EP09.訪問者3
「ちょっとぉ!例の『仮面の噂』わかったわよォ」
館の扉が乱暴に開き、声高に叫ぶルカがずかずかと入ってきた。花柄の派手なシャツと白いハーフパンツを着こなしつつ、白い靴の裏には不釣り合いなぬかるみがべったりと張りついている。
「…ルカ。勝手に入るな。床が汚れる」
読書をしていたファントムは眉をひそめながら注意するが、ルカは気にせず話を続けた。
「わかってるってば。でもね、さすがのアタシもちょっと気味悪くなったのよ。馴染の温泉旅館の女将さんに聞いたんだけど、お客さん達が同じ場所で立て続けに事故。これで3件目。対向車を避けようとして事故ったんだって。怖いのがさ、対向車のブレーキ跡はナシ、ドライブレコーダーの記録にも写って無かった。現場にあったのは……」
ルカは声を潜め、間を取って言った。
「――真っ二つに割れた赤い仮面が落ちていた」
室内に静寂が落ちた。マーサがそっと手を止め、拓海は思わず息を呑んだ。
「三回とも、事故現場に仮面が落ちてたのよ。“仮面の呪い”って騒がれてるわ。『仮面の館の亡霊が出た』ってね。街はすっかり怪談フェスティバルよ」
「くだらない噂だ。私の“呪い”ではない。」
ファントムの声が静かに響く。その音に冷たい刃のような鋭さが宿っていた。
「でも、事故現場には確かに“仮面”があったそうよ。真っ二つに割れてるけどさ。まるで『演出です』って感じよねえ。ねえ、もしかして誰かが…“あんたの名前を騙ってる”んじゃ…」
ファントムの仮面の奥で何かがわずかに揺れた。俺が堪らず口を開く。
「誰かがファントムを装っている?ってことですか?」
「あるいは、試してるのかもね」
ルカは椅子に腰を下ろし、テーブルに肩肘をつくと鍛えられた前腕の筋が目立った。そして、茶目っ気のない声で続けた。
「ねえ、拓海。“仮面”って変装とか防御だけで使うわけじゃないのよ。持つ人によっては、人を導いたり、破滅させたりもする。…使う人を間違えれば、“凶器”になる」
「私にとっての仮面は“導く”ためのものだ。自分が何者として生きるか、その意志を示す象徴だ。しかし他人には謎と恐れの象徴にしか見えない」
二人の抽象的なやり取りに拓海は息を呑む。
(狂気?導き?…ファントムの仮面って重い意味があるものだったのか……)
ふいに、ルカが茶目っ気を取り戻したように笑った。
「そういえばアタシ、そういう仮面を着けた彫刻を一度作ってみたいのよねえ。イグニス、ちょっとソレ貸してくれない?」
「ルカには重すぎる。扱いきれない」
ファントムの皮肉にルカが大袈裟に肩をすくめる。
「やだもう、冗談は仮面だけにしてよねっ」
その一言で重かった空気がわずかにゆるんだと思ったら、ルカが再び真顔に戻る。
「そして、もう一つ。赤毛のあの子がこのあたりで目撃されたって。数年前に姿を消したはずなのに……戻ってきたのかもね」
ファントムが目を細め、マーサが小さく息を呑んだ。
「まさか…あの子が」
「私の手に余る存在だ…ふぅ」
「ええ。忘れた頃にまた戻ってくるものなのよ。困ったもんだわ」
ルカはおどけているのか真剣なのか、拓海にはわからなかった。館の奥から、カタン…と窓の開く音が響いた。風で窓が揺れただけか、それとも人が入ってきたのだろうか、しかし人の気配は無い。
それとも――外は夕暮れ時。空気は重たく、雲がゆっくりとうごめいていた。