第22話 大騒動の洞窟探検
ウルシアを後にした俺達は無事イグリスに帰り着いた。
町に入って馬車が足を止めると窓が糸の先ほど小さく開く。
『む、むう着いたのか? また敵中におるのではないだろうな』
『殿下ぁ。そんな隙間からでは見えません~』
ディミトリの潜めた声に間延びした女性の声が続き、窓が全開になる。
「うわぁぁ! 何をするかクラマンス! また矢でも飛んで来たら……」
両手で顔を庇うディミトリと俺達の目があう。
イグリスの守備隊も音を立てて敬礼する。
「……」
王太子は立ち上がって服を整えながら窓を閉めた。
そして馬車の扉を威風堂々とばかりに開け放つ。
「でかしたぞ平民! 天晴な働きである!」
「そりゃどうも……うわっぷ」
歓喜の声と共に何故か俺が抱きしめられるが何も嬉しくない。
「この功は忘れぬ! 俺が王位についた暁には代官に任じてやろうとも!」
「あり難き幸せ」
回収見込みのない空手形だが、王太子は本気で喜んでいるようだし裏も感じない。
悪い性質の男ではないのか、とびきり浅慮なのか……後者だろうな。
俺はひとしきり王太子の称賛を受けてから恭しく礼をしながら下がる。
男との抱擁は精神に良くない。
「御無事でなによりでございます殿下」
「フェンバルにバルベラか! 大儀であったぞ。あの不埒者共め、よくも俺に矢を……ウルシアも領内の治安ぐらい……えっ? ナヴィスの手の者? 王都が奪われた!? あばばばば!」
何も知らなかった王太子を宰相に預けていると、今回の原因の1人である彼の愛人が困った顔でこちらを見ていた。どうやら馬車から降りられないらしい。
段差はほとんどないけれど……あぁ足元に泥があるのか。
「どうぞ」
俺が泥に踏み込んで手を差し出すと、彼女は嬉しそうに体を預けてくる。
「ありがとう」
そして軽いハグから耳元で囁いて歩き去る。
文字通りとろけるような甘い声だ。
胸も腰もついでにお腹もムチムチな体つきに、全身から漂う女を際立たせた香水の香り。
「こりゃ夢中になるわけだ」
俺だってあんな女性と愛人関係になれたならどんな時でも立ち寄るだろう。
王太子の愚行をこれ以上責めるのはやめておこう。
「というかあの人、街の外に出て行っちゃうよ!」
女性はフワフワの雰囲気のまま街壁の方向に向かって歩いていく。
慌ててゴルラが止めようとするが、ふりまかれる色気に怖気付いて言葉にならず、ベネティアが手を引いて王太子の所に連れて行った。
「おバカちゃんだ……」
「王太子を諫めるような役目は期待できなさそうだね」
女性はベネティアにもお礼のハグをしてから王太子の腕を取り、俺とリシュの視線に気付いてぽやんと笑って手を振った。
「賢しい女なら要らぬ入れ知恵もあろう。あれはあれで良い。ぬいぐるみのようなものだ」
いかに自分が危うくしかし毅然と立ち振る舞ったかを宰相に熱弁しているディミトリ王太子を置いてバルベラ伯がやってきた。
「鮮やかな手際だった。阿呆の尻をよく拭いてくれた。期待以上だ……抱擁が欲しいか?」
「はは、それはどうも……そして要りません」
次いで伯爵はベネティアにも声をかける。
「お前も良くやった。ウルシア男爵をよく説き伏せて切り抜けた。期待通りだ」
「はうっ」
ベネティアは短く叫んで顔を緩ませる。
ついでにハグを求めるように腕を開くも伯爵が首を傾げると気を付けの姿勢に戻る。
「知ってる。あれメスの顔って言うんだよね」
「どこでそんな言葉を」
リシュは基本声量が大きいから声を潜めても聞こえてしまうよ。
「そして」
ベネティアには今も可愛い少女が引っ付いている。
ウルシア男爵の娘……歳の頃は12か13か、マルグリットよりは少しだけ年上に見える。
彼女はベネティアの腰に抱きついて鍛えられた豊満な尻に顔を埋めている。
「ううむ……戻ってからずっと私の胸や腰に抱きついて離れないのだ。この年頃の娘が戦場を見て脅えるのも仕方ないが」
「娘?」
バルベラ伯が首を傾げる。
「男爵の娘は二十歳を越えて既に嫁いでいる。その者は嫡男の【イリア】だ」
全員の視線が集まると彼女……イリアは何事もなかったようにベネティアから体を離して頭を下げた。
服装、仕草、そして顔、どこからどう見ても女の子にしか見えない。
「こ、これで男の子? うそでしょ? この可愛さで……?」
リシュの呟きをよそにイリアは再びベネティアに抱きついて豊満な胸に顔を埋める。
もし俺が同じことをやったらスープレックスか背負い投げだろうに。
「もう仕方ない子だな……ハッ!?」
全員の視線がベネティアに集まる。
「わ、私だってまずいと思っているが――ええい違う! 小さい少年が趣味とかではない! 私は男らしくてイケメンでリードしてくれる男が好きなのだ! ちょっと乱暴で強引でも構わん! なんなら支配されたい願望まである!」
ベネティアが大騒ぎしている最中もイリアは胸に顔を埋めたままニヤリと口角を釣り上げたぞ。
可愛いから許されるが、そこらのおっさんがやったら逮捕されそうないやらしい表情だ。
「故郷を離れ家族と別れて心配だと思っていたけれど……あれなら心配なさそうだね」
俺はリシュと顔を見合わせて苦笑する。
しかし正面から胸に顔を埋めてもOKとは羨ましいことだ。
ともあれ一段落だ。
あとは公爵に屈するもよし、どこか逃げのびるもよし、対立しつつダレてなあなあ状態になってもよし。
横目で伯爵の表情を窺ってみる……ならないかなぁ。
――数日後
「みんな準備はできたか!?」
「おう!」
「はいはい」
「のじゃ!」
リシュの掛け声に頷くのはゴルラ、俺、そして侍女と一緒じゃないマルグリット。
俺以外はとても乗り気なようだ。
リシュの手には王太子の救援でうやむやになっていた宝の地図が握られている。
バルベラ伯によると――。
『ウルシアを攻撃した敵は甚大な打撃を受けた』
『増援にきた部隊もこちらの拠点を攻撃する動きはない』
『次の戦闘に備えてまずは防御を固めつつ、兵力の集結をはかる』
とのことで俺がやるべき仕事は無く、周辺の偵察という名目でこうして遊ぶ余裕もある。
場所的にもイグリスの町のごく近くであり賊や敵と鉢合わせる可能性はないので構わないだろう。
「理想を言えば別の遊びをしたかったのだけれど」
伯爵から紹介された未亡人とは至極健全な関係ながら徐々に打ち解けて一緒にお酒など飲む仲になっている。
先日など手を握ってみると何も言わずに握り返してきたので、これは……と思ったところでリシュとゴルラが騒ぎを起こしてお開きになってしまった。
「監視役を兼ねているのはわかっているけれど」
彼女が定期的に俺達の動きを伯爵に報告しているのは知っているけれど、彼女ともっと親しくなりたいと思うことと矛盾しない。
「なにをニヤついている! スケベな妄想などせずにさっさと出発するぞ、愚か者が!」
一喝して先頭を進むのはベネティアだった。
「結局来るんだね」
「明け方からずっと家の前にいたぜ」
「宝探しを楽しみにしておったのじゃな」
「無駄口叩かずシャキシャキ歩け!」
俺達は普段着のまま剣だけもって大きな歩幅で歩くベネティアに続く。
「さすがにイリア少年は置いてきたのかい?」
「当たり前だ。男爵のご子息をこんな遊びに連れて来られるか。悲しい顔で太ももを撫でられてさすがに心が痛んだのだが……」
寂しいというよりエロ目的だと思う。
本当に羨ましい。俺も魔法の力か何かで可愛い子になれないものか。
「この小川を下ると大きな岩があって、そこから降りたくぼ地で右に振り返ると……」
地図は等高線もなく縮尺も怪しいながら地形だけはかなり正確に描写されており子どもの落書きと言うにはしっかりと書き込まれている。
だからこそリシュ達もやる気を出しているのだろうけれど。
「ま、遊びの一貫としては良さそうだ。下手に町の中にいると『急だがやってもらいたいことがある』が来るかもしれないから」
「あった! 逆三角の入り口に欠けた石柱! 間違いないここだ!」
リシュが叫び、皆が色めきたつ。
「完全に真っ暗だね」
言い終わる前にリシュが背負った荷物から松明を取り出して火をつける。
「万事抜かり無し。何もかも想定して荷造りしているのだ!」
どれどれと荷物を確かめてみる。
「リンゴ、トマト、パンが3種、干し肉に魚の干物……食べ物しか入ってないじゃないか。あ、替えのパンツ。ぐえっ!」
「さあ行くぞぉ!」
俺達はリシュを先頭に洞窟内へと入っていく。
洞窟内は狭くはあったが人が通れないほどではなく、外より肌寒くはあったが消耗するほどでもない。松明の灯りがあれば楽々と入っていける。
「唯一注意すべきなのは足元の苔、これは滑るよ。こけて頭を打たないように」
「キャッ!」
言い終わる前にマルグリットが盛大に足を滑らせるも予期していたので綺麗に受け止める。
「あ、ありがとなのじゃ……」
スカート姿で盛大にひっくり返ったのが恥ずかしかったのか、マルグリットは赤い顔でお礼を言うと俺の腕に頬を一擦りして立ち上がる。
「フンギョッ!」
危ないから手を繋ごうと言う間もなく今度はリシュが滑った。
なんて声だと思いながら受け止める。
受け止めた手の位置がちょうどお尻だったので支えながら軽く二度ほど揉んでみる。
まあ勢いもあるし気付かれないだろう。
「気付いてるけど助かったので大目に見る。次はない」
危なかった。
「うおおっ!」
次はゴルラが滑った。
そんな気はしていたが残念ながら俺にゴルラの巨体を受け止めることはできない。
ベネティアならできそうだがやる気はなさそうだ。
ゴルラが尻餅をついた先にはちょうど尖った石があり、その先端が……。
「がぁぁぁぁぁ!!」
「うわぁ」「うげっ」「ぴぃ!」
ズブリと音が聞こえた気がして俺達は一斉に自分の尻を押さえる。
リシュが指を5cm程広げて俺を見る。
俺は首を振って10cmほどに広げて返す。
厚い革ズボンのおかげで血も出ていないから事なきを得たと思っておこう。
のた打ち回っているが。
「きゃっ! しまった!」
なんとベネティアまで滑った。
悪いことに尻餅の先にもゴルラと同じような石柱がある。
助けたいが届かない。
無情にもベネティアの尻は落ち――石の砕ける音がした。
「……」
ベネティアは無言で立ち上がり尻を叩いて粉砕された石柱の破片を掃う。
「ヒソヒソ……巨尻」
「ヒソヒソ……硬尻」
「ヒソ……破壊尻……ヒソ」
「うるさい! お前ら3人とも張り倒すぞ!」
その後も俺達は下らない発見をしながら洞窟内を探索していく。
「おっと、これはキノコかな? 薄っすら光って綺麗だけれど……困ったな」
「光るキノコ? 妾にも見せて欲しいのじゃ!」
マルグリットが興味深げに手を伸ばしてくるも形に問題があって彼女には渡せないのだ。
リシュでも心苦しくゴルラが持つのは見たくない。
「君が持つのが一番健全かもしれない」
「私か?」
ベネティアはキノコを受け取る。
「ふむ、私は野営も多くてキノコには知識もあるが見たことがない種類だな……柄の太さに比べて傘は小さいが分厚く重みがあるな。……ふむふむ」
興味深そうに回しみて念入りに臭いも嗅いでいる。
「お、おいユリウス!」
気付いて焦るゴルラ。
「ん――? げっ……さ、最低!」
同じく俺を睨むリシュ。
あのキノコ、男にはなじみのモノにそっくりなんだよなぁ。
しかも暗闇で光るものだから吟味するベネティアが照らし出されてすごいことになっている。
「スンスン……少し臭いな。全体的にヌルヌルして持ちにくい。それにしても変わった形……」
ベネティアの顔が一気に赤くなる。気付いてしまったようだ。
「そこに直れユリウス! 口に突っ込んでやる!」
「そんな需要はどこにもないから!」
逃げようとした俺と追うベネティアは同時に足を滑らせ、絡み合って倒れ込む。
「「ぐえっ!」」
俺がベネティアの上に乗っかる感じになってしまった。
しかも彼女の頭を庇うために足の間に入ったので睦事の姿勢にしか見えない。
「あぅ」「ひぅ」
顔を手で隠して恥ずかしがるマルグリットとゴルラ。
なんでだよ。
「イチャつくのは探検の後にしてくれる?」
対してリシュはキノコを取り上げ、先端を齧り取って吐き捨てた。
股間がギュンとなったのでこの辺にしておこう。
バカ騒ぎをしながら俺達はようやく洞窟の最深部に到着する。
天井の低い曲がりくねった道が一気に開けて大部屋のようになっているようだ。
「おおー見るからになにかありそうな場所だね! じゃあ早速お宝の捜索……うえ」
全員で勢いよく踏み込んだところでリシュの声のトーンが突然落ちる。
俺も警戒して動きを止める……特に何も感じないけれど。
「ここ吹き溜まってる……まずい大きな淀みだよここ!」
リシュの強張った声に応えるように、突然沢山のコウモリが飛び立つ。
「ひぅぅ!」
マルグリットが頭を押さえてしゃがみ込む。
そのコウモリも普通のものではなく頭の両面にある顔から悲鳴のような鳴き声をあげ続けていた。
取り落とした松明に照らされた足元には、人間の手のひら2つが真ん中にある潰れた肉塊に繋がっている……そんなグロテスクな虫が這いまわっている。
『淀み』『吹き溜まり』の意味がわからずとも、ここがまずいことは理解してマルグリットを背に庇う。
「淀みだと!? 地下洞窟の奥……ええい警戒すべきだった! 町の近くだからと油断した!」
ベネティアが剣を抜いて俺達の前に出る。
反対にゴルラは剣を抜こうとして何度も空振りしている。
顔が引きつり手は冗談のように震えていた。
「幸いにも淀みの魔物はいない! 瘴気にやられる前に抜け出そう!」
そこでドサリと音がする。
背後、つまり部屋の出入り口に大きな何かが落ちて来たのだ。
俺達は錆びた歯車のようにぎこちなく振り返る。
全長3mはある蜘蛛……いや違う。
蜘蛛は一般的にグロテスクとされるが体も足も左右対称で生き物として整っている。
だが目の前のこいつは違った。
胴体下部から無秩序に生えた足は生える位置も大きさも本数も違ってメチャクチャだ。
そして背中には無数の人面……そう見えるのではなく間違いなく人面が貼り付き、両目と鼻と口をグネグネまとまりなく動かし続けている。
「きゅう」
限界に達して倒れ込むマルグリットを受け止める。
「せめてボボロぐらいの見た目でいて欲しかった」
「ボボロはただの美味しい害獣! これが本物の淀みの魔物! ど、どうしよう逃げ場がない……」
ゴルラが泣きそうな顔でパニックに陥っていた。
なるほど彼が樹海で見たのはこういう奴だったのか。
「はあっ!」
魔物が動こうとする刹那、ベネティアが先手をとって飛び掛かる。
さすが現役の軍人、肝の据わり方が半端ではない。
狙いは見るからに重厚そうな胴体ではなく、そこから伸びる歪な脚部だ。
鋼鉄の剣がグロテスクな脚に振り下ろされて――乾いた音が鳴った。
「ぐっ!」
鋼鉄の剣が跳ね上がりベネティアが数歩後ずさる。
「弾かれた!?」
人間の腕なら平気で両断するベネティアの剣が通らない。
相手は血も流していない。
「淀みの魔物は並の魔物とは桁違いなのだ! まともに相手するなら最低でも完全武装の兵士10人が必要――くそっ!」
今度は魔物がベネティアに襲い掛かった。
左右から繰り出される脚を二度三度と弾くが、その度にベネティアは押し込まれ、顔も苦悶に歪む。
彼女が痺れた手を剣から外した瞬間、魔物は一気に距離を詰め、腕ほどもある長さの牙で噛みつきにかかった。口も上半身ごと食い千切れそうな大きさだ。
ベネティアは後方に跳ねて避け、すかさず剣で反撃するがやはり通らない。
「なんとか援護したいが」
俺は拾っていた石を投げてみたが、目玉らしき場所に当たってもまるで効果がない。
腹の下を狙って松明も投げ込んでみたが、燃え上がることもなく火を恐れる様子もまったくない。
「こりゃ打つ手がないぞ。どうするか」
一応腰に剣は差しているが、ベネティアの歯がたたない相手に接近戦を挑んでもどうにもならない。
そして俺がやられればリシュとマルグリットが無防備になってしまう。
「最大戦力のゴルラは……ダメそうだね」
恐慌状態の新兵みたいに震えている。
「なんとか怯ませてその隙に逃げるしかない! そりゃ!おりゃ!」
リシュがバックから取り出した果物を投げつける。
俺の投げた石よりも迫力ある音を立てて命中していたが、やはり効いていない。
「くっ! やっぱり果物なんかじゃダメか……」
投げるものがなくなったリシュが苦し紛れに先ほど無残に食いちぎったキノコの残骸を投げた。
もちろん小さなキノコに威力はなく当たって虚しく地面に落ちるだけだ。
だがそのキノコの粘液がちょうど魔物の目にとぶ。
毒液だったのか石が当たっても平気だった目が激しく瞬く。
魔物ははっきり苦悶とわかる声をあげて動きを止め――狙いをベネティアからリシュに変えた。
「げっ近づきすぎた!」
「まずい」
俺は咄嗟に松明を振りかぶって魔物の顔面に投げる。
だが脚の一本で楽々と弾かれて魔物の牙がリシュに迫る。
飛び込む――恐れはないが俺がやられてリシュもやられるだけだ。
だがそれでもと踏み出した瞬間、リシュの悲鳴に棒立ちしていたゴルラが反応した。
「う、う、ウオォォォォォォ!!」
ゴルラは恐怖を打ち消すように絶叫しながら突進して全身で魔物の横腹に突っ込んだ。
まったく動かないゴルラを脅威と認識していなかったのか体当たりは綺麗に決まり、魔物はバランスを崩して横倒しとなる。
「今だ。逃げよう」
俺はマルグリットを脇に抱えて駆けだす。
俺達は何度も滑りながら洞窟を駆け上がる。
背後からはガザガザと不気味な音が響き、魔物が追いかけてきているのがわかった。
音は瞬く間に大きくなってくる。
「だめだ。とんでもなく速い! 追い付かれる!」
まだ出口まで半分ほど残っているのに魔物の足音は既に真後ろだ。
ゴルラがフッと息を吐いて立ち止まる。
「さっきは無様で悪かった。やっぱり俺は臆病者だぜ」
剣を抜きつつ振り返り、両足開いて仁王立ち。
「いけユリウス。リシュを幸せにしてやってくれよ」
「そんなことをするな」と言うのは容易い。
しかし現状で撤退するには誰かが殿をやるしかない。
リシュとマルグリットはあり得ず、俺ではあの魔物に瞬殺されるから殿の役目を果たせない。
故に『止めろ』と言えない。
「うぉぉぉぉぉ!!」
俺の返事を待たずに剣を振り上げて迫る魔物に突っ込んでいくゴルラ。
そこで気付いた。
「ゴルラ戻れ。無駄死になるよ」
「へ?」
足を止めたゴルラに魔物が襲い掛かり……動きを止めた。
無数に突き出た石柱に巨体を遮られてつっかえたのだ。
「あ、あれはゴルラのお尻を奪った石!」
「そうゴルラの尻石だ」
「嫌な言い方するなよ……思い出したらまたズキズキしてきた」
いかに凶悪な魔物でも身動きが取れないなら怖くもなんともない。
このまま逃げるなり焼いてしまうなりどうとでもなる。
緊張が解けた俺達は軽口を叩きながら息を整える。
「さて見直したよゴルラ」
「下ではまじかよこの木偶の棒、と思ったけどね」
「リシュやめてくれ……心に響く」
「臆病と勇敢さで差し引きゼロだな。褒めも蔑みもせん。しかし町の近くに淀みとはな……地図をよく見せてみろ」
ベネティアは地図をひっくり返し、その裏側をよく見て苦虫を噛みつぶしたような表情になる。
「これは【教団】の紋章だぞ。宝どころか淀みの位置が記してあったのか」
「げぇー気付かなかった」
リシュも汚いもののように地図を俺に渡して来る。
そこでつっかえた魔物がもがき続ける音に加えて変な音がし始める。
ブチリ、ドサリ、ボトボトボトと粘着質で不快な音だ。
振り返ると魔物の背中についていた人面が次々と剥がれ落ちている。
地面に落ちた人面達はブルブルと震え……頭や目、耳と好き放題の場所から足が生えて起き上がる。
「よーい」
リシュの声に合わせて全員でスプリントスタートの姿勢を取る。
人面が一斉に向かってくるのと、俺達が駆けだすのは同時だった。
再び全身全霊で駆けた俺達はなんとか追い付かれずに洞窟の入り口から飛び出した。
「出てきたのを潰せ! 淀みの魔物は外では弱る!」
ベネティアの言う通り人面小蜘蛛は洞窟内と比べて明らかに鈍くなっていた。
ベネティアとゴルラは剣で次々と叩き斬り、リシュも何故か持っていたおたまや鍋で叩きまくる。
俺もマルグリットを守りつつ、寄って来た物は踏み潰す。
不気味極まる外見だが動きはただ大きな蜘蛛と大差はない。
その時だった。
「ふえ……ベネティアさん?」
声に振り返るとイリアだ。
ベネティアを追いかけて来たのだろうか。
その無防備な美顔に小蜘蛛が飛び掛かる。
「うぐっ!」
俺は咄嗟に腕を突き出して綺麗な顔に食い込もうとした牙を代わりに受けてしまった。
呻きながらも蜘蛛を地面に叩きつけ、踏みつけて潰す。
そこでもう一人マルグリットの侍女ミーマだ。
「やはり貴方達が殿下を――仔細は後で。何事ですか?」
ミーマもただ者ではないのだろう。
ほんの数秒で事態を把握し豪快にスカートをめくり上げる。
「おおっすごい」
真っ赤で装飾多く布面積は少ない大胆な下着だ。
思わず声を出した俺に冷たい視線を向けつつ、ミーマは下着に括りつけていた筒を洞窟に投げ込む。
「入口から離れて下さい」
そして足元に転がっていた松明を洞窟に向けて蹴り込むと同時に業火が立ち上る。
あの筒は燃焼剤か何かだったのだろう。
洞窟内から魔物の悲鳴が響いて小蜘蛛の流出が止まった。
「これで一安心だね。いやぁ見事な太ももとお尻、下着もセクシーで素晴らし……あれ?」
呟いた瞬間に視界が揺らぐ。
噛まれた腕が熱く痛くなったかと思った次の瞬間には全ての感覚がなくなった。
天地がひっくり返った感覚……ひっくり返ったのは俺の体だけだろう。
上方向から地面が迫り、顔に押し付けられる。
「ユーリ!?」
「噛まれたのか!?」
リシュが走り寄って噛まれた腕を取り、ベネティアが俺を抱え上げてくれる。
「もしかして毒!? ど、どうしよう!」
「淀みの魔物の毒は骨まで溶かすとも……とにかく傷の具合を確かめねば」
ベネティアが正面から俺を抱きかかえ、ナイフで俺の袖を裂く。
必然的に顔は豊満な胸にこれでもかと埋まる。
ここまでの激しい動きで汗ばみ、僅かにつけた香水とも混じって絶妙な女の香りとなっていた。
「ここを噛まれたの!? す、すごい腫れ方……でもないね」
「……出血も爛れもない。トゲでも刺さったような小さな穴が開いてるだけだな」
リシュとベネティアが俺の顔を引き起こす。割と乱暴に。
「つまりベネティアさんの巨乳に顔を埋めたくて演技したと」
「やってくれたなユリウス」
「いや違う。本当に一瞬腕が熱くなって意識が飛びかけて……」
「「うるさい! このドスケベが!!」」
いつものように二人に折檻されている俺の横でマルグリットが目を覚まし、傍にあった子蜘蛛の死体を見てまた卒倒する。
そしてイリアは何故かベネティアが伯爵に向けるような目を俺に向けているのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日
見るからにガラの悪そうな2人組の男がボロボロ廃屋の扉を蹴破った。
「ふーここなら大丈夫だろ。ったく今日はどうしてこんな何もねえ場所を衛兵共がうろついてんだ?」
「洞窟の周りでなにかやってたな。近づくなとかなんとか……まあ俺達にゃ関係ねえさ」
2人は埃だらけの床を気にすることもなく座り込み、下品な声で話し始めた。
「ゲヘヘヘ見ろよこれ。近所の雑貨屋で万引きしてきてやったぜ」
1人がちり紙や空き瓶を床に転がして笑う。
「俺なんて市場の果物に片っ端から指で穴開けてやったぜ!」
「マジかよ……ワルすぎんだろ……」
男達が互いに悪さ自慢をした後、持って来た酒を開けようとするその時だった。
「痛っ!」
片方の男が叫ぶ。
その腕には手のひらサイズの不気味な人面蜘蛛が噛み付いていた。
「噛まれた! なんだこの不気味な蜘蛛は!?」
男は腕を振り回し、蜘蛛を床に叩きつけて何度も踏みつける。
蜘蛛はまるで人のような断末魔と共に息絶えた。
「なんだこの蜘蛛。まるで人の顔みたいな見た目と鳴き声だったな……どうした?」
「あ、あああ、あぁぁぁぁ!!」
噛まれた男が突然腕を押さえながら倒れ込み、泡を噴いて転げまわる。
「おいおい大げさだな。血が出るような傷でもな……ひぃっ!?」
覗き込んだもう一人が飛び退く。
噛まれた男の手は爛れるどころか、皮膚が剥がれ落ち、肉は溶け落ち、骨が露出し始めていたのだ。
「――――!!!!!」
「お、おい嘘だろ。どうなってんだよ!?」
もう悲鳴にもなっていない叫びをあげる男の腕はみるみる肩口まで溶け落ち、首から上が紫色に染まっていく。
「ま、待ってろ、今助けを……」
相方が言い終わる間もなく、男は目鼻口からどす黒い血を垂れ流し、大きく震えて動かなくなった。
「なんだよ……なんなんだよこれぇ!」
次回は戦争かファンタジーか……お楽しみに。