第23話 お風呂の猛将
「……以上が今回の報告になります」
ベネティアはそう告げてからピンと背筋を伸ばして敬礼する。
対してバルベラ伯は肘をついて、いぶかしげだ。
「洞窟前に賊の痕跡を見つけ、もしやと入ったところで淀みの魔物を発見した。本拠地に近く捨て置けぬとして対処した……と?」
ベネティアとその後ろにいる俺もウンウンと頷く。
「千人長が二人で。マルグリット殿下まで伴ってか?」
ベネティアが「やばい」と振り返る。
俺は怪しまれるから前を向いてとジェスチャーする。
もちろんこのやりとりも伯爵に丸見えだ。
「……はぁ。この非常時によくも子どものように遊びに出られたものだ。しかしまぁ」
伯爵は臨時司令部たるイグリス伯の屋敷から外を眺める。
強張った顔で歩く騎士、緊張で顔色の悪い指揮官達、文官達までどことなく顔色が悪い。
「余裕があると思っておく。実害もなかった故な。だが役目に支障が出るようなことがあれば……」
ギラリと睨まれて俺は大きく肩を竦めて困り顔を作る。
ベネティアは目に見えてシオシオになってしまった。
屋敷を後にして道中。
「うぅ閣下に失望されてしまった……全部お前のせいだ」
「一番乗り気だったのは君とリシュだけれど言い訳はしないでおくよ」
ベネティアが肩をぶつけて八つ当たりしてくるが、その度に良い匂いと軟らかい感触を感じられるのでもっとして欲しい。
「まさか教団の地図だったなんて……貴重な人生を一日損した……はぁぁ」
リシュの方は脱力して軟体動物みたいな軟らかさでもたれかかってくる。
避けたらそのまま地面でスライムみたいになってしまいそうだ。
「うぅ、すごく怖かったのじゃあ。……でもちょっと楽しかったかも」
「次からはせめて私だけはお連れ下さい殿下」
失神までしたマルグリットは震えながらも瞳のワクワクを隠し切れない様子だ。
対して侍女ミーマは本気で心配している様子で時折こちらを睨んでくる。
次からはちゃんとお知らせするよ。
「ケツが痛てぇ……拡がっちまってねえだろうな」
ゴルラは……びっくりするぐらい入ってたからね。
あんまり思い出したくないのでこれぐらいにしておこう。
俺達はゾロゾロ並んで公衆浴場に向かう。
怒られた直後にひとっ風呂など、どこまでふてぶてしいのかと思われるかもしれないが、ちゃんと事情があったりする。
『淀みの魔物に近づいたり、まして触れたなら絶対水浴びしないといけないの。それも一度じゃなくて出来る限り多く。最低でも3回』
リシュの弁にベネティアと侍女ミーマさんも完全同意だったので、この世界では常識らしい。
確かにあの魔物はただの危険生物ではない本能的な不快感を感じる異形だった。
どんな毒や細菌を持っているかもわからないから清潔にした方が良いだろう。
中世で呪いや穢れと呼ばれるものの正体が細菌であるというのは珍しくない。
さてお風呂についた。
伯爵から連絡がいったのか僕達以外に客はおらず貸し切りになっているようだ。
「うぅ閣下に捨てられたらどうしよう」
俺に一しきり文句を言った後で凹んでしまったベネティアを慰める。
「まぁまぁ彼も余裕うんぬんと言っていたしお風呂でリラックスして忘れよう。挽回の機会もあるさ」
俺はベネティアの腰を軽くささえて暖簾をくぐり、彼女の脱いだ上着を受け取り畳む。
「……そうだな。くよくよしても仕方がない。戦場で奮起して閣下の期待に応えねば!」
「その意気だ。僕もやりたい範囲でサポートするよ」
続いてベネティアのズボンを受け取り、次に外すであろう下着も受け取ろうとする。
「ストップ、ベネティアさん」
ベネティアの手が胸部の下着にかかったところでリシュが止める。
あと少しだったのに無念だ。
数秒後、俺は女湯更衣室から弾丸のようにはじき出され重い足取りでゴルラと男湯に向かうしかなかった。
そして筋肉の塊のようなゴルラと並んでお風呂に入る。
「いやぁ装飾豪華だね。公衆浴場とはいえ実質は有力者や貴族用らしいよ」
「……そうか」
ゴルラは視線を真下に向けたまま答える。
「イグリス伯は屋敷を差し出して別宅にいるそうだけれど。ここまで宰相に従順だとちょっと不気味だ」
「そうだな」
ゴルラはまた気のない返事だ。
「まだお尻が痛むのかい?」
突然、湯船に血が広がるとかやめてくれよ。
「違う……そうじゃなくてだな」
ゴルラは気まずそうに俺の隣、三角座りでお湯に入っているイリアを見て顔を赤らめる。
「ボク?」
イリアは不思議そうに顔を傾ける。
彼女……いや彼も魔物と至近距離で接したので体を清めないといけない。
実は先ほどの話の間もベネティアとミーマさんの間を往復していた。
「はは、確かに女の子と一緒に入っているような気分になるけれど……おっとごめんね」
「ううん気にしないよ。ボクわざと女の子っぽくしてるんだもん」
イリアはそう言ってゴルラに寄っていく。
「すごい筋肉……モリモリだ」
「ヒッ!」
そこはかとなく背徳的な光景ではあるのだが、どうしてゴルラの方が悲鳴をあげるのか。
「ユリウスさんも……案外すごい」
「はは、一応ね」
軍学校を出てからは肉体労働とは無縁だったのだが、ことあるごとにヴァイパーに叱られて最低限の鍛錬をさせられたのでボチボチ見られる体にはなっている。
「逞しい腕……これでボクを守ってくれたんだね」
イリアが俺の腕に手を置いて顔を赤らめる。
はて、もうのぼせたのかな。
そこで隣の女湯から声が聞こえ始めた。
『ウォォォ……ベネティアさんやっぱりデッカ! もうスイカだよそれ! 歩くだけで暴れてるし!』
女湯から聞こえてきた声に俺とイリアは同時に反応する。
『揉むんじゃない馬鹿者! あぁマルグリット殿下まで!』
『デンと突き出してお山みたいなのじゃ。お尻もすごく大きいのにお腹はくびれて……いいなぁ。妾はおっぱいからお尻までストンとなんにもないのじゃ……リシュと同じなのじゃ』
『私ある! 小さいながら可愛いお山がちゃんとあるから! ベネティアさんが大山脈なだけなの!』
ギャイギャイ盛り上がる女風呂。
いつしか俺とイリアは湯から上がり、より女湯との境界に近い場所に座っていた。
『侍女さんは……うわあ綺麗。大きさの前にまず綺麗! 形もいいし……肌もスッベスベ!』
『た、確かに……閣下の為に戦う身なれば傷も誉……だが同じ女として、その陶器のような胸と、絹のような肌は羨ましくもある』
『お褒めに預かりありがとうございます。殿下のお傍に仕える身ですから日々気を使っております』
『ミーマが綺麗で妾も誇らしいのじゃー』
『あっそんなに触られては……』
俺とイリア少年は顔を見合わせ。
「どれほど綺麗なのだろ。でもまさか見に行くわけにもいかない」
するとイリアは一つ頷いて立ち上がり男湯を出て行く。
そして数十秒後。
『……お邪魔します』
『あ、イリアなのじゃ』
『む、お前は男……まあまだ子どもか』
『へーきへーき。イリア君こんなに可愛いんだもん。むしろ男湯でユーリと一緒にさせる方が心配だよ』
「まさかの正面突破とは恐れ入った。とんでもない猛将だ」
俺は思わず感嘆の溜息を漏らす。
「普段可愛い恰好してるのはこの為だったのかよ……なんて奴だ」
ゴルラは呆れた溜息だ。
あの歳でそこまで考えているとは大したものだ。
方向が戦争や謀略でなくスケベに向いているのも素晴らしい。
『どうしたのイリア君? そんなに侍女さんばっかり見て』
『あっと……ごめんなさい。のぼせそうなのでちょっとあがります』
イリア少年が戻って来た。
俺の隣に座って覚えてきた形を手で示す。
「大きさはこれぐらいで形は……」
「なるほど……確かに一番きれいなタイプだね。ちなみに先端は?」
「こ、このスケベ共め」
また女湯から声が聞こえてくる。
俺達は即座に動きを止めて壁際に寄る。
『それにしても侍女さんは凛々しくて強くて完璧で同じ女として憧れるなぁ。一方……ベネティアさんの方には『隙』を見つけてしまったのだ!』
『なんだと!? 私は常在戦場だ。隙など無――そ、そこは単に忘れていただけだ!』
『わっ、すごいのじゃ。でもミーマも実はここに隙があったりして』
『で、殿下御戯れを!』
俺とイリアの視線ががっちりと合い、再びイリアが女湯に走る。
『あらイリア様、大丈夫でしたか?』
『スキ、スキは――』
『好き? みんな良い人っぽくて好きだけど……はれ? イリヤ君また行っちゃうの?』
そして猛然と戻ってきて興奮した口調で皆の『隙』を語る。
俺達は密着しながら頷き合う。
一方のゴルラはタオルで顔を覆って天を仰いだ。
「これもう間接的な覗きだろ。付き合ってられん俺はもう出る……うおっ!」
湯から出たゴルラは放置されていた石鹸で滑り、浴槽の縁に脛を打ちつけてしまう。
「まずい」
俺とイリアが咄嗟にゴルラの口を押さえようとするが間に合わない。
「ぐぉぉぉぉぉ! 痛ってぇぇぇぇ!」
『なんだ今の呻き声は!』
『ゴルラの声? というか男湯との敷居スカスカじゃん! ということはさっきまでの全部ユーリ達に丸聞こえだった!?』
『私達の会話内容とイリアさんの視線の先が繋がっておりましたね』
いけない看破された。
数秒の沈黙――。
「ユーリの差し金だな?」
ドスの効いたリシュの声に続いて、壁に何かが張り付く音とガサガサと這い登る音の後、男女の湯を隔てる壁にあいた天井付近の隙間からリシュが顔を出す。
「ユリウスゥ!!」
同時に入り口の扉が吹き飛び、猛牛のような勢いでベネティアが飛び込んでくる。
「ち、違う俺はなにも――や、やめてくれ! 石鹸がそんなところに入るわけが――!!?」
まず脛の痛みで動けないゴルラが血祭りにあげられた。
イリアは頭を押さえて伏せるふりをしながら、暴れ回るベネティアの裸体をじっくり観察する。
「しかしそこに僕はいない。既に窓から戦術的撤退をしたのだから」
不本意ながら長く修羅場を駆けてきた。
離脱すべきタイミングは弁えている。
「確かに見事な引き際でございました」
首筋に冷たい何かが当たり、俺はゆっくり足を止める。
いつの間にか背後に侍女さんが立っていたのだ。
既に開き直っているのか一糸まとわぬ姿だ。
「降参です。そちらこそ実に見事なものをお持ちで……」
と称賛の言葉をかけながら振り返ろうとしたところで、俺は首を『キュッ』とされて視界が暗くなる。
締め落とされて意識を失う刹那、遠目に俺を見る視線に気づいた。
宰相とイグリス伯の呆れたような見下すような……そんな視線だ。
実に重畳。
敵からの評価は低ければ低いほど良い。
おっとまだ味方だったか。思わず口に出ないように気をつけないと。
一週間後
「遊びは終わりだ。心せよ」
あぁそろそろだと思っていた。
「斥候より連絡が入った。今やナヴィスの手駒となった第3軍団と奴の軍門に下った領主共の兵がやってくる」
とうとう来たか。
「まさかここを襲いに来るのですか?」
伯爵は首を振る。
「いや敵はイグリスを素通りして我らの派閥の領主達の集まる地域に向かっている」
「ふん! 我らを直接攻撃する度胸はないようですね」
ベネティアが言う通り今や第4軍団の本拠地となったイグリスを直接攻撃するのはリスクが大きい。
そして敵は戦闘ではなく権力闘争に勝とうとしている。
ならば――。
「この部隊を行かせたら終わりだ。戦術的な退却や持久戦も許されない」
「その通りだ」
俺の独語に伯爵が反応する。
「我々が拠点に籠って自派の領主が焼かれるのをただ見ていたとなれば、全ての領主貴族がナヴィスの軍門に降るだろう」
イグリスの第4軍団内においても騎士や指揮官達の不安は伝わって来る。
まして独立した領主ともなればなおさらだ。
はっきりとした戦場での勝利が必要なのだ。
「故に全軍でもって出撃し奴らを撃破する」
「もちろんです! 必ず敵を打ち破って――」
「敵戦力は? 特に領主兵の割合が知りたいですね」
ベネティアの気勢に言葉を被せてしまい彼女は頬を膨らませる。
必要なことだから勘弁してほしい。あと可愛いね。
「第3軍団は我らと同じく3千だ。加えて領主兵が千ほど。概ね信頼できる情報だ」
こちらは第4軍団のみの3千だから少々の寡兵か。
概ね想定通りで安心した。
「今回は俺も出る。貴様らも浴場を壊した分ぐらいの働きはせよ――出撃準備に入れ」
破壊したのは主にベネティアとリシュなのに、みんなで俺を睨むのは理不尽だよな。
さて我が第4軍団の陣容は把握している。
3千人といえば連隊程度で兵科も限られているから難しくもない。
敵の方も想定の範囲内で勝ち筋も見えている。
ならば嫌な戦争の前には女の子と仲良くして気を晴らしたいところなのだけれど。
「ボクならいつでも大丈夫だけれど」
いつの間にか隣にいたイリアが笑いながら言う。
「ははは、からかわないでよ」
口に出てしまっていたようだ。
リシュやベネティアに聞かれていたら出撃前にまた折檻されるところだった。
同じ男で冗談にできるイリアで良かった。
俺はイリアの頭を撫でてその場を去る。
「冗談でもないんだけど。ね?」
「ふへっ!?」
イリアが何やら妖艶な声を出して振り返り、更に後ろにいたゴルラが何故か尻餅をついた気がするが、まあ重要なことではないだろう。
次回は戦争になりそうです!