第16話『風、海を越えて』
久留米の街に、祝賀の喧騒が続いていた。Wリーグ初優勝──かつて“凡庸な選手”と見なされていた久留米FCレイヴンズが掴んだ奇跡の戴冠。
花村いとは、静かなスタジアムの一角に佇んでいた。誰もいない観客席。芝の匂いと、勝利の余韻だけが、夜の風に乗って流れていた。
その背後から、英語混じりの声がかけられる。
「Bonsoir, Hanamura Ito(こんばんは、花村いと)。あなたの風を、もっと遠くまで吹かせてみない?」
振り向いた先には、銀髪の女性スカウト。フランス女子リーグの名門「リヨン・ルミエール」のマネージャーだった。
「我がクラブに、貴女の“即興”と“詩”が必要なの。鞠を通じて、サッカーを芸術に昇華させる……そんな選手は、欧州にも滅多にいないわ」
──風を、吹かせる。異国の地で。
いとは静かに視線を落とす。足首に巻かれた“藤の紐”が、微かに揺れた。
だが、簡単には頷けない。久留米で出会った仲間たち──ほのかの叫び、舞子との兵法談義、すずの間合いの笑顔、そして……澪の、一撃。
「おまえがいなくなったら、こっちの舞が成立せんくなるやん!」
すずが頬を膨らませて言う。舞子は「情報戦的には損失大です」と真顔で呟き、ほのかは鼻で笑ったあと、いとの背中をどんと叩く。
「行ってこいよ。……オトナになったら、それくらい世界と殴り合ってこいっての」
そして、最後に──澪。
壁にもたれ、腕を組んだまま言う。
「……あんた、鞠の神様に選ばれたんだろ。なら、行ってこいよ」
目は逸らしたまま。でも、その声には確かな温度があった。
いとは目を閉じる。まぶたの裏に浮かぶのは、平安の空の下、共に鞠を交わした友の顔。そして、現代のこの世界で出会った“仲間”の姿。
──ゆえに、我は行く。風の導くままに。
藤の紐を、きゅっと結び直す。
「風、吹かせてみせようぞ。異国の空にも、わが舞を」
花村いとは、蹴鞠の達人・藤原鞠之介としての矜持を胸に──海を越える。
その風はまだ、誰にも止められはしない。
(第16話・了)




