EP02.マスカレードハウスへようこそ
――あったかい。やわらかい匂いがする。
鼻先をくすぐるのは、どこか懐かしい紅茶の香り。
花みたいな、果物みたいな、甘くて優しい香りだった。
(……ここ、どこだ……?)
まぶたが重くて、目を開けるのにも少し時間がかかった。
ふわふわの毛布。真っ白なシーツ。レースのカーテン越しに朝の光がふんわりと部屋に広がっている。壁はペパーミントグリーン色で統一され、空気はひんやりしてるのになぜか安心感があった。
(……生きてる?夢じゃないのか?)
右肩がズキンと軽く痛んで、昨日のことがフラッシュバックする。
サイクリング中に道に迷い、スマホも使えず、パンクした自転車を引きずって、フラフラになって――
そして、あの洋館の灯りを見つけた。
(……助けられたんだ)
ベッドからゆっくり起き上がり、部屋を見渡してからドアに手をかける。鍵はかかってなかった。 軟禁じゃないみたいで、少しホッとした。
階段を降りると、目に飛び込んできたのは完璧な朝ごはん。
焼きたてパンにバターと木苺ジャム、ゆで卵、フルーツ、ヨーグルトまである。
ぐぅぅぅ……
「……誰か、いますか……?」
恥ずかしくなるくらい腹が鳴った直後、キッチンからエプロン姿の女性が現れた。
「あら、おはようございます。体調はどう?」
「ひ、ひえっ……!」
びっくりして声が裏返る俺に、女性はすぐに微笑んでくれた。
「昨夜ね、うちの前で倒れてたのよ。でも顔色よさそうで安心したわ」
「……た、助けてくれて、ありがとうございます」
思わず頭を下げると、彼女は朝食を勧めてきた。
「よかったらご飯食べてって。ちゃんと回復しないとね」
「えっ……いいんですか?(ごくっ)」
光の速さで「ありがとうございます!」と言っていた。
バターパンを頬張り、ジャムの甘さに癒される。そして、ミルクをたっぷり入れた紅茶をひと口――
(……あー、沁みる……)
体の奥がじんわり温まっていく。なんだろう、涙が出そうになる。
「それはセイロンティーっていう紅茶なの。ミルクとよく合って、疲れに効くって言われてるのよ」
「あの……ここに住んでいる人ですか?」
「ふふ。ここはね、たまに“迷い人”を招く館なのよ」
「……え?」
その時、奥のドアが静かに開き、舞踏会から抜け出してきたようなアイボリー色のスーツをまとった紳士がそこに立っていた。
銀色の仮面に、仕立ての良いスーツ。ハニーブロンドの長い髪が光に揺れている。驚きの感情と共に不思議と目が離せなかった。なぜかその人から、懐かしいような、でも初めて会うような……不思議な気配がする。
仮面の紳士は胸元から懐中時計を取り出し、カチリと蓋を開けて時刻を確かめる。そして静かに言った。
「ようこそ、仮面の館――“マスカレードハウス”へ。君がここに来たのは、“偶然”ではないのかもしれない」
その低く、優しい声が、頭の奥に響き渡る。
仮面の奥に隠れた視線が、まっすぐ俺を見つめていた。