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白い結婚になると思いきや、婚約者は口下手過ぎたようです

作者: 黒乃きぃ

「―――神の御名の元、ロイエ・ルーベンデルク、ミランディリア・シェルダーグの婚姻を此処に宣誓する」


 晴れやかな秋晴れのとある日。バラの咲き誇る教会で、結婚式が粛々と執り行われている。

 当事者でありながら、私―――ミランディリア・シェルダーグは、まさか今日が訪れるなんて思いもよらなかったと遠い目をした。隣国で流行りの誓いのキスがなくてよかったと心の底から思う。顔を覆うベールを上げられてしまったら、現実逃避中の遠い目を見られてしまうところだった。


 司教様の厳かな、けれどおめでとうとでも言いたげな少し弾んだ声音で宣誓がなされ、思わず溜め息を吐きそうになる。この国では基本的に離縁は認められていない。勿論なくはないけれど、手続きが限りなく煩雑なのだ。今まさに結ばれた夫たる人物は、迎えたばかりの妻が離縁について思いを馳せているなんて思ってもみないに違いない。



 ―――私からすればむしろ、こうしてロイエ様の妻になった現実が思ってもみなかった事なのだけれど。



「おめでとう、ロイエ。ミランディリアさんも、おめでとう」

「父上、ありがとうございます」

「お義父さま、ありがとうございます」


 神と精霊への誓いの言葉をそれぞれ述べ、司教様による婚姻の宣誓が終われば、挙式は終了。披露宴に移る。披露宴では流石にベールを外された私は、喜び勇んでいの一番にお祝いの言葉をくださる義父へ、なるべくいつも通りの笑みを心がける。

 披露宴の会場はルーデンベルク侯爵家。幼少期から幾度となく訪れたこの侯爵家にこれから住まうと思うとなかなか感慨深いものだなあ、なんて現実逃避は忘れない。ルーデンベルクもシェルダーグも、どちらも古い家で侯爵家と伯爵家。私の同世代では、年の合う格上以上の御家は少なかったから、私はかなり恵まれているのだろう。ホールの片隅、一応招待状は出したけれど交流は特になかった同世代のレディ達の視線が痛いこと痛いこと。彼女たちの視線には羨望、それから別の棘が潜んでいる───気にしないけれど。



「ロイエ、おめでとう。愛しの婚約者殿と結ばれて何よりだ!」

「お祝い頂きありがとうございます」

「夫人、今度私の婚約者に会ってくれないか。女性同士、横の繋がりも必要だろう?」

「殿下、その場合は横の繋がりではなく縦の繋がりです」


 お義父さまが下がられると、今度いらっしゃるのは我が国の王太子殿下。殿下とロイエ様はご学友だ。

 来年には即位される殿下と、気の置けない友人のように軽口を交わすロイエ様。ロイエ様の穏やかな笑顔は、久しく見ていないものだったから思わず見惚れそうになる。けれどもそんなことはできないから、夫人と呼ばれたそれにくすぐったくなる気持ちを押し留めて、ふんわりと微笑むに留めておいた。


 それはそうと、愛しの婚約者殿とは。ロイエ様は私のことをなんと殿下に話したのだろう。

 ちら、と見上げるロイエ様の真意は見えない。私たちは十年来の婚約者だ。私が六歳、ロイエ様が十歳の時に、親同士が友人であったことから結ばれた婚約。もちろん、領地のあれやこれやで利点はある。私は出会ってすぐにロイエ様を好きになったけれど、ロイエ様はどうだろう。一瞬でも私を好ましいと思ってくださったことがあるのか、十年の付き合いがあっても、私はついぞ分からないまま今日を迎えてしまった。


 ―――だって、ロイエ様が好きだったのは、私じゃあない。


 少なくともここ数年は、違う。

 私ではない女性と腕を組んで歩くロイエ様。貴族であれば皆、十か十一の年から五年間通うことが義務付けられている学園で、重なった一年間の在学期間中、ロイエ様と私が学園内で接することはなかった。いつも同じ、私じゃない女性が、ロイエ様の隣にいた。


 ロイエ様が学園に入学されたのは十一の年。私もそれに合わせて、十一になって入学した。ロイエ様が十五の年だ。入学式の日に、私は学園の中庭でロイエ様がその女性と仲睦まじく語らっていらっしゃるのを目撃してしまった。聞けば、その前の年からロイエ様とその女性は想い合っていると学園中の噂だった。




「ロイエ様もお可哀想よね、想う方と別の女性と婚約なさっているなんて」

「気の利く方なら婚約を解消して差し上げるのでしょうけど…あの方はそこまで気が利かないでしょう?」

「気が利かないどころか、婚約者の立ち位置に縋りついていらっしゃるのではなくて?」


 クスクス、クスクスと口さがない悪意を聞かせられる日々。ロイエ様とは学園に入学して、一度しかまともに会えなかった。入学直後に祝いの品として、揃いのペンを頂いて、それきり。だから周りの方たちが楽しげに噂する内容を、私も噂話程度にしか知らなかった。そんな状況で、友好的とはいえ爵位が下の私から婚約の解消を申し入れるなんてできるはずもないのに、周りのご令嬢達はまるで小鳥のような騒がしさだった。


 知らないなら、余計な動きをするわけにもいかない。一応それとなく色々調べてみて、ロイエ様が入学して割合すぐの頃から、一人の女性と懇意になられた事までは分かった。けれどそれだけ。それ以上の情報は、何をどう漁ってもゴシップまがいのお話しか転がっていなかった。


 周りのご令嬢たちは確かにやかましかった。けれど言い返そうにも情報はないし、何となく彼女たちと同じ品性にまで落ちぶれたくなかった。―――というのは強がり半分だけれど。とにもかくにも、手元にはお揃いのペンがある。それをわざわざ直接届けるということは、現時点では婚約者として認識はされているのだなと思い直して、静観することにした。

 クスクスと後ろ指さされても、その分背筋を伸ばして。授業中もコソコソと笑われるのを無視するのに勉強に打ち込めば、あっという間に成績はトップになって二年目からは生徒会に属することになった。そうすると自分より高位の方たちと過ごすことが増えるから、必然的に噂話から距離を取れた。



「ミラはダンスパーティー、どうするの?」

「ああ…もうそんな季節? 今年はお留守番組になろうかしら」

「今年、も、でしょ! そう言って貴方去年も出てこなかったじゃない!」


 学園生活も最終年度。毎年、建国祭近くに行われる学園でのダンスパーティー。初年度はもちろんロイエ様にエスコートを願い出た。けれど、王太子殿下の側近としての職務が忙しくてパーティー中エスコートを離れなければならなくなるだろうから、とお断りのお手紙を頂いた。それならば…とパーティーを欠席して以来、私は一度もダンスパーティーに出席していない。

 生徒会の執務室、私の向かいで腰に手を当てて怒る友人、シャルロッテ―――シャルは生徒会で知り合った。公爵家の令嬢である彼女は卒業と共に隣国へ嫁ぐのが決まっている。最後に私と思い出を作りたいのだと頬を染めながら強請られ、少しだけ出席しようか…と心が揺れた。


「……でもやっぱりやめておく。エスコート頼めるような方もいないし」

「殿下は?」

「恐れ多いし、確かリリアーヌ様…ほら、シュバルツ家の。リリアーヌ様とお見合いされていらっしゃったようだからそちらをエスコートされるんじゃない?」

「そういえばそうだったわ…そうね、殿下もそろそろ婿入り先を真面目に探されるわよね…」


 私の学年の生徒会役員でエスコート相手がいない女生徒は、同学年の第三王子殿下にエスコートを依頼することが多かった。お互いに生徒会役員で、仕事にかまけていたらお互いパートナーを探し損ねたので…なんて言えば周りは関係を邪推せず、その場限りのパートナーとして見てくれるからだ。確かシャルも一度頼んでいた。


「それに…無理に出たいとも思えなくって。ごめんなさい」

「……初年度の噂、気にしているの?」

「……気にしてない、とは言いきれない、かしら」


 気遣わしげなシャルに、思わず苦笑いを返す。私もシャルも、初年度のパーティーは不参加組だ。だから実際のところは分からない。けれど。


 曰く、ロイエ様が懇意にしている令嬢をさすがにエスコートこそしなかったとはいえ、ファーストダンスを踊っただとか。その後も連続ではないにしろ何度か踊っただとか。エトセトラエトセトラ。まあ、ロイエ様とその方が踊ったのは十中八九事実でしょう。でも、ねえ。私さえいなければロイエ様は彼女をしっかりとエスコートしたはず…とまで言われて、さすがに傷つかないなんて無理だった。


「だから、私のことは気にせず参加してきて。こっちでパーティー出るの、卒業式の祝賀祭以外だとこれが最後でしょう?」

「それは…そうだけれど…」

「なら、ね?」


 私を気にするシャルを宥めすかしてパーティーに送り出す。卒業の祝賀祭には、婚約者としてロイエ様もいらっしゃる。ドレスのサイズについて確認のお手紙も頂いた。祝賀祭ではきちんとエスコートしていただけるらしい。

 そっと、生徒会室の自分の執務机に仕舞いこんだメモを取り出す。『仕事だから何も気に止めるな』。ロイエ様の走り書きのメモは、入学祝いとして頂いた万年筆と共に入っていたもの。


 仕事――とあるならば、恐らくそれは王太子殿下の側近としてのもの。そうしたらば、私に内容を伝えることはできない。最初のうちはそう思っていた。けれど、特定のご令嬢と複数年に渡り懇意にし続けるお仕事なんてあるものかしら、と浅慮ながら思う。仕事を盾に、もうロイエ様のお気持ちは私にないのではないかしら、と。

 まあ、それも卒業の祝賀祭でエスコート頂けるか否かで判別つくでしょう。そう気持ちを切り替えて、私はダンスパーティーの事を頭から追い出した。


 そうして、卒業まで変わらず過ごして。ロイエ様の贈ってくださったドレスでファーストダンスを踊った祝賀祭。



 私の学年の卒業を祝う祝賀祭は、かなり大掛かりなものとなった。何せ第三王子殿下も卒業だ。ロイエ様の卒業の年も、王太子殿下の卒業の年で豪華なもので、それに比べるまでもない規模ではあるのだけれど。

 そういえば、学生の間にロイエ様のエスコートを受けられたのはお互いの卒業祝賀祭だけだったなあ、と思う。それも入場とファーストダンスが終われば、彼は王太子殿下の傍についていたので、私はファーストダンス以降は放置されたようなものだったけれど。でも正式にエスコートを受けたことがあるのは、恐らくは私だけ? でもそれだけで楽観視もできないし、分からない。


 卒業後はすぐにお互いの両親も巻き込んで結婚の準備が進められた。何かに急かされるように、ロイエ様は諸々の段取りをテキパキとこなされた。一般に、男性は結婚のあれやこれやを厭うものだと思っていた。よく淑女の諸先輩方からも聞く話だし。それこそ隣国に嫁いでひと月経たぬ間にシャルから届いた手紙に唯一お相手の欠点として書かれていたのがまさに結婚のあれやこれやに関してだった。

 あの女性のこともあるし、てっきり卒業してもしばらくは結婚のケの字も出ないだろうと油断していた私が置いてきぼりを食らいかける事も度々あった。その都度、ロイエ様は言葉少なに、けれどしっかりと私をおっちょこちょいだと苦笑いながらサポートしてくださって。



 嗚呼、あれは本当に何かしらのお仕事で。いつか遠い未来で学生時代の話ができるに違いない、と思ったのだ。



「……ロイエ、様と…あの方、」


 結婚式の準備もひと段落して。あとは細やかな手配だけとなったある日、たまにはロイエ様のお仕事場に差し入れでも…と、王都で流行りの菓子店に向かった私が見たのは、学生時代に見た光景と同じだった。


 否、同じというより尚悪い。

 腕を組んで歩く二人は仲睦まじく、私が割って入って婚約者ですと名乗りを上げても、はて錯乱した女が来たと言われるだろう。そのくらい、二人は親密な素振りだった。柔らかく微笑んで、件のご令嬢に寄り添ってエスコートするロイエ様。ご令嬢はそんなロイエ様を愛おしいと言わんばかりの熱の篭った瞳で見上げて、しなだれかかるようにしている。


「次はどちらに向かいますの?」

「どこがいいか。...ああ、以前話していた職人の店があちらに」


 キラキラとした二人の声が遠ざかっていく。

 あの方は確か、教会の庇護を受けた子爵令嬢だったか。どんな方なのか調べようと思えば幾らでも調べられたけれど、数代前に婚約者が自分とは別の恋人を囲った事で、嫉妬に狂った女性がその恋人を害し、騎士団が動くほどの大事件があったという。

 シェルダーグ家は教会と距離を保っている。もしも私が彼女を害すような動きを見せたら――いえ、私がそんな動きを見せなくても、彼女が何者かに害されでもしたら。多くの人が犯人を決めつけて私を、そして我が一族を後ろ指差すだろう。教会派の家が我が家をやっかみで陥れる――なんて事もないとは言えない。ルーデンベルクと繋がりたい家も多いし、そうなった時に疑われたり状況証拠とされかねない要素は排するべきだ。


 だから私は、彼女を調べない。彼女を知ろうとしない。名前すら、覚えてもいない。興味がないのだと、ロイエ様が誰かに心を傾けるなど不誠実な真似をするはずがないと微笑んで全てを躱してきた。それでも追求する者には、仕事に口を挟むわけにはいかないでしょう? と物分りの良い婚約者の顔をして。


「……ロイエ様は、私でいいのかしら」


 ぽつり。こぼれた弱音に、返事はない。けれどその問いは、私の心の奥に根を張ってしまったのだ。




 そうこうしているうちに迎えた、結婚式。

 途中も二度ほど、ロイエ様と彼女のお姿を見た。だから最後の方は、もう花嫁を私と彼女とで入れ替えるんではなかろうかと心の底から思ったものだ。結局、そのまま式は滞りなく開かれ、終わり――披露宴も終わった今、夫婦の寝室で手持ち無沙汰に立ち尽くしている。

 ルーデンベルク家で既に私につけていただいていた顔なじみの侍女に湯浴み諸々支度を整えられ、身に纏うのは薄い布地の夜着だけ。心許ないことこの上ない。


「……どうしたら良いのかしら...」


 扉の真ん前に立ち竦んでいるのはどうかと思うし、けれどもベッドに腰を下ろすのは今の私の心境的に嫌だ。悩ましい。とりあえずベッド近くまで歩みを進めて、それでまた悩む。


「……ミランディリア」

「っ、はい」


 不意に響くノック音と、ロイエ様の声。裏返る声で返事をし、彼を迎える。


「……冷えるだろう。先に...その、ベッドに入っていてくれても、」

「あ…いえ、大丈夫、です」

「そうか...?」


 立ち竦む私にロイエ様は一瞬目を見開いて、ベッドに入っていてくれてよかったと言う。何も無ければ私もきっとそうして待ったのだろうけれど、この結婚が何かの間違いではと疑う気持ちが欠片でもある今、それは出来なかった。震える声で小さく首を振れば、ロイエ様はおそらく彼のものだろう羽織を手に取り、私の肩に掛けた。


「少し話をしたい。…良いだろうか」

「……はい」


 ああ、と思った。これは白い結婚を申し込まれるか、はたまた例のご令嬢を第二夫人に迎え入れたいとか、そういった話かもしれない。だってロイエ様が珍しく緊張した面持ちをなさっている。それ以外に、思い当たる話がない。



「……疲れて、いないか?」

「いえ…緊張はしましたが、お義母様やお義父様がご挨拶にいらっしゃる方をうまくコントロールしてくださっていましたし…おかげで、予想よりは」

「そうか、なら良かった」


 彼が寝酒で飲むのだというラム酒をグラスに舐める程度注がれて渡される。彼のグラスにはなみなみと注いであった。今までお酒をご一緒する機会はあまりなかったから、知らなかった。


「なあ」

「はい?」

「その…これからは、ミラと呼んでも?」

「え…ええ、はい。勿論」

「ミラ…ありがとう」


 ふわ、と微笑むロイエ様に頬が上気するのが分かった。それにロイエ様はまた小さく笑う。頬を片手で撫でられて、気恥ずかしくて彼から視線を逸らした。


「……ずっとミラに謝りたかったことがある」

「!」


 きた、と思った。咄嗟にお腹に力を込めて、何を言われても動揺しないようにと身構える。無意識に、グラスを握る両手に力が入った。


「学生時代、余計な心労をかけてすまなかった」

「……え?」

「心労だけではない。王太子殿下からの勅命だったとは言えまともな説明も出来ないまま、あまりエスコートすることも出来ず、何ならミラに言われのない中傷が向かったのは俺の立ち回りが下手だったためだ。謝って済む問題ではないが…」

「え、あの、ロイエ様…?」

「ん? なんだ?」


 ロイエ様から言われたのは、私が周囲の噂好きのお節介な方にニヤニヤと悪意の言葉をかけられた時に返していた、こうだったら救われる、と思っていた内容。咄嗟に彼の怒涛の謝罪を遮れば、ロイエ様は優しい眼差しでこちらを見つめてくださる。


「…あの、例の…ご令嬢は……」

「ああ…すまない、先日までも何度か会わなければならず、会った。だが今後は二度と会うことはないし、ミラの周りにかの令嬢が現れることもない、安心してほしい」

「そう……ですか。あの、お仕事…について、伺っても…?」

「やっと終わったからな。伝えても問題ない…か。これから話す内容は内密にしてほしい。もっとも、知っている人間は知っているんだが……」


 ロイエ様が重い口を開いて話し始めたのは、大変な内容だった。教会のトップであられた大司教の汚職、それから大司教はじめ、教会幹部の総入れ替え。かのご令嬢は教会派の方。しかも聖女候補として庇護されていた身だという。そこを足掛かりに――というかご令嬢の全面協力により、汚職の証拠を全て揃えて、キチリと大司教達へ提示し、失脚させたのだという。


「令嬢は祖父ほど年の離れた大司教に言い寄られ、果てにはかの子爵家も命惜しくば令嬢を嫁に出すよう脅されていたらしい」

「なんてこと……。それで、ロイエ様…いえ、王太子殿下にご協力を?」

「ああ。表向き、求婚を受け入れた振りをして諜報の真似事をしてもらった。最初は上手くいかず、王家側の知られても構わない情報を令嬢経由で流し、信頼を得させる形に作戦が切り替わり……」

「なるほど。皇太子殿下が矢面に立たれるわけにもいかず、ロイエ様は令嬢に篭絡されたと見せて、彼女に協力していらしたのですね」

「……その通りだ」


 なるほど、なるほど。それでは私に仔細を話す訳にはいくまい。私への信用などとはまた別の話、もしも不測の事態が起きた時、秘められておくべき情報は安易に共有してはならない。途中心の底では諦めが広がっていたけれど、頂いた走り書きのメモを信じていて良かった。あのメモに従って『こうだったら』と話していたことは、結局事実だった。それが私とロイエ様が同じことを考えていたようで、通じ合えていたような気がして。心から嬉しくて、じんわりと胸が震えるようだった。


「……怒らない、のか?」

「何故です?」

「事実をろくに伝えず、メモ書きだけで分かってもらおうなどと…それは傲慢にも程がある、と」

「……どなたかから言われたので?」

「……王太子殿下からだ。内容を仔細に伝えずとも、やりようはあっただろうと…その、」


 ぐしゃぐしゃと前髪を片手で乱して、ロイエ様は自身の膝元に崩れ落ちるように項垂れてしまった。そういえば、と思い出す。最後のパーティーを欠席するのを決めた時、学友であり同じ生徒会の仲間であった第三王子からいたく心配されたのだ。その時に零れた一言の弱音が、回り回って王太子殿下に伝わったのかもしれなかった。


「……ごめんなさい、ロイエ様。私が一部とはいえ…弱音を聞いて頂いていた方がいらしたからご心配を、」

「そうじゃない」

「?」

「ミラが……ミラは謝ることは何もない。謝るべきは俺だ。怒ってくれていいんだ。ミラに危険が及ばない範疇での説明をどうしたらいいか分からず、結局ただあれだけのメモ書きで信じてもらおうとした俺が、君に無駄な心労を掛けたんだ」


 握りしめたままだったグラスを取り上げられて、ロイエ様がそっと控えめに、私を抱き寄せる。羽織越しとはいえ、その下は薄い夜着。今までになく近い距離で感じる彼の体温に、かあっと頬に熱が集まるのを感じた。


「その…俺は口が上手くないし、今回もミラが信じてくれたらこそ、こうして丸く収まっている。こんな俺でも…その、」

「ずっと」

「?」

「ずっと……お慕いしておりました、ロイエ様」


 優しく抱き締められていた腕が乱暴に解かれて、ロイエ様が驚いたような顔で私を見る。パクパクと声にならない何かを吐き出そうとする彼は、まるで迷子の子供のようだった。

 それでふと、思う。私ですら、彼によく思われたくて――ようは格好付けて、物分りのいい婚約者として過ごしてきた。もしかしたら彼も、何か格好付けて過ごしてきたのかもしれない。そう考えれば、彼がこうして吐露したのは格好悪い彼の姿だろうし、そこに私がストレートに愛を伝えたら――それはそれは驚くだろう。ロイエ様の心の機微を何となく察して、ふわ、と微笑んでしまう。呆然とした様子だったロイエ様の頬が少し赤く染まった。


「私ずっと、ロイエ様がお好きなのは私ではないと思ってたんです。でも、それは勘違いだったと思っても?」

「勿論だ!」


 がば、と再度抱きしめられる。先程までの躊躇いがちな抱擁ではなく、かき抱くような力強さに、まるで今まで欠けていた何かがカチリとハマるような感覚さえあった。満たされる、とはきっとこういうこと。



「ふふ、悪役令嬢なんて呼ばれてたのは返上ですね。だって悪役も何もなかったんですから」

「待ってくれ、悪役令嬢ってなんだ。誰がそんなことを?」

「え? 恋人たちを引き裂く悪役令嬢と…」


 想いが通じあっていた事を確認できたのが嬉しくて。多分余計なことを言った自覚がある。悪役令嬢、と陰口叩かれていたのを最早いい思い出だとポロリと零せば、ロイエ様の目が鋭くなった。

 

「……言い出したのは?」

「言い出し…ええと、確か……バルド伯爵家の…」

「ああ、双子のご令嬢か。……ふうん?」

「えっ、あのロイエ様…?」


 にこり、と仕事用だなと分かる笑みを浮かべて、ロイエ様は私を抱き締めたままグラスのアルコールを煽る。さら、と髪を梳く指先があまりにも優しくて、思わず目を細めてしまう。


「もうミラは何も悩まなくていい。これまで苦労をかけた分、俺が守るから」

「ロイエ様…」


 甘やかな空気の中、触れた唇の熱に酔いしれる。本当にこの人の妻になったのだと、実感が胸を打つ。


 その後、私の評価は『婚約者を健気に待ち続けた令嬢』に。そして『婚約者を健気に待つ令嬢を寄ってたかって貶した悪役令嬢』として、バルド伯爵令嬢はじめ、結婚式で私を睨めつけていたご令嬢方が方々で後ろ指さされる事になるのだが――この時の私は知る由もない。

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― 新着の感想 ―
ん~…でも、貴重な青春、学生時代を、仕事とはいえ、ほかの女の子と過ごしてた訳でしょ?? 学生時代の思い出話は全部その子ですよねぇ、いくら守っていたと言っても、婚約者とはしないデートをして、婚約者ちゃん…
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