第8話 暴虐の騎士ボルノフ
コミック7話相当部分となります!
ルップル村
戦いの跡を見ながら見知らぬ男達が腕を組み唸っている。
「なるほど。ルップルがグボン一党を壊滅させたと言うのは本当だったか……」
「撃退したというなら聞いたこともあるが、完全に潰してしまうなんてなぁ……いやはや」
彼らは近隣の村からやってきた客――つまりはグボン山賊団をルップルのような小村が潰したのが信じられなくて確かめに来た者達――だ。
「ゴルラが勇猛なのは俺の村でも評判だったがこれほどとはな」
もちろん近隣の村とは言っても所詮は別組織だ。
形ばかりの称賛が終われば、そこからお互いの利益のために腹を読み合っての騙し合いが始ま――。
「まったくすげぇなぁゴルラ! まったく大したもんだぜ!!」
「お前ならやると思ってたぜ! もって来た祝い酒は無駄にならなかったな!」
「村の奴らには盛りに盛って伝えてやるぞ! まずは宴会だ!」
始まらなかった。
歓声をあげてゴルラに抱きつく客人達の姿に深刻な顔をしていた俺は拍子抜けして脱力する。
「ドロドロの交渉劇は?」
「ユーリ、なに言ってんの。にっくきグボンをやっつけたんだからお祝いに決まっているじゃん」
リシュに言われてそりゃそうだと笑ってしまう。
悪い奴らを倒したならば、皆で祝うだけ。
これが当たり前で、戦いが終わった傍から牽制し合って次の戦いに備える……なんて方が異常に決まっている。
ゴルラは「戦後処理が」「怪我人の見舞いが」と抵抗するも、ルップル村の者達にも引っ張られていき、すぐに宴会が始まった。
「わははは! よーしゴルラにも負けぬ俺の肉体美を見せてやる!」
「こいつ本当に全部脱ぎやがった。ははは、言うだけあっていい体じゃねえか!」
「きゃあ! 下まで見えてるじゃないのぉ……もー」
調子に乗って裸になった中年男に男達の笑い声と女性陣の悲鳴が響く。
「あらぁ、そういう流れ? なら私も見せちゃうわねぇ」
「う、うおっ! すっげえ体」
「で、でっけぇ……これタダで見ていいのか……?」
「いいわけないでしょうが!」
続いて脱いだドスケベ姐さんに男性陣が血走った目を向け、嫁に制裁されて悲鳴があがる。
元々酔って騒ぐ方ではない俺は馬鹿騒ぎからは距離を置いたが、その喧騒は心地良く聞く。
不戦の誓いは早々に破られてしまったが、昔に戻った訳でない。
策謀も打算もなく喜び騒ぐ村人達、褒めちぎられて困るゴルラに元気で可愛いリシュ。
そしていつの間にか隣にいるのは。
「魅力的な大人の女性」
「へ?」
目を丸くして俺を見る三十路ほどの女性。
しまった口に出ていたか。
「失礼、なんでもありません。ところで何か御用でも?」
こんな隅の方に来るからには俺に用があるとしか思えない。
ちょうどリシュはトイレにいったので、今ならこっそりお誘いに応じることができだろう。
「ええ、実はゴルラさんから貴方は大層物知りだとお聞きしまして」
「……そうですか」
宴の雰囲気でのお誘いだったら最高だったのに。
肩を落とす俺に首を傾げながら女性はモソモソと書類を取り出す。
「実は私【ゴモモ】という村で行商人との交渉を担当しているのですが、今一つ上手くいかず、お知恵をお借りできればなと」
仕事の話でも美人と話せることには違いない。
ここでは公も私もないのだから俺を自由だ。
「地図はありますか?」
女性が出した地図は等高線どころか地形や縮尺もメチャクチャ描きながら二回ほどクシャミしたと思われる酷いものだったが、一応参考にして指でなぞる。
「あ、少し暗いですね。……えい」
暗かった手元が不意に明るくなった。
女性が灯りをつけてくれたらしい。
俺がやる時は火打石をガチンガチン何分も鳴らしてやっと火が付くのに、音も聞こえないとは大した手際だと感心する。
灯された光で地図を見る。
「こりゃ地獄みたいな補給線だね」
「ほきゅ……?」
地図を見ながら頭の中で交易商人の動きをシュミレートしてみる。
「まず領主屋敷もある交易の中心【シローネ】を出て、一番近くにあるのが貴方の村です。しかし貴方の村の特産は焼き物……これは重くて壊れやすい。最初に積むのは嫌なのでまず通り過ぎます」
女性はふむと頷く。
髪からふわりと良い香りが漂った。
娘ではなく女性の匂いだ。素晴らしい。
「すると道が二股に分かれます。片方は野菜が特産の村、そしてもう片方が魚の塩漬けが特産の村です。どちらも行って戻るので二倍の時間がかかります。おまけに獲れ物だから量が安定しない。行って物量が無ければ赤字になってしまう。これじゃあ相当安く叩けないと商人は来ませんよ」
ついでにどっさり物を確保できてしまうと焼き物を乗せるスペースがなくなると言うわけだ。
なにがどれだけ積めるのか行ってみないとわからないのは輸送側としては相当辛い。
「なるほど……どうすればよいのでしょう?」
「中間集積所を作れば改善します。ある村には魚と野菜、別の村には木材と煉瓦など大きさや重さの傾向が似た物品を各村から集めてまとめるのです。おっと」
話に集中する女性が前屈みになったことで胸元が見える。
かっちりした服で気付かなかったがなかなかに豊満だ。
「でもそれだと私達の運ぶ手間が増えますね。行商人の仕事を肩代わりすることになってしまいます」
「その分価格の交渉ができますよ。商人の立場になれば、一つの場所で欲しい物が揃う上に荷馬車の重量・体積の計算もやりやすい。これなら今までより相当高値で買っても利益が増えますから」
俺は心持ち背筋を伸ばして角度をつける。
成熟した女性らしい軟らかい胸が重力に引かれて胸元を広げており、谷間どころか胸全体の形までわかりそうだ。
「可能なら近隣の村で使う樽や箱などを全て同じサイズの物にすると尚良いですね」
全て同じ箱であれば積載量を正確に計算できる。
輸送にはとても重要なことだ。
軍時代には普通の型から外れた『特別規格』の物資が鉄道駅や集積地に最後まで放置されているのをよく見たものだ。
女性は興味津々の様子で更に前のめりになっていく。
もう少し……もう少し興味を引けば前から零れるのではなかろうか。
「コホン。これは行商人の出した契約書ですよね? 見せて貰っても良いですか?」
こちらの文字はまだ完全に読めないが数字を表す字は理解できている。
「無意味に関数を使ってこねくりまわしていますが、計算にちょっと首を傾げたくなる部分がありますね。そこをつつけば更に譲歩させられるかもしれませんよ」
「そうなのですか? もしかして商家の出でいらっしゃる? 私も半端ながら商売の教育を受けていたことがありまして、それで行商人との交渉役を任されているのですけれど貴方に比べると全然です」
「はは、商売なんて難しいことはとてもできませんでしたよ」
俺の配属希望は第一志望が会計部、第二が補給部だったので経理や物資輸送の勉強は欠かさなかった。
ちなみに希望は綺麗さっぱり無視されて参謀部に配属された。
軍学校時代の机上演習で現役将校を負かしたのが悪かったと後に聞いた気がする。
「ところで……気付いていますよ」
そこで胸元を見る俺と女性の視線が合う。
おっとバレてしまった。
俺は困ったように胸を隠す女性に対して姿勢を正してから深々と頭を下げる。
「失礼しました。美しいものだったのでつい見てしまいました」
「こ、こちらこそ年増のお見苦しいものを」
おっとそれは否定しないと。
「なにを言います。一番魅力的な年齢じゃないですか」
「まさか! 色々あって行き遅れてもう三十路ですよ? 結婚も諦めて村の為にと……」
俺はゆっくりと首を振りながら女性を見つめる。
中世社会は結婚も早かったらしいけれど、俺としては30なんて食べごろも食べごろだ。
「本当に?」
無言で頷く。
女性は周囲を見回すが、こちらに注目している者はいない。
「お互い大人ですし……少しだけ遊びます?」
「喜んで」
背後にリシュがいないか警戒しながら女性の腰に手を回す。
俺達はそのままイソイソと宴会場を抜け出して……。
「ところで……お前らもう聞いてるよな? ボルノフの野郎のことだ」
どんちゃん騒ぎをしていた村人達の口調が不意に深刻なものに変わる。
「知ってるどころか俺達の村にも来たよ。見回りとか抜かして飯も酒も食い倒した上、面白半分で家一軒焼いていきやがった」
途端に女性は俺の手から抜け出し、少し待ってとジェスチャーして話に加わってしまう。
「本当ですか? 最近は大人しかったのに」
俺は寂しくなった手で虚空を揉みしだく。もう少しだったのに。
「クフフ。振られよったわい」
いつの間にか戻って来たリシュがニヤニヤしているので、溜息を吐いてリシュの頭を揉……撫でる。
「あぁ……硬い」
「手付きが不穏なんだけど」
さて女性を奪ったのはどんな話題なのだろうか。
「アイツはある意味山賊より質が悪いからな」
「こっちに来ないように祈るしかねえ。災害みたいなもんだぜ」
深刻な話のようだが、ルップルに差し迫った話でないならゴルラに任せておこう。
俺はまだニヤニヤとからかって来るリシュをいなしながら手だけを酒の入ったコップに伸ばす。
「あん」
「む?」
やけに軟らかい感触に視線をむけるとドスケベ姐さんの胸を掴んでいた。
「あらぁユリウスちゃん。それはコップじゃなくて私のカップよぉ」
しかも姐さんは先程脱いだまま服を着ていない。
「これは失礼。こんなに大きくて立派なカップで軟らかい間違えるなんて」
謝りながら2度ほど揉んだところでリシュの飛び掛かり三角締めが極まる。
「ぐぇぇ!」
「こいつは本当にもう! どうだ! 可愛い女の子と密着できて嬉しいか!?」
痛みでそれどころではないが命の恩人リシュに嘘はつけない。
「ぐぇぇ嬉しい……それにほのかに温か……」
「ほわっ!」
照れたリシュの力が倍化して首から嫌な音が鳴る。
「まあいざとなったらゴルラがいるさ」
「そうそう、グボンだって蹴散らしたお前がリーダーをやってくれればボルノフもなんとかなるさ」
薄れ行く意識の中で最後に見たのは、半ば世辞と冗談だろう言葉をかけられて俯くゴルラだった。
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西の村
「ど、どうぞ」
椅子に限界まで深く腰掛けて傲慢な態度を隠さない男。
その粗野な腕に抱かれた女が震えながら酌をする。
「おせえよグズが」
男……ボルノフは注がれた酒を一口飲み、舌打ちと共に吐き出した。
「なんだこの不味い酒は! つまみも食えたもんじゃねえ!」
ボルノフはジョッキと皿を平伏する老女に投げつける。
「あうっ!」
老女は中身の入ったジョッキを額に受けて床に倒れこむ。
「ぎゃっ!」
慌てて立ち上がろうとした老人の頭が踏みつけられる。
「誰が頭あげていいと言った? たがが村長の分際で、貴族の俺に逆らうってのか? ああ?」
ボルノフは足に体重をかけ、老人の頭蓋骨がミシミシと音を立てる。
「や、やめて下さい……お父さん、お母さんっ!」
ボルノフの腕に抱かれた娘が泣きながら懇願すると、ボルノフは舌打ちをして父親の頭から足を放し、娘も投げ捨てる。
娘は受け身も取れずに床を転がり、両親共々すすり泣いた。
「まぁまぁボルノフ様。飯も酒も田舎村にしちゃ悪くないっすよ」
「こんな寂れた場所で晩餐会みたいな料理を期待しても無駄ですよ。ハハハ」
ボルノフはガツガツと飯を貪る部下2人に向けて鼻を鳴らす。
「俺はお前らと違って舌が肥えてんだよ。だいたいそんな食い方で飯の味なんてわかんねえだろが」
部下2人はそれぞれ隣に女を座らせ、胸元や裾から手を突っ込んで弄んでいた。
女達は震えながらも抵抗することを許されず、ただ涙を流して耐えている。
「ま、こんな退屈な村じゃ女で遊ぶぐらいしかすることはねえか」
ボルノフは父親を抱き起そうとする娘の腕を掴んで立ち上がる。
「お、その娘持って帰るんですか?」
「貧乏村にしては見れた女だからな。しばらく遊んでやるぜ。光栄に思えよ」
「い、いや……」
脅える娘をボルノフはまるで家畜でも引っ張るように連れて行く。
後には荒された部屋と床に倒れ込む村長夫婦、そして連れ去られようとする長女の名を呼んで泣く二人の娘だけが残された。
三人が村長の家を出ると前に村人達が集まっていた。
ある者は心配そうに、またある者は怒りを瞳に宿して。
村人達が何かを言いかけるもボルノフが怒声を被せる。
「邪魔だ。どけ! 俺が誰だかわかってんのか」
ボルノフが怒鳴ると村人達は口を噤み、恐れるように進路をあけてしまう。
「はん。生意気な下民共が身の程だけは弁えて……おおっと」
その中で一人の青年だけが道を譲らない。
恐れを打ち消すかのように歯を食いしばり、右手には鎌を握りしめている。
「なんだてめぇは?」
「ヒ、ヒム駄目っ!」
ボルノフは手を引く娘にヒムと呼ばれた青年を睨みつけて語気を強める。
「なんだと言ってんだよ!」
怒鳴り声と同時に部下二人が剣に手をかける。
「メリィは俺の……婚約者なのです。どうか放してくれませんか」
メリィとは村長の長女、今まさに連れ去られようとしている娘の名前だった。
「なるほどねえ。それで身分も考えず俺に盾突くってわけだ」
ボルノフはヒムを至近距離で睨みつけ、それでも譲らないとわかるとメリィから手を離して笑う。
「いいぜ許してやる。女を守ろうとする勇気に免じてな」
ボルノフはヒムの隣を通り過ぎる。
メリィとヒムの表情に安堵が浮かんだ瞬間だった。
「――俺に武器を向けた腕以外はなぁ!」
ボルノフは振り返り様に剣を抜き、ヒムの右腕を肘の上から斬り落とした。
「ギャァァァァ!!」
切り口から大量の鮮血が噴き出し、ヒムは凄まじい悲鳴をあげて地面を転がりまわる。
周囲の家々の壁、地面、そしてメリィに血飛沫が降り掛かる。
「その出血じゃ長くもたねえぞ。知ってるか? 戦場で怪我した兵士はこうやって血止めするんだぜ」
ボルノフは部下から松明を受け取り……ヒムの『左腕』に押し当てた。
言語になっていない悲鳴が響く。
「はははボルノフ様。そっちは左腕です。斬り落としたのは右ですぜ」
「おっといけねえ間違った。まずい酒で悪酔いしたせいだな。許せ」
ボルノフはわざとらしく言ってから松明を投げ捨てる。
「か、かふ……が……ぐ……」
右腕を落とされた痛みと出血に加えて、左腕を焦げるまで焼かれたヒムの体はショックに耐えられなかった。ヒムは呼吸を乱していき、苦悶の表情のまま天を仰いで息絶える。
「いやぁヒム! 目を開けて! ヒムゥ!!」
メリィの悲痛な叫び声が響く中、ボルノフは周囲の村人達を見回す。
皆が憎しみの表情こそ浮かべていたが、口に出す者も行動に移す者もいなかった。
ボルノフは唾を吐き捨てて怒鳴る。
「お前らみたいな根性無しの雑魚は下を向いて強者に媚びるしかねえ! こうなりたくなきゃあな!」
そこで泣き叫んでいたメリィに異変が起きる。
「あ、あは……死んじゃった……ヒム死んじゃった……」
もうすぐだった結婚式。
守ってきた貞操は乱暴に汚され、幼い頃から惹かれ合っていた婚約者は目を見開き舌を突き出したおぞましい表情で死んでいる。
「アハ……アハハ」
静まりかえった村にメリィの乾いた笑い声が響く。
「アハハハ……アハ……ハハハハハハ!」
ボルノフはフンと鼻を鳴らして村に背を向ける。
「女は連れて行かないんで?」
「壊れた玩具はいらねえよ」
ボルノフは笑い続けるメリィを横目で見て鼻を鳴らす。
「なら次はルップルとかどうですか? なんでもスゲえ色っぽい女がいるらしくて。小娘の次は熟れた女といきましょうよ」
「お前、女のことばっかりだな……だがダメだ。領主殿主催の夜会がある。まったく礼儀だ作法だと考えるだけでも気がめいらぁ」
「ははは、豪傑ボルノフ様には貴族の社交界なんて窮屈なようだ」
ボルノフ達が去った後、村人達はヒムの死体を運び、笑い続けるメリィをなんとか慰めようとするが、笑い続ける彼女の瞳は狂気に満ち、心が完全に壊れたことを示していた。
村人達が悔し気に地面を叩く。
「ボルノフめ! いくらなんでも酷すぎる! もう領主様に直訴するしかない!」
「無駄だよ。知らねえのか? あいつは――」
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シローネの街 カルビン男爵屋敷
無数の蝋燭が灯された会場でドレス姿の男女が談笑している。
一見煌びやかに見える光景も良く見れば絨毯は黒ずみ、燭台の蝋燭は短く、シャンデリアも欠けており、豊かならざる経済状況を感じさせていた。
そんな中、周囲に手を振りながら現れたのは領主カルビン男爵その人だ。
「皆よくきてくれましたな。今宵は楽しんでいってくだされ」
歳は40そこそこでながら顔色悪く皺も多く55と言われても疑問は持たれないだろう。
隣には美しいながら仏頂面の妻と年頃の娘を伴っていたものの、客への挨拶が終わると二人は義務は果たしたとばかりにさっさと引き上げてしまう。
ふとカルビンの動きが止まる。
視線の先に居たのは、パーティ用の礼装を見苦しく着崩したボルノフだ。
「ボルノフ、また街の外に出ておったのか?」
「はい。今さっき領地の見回りから戻りました」
「見回りのう……」
カルビンは呟く。
「いくつもの村で騒ぎを起こしたと聞いたぞ」
カルビンは困ったような顔で問う。
一方のボルノフは余裕の態度を崩さない。
「下民共に生意気な態度を取られました故にやむなく。カルビン様の騎士たる俺……私を侮辱するのは、当家への侮辱も同じ。ひいては我が実家も貶める行いですから」
カルビンは全く信じていない目でボルノフを見たが、無理に微笑みをつくる。
「な、なら仕方あるまいな。だが農民共は税の種ぞ。あまり損じることのないようにな」
「ええ、可能な限り」
ボルノフはにやつきながら貴族としての礼を返す。
そんな二人の様子を見ていた侍女達が囁く。
「ボルノフ様、まーた何かやらかしたの? それにあの態度、領主様もヘラヘラしちゃって……あれじゃどっちが領主かわからないわよ」
「仕方ないわよ。ボルノフ様は王都の名門伯爵家から預けられているのよ。当主の甥っこなんですって。カルビン様は目下には傲慢だけど目上には媚びへつらうから」
侍女たちの会話を証明するかのようにカルビンは給仕を怒鳴り付け、客人にはヘコヘコと腰を曲げて愛想をふりまく。
侍女達は顔を見合わせて笑ってから、1人が消えてしまった蝋燭に指を向ける。
「ほいっと」
小さな火が宙を舞って蝋燭を燃え上がらせる。
「貴女のそれ本当に便利よね。私も魔法使えたらなぁ」
「私程度じゃ火打石の代わりにしかならないけどね。それよりボルノフ様ってそんなに良家の出身なのになんで田舎男爵家で騎士やってるの? もういい年なんだし結婚して自分の領地を持っててもおかしくないのに」
侍女二人の声量があがっていく。
「そりゃあ、あのチンピラみたいな恰好を見ればお察しでしょ。あれじゃ名門家に居場所なんてないわよ。……ああいうのに限って相手が本気になったらビビったりするのよねぇ。ちょっと前に泥だらけで帰って来た時あったじゃない? 何があったか知らないけど、布団にくるまってぶるぶる震えて――」
そしておしゃべりに夢中になるあまり、後ろから近づく影に気付かない。
「大方、流れ者と喧嘩でもしてこっぴどく負け」
「おい」
ボルノフの声に侍女二人は飛びあがって自分の口を塞ぐ。
「てめえら、なんの話してた?」
「な、なんでもないです! そんなチンピラだなんて……あはは」
「ただ蝋燭の点検をしていただけで……えへ」
ボルノフは侍女を睨みつけ、その手が赤く光り始める。
「い、いやぁ! 今月の給金まだ使ってないのに!」
「後生ですから堪忍してぇ! せめて隠したケーキを食べるまでは!」
侍女達は抱き合いながら腰を抜かしてへたり込む。
「どうした。なんぞあったか?」
声を掛けたのはカルビンだった。
ボルノフは魔法の発動を中断させて振り返る。
「……なんでもありません。侍女共が仕事を怠けていないか見ていただけです」
領主の前で使用人を折檻することもできず、ボルノフは舌打ちしながら、綺麗なフォームで逃げていく侍女を見送った。
そして皆が去った後に拳を握りしめ、悔し気に壁と自分の胸を叩いた。
「下民の分際で舐めやがって、俺は貴族だぞ。剣の腕も魔法の才能もある。家を出たのは誰にも従わずに好き勝手したいから、断じて逃げた訳じゃねえ!」
その怒声はまるで自分自身に言い聞かせるようだった。
次回更新は二週間後、水曜日正午付近となります。