雪山で遭難して雪女に出くわして「俺はここで死ぬのか……」と思ったら「起きてよ! こんなところで寝たら死ぬでしょ!」とビンタされた
会社員であり休日の登山を趣味とする武藤大介は、登山仲間からこんな噂を聞いた。
「知ってるか? 雪女が出るって山の話……」
「雪女?」
「あそこは冬になると雪が積もって、険しい環境になる。で、あそこで死にかけた登山者はみんな雪女を見てるんだと」
「その雪女が悪さしてるせいで死にかけたってことか」
「話を信じるならそういうことだろうな」
こうなると大介の登山者魂に火がついてしまう。
なぜ山を登るのか――そこに山があるから。
まして、雪女が出るなどと噂が立っているのなら挑戦せずにはいられなかった。
「よし……今度の休日、俺が挑戦してやる!」
「やめた方がいいって……。ただでさえ雪山登山は危険だってのに」
「大丈夫、しっかり準備していくし、そうすれば雪女の方から俺を恐れて寄ってこないさ!」
自信満々の大介。彼は雪女など信じていないし、まして自分が遭難するなどとは微塵も思っていなかった。
***
大介は遭難していた。
吹雪の中、道なき道をあてもなくさまよう。
大介も登山を趣味とするだけあって、屈強な肉体を持っており、精神力も人並み以上のものがあった。
しかし、そんな体力と精神力が冬山の厳しい環境に容赦なく削り取られていく。
敗因は山の険しさや準備不足もあろうが、結局のところ「慢心」によるものだろう。
「ち、ちくしょう……ここまで、か……」
ついに力尽きてしまう。
自分の体に雪が積もっていくのが分かる。
冷たい雪に徐々に体温を奪われ、命すら奪われていく。
大介は眠気をもよおしてきた。このまま眠ってしまえばおそらく雪に埋もれ、凍死するだろう。だが、山登りを趣味とする者として、そんな死に方も悪くないなどと考えていた。
そんな大介の元に、一つの影が訪れる。
「なん……だ……?」
大介が顔を上げると、そこには白い着物をまとった女が立っていた。
「まさか……」
これが雪女かと大介は確信する。
雪女は倒れている大介に近づいてきて、膝をついた。
近くで見ると、雪女は若く美しい容姿をしていた。
この猛吹雪の中、薄手の着物だけであることからも、彼女が人ではない存在だというのが分かる。
「俺は……ここで死ぬのか……」
しかし、大介に不思議と後悔はなかった。
大好きな山で、こんな美しい女に看取られて死ぬのならば本望だと心の底から思った。
ところが――
「起きてよ!」
「!?」
いきなり怒鳴られた。
眠りかけていた大介は驚いてしまう。
「こんなところで寝たら死ぬでしょうが! 早く起きて!」
雪女は大介の胸倉をつかむと、
「起きて!」
ビンタをかました。
「起きなさい!」
もう一発。
「な、なにすんだ!」
いきなり往復ビンタされ、驚きと痛みで大介の意識もはっきりする。
「あ、起きた? 立てる?」
「うう……」
「あーもう、しょうがない! 家まで運ぶから、くたばらないでよ!」
雪女は大介の手をつかむと、吹雪に乗って空を飛び、大介を運んだ。
やがて、一軒の小さな家屋にたどり着いた。
***
木造の簡素な建物。
しかし造りはしっかりしており、寒さを防ぐには十分な住居だった。
毛布にくるまり、暖を取る大介。
雪女はというと――
「あちち……できた!」
台所から出てきて、お椀を持ってきた。
「ほら、お味噌汁よ。体があったまるわ」
「……」
大介は無言で味噌汁を受け取ると、そのまま一口、二口と飲んだ。
「ったく、愛想がない人」
雪女は呆れた様子だ。
大介は味噌汁を飲みながら尋ねる。
「なんで俺を助けた……」
「え?」
「あんたは……雪女だろ。俺を助ける必要なんてないはずだ。なのにどうして……」
この問いに雪女は眉間にしわを寄せた。
「あんなとこで死なれたら迷惑だからに決まってるでしょ!」
「え」
ぎょっとする大介。
「遭難者が出ると、捜索隊がうじゃうじゃ入ってきて、こっちは静かに暮らせないのよ! 後味も悪いしさ!」
こんな調子で文句を言い続ける雪女。
これには大介も調子が狂ってしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「なによ?」
「俺はこの山には雪女がいて、それを見た奴はみんな死にかけたと聞いて、この山に来たんだ。雪女に挑戦するつもりでな。だけど、逆に助けられてしまった……」
大介は話しながらハッとする。
「あんたはもしかして、登山者を死に追いやってたわけじゃなく、助けてたのか!」
「そうよ。てかなんで人間なんか殺さないといけないの。いっとくけどね、私がこの山に生まれてから、この山で死んだ人間は一人もいないの! 感謝状でも貰いたいぐらいだわ!」
「あんた……いくつなんだ?」
「私の年齢は……って言わせないでよ!」
「ご、ごめんなさい!」
つい謝ってしまう。
大介はじっと雪女を見る。
「それにしても……」
「なに?」
「雪女がこんなに綺麗な人だとは思わなかった。いたとしてももっと恐ろしい姿を想像してたから」
本心から出た言葉だった。
雪女は新雪のような白い肌をしており、顔立ちも整っていて、儚さの漂う美女であった。
「ふん」
雪女はそっぽを向いた。
大介はお世辞に聞こえてしまったかな、と後悔した。
「私のことを綺麗って……褒めても何も出ないんだから!」
「そうだよな。悪かっ……」
「あ、おにぎり食べる? 漬物もあるわよ」
「……」
色々と出てきた。雪女のリアクションは実に分かりやすかった。
「まったくもう……私が綺麗だなんて……ホント見え透いてるっていうか……」
ぶつぶつ言いながら、さらに食事を用意してくれた。味噌汁以外にも色々と作っていたらしい。
食べてみるととてもおいしく、大介はすっかり回復した。
「そうだ、名乗ってなかったな。俺は武藤大介っていうんだ。あんたの名前は?」
「私は……氷奈っていうの」
「ヒナ?」
雪女こと氷奈は、自分でもあまり自分の名前を気に入ってないようで、
「変な名前で悪かったわね!」
と声を荒げる。
ところが大介は冷静に答える。
「いや……可愛い名前だな、と思って」
「お茶でも飲む? 温まるわよ」
またも分かりやすい反応をするのだった。
しばらくすると、外の吹雪が止んできた。
「だいぶ収まってきたな……」
「しばらく吹雪はないだろうし、今のあなたなら下山できるでしょ」
「ああ、本当にありがとう」
「どういたしまして」
山小屋を出ようとする大介。最後に振り返る。
「ヒナさん」
「なに?」
「また……来てもいいかい?」
「!」
大介の言葉に氷奈は驚いている。
「いいけど……今度遭難してももう助けないわよ」
「分かってる。次はもっときっちり装備を整えるし、絶対無茶はしないさ」
「ならいいわ」
「ありがとう!」
再会の約束をすると、大介はそのまま山を下りた。
雪道にも関わらず、その足取りはとても軽やかであった。
***
それからというもの、大介は休日になると氷奈のいる山に足を運んだ。
初めこそ遭難してしまったが、大介は同じ轍を踏まなかった。入念に準備を重ね、慢心もない彼ならば氷奈のいる小屋まで苦もなくたどり着くことができた。
「ヒナさん、また来たよ!」
「あらいらっしゃい」
氷奈も歓迎してくれる。
「今日も綺麗だ」
「またお世辞なんか言って……何も出ないわよ。あ、豚汁飲んでく?」
こんな具合に褒めるとすぐ食事を差し出す氷奈だった。
大介もこれには悪いと思い、
さて、そんな日々が続いたある日――
大介と雑談中、氷奈が舌打ちする。
「どうした?」
「遭難者が出たわ」
「え、なんで分かるの?」
「この山は私の庭みたいなものだからね。誰かが山に入ったとか、異変があるとすぐ分かるの」
遭難者の有無は雪女ならではの感覚で分かるようだ。
「今日は俺が遭難した時より遥かに悪天候なのに、登山してたのがいたのか」
「ええ、人間ってのは愚かねえ。死ににくるようなものよ」
「まあな。だけど気持ちは分かる」
「あなたもそうだったしね」
うなずく大介。
「だけど死なれたらたまらないわ。助けに行かなくちゃ」
「だったら俺も行くよ」
「え? いいの?」
「ああ、俺もだいぶ雪山に適応してきたし、今なら君を手伝える!」
「ありがとう!」
こうして大介と氷奈は遭難者のところに向かった。
彼が言う通り、今や大介も雪山に適応している。氷奈に苦もなくついていく。
すぐに二人は遭難者の元にたどり着いた。一目見ただけで装備は不十分と分かり、かつての大介以上に無謀な登山者だった。
「起きて!」
「起きろ!」
「うう……」
二人で遭難者を起こし、引っぱたき、温め、ふもとまで届ける。
意識を取り戻し、自分で歩いて帰っていったので命に別状はないだろう。
氷奈が大介に向き直る。
「ありがとう、手伝ってくれて」
「いや、礼を言うのはこっちの方だよ」
「え?」
「君のおかげで俺と趣味を同じくする人間が助かったんだから……。君はこの山を登る全ての人間にとっての大恩人だ。君という女性がこの山にいてくれることに、俺は感謝しかない」
「大介……」
笑みを浮かべる二人。
大介は休日のたびに氷奈に会いに行き、時には共同作業で遭難者を助けたりするのだった。
***
ある夜、大介は登山仲間と居酒屋にいた。ビールと焼酎がいくらか進み、「あの山」へと話題が移る。
「そういや聞いたかよ、武藤」
「ん?」
「以前“雪女が出る”って話した山あったろ」
「ああ……あったあった」
大介はすでにその雪女の住処や名前まで知っている。が、教える気は毛頭ない。彼女の平穏を乱したくない。
「その山がどうかしたのか?」
「最近あの山に……雪女だけじゃなく“雪男”まで出るようになったんだと!」
「え」
「遭難して助かった奴が“雪女と雪男に出会った”なんて言ってるらしくて……」
「へ、へぇ~」
その“雪男”が誰なのか大介にはすぐ分かった。
まさか自分も怪異扱いとは、と苦笑するしかなかった。
大介はこのことがさらに無謀な挑戦者をおびき寄せてしまうのではないかと危惧したが、さいわいそうはならなかった。
やはりそんな山は危険だと言う風潮が蔓延し、未熟な登山者が挑むことはなくなっていったのだ。そうすれば遭難の危険性はほとんどなくなる。
このことを報告に行くと、氷奈も喜んでいた。
「よかった。これでやっと私も遭難者のお守りから解放されるのね」
「そういうことだな」
「もうすぐ冬は終わるけど、後はのんびり過ごせそうだわ」
冬は終わるというフレーズから、大介はある疑問を口にする。
「そういえば、春になったら君はどうなってしまうんだ?」
「別にどうもしないわよ。ここでひっそり暮らしていくわ」
「え、そうなの?」
「そうよ。もしかして、暖かくなったら消えちゃうとでも思ってた?」
「まあね」
「残念だけどそんなやわな性質じゃないわよ、私は」
春になっても氷奈には会える。そう思うと大介はほっとした。そして――
「だったら」
「?」
「春になったらまた来てもいいかな? 二人で山を歩いたりしてみたいんだ」
「別に……いいけど」
「やった! ありがとう!」
大介に手を握られ、氷奈も目を丸くしてしまう。その透き通るような白い頬がほのかに赤くなっていた。
***
やがて春が来た。
春になると冬場の厳しい環境が嘘のように過ごしやすい山となる。
登山者どころか大勢の家族連れや観光客まで訪れる。
そんな楽園と化した山に大介も登る。目当てはもちろん氷奈である。
彼女の家に行くと、氷奈がいた。
春の気候になったからといって、暖かくて辛い……ということはないようだ。いつも通りの着物姿で平然としている。
「ヒナさん」
「なに?」
「こんな陽気だし、ピクニックにでも行かないか?」
「ピクニックって……男は下らないことが好きね」
ため息をつく氷奈。
しかし、そう言いつつさっそくリュックサックを背負う。
「そんなの持ってたのか」
「雪女がリュック持ってちゃ悪い!?」
「いや悪くない! 悪くない! だけど他の登山者に見られるとまずいかも……」
「平気よ。服を着替えれば、私もただの人間にしか見えないしね」
いつもの着物姿から洋服に着替える氷奈。
洋服も持ってたんだ、と驚く大介。
氷奈の自宅を出て、ピクニックを開始する二人。
雪がすっかり解けた山道を歩く。程なくして中腹にある野原にたどり着いた。短めの草が生い茂り、休憩には持ってこいのエリアである。
シートを敷いて、「弁当にするわよ!」と張り切る氷奈。
そんな氷奈を見て、大介はぽつりと言った。
「雪山で冷たくたたずむヒナさんもよかったけど、こうして穏やかな気候の中草花と戯れるヒナさんも素敵だな」
この褒め言葉に、氷奈は顔を真っ赤にする。
「も、もうっ……褒めても何も出ないんだからね! サンドイッチ食べる?」
「食べる!」
おわり
お読み下さりましてありがとうございました。