第22話『風は、世界を翔ける』
――勝てば、CL出場圏内。
リヨン・ルミエールの今季最終戦。相手はリーグ3位の強豪、ドイツから移籍してきた屈強なDFを軸とした「アトレティク・モンペリエ」。鉄壁の最終ラインを誇り、“鋼の城壁”と恐れられている。
「CLの扉は、風上にはない。風をずらし、風を誘う。兵法の心得……試してみるとしようか」
いとはスタメンとしてピッチに立つ。スタジアムの空は灰色に染まり、まるで未来を占うかのような雲行き。前半、リヨンの攻撃はことごとく遮られた。
「詠んでる暇があるなら、声を出して!」
背後からクロエの叱責が飛ぶ。チームは焦りを見せ、いともまたリズムを掴めない。空気が重い。かつて久留米のグラウンドで感じた“鞠の音”が、ここにはなかった。
ハーフタイム、ロッカールームでいとはひとり、足首に巻いた“藤の紐”を結び直す。
「風は、向こうから吹くものではない。舞い起こすもの……」
そのつぶやきに、隣の通訳スタッフが頷く。「君の風、今は届いてるよ、少しずつ」
後半、いとはピッチ中央に立ったまま、敵陣の“風”の流れを読む。誰がどこに向かおうとしているか。誰が次の一歩を迷っているか。
「“間”をずらせ」
それは、いとの中の蹴鞠の達人――藤原鞠之介の声。
自ら前線に出るふりをして、後ろに落ちる。クロエがいとの視線を読み、内に絞る。相手のマークが一瞬揺れる。
その刹那。
「走れ!」
いとの声が響く。左サイドのエスメが一気に裏へ抜ける。鋼の壁にひびが入った。
タイミングを“ずらした”ヒールパス。かかとで送られたボールが、すべてを通り抜ける。
エスメのクロス、中央へ。
決めたのは、クロエ。会場が揺れる。1-0。
残り数分。モンペリエも猛攻を仕掛けるが、いとは守備ラインまで下がり、声を張る。
「右絞れ! 一歩、左!」
言葉と視線で、まるで“舞の譜面”のように選手を動かす。
ホイッスル。試合終了。
ベンチで見ていたローラン監督は、静かに呟く。
「この子の見ている風景を、私はまだ知らない……」
歓喜の輪の中、いとはひとり、ピッチ中央で空を仰ぐ。夜のリヨンの空。遠く、久留米の空にも似た、静かな風。
「風よ、さらに遠くへ」
藤の紐が、月光にほのかに照らされた。




