第5話『背中で吠えるな、口で吠えよ』
「下がれっ、ライン下げろってば!」
久留米FCレイヴンズのキャプテン、桐生ほのかの怒声が響く。守備陣は慌ててラインを下げるが、相手は既に縦パスを通していた。
その瞬間、中央を切り裂くようにシュートがネットを揺らした。
0―1。
スコアボードが冷たく点灯する。
「……また、遅れた……」
ベンチに戻るハーフタイム。桐生は顔を伏せ、タオルで汗を拭う。守備は粘れている。しかしビルドアップが詰まり、押し返せない。その原因が自分にあると、彼女はわかっていた。
「なぁ、いと」
ふいに隣に座る花村いとに声をかけた。
「あたしさ、キャプテンなのに……あんまり“導けてる”気がしないんだよね。後ろから吠えても、みんなバラバラで」
いとはタオルを膝に置き、まっすぐ桐生を見た。
「軍勢を導く将、最前線を見ずして、どうして指図できましょうや」
「……は?」
「“声”だけで吠えるは、虎の皮を被った狼なり。背に威を貼るより、目にて味方を導き、口にて戦況を正すべし」
難しい言い回しに、桐生は思わず苦笑いした。
「つまり……ちゃんと見て、言葉で指示しろってこと?」
「左様」
いとは笑ってうなずく。
後半戦、彼女の言葉が桐生を変えた。
***
後半開始。桐生はセンターバックの位置から、目を細めて前線を見渡す。
今までは“守る”ことに気を取られすぎていた。だが、いとの言葉が耳に残っていた。
(最前線を見ずして、軍勢を導けるか)
「すず、もっと外に張っていいぞ!」
「舞子、ワンアンカー気味で構えて!」
自分の声が、味方の動きを変えていく。
桐生の頭の中に、いとの姿が浮かぶ。
敵味方の動きを先読みし、まるで風のように戦況を操るあの“蹴鞠の才”。
自分は足元では敵わない。だが――
「“声”は、届く」
桐生はDFラインを保ちながら、いとの動きを注視する。彼女のポジショニングに呼応し、DFラインを微調整。結果、相手のスルーパスは尽く遮断された。
「ナイス、桐生!」
舞子の声に、桐生は一つだけうなずいた。
(これか……いとの見てる景色って)
***
試合は0―1のまま終了。勝利はできなかったが、後半は無失点。
しかも、守備陣の安定感は明らかに増していた。ベンチに戻った監督が呟く。
「……桐生、ラインコントロールが別人のようだったな」
ロッカールーム。
汗をぬぐいながら、桐生はいとに声をかけた。
「ねえ、あんたの言った“最前線を見ろ”ってさ……正しかった」
「拙者の言葉は、兵法の伝え。そなたが実にしたれば、それはそなたの力にござる」
いとは淡く微笑む。
「……でさ、いと。今度、うちの守備陣全員に“戦術講座”してくれない?」
「喜んで」
こうして、“戦術参謀”としての花村いとの評判がチーム内で高まりはじめた。
かつて最下位だったクラブに、静かに風が吹き始めていた。