第6話『我、風となりて』
陽炎のように揺れる空気のなか、スタジアムがざわめいていた。
久留米FCレイヴンズは、王者・大阪セレーネと対峙する。昨年のチャンピオン、今季も無敗。
だが、この試合、ある一つの注目があった。
「花村いと、本日フル出場です!」
実況席からマイクを通して響く声。
2試合連続で途中出場し、鮮烈なパフォーマンスを見せた“謎の司令塔”。その実力が本物かどうか――今日が試金石だ。
「では、参ろうか。風のごとく」
ピッチに立ったいとは、深く息を吐いた。
髪を結び、足首には藤の紐。前世の記憶を静かに抱いたまま、ボールを蹴る準備をする。
キックオフ。
***
大阪セレーネは圧倒的だった。
スピード、パワー、連動性。前半開始から波のように押し寄せてくる。
守備陣は懸命に対応するが、押し込まれる時間が続いた。
「いと、もっと引いて! 澪に届かないよ!」
志摩舞子が叫ぶ。
いとは小さく頷き、少し低い位置にポジションを取った。
そして――
ひとつのボールを、柔らかく吸い取るようにトラップ。
まるで“鞠”を受けるようなタッチに、実況が声を漏らした。
「おおっと……なんだ今のトラップは……!」
そのまま、いとはひとつ転がすような横パス。舞子が受け、縦に出す。
三宅澪が裏を取った――惜しくもクリアされるが、会場に拍手が起きた。
前半は0-0。
「このままいける……いや、いけるのか?」
選手も観客も、徐々に空気が変わってきた。
***
後半もセレーネが押し気味。しかし、いとは焦らなかった。
「舞子、右を広げよ」
「すず、もっと高く詰めてよい」
いとの“詠み”が、徐々にピッチを整えていく。
(風向きが、変わりつつある)
そう感じたのは70分過ぎ。中盤でボールを拾ったいとが、突然ヒールで後方に流す。
誰もが意表を突かれたその一瞬。
ただ一人、走っていた。
「澪、抜けたァァッ!」
三宅澪が完璧なタイミングで裏に抜け出し、ワンタッチでゴール左隅に蹴り込んだ。
1-0!
歓声が、爆発した。
ピッチに、風が吹いた。
静かに、いとは呟く。
「風を詠めば、道は拓けるなり」
その言葉が、実況のマイクに拾われた。
「いま、花村いと選手が何か……“風を詠めば、道は拓けるなり”。……これは名言ですよ!」
試合はそのまま終了。
久留米FCレイヴンズ――王者に勝利。大金星。
***
試合後のインタビュー。澪は無愛想に言った。
「……あの人のパス、すごいだけじゃない。“先”が見えてる。ちょっと……悔しい」
キャプテン桐生は笑いながら言った。
「今日のいとは、風そのものだったよ。味方にも、相手にも、止められない風」
藤の紐を結び直すいと。
(この時代の“戦”も、また趣深いものよ)
千年の時を超えた蹴鞠の達人は、確かにこの地に立っていた。
そして、風は――まだ吹き始めたばかりだった。