01
これはおとぎ話。
昔々のある時代、神々に愛されたグランディールという名の王国があった。
神の加護を受けたその王国は、あらゆる災厄から免れ、あらゆる恩恵を賜り長い繁栄を誇っていた。
しかし、ある王の時代。王国は突然神々から見放されてしまう。青々と美しかった空は闇に覆われ、大地には天災が相次ぎ疫病が蔓延した。
刻一刻と迫り来る滅びの時。
多くの命が奪われていく中、王国は一縷の望みをかけて異世界から姫巫女を召喚した。伝説に語り継がれる、漆黒の乙女。漆黒の瞳に漆黒の髪、夜を纏い闇を抱く少女は神々の声を聞きその言葉を解するという異能の持ち主であった。
姫巫女は、王国を救うべく神々と意思を通わせ王国の闇を打ち払う。
その後、神々の加護を取り戻した王国は徐々に回復の道へと進み、異世界の姫巫女は大勢の国民から感謝される。
そして、王城へと招待された姫巫女は国王から直々に声をかけられた。
「此度のこと、心より感謝の意を表したい。ついては、そなたになにか褒美を与えたいと思う……巫女の望むものは何か。例えどのようなことであっても、私に可能な限りそれを叶えよう」
国民を代表して告げた王の言葉に、姫巫女はそっと美しい微笑を浮かべた。
「それでは陛下、私は貴方様との結婚を所望いたします」
※※※
「お前は恐ろしい女だ。魔女だ、悪魔だ、大魔王だ」
「あら、酷い言いようですね」
真っ青な顔でこちらを窺う男を、ミハヤはわざとらしく眉根を寄せて振り返った。
白銀の髪に金色の瞳。神秘的な色合いと、それにふさわしいこの上なく端正な容姿。正式な儀礼等の際に着用する白地に金刺繍の衣装に身を包み、本来ならただそこに立っているだけで見惚れてしまうような美貌の彼――この国で最も貴いとされるお方、国王アルヴィフリート=ディルレイ=ユラ=グランディール陛下その人である。
「酷いのはお前の方だ。おそろしい女め……いや、女は皆恐ろしいが」
その、アルヴィフリート国王陛下は今現在、何故だか部屋の隅に置かれたソファに身を隠すようにして縮こまるという奇怪な行動をとり、全てを台無しにしている。
「あらまあ陛下、なんだか顔色が悪くありません? ご多忙の中、今日のために仕事を片付けて下さったのでしょう。もしよろしかったらお手をお貸ししましょうか」
ニコリ、というよりはニタリという表現の似合う笑みを浮かべてミハヤは手を差し伸べた。
黒い髪に黒い瞳。夜を纏い、闇を抱く彼女は世間で聖女だと謳われている伝説の姫巫女である。
――が、しかしアルヴィフリートにはそう思えなかった。
やわらかな身体と甘い香り。男を誘う丸みを帯びた身体は彼にとって最大の災厄。彼の目には彼女の背中に黒い羽根が見えているのだろう。
「気持ちだけありがたく受取っておこう。いや本当に私を気遣う気持ちがあるのなら、少しでも私から距離を置いてくれると助かるのだが」
しっし、と犬猫でも追い払うように手を振る。
「あら、冷たい。これから式を挙げようとする二人の会話とは到底思えませんねぇ」
「巫女。前にも言ったと思うが……私たちは、式こそ挙げるが、本当の意味での夫婦になるつもりは――」
「陛下、ミハヤ様。そろそろお時間です」
アルヴィフリートの声にかぶさるようにして、宰相の声が響く。振り返れば薄茶の髪に若干白いものが混じり始めた初老の紳士が立っていた。
「ほら、陛下。そのようなところで縮こまっていらっしゃらず、早くお立ちください。国民たちもお二人がいらっしゃるのを待ち侘びておりますよ」
宰相はにこりとやわらかな笑みを浮かべると、テラスへと二人を促した。ガラス扉の向こうからは、国民たちの歓声が絶えず聞こえてくる。アルヴィフリートがこうしてウジウジしている間にも、その声は勢いを増すばかり。
「では、そろそろ参りましょうか陛下」
再度ミハヤは手を差し出すが、やはりそれが取られる気配はない。
「陛下?」
呼びかけ、夫となる男の顔を窺うも、彼はまるで意固地な子どものようにじっとその場を動こうとしなかった。
「……今更、約束を反故になさるおつもりですか?」
にっこり微笑みながら、ミハヤは若干声を低くしてアルヴィフリートをなじると、
「くっ……」
その後、数秒たっぷり考えた後、アルヴィフリートはようやく折れて彼女の手を取っ――否、訂正。彼女の小指をそっと握った。
そして、今にも逃げ出したいという気持ちを振り絞って立ち上がり、できる限りの距離をとりミハヤと共にテラスへと歩み始めた。
「陛下、そのようにミハヤ様と距離を置いていては国民が不仲を疑います。もう少し寄り添って。あと表情は笑顔でお願いします」
「……無茶をいうな」
二人がテラスへと近づくにつれて、国民達の歓声が大きさを増す。本日に限り特別に開け放たれた城内の広場では、大勢の国民が今か今かと国王と漆黒の姫巫女が姿を現すのを待っていた。
冷や汗たらしながら、アルヴィフリートはゆっくりと震える右手をミハヤの腰に手を回す。
「……そこまで嫌がられると傷つくんですけど」
「黙っていてくれ、口を開いたら今にも吐きそうなんだ」
「むぅ……」
眉根を寄せて見上げた顔は、テラスに出た瞬間今にも死にそうな瀕死顔からギリギリ作り笑いに見えないこともない複雑な笑顔へと変わった。
幸か不幸か、二人が降り立ったテラスは国民達のいる広場と結構な距離がある。その上、二人は国民を見下ろすようにたっているため、よほど視力が良くない限り、彼のなんともいえない表情は国民達には伝わらないだろう。
「なんだか物凄く複雑な気分です」
ミハヤもアルヴィフリートに倣い、笑顔(しかしこちらはどこからどうみても満面の笑み)をつくって国民たちに手を振った。
寄り添う二人を祝福するように、「おめでとうございます」「陛下と巫女様に祝福あれ!」といった言葉が聞こえ、同時に拍手が湧き起こる。
――王国暦四八二年紅の月、グランディール王国、国王アルヴィフリート=ディルレイ=ユラ=グランディールと伝説の姫巫女、佐藤美早 (サトウミハヤ)は国民に祝福される中、婚姻を結んだ。
「は、はは。まさか“望むもの”と尋ね、王妃の座を要求されるとは思いもしなかったぞ」
ついにどこかおかしくなったのか、アルヴィフリートは乾いた笑みを漏らして呟いた。
「イヤだなあ、陛下。国を救った救世主が王様と結婚なんて結末、物語の王道中の王道じゃないですか。こうして二人は末永く幸せに暮らしたのでした。めでたし、めでたし」
「なにが『めでたし』だ。お前はただ王妃という地位に就きたかっただけだろう、この悪女め」
「ひどい言い様ですね。どうしてそんな風に思われるんです?」
作り笑顔を崩さないままそう訊くと、アルヴィフリートもまた複雑な笑みのまま答えを返した。
「どうしてもなにも、私は以前『式は挙げても、本当の夫婦になるつもりはない』と言ったはずだ」
「ええ、覚えていますよ。そして私が『それでも構わないから結婚して欲しい』と言ったんですよね」
「そう、だから、つまりお前は王妃の座だけが欲しかったのだろう?」
「あら……そうとりましたか。『愛されなくてもいいから、愛しい陛下のお側にいたい……』いじらしい乙女心は伝わらなかった、と」
「なにがいじらしい乙女心だ。お前のどこが私を好いているという。嫌っているというほうがまだ納得できるぞ」
じっと見下ろされ、ミハヤはこれが新婚、しかもたった今式を挙げたばかりの夫婦がする会話なのかと苦笑を漏らした。
「嫌っているのは陛下のほうじゃないのですか」
「私が嫌いなのは女全般だ」
お前限定じゃない。威張るようにそう言われ、ミハヤはまたも苦笑を漏らす。
女嫌いの国王陛下。
詳しいことは知らないが、過去に女性がらみで相当に嫌な経験をしたらしい。それ以来大の女嫌いになり、広々とした王宮には妃の一人も存在せず、二十七という男盛りであるにもかかわらず女っ気は皆無。
式に関する相談をする際もほとんど従者(男)を介してのやりとりで、ようやく顔を合わせたと思ったら寄るな触れるなの一点張り。挙句の果てには女性嫌いゆえ『仕方なく式は挙げるが、本当の夫婦になるつもりは無い』ときた。
きっと彼にとっては、今こうしてミハヤの腰に手を回し寄り添い合っているということ自体、拷問に等しい異常事態なのだろう。
しかし彼はどんなに嫌でも、辛くても、ミハヤを拒むことは出来ない。
「さ、国民が見ていますよ。笑ってください、陛下」
『巫女の望むもの、何でも叶えよう』
自身が宣言してしまったこの言葉のせいで、彼は今すぐにでも逃げ出したい衝動を必死に抑えてここにいる。
――自業自得、この言葉ほど今の彼に相応しい言葉があるだろうか? いや、ない。
「“王妃様”なんて全ての女性の夢じゃないですか。一国を救うなんて大役を終えたご褒美に、優雅で豪華な余生を送りたいと思っても罰は当たらないと思いますよ?」
悪びれも無く笑い、ミハヤは傍らの夫を見上げた。
「……お前、そんな理由で」
私と結婚したのか。そう言おうとした言葉は、しかし最後まで紡がれることなく飲み込まれた。横にいたミハヤが突然アルヴィフリートの腕を掴み自分の方へと引き寄せたのである。
「!?」
動揺するアルヴィフリートに、ミハヤは構わず美しい微笑みのまま彼を見つめた。
「ほらほら、陛下。皆さん折角集まって下さったのですから、もう少し仲の良いところをお見せしようじゃありませんか」
「は!? 何を言っているんだ、お前。これ以上私になにをしろと言う」
寄り添って、国民に手を振る。それだけで充分“仲がいい夫婦”ではないか。
腰に手を添えるだけで限界だというのに、この上彼女は女嫌いの彼に極刑を言い渡すつもりだ。
「仲のいい夫婦といったら口づけに決まっているでしょう?」
「っ――!?」
その瞬間、アルヴィフリートは妻となる少女の顔に悪魔を見た。漆黒の姫巫女は、腹の中まで真っ黒だったらしい。聖女の皮を被った悪魔は女嫌いの自分に結婚を迫った挙句、国民の前で口づけをしろという。
顔面蒼白の国王に、追い打ちをかけるように国民たちが口づけコールをし始めた。
「ほら、皆も望んでいます」
「くっ……」
自分は今日、死ぬかもしれない。いや、今日死なずとも近いうち絶対死ぬ。死因は女嫌い。今までそういった話は聞かないが今だって気を失ってしまいそうなのだ。
焦れる国民達の声が大きくなる。目の前の妻は瞳を閉じ、うっとりと夫からの口づけを待ち続けている。
ああ、神様――
アルヴィフリートは天を仰ぎ、決死の覚悟でそっとその身をかがめた。