第30話『風、さらなる高みへ』
リヨン・ルミエールのロッカールームは、決戦前の緊張と微かな熱気に包まれていた。チャンピオンズリーグ、決勝トーナメント一回戦。相手は、イタリアの堅守速攻を極めたクラブ──FCヴァレンツァ。
「クロエがいない分、背負うものが重い」と誰かがつぶやいたときだった。
「否──この風は、みなで起こすでござる」
いとが一歩前に出て、右手を胸に添えた。背番号は「10」。クロエの不在を受け、背中にその数字を刻んだ初陣だった。
エミリーが笑い、ゾエが拳を掲げる。
「それでこそウチの10番や!」
「だったら、止まる風になるなよ」
笑いが起きる。円陣の輪が自然とできて、チームの中心に立ったいとは、口を開いた。
「この蹴、そして風、わらわ一人にて起こすものにあらず。皆々が心を寄せ、ひとつの鼓動を刻むとき──されば風は舞い立つ」
その声音には、言葉以上の“間”と“理”があった。
キックオフ。ピッチ上ではFCヴァレンツァが、ラインを低く保ちリヨンの攻撃を受けて立つ。相手は奪ってはロングボールを一閃。正攻法では崩せぬ壁が、そこにはあった。
だが、変化は中盤から生まれた。
ゾエがカットインのように中央に進出し、いとへパス。
「しかと受けたり──」
いとは間髪入れずに縦へ差し込む。ライン間に走るのは、エミリー・デュラン。スピードと緩急を併せ持つウィングの新鋭。
「走れ、風のように!」
エミリーが一瞬のタメから加速し、相手DFの背後を突く。左足のシュートは鋭くゴール右隅へ吸い込まれた。
新たな“三位一体”──ゾエ、いと、エミリー。それぞれが、欠けたクロエの穴を補うのではなく、別の風を吹かせたのだった。
後半。1点リードを守りつつも、攻守の切り替えに揺らぎはない。いとは声を出し、身体を使い、時に手を打ち鳴らして仲間の動きを整える。
「左空くぞ、エミリー、裏へ!」
「ゾエ、もう一歩詰めてよし!」
まるで“風の軍師”だった。
試合は1-0のまま終了。リヨンはアウェイで貴重な勝利をつかむ。
試合後、取材エリアで記者に囲まれたいとは、ある質問を受けた。
「クロエの代役というプレッシャーはありませんでしたか?」
その問いに、いとは少しだけ視線を空に投げ、そして柔らかく笑った。
「代役にて務まるほど、彼女の蹴は軽からず……されど、わらわは、わらわの“風”を吹かせますゆえ」
その言葉は、誰かの真似ではなく、花村いとという一人の風の在り方を示していた。
ピッチの外に立ち上る、ひと筋の風。その風に、クロエ・モンフォールの姿が重なるように思えたのは──記者だけではなかった。




