第24話『風の文法、蹴鞠の理』
「…イ・ソン・ラ・パス?」
いとの舌がもつれる。練習後、ロッカールームで味方のCBに戦術の意図を説明しようとするが、言葉が出てこない。
「Non, non… c’est ‘la ligne’じゃなくて…」
相手も困った顔をしながら、背中をぽんと叩いて笑う。フランス語と戦術用語、そして詩的な表現――花村いとの頭の中は、いまや三つの言語でごった煮になっていた。
ピッチでは連携できるのに、なぜ言葉で伝えようとするとこんなに不器用になるのか。
「ここが、異国ってやつか…」
ため息をついてベンチに腰かけた瞬間、クロエ・モンフォールが水を投げてよこした。
「考えるな、感じろ、ってやつ? でもそれだけじゃ伝わらないのがチームプレーよ」
そう言ってクロエは、いとの足に巻かれた藤の紐に目をやる。
「言葉じゃなく、あなたは“間”で語ってた。でも、今は“言葉の間”も埋めなきゃね」
試合に勝ち、連携が深まっても、練習ではまだ孤立感が残る。チームメイトと心は近づきつつあるのに、言葉がその距離をもどかしく引き離す。そんな違和感を抱えたまま、次のトレーニングが始まった。
その日、紅白戦中にいとは思わず叫んだ。
「Gauche! Non, non… gauche pas seule! Attaque—ensemble!」
その片言の叫びに、ボールサイドの味方が一瞬振り返り、動き出した。
続けて、クロエが声を重ねる。
「Parle-lui !」
いとは、咄嗟に叫んだ。
「Parle… cœur! パルレ・クール、心で語れ!」
その言葉に、チームメイトたちの顔に一瞬、驚きの表情が浮かんだ。
そして次のプレーで、左サイドの選手が自ら動き出し、いとのスルーパスに完璧なタイミングで反応。会心のゴールが決まる。
「C’est quoi, ça ?」
「パルレ・クール…? いい言葉じゃない?」
笑いながら、周囲がその言葉を繰り返す。たどたどしいながらも、心に響いたその一言が、たしかに「風の文法」として届いたのだ。
練習後、監督のローランがいとを呼び止めた。
「花村。お前の“パルレ・クール”は面白いが……本当に伝えたいのは何だ?」
ローランの目は真剣だった。
「君が蹴っているのは、勝利のためのボールか? それとも、何か別のものか?」
問いかけに、いとは黙ってスパイクを見下ろした。足元には、ずっと昔から馴染んだ“蹴鞠の型”が宿っている。
やがて、いとは静かに言った。
「蹴鞠は、敵を打つものではありません。己を整え、風と共に舞うための道です」
「道、だと?」
「はい。一歩でも狂えば鞠は落ちます。力任せでは成り立たず、周囲と調和しながら、自分を律していく。私は、戦術にその哲学を重ねたいんです」
ローランは腕を組んで、しばし考え込んだ。
「……なるほど。君の“風”は、勝つためだけに吹いてるわけじゃないのか」
いとは静かに頷いた。
「でも、勝つことを諦めるつもりはありません。“道”を通して、勝利に至る。それが私の…鞠の理です」
その言葉に、ローランは満足げに笑った。
「哲学と戦術か…フランス人が好きそうだな」
帰り道、いとはノートにそっと書き記す。
「風に問う 勝ちを急がず 理を蹴る」
サッカーと詩、戦術と信念、和と洋。そのすべてが混ざりあいながら、リヨンに新たな鼓動が根付き始めていた。




