第17話 動乱の一矢
同名タイトル コミック16話と同時進行分となります!
王都 王宮前広場
「お待ちしておりました殿下。お手を」
「うん……じゃなかった。うむ。ありがとなのじゃ」
馬車から降りるマルグリットにバルベラ伯が手を貸す。
表面上は丁寧だが敬いの気持ちをこれっぽっちも感じないのはいかがなものか。
マルグリットの方も敏感に感じとってか、怖々と手を取るものの馬車から降りるとすぐに放した。
「失礼致します。では後ほど」
お付きの騎士達に睨まれながら微塵も気にせず踵を返す。
「王族相手にこの態度では色々苦労しそうだねぇ」
「殿下と同じ馬車に乗り込もうとした貴様が言えたことか、無礼者め」
ベネティアに頭を小突かれた。
疲れていたからうっかりしていたんだよ。
マルグリットは驚きながらも席を空けてくれようとしたが、侍女に突き飛ばされ、騎士に襟首掴まれて放り出された。
ちなみに一緒に乗ろうとしたリシュは俺がやっつけられている間に華麗な身のこなしで逃げた。
「武の極意とは戦わず逃げることにあるのだ」
などと胸を張るリシュを見ながらベネティアが溜息を吐く。
「さて……」
そこでバルベラ伯がマルグリットを見送ることもなくこちらにやってくる。
ただでさえ鋭い目が一層細まった。ヘラヘラ聞いて良い話ではなさそうだ。
「此度の損害は10か」
俺は返事せずベネティアの肩が跳ねる。
実際の損害は30だ。
俺の指揮下で死んだのが10でベネティアの突撃から出た死者が20。
「指揮はユリウスに任せて補佐に徹せよと言ったはずだな。なぜ突撃した?」
「申し訳ありません……」
ベネティアは消え入りそうな声で答える。
大柄な体格と立派な胸まで萎んでしまいそうな雰囲気だ。
だがこれは厳しい上司の典型パターンで『謝罪ではなく理由を聞いているのだ』とくる流れだ。
謝るだけでは状況悪化する。
そうなる前にと俺はゴルラとリシュに目配せをした。
二人は同時に頷き、ゴルラは革の袋をリシュは美味そうな焼きりんごを差し出す。
俺は素早く焼きリンゴを受け取り、今にもベネティアを叱責しようとするバルベラ伯に差し出した。
「……? 詰問中だぞ。後にせよ」
これじゃない。
リシュが変なものを出すから間違えたじゃないか。
改めて革袋の方を受け取りベネティアの脇をつつく。
指が脇から少しずれて横乳をつついてしまったが、この雰囲気では気付かないはずだ。
気付いていないよね?
ベネティアはハッと気づいて革袋を受け取り伯爵に差し出す。
「じ、実はこれらを発見致しまして。少々の無理を押しても確保すべきかと判断致しました。そ、それから敵中に明らかに農民ではない者を見つけ……」
バルベラは鋭い目のままで袋の中を確かめて頷く。
「奴らがただの農民でない証拠の品か……ふむ、無為に猪突したかと思ったが」
伯爵の怒気が止まりベネティアの強張っていた表情が僅かに緩む。
俺も安堵の息を吐く。
ベネティアが伯爵の機嫌を損ねて俺に代わりをやれなんて言われるのが最悪の事態だったから。
「此度の失態は一応成果でもって不問とするが……うん? これは」
もう一波乱起こるかと思ったところで伯爵の眉間に皺が寄る。
凝視しているのは袋に納めていたクロスボウ――ではなく、その矢だ。
農民が持つには揃い過ぎた鎧と明らかに規格品のクロスボウが他勢力介入の証拠になると思って持ち帰ったのだが、矢がそこまで興味を引く理由がわからない。
「面白い。怪我の功名かベネティア」
伯爵はニヤリと笑い、ベネティアが露骨に安堵する。
「フェンバル侯のところに行くぞ」
フェンバル侯爵……おっと宰相のことだった。
「ディミトリ殿下はお呼びいたしますか?」
「いらん」
ディミトリは宰相派が担ぐ現王の長男……なのに要らないのか。
そこでベネティアが俺の腕をつつき、憮然とした表情で言う。
「借りは返す」
「借り……か」
思わず大きな胸と張りつめた尻に目をやってしまうと氷のような視線を向けられる。
無難に酒でも奢って貰うことにしよう。
「なんにせよここからは王宮での話だ。地位も立場もない僕達はお暇するとしよう。お疲れ様」
俺は緊張の糸を解き、リシュ・ゴルラと談笑しながら王宮に背を向けた。
「さっきお風呂屋見つけたんだよー。ルップルと違って簡単に水浴びもできないからさ。私とユーリはともかくゴルラがやばいの。夏に3日放置した貝ぐらいやばい」
「そ、そんなに臭いか? 自分では無臭だと思ってたんだがな……」
「大いなる勘違い。脇に制約でも発動したかと思うぐらい」
「ちなみに風呂屋は混浴かな?」
「そうだけど如何わしいことしたら殺すからね」
「げ、混浴なんて困るぜ。俺みたいな男ばっかりの時間があれば良いんだがな」
「そんな地獄みたいな風呂には入りたくないなぁ」
よし、この和気あいあいとした雰囲気のまま王宮を出て……。
「ユリウス。お前もくるのだ」
「……はい」
伯爵の一言で足を止めて項垂れる。
まあこうなるだろうと思っていたけれど。
宰相執務室
「おぉバルベラ卿、急ぎの用件とはいかがしました。この老骨が耐えられる話だと宜しいのですが……そちらは?」
宰相フェンバル侯爵。
初老ほどの歳、身長は俺より頭一つ小さく痩せ型で腰も少し曲がっているように見える。
「この者は私が新たに召し抱えたユリウスです。家も位もありませぬが……」
「ほぉ……ユリウス殿と申されますか。なるほど知的な顔をしておられる。バルベラ伯ほどの方が目をかけたならば、才に溢れること間違いありますまい」
宰相は俺に笑いかけて握手まで求めてきたので面食らう。
帝国であっても首相がなんの立場も無い者にこんな態度では接さない。
まして封建社会ではあり得ない行為のはずだが、宰相は俺の手を取って小さく頭まで下げたのだ。
「これはご丁寧に……」
「こちらのお嬢さんも実に可愛い。貴方は素晴らしい体格だ。さぞ頼りになる護衛なのでしょうなぁ」
「そんな宰相様が可愛いだなんて……デヘ、やっぱり私そうなのかなぁ。わかってたけど」
「こ、このたびは護衛を仰せ仕ったゴルラでござ……ぐぎ、舌噛んだ」
リシュとゴルラにも態度は変わらない。
誰にでも柔和で腰が低く相手を立てる好々爺、非常に好感の持てる人物だ。
故に俺は溜息をつく。
残念ながらあり得ない。どんな国家であれ、組織であれ、権力闘争を勝ち上がった者にこんな『良い人』はいない。『良い人』は勝ち残れない。
『良い人を演じる人』であって碌なもんじゃないことがほとんどなのだ。
「こちらをご覧いただきたい。マルグリット殿下の荘園で反乱者が持っていた物です」
「ほうほう、これは農民の装備ではありませんな。やはりどこぞやの不埒者が……」
宰相は興味深そうな言い方をしつつ、まったく興味無さそうに品を確かめ、やはりクロスボウの矢を見て手が止まる。
温和な表情が固まり口角が一瞬吊り上がったように見えた。
そら碌じゃないものが見えてきた。
そこで執務室の扉がノックされる。
「宰相閣下、バルベラ伯、陛下がお呼びでございます」
俺はその場に膝をついて見送る。
「さすがに僕みたいな平民が一国の王様には会えないよね。一足先に戻――」
ベネティアが俺の襟を掴んだ。ダメみたいだ。
謁見の間
謁見の間には既にマルグリットが居る。
表情は非常に硬く、まるで説教を待つ子供――その通りでまるでは要らないな。
「バルザーラ四世陛下の御成りである!」
さて王様登場だ。
歳の頃は50半ばだろうか。
痩せぎすということもなく体格はそれなりに良いのだが、体にも顔にも今一つ覇気がない。
疲れくたびれているような印象を受ける。
「おじい……陛下。本日はご機嫌麗しゅうございます」
マルグリットが小さい体でスカートを広げて立派に挨拶をする。
「うむ」
国王は孫娘の姿に一瞬表情を綻ばせるも、続いて宰相と伯爵が挨拶をするとムッスリとした表情となった。そして俺やリシュを見て首を傾げる。
「そこの者は誰か。見覚えがないが」
さて封建社会では身分が重要だ。
つまり俺みたいなのが居るのは不敬なので早々に追い出して欲しい。
「この者はマルグリット殿下の荘園にて反乱を鎮圧した者です。身分無き者ではございますが、此度の事情を良く知るかと」
「ん、そうか」
王は特に怒るでもなく讃えるでもなく、ただ興味無さそうに言う。
本当に疲れていそうだ。
「では早速、此度の反乱につきましてマルグリット殿下より経緯をお聞きしたく存じますが」
「ええと……きっかけは良くわからなくて……みんなは騙されていて……」
マルグリットはしどろもどろだ。
「まぁまぁ、まさか殿下をお責めしているわけではありませぬ。わかる範囲でお教え願えればと」
柔和な笑みを浮かべて続ける宰相だが、その顔を見るマルグリットはバルベラ伯を見た時以上に脅えている。子供の直感で笑みの裏側を見抜いたのかな。
「マルグリットはまだ小さい。そう難しいことを言ってもしようがあるまいに」
困った顔でいう王だが側近の一人が腕組みして呟く。
「しかし自領の乱を鎮圧できずに国軍を入れたとなれば……なにかしら説明して頂かねば領主達に示しが付きませぬぞ。ただでさえ既に多くの領主が公爵に」
「これ、今言うことではない」
俺は宰相と伯爵を見るが、宰相は柔和な笑み、伯爵は憮然とした表情のまま動かない。
本来は彼女を擁護すべきお付きの騎士達も気まずそうに押し黙ってしまっている。
マルグリットは四方に視線を泳がせ、大きな瞳に溢れんばかりに涙を溜めながら俺とリシュを見る。
「助けて」の声が聞こえてきそうな視線だ。
「なんとかして! 可哀そうでしょ」
リシュが俺をつつく。
伯爵が怖いけど仕方ないか。
「あー恐れながら」
全員が驚いたようにこちらを見る。
『立場をわきまえよ無礼だぞ』と決まり文句がくる前に言い切ろう。
「今回のことには悪意……つまりは殿下の荘園を荒らそうとする者の介入があったと確信しております。ただの乱とは扱えないかと」
「貴様立場を――」
「それはまことか?」
側近から上がった予想通りの声を王が止める。
王にとって孫娘の失態でなかったという情報はなにより聞きたかったことだろうから。
「は、ここに反乱農民の装備を押収してございます」
伯爵が仕方なくといった調子で申し出る。
勝手に言うなとばかりに怖い顔で睨まれた。
ごめんなさいとジェスチャーしておこう。
引き出された装備を見て、あるいは手に取りながら王の側近達が声をあげる。
「鎖帷子はとても農民が手作りできる代物ではないな」
「このクロスボウはリムリット工房のものだ! あそこは王国か領主からの注文しか受けぬぞ」
驚く側近、相手に心当たりがあるのか憮然とする王。
マルグリットが俺を見て「ありがとう」と可愛らしく唇を動かす。
あと10歳年上だったらセクシーな仕草だろうに。
さて伯爵の方にもなにかフォローしておかないと裏切り者だと切られかねない。
王と側近が騒ぐ中で憮然としている伯爵に囁く。
「この場で確信したので言いますが、マルグリット殿下の右隣の騎士、アレ多分内通者ですよ」
「……なに?」
正直、殿下に直接宛てた手紙の内容が漏れていた時点で候補は相当絞れていたのだが、今確信した。
マルグリットが責められていた時、庇おうとするお付きを止めていたように見える騎士がいたのだ。
彼は俺が発言した時は真っ先に無礼だと声をあげ、今はいかにも苛立ってそっぽを向いている。
「証拠はあるのか?」
残念だが俺が見て取っただけで証拠などない。
「今はないですね。これから吐かせる作戦を考え」
目星はついたのだから、じっくり調べればなにかしら出るだろうと思ったところで、バルベラ伯が立ち上がる。
「陛下! マルグリット殿下の周りに殿下とは違う主を持つ者がいると思われます!」
「え、うそん」
大音量で言い放った伯爵に思わず声が出てしまう。
大胆不敵もここまで来るとすごい。
証拠はないと言ったのに。
マルグリットお付きの騎士達は一様に驚きから怒りの表情に変わって声をあげる。
裏切者呼ばわりされたのだから当然だ。
しかしその中で件の騎士だけは肩が跳ね、目が泳ぎ、他の者より1オクターブは高い怒声で返す。
「バカなことを言うでない! 殿下に仕えるは代々続く古参家のみ。貴様のような新参の者とは違うのだ!」
3点セットの反応で伯爵と宰相も確信したようだが証拠は何もないのにどうするのか。
俺に言われても知らないぞ、と逃げるようにリシュに視線を移すと何故かモゾモゾしている。
「ううん……さっきから誰か触ってない?」
なんとリシュの背中や太ももに手のひらサイズの蛾がしつこくまとわりついていた。
それが人に撫でられたような感触になっているのだろう。
蛾はリシュの探る手を躱し、振り返ると頭上に飛んで見つかっていない。
さすがにリシュもこの雰囲気の中で派手に動き回ることはできずモゾモゾしているのだ。
『卑劣な裏切者! 僅かばかりでも誇りが残っているならばこの場で名乗り出るがよい!』
おっとまた蛾がリシュの背中に止まった。
不気味な見た目だし毒蛾だったら良くないので取ってあげよう……うわっ蛾がズボンに入ってお尻の方にいってしまったぞ。
『思えば我らが待ち伏せを受ける時点で』
『そのようなこと知るものか! むしろ新参の第4軍団にこそ内通者が』
服の中で潰れたら大変だし追い出さないと……この辺かな。
俺は蛾が入っていると思われる場所を服の上から撫でて追い出そうとする。
「……おい」
なかなか出ていかないな。
もっと撫でよう。
『無論全員を疑っているわけではない。内通者は一人だ』
『ふ、ふん。適当なことを。何か証拠があるならその者の名前を言え!』
出て来い出て来い。
「よしここだ!」
俺はズボンの中に手を突っ込んでとうとう蛾を捕まえる。
その俺の腕をリシュが万力のような力で捕まえる。
『内通者は――』
「痴漢は――」
「お前かぁぁぁぁぁ!!」
リシュの絶叫が謁見の間に響きわたる。
もう声というより振動か衝撃波に近い。
蝋燭の火が掻き消え、シャンデリアが音を立てて揺れ、王様が椅子ごとひっくりかえる。
「うわぁぁぁぁ!? どうしてばれ――しまった! ええいどけぃ!」
常識外の大音声に反応してしまった件の騎士が脱兎のごとく逃げだす。
バルベラ伯とベネティアが腰に手をやるも王の前であるから帯刀していない。
逆に騎士は王族マルグリット護衛の為に許されていた短剣を振りかざして逃げる。
「衛兵!」
咄嗟に衛兵が入り口を塞いだが、騎士はわかっていたとばかりに窓……俺達の方に来る。
「まずいぞリシュ」
「まずいのはお前の頭だ! この痴漢野郎!」
騎士が俺達の傍を通り抜けようとした時、リシュの豪快な巴投げが炸裂する……無論俺に。
「どわぁ!」
もし俺が対人戦に慣れた中世騎士に掴みかかっても簡単に殺されてしまったはずだ。
だが相手もまさか頭を下にして背中からすっ飛んでくるとは思わなかったのだろう。
「ぐええ!」
俺達は盛大に激突して倒れ、騎士の手からナイフが零れる。
「でかしたぞバルベラの下僕!」
「見事なボディプレスだ!」
他の者が追い付いて取り押さえる。
天地ひっくり返った視界の中でバルベラ伯は満足げに頷き、ベネティアが感心し、宰相は真顔になっている。
「それにしても最後は誰の叫びだ? バルベラ伯の声ではなかった」
「そも、人に出せる音ではなかったぞ。ドラゴンの雄たけびかと思うほどであったが」
「殿下への裏切りに憤る、父祖の声であったやもしれぬな」
ともあれ一件落着だ。
裏切られてしょげているマルグリットと般若のような顔で止めを狙っているリシュを除いて。
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ナヴィス公爵領 私邸
「ゲルツの内通が露見したか」
「はい。よりにもよって陛下の前でバルベラに暴かれ、その下僕に捕縛されたとのこと」
側近の報告に部屋の主はフンと鼻を鳴らして飲み干したグラスを床に放る。
ネズミのように這いつくばって割れたグラスを回収する下人を目に留めることもない。
金糸銀糸で紡がれた豪奢な服に負けない堂々とした体躯……ナヴィス公爵その人であった。
「なにか手をうたれますか?」
「要らん。そも、己から内通を持ち掛けるような輩を儂は好かぬ。まして子どもとはいえ王族に仕える騎士でありながらな。道具として使ってやっただけありがたく思えばよい」
公爵はハンカチで口を拭ってこれもまた床に投げる。
「それよりも気になるのはこれだ」
公爵は送り名無しで届けられたクロスボウの矢を掴みあげた。
「我が軍のものではありませんな」
「マルグリット荘園の『叛徒』が使ったものだとある。軍の者に問うたらば、東の隣国ゼイサス王国軍のものに違いないと言う」
「我らが送った装備ではあり得ませぬ。一体どこから――あっ」
部下はハッと気づいて続ける。
「そういえばゲルツが自慢げに報告しておりました。荘園の武器庫から武器を盗んで農民どもに流してやったと。とならばこの装備は……まさかマルグリット殿下がゼイサスと?」
公爵は鼻を鳴らして首を振る。
「幼女にそのような真似ができるものか。マルグリットが来るまで荘園は王家の直轄地であったはずだ。ゼイサスには兄の遠戚が多くおる」
側近が絶句し、公爵が怒気を噴出させる。
そしてハンカチを回収しようと這って来た下人を蹴り飛ばした。
「王位を巡り争うは王族の常よ! されど外国を呼び込むなど言語同断! あの暗愚め恥を知れ!」
下人は文句を言うどころか血の一滴、汗の一粒落とさないように傷を手で押さえながら部屋の隅に戻ってひれ伏す。
「我らが王座を争う隙を狙われては……バルザーラ王国そのものの危機となります」
公爵は頷く。
「愚鈍であっても正統に就いた王なれば、己の非力をわからせ自ら退位させるが正道と考えておったが……苦境にあって外国を頼るなど、いよいよ任せられぬな。古狸の案内は気にくわんが」
公爵は忌々しげに矢を圧し折り、王宮の方向に手を突き出して握りしめたのだった。
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王都 酒場
「ふふ、どこで飲んでもおごりの酒は美味しいね」
リシュ達に内緒でこっそり風呂屋を抜け出してきた甲斐もあったというものだ。
テーブルを挟んで反対側には不服そうなベネティアが足を組んで座っている。
「いくらでも飲め。だがこれで借りは無しだ! いいな?」
「もちろん。あぁ美女と飲めてこその美味しいお酒だ」
私服姿のベネティアは本当に綺麗だった。
嫌そうな顔もキツめの顔立ちと相まって魅力を増している。
そんな彼女を眺めていると彼女はそっぽを向いたまま、ブツブツと俺への文句を言い並べながら酒を飲み、ふと押し黙ってから切り出す。
「あの時……」
「君が敵の罠にはまった時かい? 痛い痛い」
足を二度蹴られる。
「どうして罠だとわかった? 私の突撃はどうまずかった?」
「まず全容が不明の敵に突撃をかけるのがバカの所業であって……おっとっと」
ベネティアが怒りながら頬を膨らませているので別の方向から続けよう。
「まず重要なのは戦術うんぬんより敵をよく把握することだよ。愚かな敵は愚かなことをするし、賢い敵は賢いことをする。賢い敵が愚かなことをし始めたら裏があるってことだ」
「確かに農民の皮を捨てたにしては愚かな布陣だと……わ、わかっていたからな! 裏の裏を読んで失敗しただけだ!」
裏の裏を読んだつもりで見えている落とし穴に飛び込む者の多いこと多いこと。
「あの場面ではどう攻めるべきだったのか。お前ならどうした? どうやれば勝てた?」
なんとも楽しくない話題ではあるが、酒と美女が付いていれば文句はない。
俺はベネティアに請われるままに、突破ではなく左右からの包囲を狙うべきだった。できないなら、せめて二手に分けて時間差でなら……などと諸々語った。
酒を入れながらも熱心に聞いていたベネティアだったが不意に俯いてしまう。
「お前は平民だろう? どこで戦術を学べたのだ?」
「まあ場数は嫌というほど踏んだけれど、結局9割は帝国の軍学校で習ったことの応用だなぁ」
軍学校……とベネティアが呟く。
「帝国とは北のルグント帝国か? あそこは帝国とは名ばかりの蛮族共で学校などないはず。遠いが西のフィンシャール帝国? あの国の軍人は全て未婚の女と決まっていたはずだが……ちなみに優秀な敵将は捕まえて皆で種を奪い尽くすそうな」
フィンシャール帝国とやらにちょっとどころではない興味があったもののベネティアが深刻そうな顔をするのでこれ以上聞けない。
「私は半端にしか学べなかった」
俺はお代わりを注文してベネティアに差し出す。
彼女の話を聞きたかったし、なにより俺の過去から話を逸らしたかったからだ。
「私の父は平民の出だったが勇敢な兵士で優れた指揮官でもあったのだ。数々の武功を立てて騎士爵とイルレアンの氏を与えられ、軍では何百もの兵を任される立場だった」
「それはすごい。兵卒から大隊指揮官じゃないか」
ベネティアは大隊? と首を傾げるも酒のせいもあってか気にせず続ける。
「私はそんな父に憧れた。今一つ体の弱かった兄達をおいて軍に入り、毎日鍛錬にあけくれた。剣の腕だって他の男に負けたことはない。皆が優秀な騎士になれると褒め称えてくれた」
そして暗転。
「父が病で死んだ。騎士爵は一代貴族だから私も平民に戻り……途端に相手にされなくなった。いくら腕を見せても兵を率いても騎士ではなく女としての雇い話しかこなくなった!」
悔しそうに握られた手に手を添えると振り払われる。
小指にだけ添えると許してくれた。
「半ばヤケになっていたところで閣下に声をかけて頂いたのだ。閣下が居なければ私は尻を触られながらボンボン貴族の護衛をしているか、腐って身を持ち崩していただろう」
俺の手がギュッと握られる。
「だからお前が気に食わない! 平民の分際で閣下に気に入られ、平民の分際で戦術を知り、それなのに積極的に戦おうとしない。功を避けているようにすら見える」
俺は困ったように苦笑いする。
「今に見ていろ。私は閣下と共に出世してやる。あんな屈辱を二度と味わってなるものか!」
「できるさ」
いい加減なことを、と睨まれる。
「君は美しい女性だ。女としての話が絶えないのもわかる。けれど兵は君について突撃していったじゃないか。僕の指示なんて聞かずにね」
怒ろうとしたベネティアの動きが止まる。
「命のかかった戦場だ。顔が綺麗なだけ、胸が大きくて形も良いだけ、動く度に大きな尻が揺れて裾から日焼けした健康的な太ももが見えるだけで部下は従わないよ」
「……」
おっと言い過ぎた。
「指揮官とは戦術を考える者じゃない。兵を率いる者だ。君は立派にその役目に応えているよ。ベネティア・イルレアン」
ベネティアの目が丸くなる。
「バ、バカもの! もう爵位はないと言っただろうが!」
「酒の席なのだからいいじゃないか。イルレアン嬢」
ベネティアはやめろと手を振るが、隠しきれない喜びで満面の笑顔になっている。
「き、今日だけの戯れだぞアホユリウスめ。ほらビールのお代わりだ。好きに飲め」
俺に酒を勧めながら、自分もどんどん呷る。
「最初に見た時から騎士の風格があると思っていたんだよ。やっぱりだったね」
「あ、当たり前だ。お前みたいな根っからの平民とは違うのだ! ほら肉が来たぞ。食べるといい」
皿を用意してくれた上に切り分けてくれる。
チョロすぎないだろうか。
「これ以上飲むと明日に障るね。ちょっと上で休みませんかナイト・イルレアン」
そっと腰に手を添えると、ベネティアは噛みしめるように「イルレアン」と呟きながらついてくる。
「そのままでは皺になるね。預かるよレディ・イルレアン」
「ん、見上げた心がけだ」
預かった上着を壁にかけてベッドに腰かけさせる。
「マドモアゼル・イルレアン。隣宜しいでしょうか?」
「……うん」
その肩を抱いてベッドへと倒れ込み、互いの服がベッドの下に落ちる。
そのまま俺達は一つに――。
「って待てぃ!」
「ぐえっ!」
リシュの数倍のパワーで投げ飛ばされて壁に激突する。
「あ、危うく流されるところだった! この下衆め!」
「ちゃんと許しを得てから行ったのに……グェェェ折れる!!」
うつ伏せに倒れた俺の背中にベネティアが乗り、足を掴まれエビぞりに引っ張られる。
そこで窓の外から叫び声が聞こえて来た。
「ユーリどこだぁぁ! 女か! 女だな! クンクン……こっちか!!」
でっかい声が酒場へ駆けこみ、そのまま階段を駆けあがって扉を蹴り破る。
とうとうリシュにお風呂屋を抜け出したと気づかれた……ってタオル一枚じゃないか。
「やっぱりベネティアさんを狙って――」
俺を成敗するために振り上げたリシュの腕が停止する。
その間も裸のまま全力で俺を締め上げるベネティアと本気の悲鳴を上げ続ける俺。
「怒るべきなのか変態プレイに愕然とすべきなのかで迷ってる」
リシュがそう呟いたところで限界を迎えた俺の腰がたててはいけない音をたてた。
ヴァイパーと酒席の後で同じようなことになったことがあったっけ。
酒の勢いもあってお互い生まれたままの姿になるところまではいったのだが、さすがに上官として部下を抱くのはダメだと踏みとどまったら何故か翌日ずっと睨まれていた――と潰れたカエルのように床に張り付きながら思い出す。
「リシュゥゥ! なんて恰好で飛び出していくんだぁ! せめて服を!」
窓の外から『裸』『変態』『大男』『ガタイの割には小』の声と衛兵の笛、ゴルラの叫びが聞こえた気がした。
「お前ら本当にバカだな……」
呆れたベネティアの声と背中に乗る大きく温かいお尻を感じながら俺は意識を失うのだった。