
「ただ?」
「最後に、もう一つだけ私の頼みを聞いてはくださいませんか?」
「頼み?」
「ええ」
頷いて、彼はにこやかに笑みを浮かべた。
「一つ賭けを致しましょう、ミハヤ様」
※※※
「……?」
引き続き、朝。いつものように食堂に朝食をとりにきたアルヴィフリートは妻の不在に疑問を浮かべ首を傾げた。普段ならばすでに席に着きともに朝食をとっているというのに、今日に限ってミハヤはいつまでたっても姿を見せようとしない。
「おい」
小半時たち、さすがに待ちくたびれたアルヴィフリートは近くの老年の侍女に声をかけた。
「巫女はどうしている? なぜ姿をみせない」
寝坊でもしたのか、それとも体調でも崩しているのか。
訊ねると、返されたのは否という答えだった。
「巫女様は、本日からお部屋の方で朝食をとられるということです」
「は? 本日から?」
「はい」
「ということはつまり本日からずっと、もう巫女は食堂に顔を出さないと言うことか? それは朝食時だけか? それとも毎食全てか」
「毎食だと窺っております」
「なぜ?」
「は?」
「どうしてそのようなことになった? なにか聞いているか」
更に訊くと、侍女は困ったように視線を動かした。
「さあ、申し訳ありませんが、私達はその理由を告げられておりません。ただ今朝早くにクラウス様からその旨をお聞きしただけで、『今後ミハヤ様は陛下とともに食事をとられないから、そのように』と……あの、陛下。それで、そろそろお食事をお運びしてもよろしいでしょうか?」
「……ああ、頼む」
眉根を寄せたままそう返したアルヴィフリートに、侍女はかしこまりましたと頭を下げ、配膳の準備に取り掛かる。
『今後ミハヤ様は陛下とともに食事をとられないから、そのように』
次々と用意される食事を口に運びながら、アルヴィフリートは先ほどの侍女の言葉を考えていた。
なぜ、急にそのようなことを。
家族になりたいと言ったのは彼女の方だというのに、なぜここにきてもう一緒に食事はとらない、などと言ったのか。それも『本日から』ずっと『毎食』だ。
なにか気に触るようなことをしただろうか?
しかし、侍女にそのことを言付けたクラウスは、エレンとは違い巫女との結婚を推奨していたはずだった。ならば、巫女がそのようなことを言い出せば、まずアルヴィフリートよりも先にクラウスこそが引き止めるなり何なりするのではないだろうか。
――二人揃って何かを企んでいる?
いや、しかしそうだとしても一体何を?
あれこれと考えをめぐらせるも、答えは出ない。
結局アルヴィフリートは朝食を食べ終えた後、そのままクラウスの元へと向かうのだった。