第16話 黎明の急襲
日暮れと共に出立した俺達は予定通り街道から外れて進んでいく。
月明りを頼りとした不格好な行軍で陣形は大きく乱れるも計算の内だ。
はぐれなければそれでよい。
俺は転ばないよう気をつけながらヨタヨタと、ベネティアは口をへの字にして不満げに、ゴルラは緊張に顔を強張らせ、リシュは俺の背中の上で涎を垂らして寝ながらの行軍だ。
「ユーリだめ……ダメ……そんな大きすぎる……お腹壊れちゃう……」
どんな夢を見ているんだ。
ゴルラが殺気を放ち始めたじゃないか。
「でっかい人面ガニ丸呑みなんて……お腹が破れる……でもちょっと見たい……頑張れユーリ」
本当にどんな夢見てるんだ。
徐々に周囲が明るくなってきた頃、俺達は農民?達が陣を張っているはずの森に到着した。
「やはりね」
彼らは予想通り森の中に陣地を築いており……そして無防備だった。
「普通に篝火を焚いているな。数はざっと800程度か」
ベネティアが呟く。
「いや1200ぐらいかな。警戒レベルは0……好都合だ、直ちに攻撃を開始しよう」
俺は背中のリシュをゴルラに移す。
「うぅ、くっさい」
何度起こしても起きなかったリシュが即起きた。
ゴルラがしょげる。
「いや待て。夜間行軍で我が方の陣形も乱れている。まずは立て直すべきだろう」
俺は首を振る。
「戦場で最も大切なのは陣形じゃなく時間と場所を支配することだ。今、僕達は相手の後ろに居て、相手は完全に油断している。逃す手はないよ」
「寝起きを襲う卑怯なユーリ。私も気をつけよ」
起きて早速放たれるリシュの茶々を受け流して苦笑する。
「戦いはより相手の嫌がることをした方が勝つ罪深い行為だからね。あとリシュの寝起きは危険だから近寄らないよ」
ベネティアがまだ不満そうな顔をしていたが論争していると機会を逃す。
「約束通り攻撃開始と停止のタイミングは僕に任せて――じゃあ行こうか」
日常会話のような口調で攻撃の指示を出し、味方全体が鬨の声をあげた。
まずは軽騎兵が木々の間をぬって駆けていく。
陣形は乱れているし地形的にも不利、まして陣地に居る相手に騎兵突撃など愚策も愚策――だが全ての不利は奇襲という一点でひっくり返る。
「うわっ! な、なんだぁ!」
「馬の音!? 来るのは三日後じゃ……あれ街道に誰もいない……後ろからきたっ!?」
「すごい数だ! 何千もいるぞ!」
飛び起きた敵兵が馬蹄の音を聞かされて慌てふためく。
完全に不意をついた。
しかも攻撃を想定していたであろう街道側ではなく背後の森からだから無理もない。
「実際は百もいないけれど馬蹄の音は何倍何十倍にでも聞こえるものだ。まして寝起きの頭では」
「寝起きの私みたいになってるね」
「……昨日も起こした俺をオークとか叫んで蹴ったもんな」
ゴルラが首筋をさすりながら言う。
リシュの寝起きは本当に危ないからね。
「さて歩兵隊も続こう」
歩兵隊が同じく鬨の声をあげながら単純な横列のままで進む。
「ま、まだくる! まだくるぞ!」
「もうダメだ! 逃げろぉ!」
「全員落ち着け! それほどの大軍じゃない! まず武器を持って集まるんだ!」
敵兵は慌てふためき、ただただ走り回っている。
数だけは多いのでぶつかり合い、お互いを敵と間違えて威嚇し合い、また駆けまわる。
「ここまで言葉通りの右往左往もなかなか見ない」
とはいえ最初のショックが終われば徐々に落ち着いて踏みとどまる敵部隊も出始めた。
こちらの急襲兵力は400で敵の3分の1。
敵が落ち着いて対処すればたちまち跳ね返されてしまうだろう。
「そうさせないのが指揮官の役目だ」
合図で今度は街道上を弓兵が進み、彼らの陣地手前に矢を放つ。
ちゃんと外してくれて良かった。
「まずい街道の方にもいるぞ。挟まれてる!」
「射ってくる! 矢を射ってきてる!」
「落ち着け当たってない! ただの威嚇だ! とにかくまず集まれと言ってるだろ!」
更にもう一つ。
数人ずつ散った味方兵士が湿らせた藁に火をつける。激しく燃え上がることはないが焦げた匂いと煙が森中に満ちていく。
「燃えてる! 火をかけられたぞ!?」
「こんな森で火にまかれたらお終いだ! 逃げ、逃げろぉぉぉ!!」
「だからっ! ええい騒がず指示を聞け百姓共が!!」
いよいよ敵の混乱は極に達し、武器を投げ捨てて遁走する者も出始める。
そしてとうとう味方騎兵が敵と衝突――と思われたが敵はぶつかる前に自ら崩れて散り散りに逃げ散った。
いざ突撃と気勢をあげていたベネティアが拍子抜けしたように構えていた得物を下ろす。
「……罠ではないのか? まともに戦う前に崩れるなんて」
「はは、陣地と武器を捨てて四方八方に逃げ散る罠は見たことがないなぁ」
俺は呆然とするベネティアに向けて続ける。
「まずは戦いの時間と場所を支配する。次に敵の思考を乱して飽和させる。これができたらもう勝ちだ。それができない時に仕方なく正面から陣形組んで勝負するのさ」
奇襲された。挟み撃ちされた。火にまかれる。
三つ同時に叩きつけられた敵兵には、もういかなる命令も届かない。
「農民反乱ならこれで終わりのはずなんだよね」
そこで味方の騎兵が数騎倒れ、次いで歩兵隊の足も止まって剣戟の音が響き始める。
「立て直せ! 方陣を組め!」
「クロスボウは騎兵を狙え! 木を背にしつつ移動するんだ!」
「敵は横陣だ! 側面へ回れ!」
少数ながら敵が効果的な防戦を始めた。
さておかしいなと。
「おい農民共が立て直しているぞ!」
俺はベネティアに向かって首を振る。
「未訓練兵をあの混乱から立て直すのは無理だよ。防衛用の陣形も出来ているね。ははは」
「戦中に笑うな!」
敵ははっきり2種類に分かれた。
逃げ散る農民と踏みとどまる?に。
「全部隊、一旦停止」
俺は騎兵と歩兵に一旦戻るように指示を出す。
迫力だけの攻撃では犠牲が出るだろう。
まだ薄暗い黎明の中で抵抗する敵に目を凝らすと剣を片手になにやら言っている者が居る。
「パーレス卿、敵が止まりました! 我々の損害はほとんどありません!」
「よろしい。残念ながら待ち伏せ作戦は破綻したようだ。方陣のまま丘まで移動して離脱する! ナイト・グルス、ナイト・ブーカ、敵を足止めせよ!」
「承知いたしました」
「はっ! 看破されたのは残念ですが、なぁに本隊が離脱すれば勝ちも同然。お任せあれ!」
さすがに聞き取れないが明らかに将校っぽいな。
ボロ布が似合わなすぎて笑ってしまう。
男の指揮なのか、残った百と少しほどの敵は方陣を組みながら丘の方向へと移動していく。
その行動を援護するように十人程度の部隊が逆にこちらに向かって来る。
離脱する本隊と足止めの遊撃隊か。
「化けの皮がズルムケだね」
この動きが農民だったら俺はもう何も信じない。
「ユーリのエッチ!」
なんでそうなる。
ベネティアもどうして顔を赤くして睨み……ゴルラが一番真っ赤じゃないか気持ち悪い。
「ともあれ時間稼ぎ役の殿は無視でいいよ。森を出て左右から敵の本隊を挟撃……」
そこで投げ槍が飛んできて慌てて身を屈める。
その一撃に俺以外の全員が反応した。
「たった十人ばかりで調子に乗るな反乱者共が!!」
指示を出しきる前にベネティアが敵に向かって飛び出していく。
「リシュに手出しはさせねぇ! 見ていてくれジェイコブさん!」
ゴルラも飛び出していく。
それぞれ別の相手と一騎討ちの様相だ。
「……相手すると本隊逃げちゃうんだけれどなぁ」
「ユーリ。ここは貴方がきめるところだよ」
リシュがやたら影の入ったハードボイルドな顔で落ちていたクロスボウを差し出す。
俺も同じく影をつくったハードボイルドな顔でそれを受け取る。
「戦場に卑怯卑劣などない……無駄な時間は無駄な犠牲に繋がる……悪く思わないでくれ」
俺は狙いをベネティアと一騎討ちせんとする騎士に定め、祈りの言葉を紡いで引き金を引いた。
乾いた音と共にボルトが射出され――2mほど先の木にドスリと刺さる。
「え……? 渋い顔で独白からお祈りまでして目の前にドスって……えぇ……」
「必修のピストル射撃も怪しかった僕なのに、クロスボウなんて当たるはずなかったのだった」
ベネティア達は敵と一騎討ちに入り、弓で援護することも危険だ。
「こりゃもう応援するしかないね」
ベネティアの一騎討ちが始まる。
相手は華麗な長髪をなびかせた華奢ながら技量の高そうな戦士……もう農民の偽装に無理があり過ぎる。
「女だと? ふふ、俺も安く見られたものだな」
「ふん。農民もどきが何をぬかすか」
ベネティアが馬上から槍を一閃する。
だが相手の騎士は穂先を両手剣で払いのけ、間合いに飛び込み彼女の横腹を狙う。
「その程度!」
ベネティアは槍の柄で二度受けるも衝撃で槍が曲がってしまい、とうとう受け止め損なった一撃が馬腹を掠めて馬が立ち上がってしまう。
「ちっ」
「もらった!」
馬から転がり落ちたベネティアは槍を捨てて腰の剣を抜き、敵の斬撃を受け止める。
押しつぶそうとする敵と跳ね返そうとするベネティアの壮絶な鍔迫り合いの末――。
一方、ゴルラの戦いの音は更に大きかった。
相手もまたゴルラに劣らず筋骨隆々で、粗末な偽装の服を突き破りそうな体格だ。
「ぬぉぉぉぉ!」
「ふんぬぅぅ!」
ゴルラの両手剣が相手の剣の上から叩きつけられる。
防御の上から2合3合と連撃するも、相手もまた潰されることなく剛力をもって弾き返す。
そして4合目で両者の剣が真正面から打ち合わされた。
激しい火花が散り、刀身が軋み、刃が欠け散る。
「ぐぬぬぬ!」
「うごごご!」
お互いの筋肉からモリモリ音が聞こえるような押し合いの末にゴルラが押し切った。
相手の体勢は大きく崩れ、剣が手から離れて地面を転がる。
「もらったぁ!」
「なにくそぉ!」
決着かと思われたが相手は丸腰のまま体当たりをして、ゴルラがふらついた隙に剣を拾い直す。
ゴルラも全力での打ち合いで体力を消耗していたのか素早く追撃することができず、再び剣を構えての仕切り直しとなった。
「まだまだぁ!」
「こいやぁ!」
二人同時に振りかぶった剣が激突し、火花を散らして再度押し合いとなる。
互いに引きもいなしもしない。
ただ全身全霊でもって相手を潰そうと力を込める。
敵の顔が窒息しているように赤くなり、額から滝のような汗を流す。
ゴルラの丸太のような腕も痙攣し始めて限界であるとわかる。
互いの剣も軋み、今にもひしゃげてしまいそうだ。
どちらが先に力尽きるか、あるいは剣が砕けるか。
その末に――。
両決闘が同時に決着しようとするその直前だった。
『すぉぉぉ……ぐわんばれぇぇぇぇゴルラ! ベネティアさん!!』
「なにっ」
「ぴぇっ!」
リシュの騒音……もとい巨大な応援の声に驚いたベネティアが尻餅をつき、相手の戦士も足を滑らせて転倒する。
「なにごと!?」
「おわっ!」
ゴルラと相手も驚いて押し合いをやめ、反射的に飛び退く。
「くっ、こんなに気合い入れて応援したのにどっちも互角か……」
「相変わらず、その轟音はどこから出ているんだい?」
リシュの声量は人間とか動物とかレベルじゃない。
比較するなら警笛とか砲声になりそうだ。
「ナイト・ブーカ! 足止めは十分、我々も引くぞ! またな騎士もどきの女!」
「おう。この程度の相手を仕留め損なったのは口惜しいが……致し方なし! 撤収!」
2人とその少数の手勢は抗戦をやめて一目散に逃げていく。
逃げる先は丘の頂上近くで足を止めている百程度の本隊だ。
「はて。高所を押さえても踏みとどまるにはちょっと数が少なすぎやしないかい?」
俺は地図と地形を見比べる。
「ふむふむ、なるほどね。よし全隊丘の正面で横隊を……」
言いかけた俺の命令をベネティアが打ち消した。
「騎士もどき……もどきだと? 全騎兵続け! 今ここで殲滅してやる!」
言うが早いが馬に飛び乗り、騎兵達の先頭に立って駆ける。
あっと指揮官が激情した。これはいけない。
「ダメだベネティア。寡兵であの布陣は後詰がいるぞ。すぐに戻りなさい!」
かなりキツめの口調で警告するもベネティアは無視して駆けていく。
兵達も俺などより本来の指揮官であるベネティアに従ってしまう。
「……はぁ」
ベネティア率いる騎兵隊一〇〇はまず逃走していた少数の敵を蹴散らして、その勢いのまま丘を駆け上っていく。
そして勇猛果敢に相手の方陣に襲い掛かり食い破ろうとしたところで。
「――今です。ってね」
俺が溜息混じりに呟くと同時に味方騎兵へザッとまとまった数の矢が降り注いだ。
数騎が矢を受けて倒れ込み、その数倍の馬が脅えて立ち上がる。
「丘の下に弓隊が居るぞ。百近い数だ!」
だろうね。
「こいつら竹槍を捨てて……帷子を着てやがる。完全装備だ!」
同時に敵の偽装も解かれる。
最早普通の長槍歩兵だ。
「は、はめられた!」
リシュが叫ぶ。
「ほんとにね。本陣から遠い位置で見事にずっぽり……コホン」
ゴルラに睨まれて咳払いする。
リシュは首を傾げた後、気付いて背中を叩いてくる。
とまぁこちらはいつも通りの調子だが、実は戦況かなり危うい。
ただえさえ丘を登りながらの攻撃なのに頭上から矢まで浴びせられては一層衝突力が減退してしまう。
これでは防御に優れた方陣を破れるはずがない。
更に蹴散らしたはずの敵が一騎討ちの両名の指揮で後方を脅かし始めると、騎兵部隊は目に見えて浮足立ち始めた。
「ええい動揺するな! 正面の敵を突き破れ。できぬなら左右に迂回しろ! 足を止めるな!」
ベネティアが敵を何人か討ち取りながら必死に鼓舞している。
なんとか自力で抜け出してくれれば良いが……ダメだ収拾がつかなくなっている。
「二線級部隊か……確かにそのようだ」
部隊の練度は勝ち戦だけ見てもわからない。
しっかりと準備された戦いなら多少劣った部隊でも概ね上手くやるからだ。
差が出るのは不意を突かれた時や苦境にある時、正に今だが予想外の反撃を受けて完全に混乱から抜け出せなくなっている。
分析している暇はもうない。
残念ながら騎兵隊は自力での立て直しは不可能、援護してやらないとこのまま全滅してしまう。
「歩兵一〇〇は前進して騎兵を援護、残り二〇〇は丘を大きく迂回、左手に見える川方向へ移動、橋を押さえてくれ」
味方の指揮官から一斉に異論の声があがる。
はい代表してゴルラどうぞ。
「やばい味方の援護に一〇〇で遠くの橋に二〇〇はおかしいだろ」
良い質問だ。ありがとう。
「騎兵の混乱は最早収拾しがたい。ここに大きな増援を投入しても混乱が増すだけだ。敵を警戒させる程度で十分」
「それはわかったが、遠くの橋に向かうのはなんでだよ」
「この先には領主軍のいるお屋敷がある。つまり戦場を離脱するにはあの川を渡るしかないから相手は橋を押さえられるのが一番怖いんだよ」
さあ納得したら急ごう。騎兵が全滅したら大変だ。
こちらの部隊が動き始めると敵は即座に反応した。
丘の上からならよくみえるから当然か。
「敵援軍約一〇〇……まずい。二〇〇が橋に向かってる。あの数で押さえられたら奪還できんぞ」
「偽装を解いた今、領主軍も攻撃してくる! 撤退路を断たれたら最後だぞ!」
「陣形を崩せ。離脱を最優先に移動しろ! 橋を確保するんだ!」
とでもいったところだろうか。
やはり敵は援軍よりも橋に向かう方を気にしているようで慌てて移動に不向きな方陣を崩し始めた。
「残った一〇〇で追撃開始。橋に急ぐ敵の側面をついて欲しい」
農民じゃないのはもう明白だから遠慮なく追撃できる。
騎兵は増援によって救い出され、敵は特に逃げ遅れた弓兵が追撃部隊の攻撃を受けて大きな損害を出しながら撤退していく。
なりふり構わぬ逃げ方のおかげで橋を押さえる前に結構な数に逃げられたが仕方ない。
もし手元に騎兵が残っていたら殲滅もできただろうが……。
「まあこんなものだろう」
そこで突然視界が赤黒く歪む。
おっと来てしまった。
眼前には少なくない数の敵味方が倒れ、偽装と分かっていても農民の服を着ている者も多い。
これを俺がやったのだから思い出しても仕方ない。
大きく息を吐いて空を見上げる。
手が震え、足がふらつくのを感じる。
「ユーリ?」
怪訝そうに俺の顔を覗き込むリシュを反射的に抱き寄せた。
「ふえっ! いくらなんでもここではやばいよ! 朝っ! 外っ! 周り五〇〇人に公開!?」
猛烈に騒ぐリシュを感じて震えが止まり視界の色が戻る。
ありがとうの気持ちを込めて頬っぺたを揉んでおこう。
「戦場で何をバカやっている。これだから貴様のような……」
ベネティアの怒声が聞こえるが声に全く迫力がない。
甲冑を凹ませ、盾には矢が刺さり、顔は泥だらけのベネティアは自分の失態をわかっているのか、怒りながらしょげていた。
「あーええと……」
呼びかけるとベネティアはブスっとした顔でそっぽを向く。
「言わんでもいい。わかっている」
「じゃあ何も言わないでおくよ」
俺は静かに頷き、慈愛の目でベネティアを見続けた。
「うん? なにその変な態度……」
リシュが俺の視線を追う。そして気付いた。
「あっベネティアさん! 鎧壊れて脇からでっかいおっぱい見えかかってるよ!」
「なんだと……キャアア!」
「バレた! 逃げるぞゴルラ」
「おう! って俺は別に見てねえ!」
ベネティアに巴投げされるゴルラを見捨てて逃げていると、突然豪華な馬車が走りこんでくる。
馬車の周りにはこれまた豪華で綺麗な騎士達が付き従っていた。
周囲の味方兵が一斉に構えるが、馬車の紋章を見て慌てて武器を降ろす。
王都の晩餐会で見た覚えのある紋章……。
「マルグリット殿下! こんな場所にどうして!? 総員整列だ!」
ゴルラに十字固めをかけていたベネティアが慌てて兵を整列させる。
ゴルラはまた羨ましい……俺も逃げなければ良かった。
馬車はその艶やかな外観には似合わず土煙をあげて急停止する。
お付きの騎士達が馬車の前に並び、扉が開かれる。
「さて王の孫娘マルグリット殿下は慈悲深い美少女と聞いたよ。どれほどなのか……冗談だって」
脇腹にベネティアの短剣が押し当てられ、リシュが荒縄をピンと伸ばすのを見て苦笑してごまかす。
それでも国中で噂の美少女となればどうしても期待してしまうものだ。
もしかすると既に大人顔負けのスタイルと色気を持っていたり――。
「ダメなのじゃー!」
馬車の扉が開き、小さなモコモコが転がり出た。
モコモコは躓いて前転した後、戦場となっていた周囲を見渡して目に涙を浮かべる。
「あぁうん」
確かに可愛い。美少女だ。
でも俺が期待したものとは全く違う。
「……小さすぎる」
歳の頃は10ぐらいか。
完全に子どもでスタイルも色気もあったものじゃない。
俺は女の子なら熟女から淫乱系、ちょっと悪い感じの女の子まで何でも好きだけれど、さすがに小さい子だけは良心が咎める。
「リシュも色々小さいから際どいところなのに」
「あん? なんかいった?」
おっとなんでもない。
マルグリット殿下は整列する俺達に気付くと騎士の制止を振り切って駆けてくる。
そして俺の眼前まで来ると躊躇なく飛びついて顔に張り付く。
「これ以上民を傷つけてはならぬ! みんな話せばわかってくれるはずなのじゃ! だから戦いはもう終わりにして!」
背後から多数の気配を感じて振り返ると逃げ散った本物の農民達が戻ってきていた。
「で、殿下ぁ……マルグリット様……オラ達のことをそんなにまで……」
「それなのにオラ達は何も考えずにバカなことを……」
「あんな新参者の言うことを真に受けて……なんてアホなんだ」
震えながらその場に膝をつく農民達。
「いいや、妾に甲斐性がなかったのじゃ。もっと妾がしっかりしておれば」
美しい光景かもしれないが王女様が顔に張り付いたままなのはどうなのだろう。
「あぁぁぁぁ……殿下ぁ」
「またなんか来た」
よろめきながらやってきたのは恰好から見て農民の代表者のような者だろうか。
「ほ、本当は気付いていたんだ。マルグリット様を貶めようとする奴らだって。でも欲望にまけた……奴らに紹介された女3人を酒池肉林の末に孕ませ、奴らに貰った金で毎夜博打三昧するうちに逆らえなくなってしまったんだ! うわぁぁマルグリット様、申し訳ねえ!」
男は土下座して泣き叫ぶ。
「こいつは他と違ってちょっとゲスすぎないかい?」
「みんな許す! だからもう一度やり直そう!」
マルグリットはようやく俺の顔から降りて言い放つ。
「最後の奴は締めた方がいいんじゃない? ユーリみたいになるよ」
「いやいやそんなことするはずが……」
ふと回想してみる。
博打はともかく女性の方は無いとも言い切れないかもしれないので沈黙する。
「……」
女性達の無言の圧を流しつつ、とにかく一件落着だろう。
「ではマルグリット殿下。事態のご報告の為、王都までおいでいただけますか?」
ベネティアは片膝をついて礼を取りつつ、冷たく淡々とした口調で言う。
マルグリットは顔をひきつらせたが、覚悟を決めた顔で小さく頷いたのだった。
全ての村人は許されたのでした。