第14話 王都バルザリオン 平穏ならず
「こ、ここが王都バルザリオン! 長い……長い旅路だった」
世界の果てにでも来たような様子で、リシュが天を仰いで感動に打ち震えて周囲全ての視線を集める。
「ほんとにね」
俺はどっぷり疲れた声で言う。
ルップルを発って徒歩で丸5日もかかった。
こんな長距離を鉄道も馬も使わずに歩いたのは生まれて初めてではないだろうか。
そもそも不本意ながらバルベラ伯の求めに応じて王都にやってきたので当然ながら迎えはあったのだ。
だがリシュが『旅は道中が重要!』『初めての旅行なのに馬車の中で小さくなってるなんてヤダ!』 とごねるので歩いてきたのだ。
俺としても徒歩でゆっくり向かう中で『とんでもないトラブル』が起きて全てうやむやにならないかとも期待していたのだが特にそんなことはなかった。
神様はいつも俺に厳しい。
「ユーリはぼーっとした顔しない。それでなくても周りの人に見られているんだから! きっと田舎者だって馬鹿にされているんだよ。みんな都会派で行くからね!」
「リシュがでかい風呂敷背負ってるからじゃないか? よくそんなものもってたな」
ゴルラの指摘も興奮状態のリシュには届いていない。
「……おい、あいつら」
「……あぁ分かりやすく怪しいな」
リシュの珍妙な動きと大きな声、それにゴルラの人相を不審がって門番達が寄ってきたのでバルベラ伯爵から貰った手形を見せる。
「う、バルベラ伯の印……本物だろうか?」
「本物ってことでいいさ。……あの方には関わりたくない」
門番は腫物でも扱うように印を返して去っていく。
そんな反応されたら今後が一層不安になる。
俺の心配をよそにバルザリオンに入ったリシュはまたも感動に打ち震えた。
「広い道……数えきれないぐらいの店、凄い数の人、私好みの味付け串焼き……こ、これが王都……凄すぎる! ふぉぉぉぉ!」
「都会派はどこかに飛んでいったね」
「というかいつの間に串焼き買ってたんだ。動きが見えなかったぞ」
俺の感覚では地方の中枢都市……の更に衛星都市といったところだが興奮に水を差すことはすまい。
「ふむぅ」
バルザリオンは中世レベルの都市としては常識ともいえる街を覆う石造りの街壁を持ち、そのすぐ傍を川が流れていて船着き場もあるようだ。
ちょうど果物を積んだ艀が到着する。
「見たことのない果物! 甘いのか酸っぱいのか! おっさん3つおくれー!」
「リシュ走るなって。また前みたいに荷をひっくり返すぞ」
走るリシュが石畳に躓いて砲弾のように飛んでいく。
もう見るまでもない。
「ぐわぁぁぁ!」
「だから言わんこっちゃねえ。おっさん悪いな弁償を……違う。因縁なんてつけてねえぞ?」
俺は目を閉じて首を振った。
「はぁい。お兄さん。もしかして旅のお方?」
艶のある声に目をあけると俺の目の前に化粧の濃い女性が体をくねらせて立っていた。
俺がそんなものだと答えると女性は嬉しそうに笑って密着してくる。
『衛兵さん違うんだ! 俺はカツアゲなんてしてねぇ!』
『ご、ゴルラ……良い奴だと思っていたのに。私が果物買っている間になんてことを』
「私もそうなの。でも女の一人旅は不安で……優しそうな人を探してたの」
女性は、はにかみながら俺の腕を取って必要以上に開いた胸元に抱え込む。良く見ればスカートも少し動けば見えてしまいそうなほど短い上にサイズが小さくパツパツだ。
「あはは、これはこれは……」
『大人しくしろ! こんな悪人面しやがって! 手形もっていないとはさては賊だな!』
『違う! 俺はなにもやってねぇ! 手形はツレがもって――』
『ゴルラが捕まっちゃった……ユーリどこっ! 大変だよ!』
思わず上から胸元を覗いてしまったが、女性は咎めるでもなく笑ってくれる。
「それは心配だ。少しぐらいならご一緒できますよ」
「嬉しいわ。お兄さんの顔とっても好みよ……変な気分になっちゃう」
ここまで言われて行かないのは逆に失礼だ。
俺が女性の腰より少し低い位置に手を添えてちょっと撫でてみたところで、後頭部にリシュの投げた果物が命中した。
リシュは俺の頭に張り付いた果物を素早く食べるとそのまま正面に回り込んで脛を蹴る。
「息をするように知らない女についていくな! みえみえの美人局でしょうが!」
俺はリシュに往復ビンタを喰らい、女は舌打ちして逃げていく。
「僕の経験から言っても9割そうだと思う。後ろに脅し役らしい男も見えていたしね。それでも1割、いや1%でも、ただ貞操観念の低い旅行者という可能性が……」
「ねえよ! そうでもついていくな!」
俺はリシュに謝り、衛兵を警戒して隠れた女性には胸とお尻の感触にお礼を言っておく。
「さて向かうべきは伯爵の屋敷だろうけれど、偉い人は偉い分だけ忙しいから簡単に会えないかもしれない」
「一応宿をとっておいた方がいいかもね。お金あんまり残ってないから交渉しないと……」
俺はリシュが右手に持った山盛り果物詰め合わせと、左手全ての指に挟んだ各種串焼きを見てから何か足りないことに気付く。
「あれゴルラは?」
「あ」
リシュの視線の先には衛兵数人に連行されていくゴルラの姿があった。
慌てて衛兵に声をかけようとした時だった。
「貴様ら天下の往来で何をやっているか!」
殺気の籠る怒声ながら透き通った美しい声に振り返る。
立っていたのはバルベラ伯と一緒に居た女騎士だ。
「こ、これはイルレアン卿!」
彼女の顔を見知っていたのか衛兵は拘束していたゴルラを放り出して敬礼する。その慌てた声が幸いにも俺の呟きを消してくれ、気付いて睨んでいるのはリシュだけだ。
「む……」
何故か女騎士は嬉しそうにする。
「おい!」
「あっ、し、失礼致しました! ベネティア千人長殿!」
はて呼び方をファーストネームと役職名に変えた?
そして女騎士――ベネティアさんは一転して渋い顔となってから俺達を睨む。
「貴様ら、我々が出してやるという馬車を断るだけでも不敬であるのに、来て早々に王都で騒ぎを起こすとはどういうことだ!」
どうにも初見からベネティアはこちらを、特に俺を目の敵にしている。
「いやぁ僕にも何がなんだかよくわかりませんが申し訳ありません」
事情は良くわからないがとりあえず謝っておこう。
今は背負う地位も部下も無く、高く掲げるべき頭でもない。
「ベネティアなにを騒いでおる。彼らはおったのか?」
次いで顔を出したのは――バルベラ伯本人だ。
「は、伯爵閣下! そ、総員整列、敬礼!!」
ベネティアの時ともまた違い、付近に居た衛兵が全員整列して敬礼する。
これだけで伯爵が相当な重要人物だと分かる。
しかし伯爵本人はやや不満気だ。
「よい。貴様らの役目は治安の維持であろう。俺に礼を取っている間に曲者の一人でも逃がしたらなんとする。役目に戻れ」
なるほど、こういうタイプね。
そこで伯爵は俺達に気付き、不満げな顔を崩して笑う。
「この調子では無理にでも迎えを出しておった方が良かったな」
伯爵は半ば冗談めかして言いつつ、ゴルラとリシュをじろりと見る。
その鋭い眼光にゴルラは後ずさり、リシュも口に入れた果物を飲み込む――案外余裕あるな。
「お前は武勇に優れているようには見えぬから護衛も要るのだろうが、力だけではなく頭も良い部下を連れよ」
「ぐぅ」
ゴルラは言い返せずに俯く。
伯爵の後ろでベネティアがそうだそうだと同調しているのが可愛らしい。
「そちらの娘は……あぁ」
リシュを観察した伯爵は呆れたような顔となった。
「俺も木石ではない故女連れを咎めはせぬが、少々幼いのではないか? 童女を遊び女とは感心せんな」
「は? 童女? 遊び女?」
持ち前の大声量で今にも怒鳴ろうとするリシュをゴルラと二人で止める。勘違いではあるがいかにもプライド高そうな伯爵に怒鳴れば面倒なことになるのはわかりきっている。
「ははは、誤解ですよ」
「良い。限度を超えねばただの悪趣味と流そう。ついてまいれ」
違うのだけどなと思いつつ俺達は伯爵の後に続く。
リシュはまだ暴れているのでゴルラに抑えられたままだ。
「貴様のような下劣な男が閣下のお傍にいるなど本来あり得ないのだぞ。僅かでも閣下の恥となったなら即座に追い出し、いやこの手で斬って……」
隣に並んだベネティアがバルベラ伯に聞こえないよう耳元で嫌味を言ってくるがそれどころではない。
すごい巨乳が当たっている。
甲冑越しでもはっきりわかるほどだったが普通の服になったら前に飛び出しているじゃないか。
体全体も大柄で鍛えられて引き締まっているから、余計に目立って素晴らしい。
「おい聞いているのか?」
「ああ、うん。見事なものですね。ははは」
曖昧に返事するとフンと鼻を鳴らして俺を見下すベネティア。
理不尽な罵倒ではあるのだが気分は上々だ。
巨乳美女に見下されて罵られる……どこに腹が立つというのか。むしろ癖になりそうで怖いほどだ。
「さてユリウス」
伯爵が歩きながら話しかけてきた。
さすがにこれ以上ベネティアの胸を見続けるわけにもいかない。
視線の鋭さを見るに本人に気付きかけているようだし。
ベネティアは後ろに下がりつつも剣を掴んでいる。
俺が不審な動きをすれば斬り捨てるつもりだろう。
「さてユリウス。お前はこのバルザリオンをどう見る?」
「牧歌的で綺麗な良い街です――――はい」
伯爵に睨まれたので溜息をついて真面目に答える。
「一国の首都にしては物流網が脆弱ですね。具体的には川が小さすぎる。あれではまともな船は通れず、筏が精一杯でしょう。街の規模に釣り合っておらず無理が出ているのでは?」
帝国にあっては十分な鉄道網に接続されていれば河川無しでも都市の発展は可能だが、中世の馬車程度ではまず無理だ。
さて王都をけなしたので怒ったかなと顔色を窺ってみる。
以前に陸軍大臣肝入りで完工した要塞を『博物館に展示できそう』と褒めた時みたいな顔をしていなければ良いが。
「続けよ」
ベネティアは俺の予想通り憤怒の顔をしていたが伯爵は続きを促す。
「小さな川以外はなだらかな平原と農地……街の背後には高い丘まである。守り難く攻めやすい、軍事的には凡そ最悪の立地と言っていい」
そろそろ止めたいのに伯爵は続きを要求してくる。
「正直、この立地は経済、軍事、どちらの面から見ても首都には向いていないように見えます」
恐らくは元々小規模な町だったものが国の発展に伴って人が集まり肥大化していったのだろう。
要求される機能に地形条件などが追い付けなくなっている。
効率だけを考えるならば別のより適した場所に首都を移すべきなのだろうが、王都としての文化と権威の中心地となっていて動かせない。
裏を返せば今の王家がそれを成せるだけの安定性を持っていないと言うことだろう。
という内容をできる限りマイルドに説明したがベネティアがついに噴火した。
掴みかかられて首を絞められ、美女に乱暴されるのも悪くないなと思っている俺に伯爵は続ける。
「他には?」
声がいかにも期待していて困る。
「衛兵や守備兵の編制がやけに実戦的に見えます。一方で兵士には特段の緊張感はない……」
「つまり?」
期待に満ちた目で見ないで欲しい。
「現状バルザリオンに差し迫った危機はなく守備兵もそれを感じていない。一方で編制を司る軍上層部レベルでは王都に荒事があると予期して備えている……僕の妄想ですが」
ベネティアの顔が歪んだ。
先程までのように王都をバカにしたと怒るのではなく何かを心配している。
伯爵を見ながら首を掻き切る動作はとても不安になるからやめて欲しい。
「素晴らしい」
伯爵は少し考えてから言った。
「やはり優秀な者は良い。なにも言わずともそこまで理解しておれば話が早い」
そうしてバルベラ伯はなにやらバルザーラ王国の説明を始めた。
「メモを取れ愚か者!」
ベネティアが伯爵の後ろから顔を出して怒る。
「あはは、ペンも紙も無くて。頑張って覚えます」
バルザーラは他の全ての国と同じように『世界』――この島を世界と呼ぶのだろう――の外輪に位置する中堅国家で人口は80万程らしい。
政治体勢は絵にかいたような封建的貴族性、王様が居て貴族が居て領主が居て民は支配されて悪代官が悪さをする。そういう体制だ。
「80万臣民が王国ひいては閣下の庇護下にある。だからお前のような――」
80万と言えば州……いや郡レベルだろうか。
帝都の人口は400万人だった。
国の中核たる軍隊は重装歩兵と騎兵からなる4個軍団。
元々は3個軍団だったのだが、近隣国の強大化に対抗するために新たに1個軍団を新設、その長に任じられたのが眼前のフェリックス=バルベラ伯爵ということらしい。
「一個軍団3000名。貴様が打ち倒したような領主軍とは桁違いの存在なのだぞ!」
ベネティアが胸を張り、俺の視線は釘付けになってリシュのローキックを受ける。
3000名と言うと連隊規模か。
「軍団長は1から4まで全て同じ地位とはされておる。しかし王宮の老害共は新設の我が第4軍団を他より格下とみなし、装備も待遇も他より格落ちにされておるのが実情だ」
良くある話ではある。
「なればこそ人材で勝らねばならぬ。ベネティアも俺が見込んで我が軍団に迎えた。爵位などないが千人長として十分以上期待に応えている」
ベネティアがそれはもう嬉しそうな顔で伯爵を見つめる。
恋……ではなく心酔だろうか。
「だがまだ足りぬ。もっともっと有能な者が必要だ。寄せ集めの農民を率いて粗悪とはいえ軍隊を撃破するような、だ」
ベネティアの顔がしょぼんとなり俺に嫉妬の目を向ける。思った以上に感情豊かだな、この人。
「現状、我が国と周囲の国の関係は可もなく不可もなくだ。結ぶか争うかは都度、利で決まる」
つまり常一般の国際関係ということだ。そうなると重要なのは。
「国力武力もまた勝るとは言えぬが劣ることもない。であれば」
「差し当たっては平和が保たれるはずですね」
俺がニッコリ笑って返すとバルベラ伯は街壁から外をに向けていた視線を王宮に向けた。
「……問題は我が国の内にある。ちょうど今日、高位文官が主催する晩餐会がある故、俺の付き人として従え。賢しいお前であれば概ねの事情を理解できるだろう」
夜
晩餐会の席、俺は使用人の服を着こんでバルベラ伯に従っていた。
ゴルラとリシュも同じような服なのだが、それでもルップルで着ていた継ぎはぎだらけの服とは比べ物にならない上物な服に二人は異常なほど緊張しているようだ。
「い、いいゴルラ、絶対に汚しちゃダメだからね! こんなスベスベの服とか私達の全財産より高いに決まっているんだから!」
リシュはそう言いながら伯爵に求められてワインを手渡そうとしたが、手が震えているせいか自分の服に飛ばしてしまった。
「ノォォォォ!」
頭を抱えて膝をつき絶叫するリシュ。
慌てて拭こうとしたゴルラが前屈みになった瞬間、尻部分が盛大に破れてしまい、並んでその場に膝をつく。
「お前の供は本当に騒がしいな……」
バルベラ伯は呆れた顔をしていたが別に怒ってはいないようだ。
使用人の服が破れようが汚れようが気にするような性格と財力ではないのだろう。
「比べてお前は流れ者と聞いたが、随分と慣れておるようだ」
「あはは、そうでもありませんよ」
晩餐会と名の付くものに出たことはいくらでもあるが、帝国では男はスーツか軍服、女性も大体同じようなドレスだった。
それに対してここはどうだ。
髪を巻き巻き真っ赤なマントを着た男に、ド派手なドレスを着てこれでもかと宝石を付けまくった女性が歓談している。
おまけに壁際にはフルプレートアーマーを着た兵士が剣を両手で顔の前に掲げた姿勢のまま、微動だにせず立っている。
「時代劇みたいで新鮮……コホン」
俺は首を傾げる伯爵を見て言葉を濁す。
ふと視線を移すと軍服を着たベネティアが居心地悪そうに部屋の隅に立っている。
ここでも噛みついてくるかとも思ったが随分と大人しいな。
俺は付き人としてバルベラ伯に料理や酒を運びながら周囲を観察する。
ちなみに持って行ったものはあまりに物欲しそうに眺めるからか、溜息と共に食べ物はリシュに、酒はゴルラに下げ渡されている。
そんな俺達の目の前で貴族達が愛想笑いとも嘲笑とも取れる表情で挨拶を交わしていた。
「あぁ貴殿は確かに公爵殿に……ふっ。失礼する」
「ええ、またの機会に。貴公は陛下のお役目で忙しいでしょうから」
「これはこれは宰相閣下の……フン」
観察するまでもなくギスギスしている。
帝国でも陸軍、海軍、ついでに文民首相派と水面下で争っていることがあったがそれに近い。
「わかったか?」
「概ねは」
伯爵は会場の隅で休むふりをしながら俺と話す。
「少し前になる。国王バルザーラ4世陛下が大きな失敗をなされたのだ。仔細は省くが、大臣や貴族達の反対を押し切っての独断が裏目に出てな。結果、千ほどの餓死者を出した上に隣国との国境も村1つ分ほど内側に動くこととなった」
「あらら」
俺にとってはどうでもいいが、国的には大変な惨事だったのだとわかる。
「王は王国の最高者なり、されど絶対者にあらず――。事態が収まった後、王弟にして最大領主ナヴィス公爵はそう陛下に詰め寄って退位を勧めたのだ。六十という齢を表向きの理由にな」
「あちゃー」
家督争いと王家と領主の争いが併発なんて国にとって悪夢でしかない。
幸せそうに肉を貪っているリシュを見て気を紛らわそう……嘘、あの大きさの肉が丸ごと口に入った?
「もちろん陛下は失態は詫びた上でこの勧めを退け、以降も水面下での争いは続いている。だがこれに納得できぬ者が居た。王の長男ディミトリ王太子だ。『退位は良し。されど王位を譲るならば自分に』とな」
「うわっちゃー」
息子まで出てきてもう大変だ。
ゴルラでも見て気を……茹でタコみたいに真っ赤になってるが大丈夫だろうか。
「対立軸は現王、公爵、王太子……まず王を支えるのは王都に住む宮廷貴族達だ。彼らは王の失態の影響をほとんど受けておらんし、王との関係あってこその立場だからな。あとは近衛兵の立ち位置にある第1軍団となる」
封建制度は一族内の争いで国の軍隊が割れたりするから収拾つかなくなるのだよな。俺に言われたくもないだろうけれど。
おっとリシュが喉に肉を詰めて衛兵に心配されているが大丈夫だろうか。
「ナヴィス公爵を支えるのは有力領主達だ。彼らは王の失態の影響を大きく受けたうえに、より多くの税を治めながら国の要職などで宮廷貴族よりも冷遇されていると不満を抱いている。第2、第3両軍団もナヴィス公爵支持だ」
リシュの危機にゴルラは動かない。
というか目を閉じて仁王立ちで威圧感を出してるが、あれ寝てるのじゃないか。
見た目の割にゴルラは酒に強くないから。
「そしてディミトリ殿下を支えるのは宰相の他、王都の下位貴族と地方の小領主……そして俺だ」
「また一番弱そうなところに……おっと」
つい口が滑ったがバルベラ伯は笑う。
「そう三派の中で間違いなく最弱だ。強いものに付き従っても得るものは多くあるまい?」
価値観の相違を感じる。
俺は長い物に巻かれていたかった。
なんて今さら言っても皮肉にしかならないか。
「カルビンから没収した領地も僅かながら味方を増やす助けにはなりそうだ。俺は今一つそういうことが得意ではないが、宰相閣下は実に巧みでな」
という伯爵の顔には蔑み……いや敵意すら見える。
ただでさえ国内三分とか言う悪夢を知らされたばっかりなのに、その派閥の中でさえ何かありそうでもう嫌になる。
「実はもう一つ勢力がある。王の孫娘マルグリット殿下だ。殿下は荘園を一つ下賜され、これを治めている。温厚で情け深く領民には支持され、宮廷女官共の受けもすこぶる良い。王族一の美しさともうたわれている」
「いいじゃないですか。マルグリット殿下につきましょうよ」
おっと、さすがに睨まれたので黙ろう。
「だが殿下は数に入れずとも良い。力も無く――それ以上に家督を求めんとする野心がない」
バルベラ伯が軽蔑するように鼻を鳴らしたところで、その視線が動く。
追ってみると壁の隅で大人しかったベネティアが男二人に絡まれている。
あれだけの美女を放置すればたちまち口説かれるのは当然……と思うもどうやら違うみたいだ。
「これはこれはベネティアではないか? はて誰の付き人としてこの場におるのか?」
「……千人長以上の軍人は客として参加できる決まりですから」
「おお、そうであったな! てっきり家名を無くしたことを忘れて来てしまったのかと! いや失敬!」
「しかし千人長の顔は皆知っているつもりであったが……おっと第4軍団か。あまりに新しいので覚えきれていなかったわ。すまんすまん、ははは!」
相手の2人は『千人長』程度がトラブルを起こして良い地位の者ではないのだろう。
ベネティアは歯を食いしばりながら愛想笑いをしている。
「しかし千人長とは女には厳しい職だ。そんな無理をしなくとも我らの護衛役を務めれば給金は倍出すというておるのに」
「武芸や軍略など武骨な男に任せて夜の護衛をしてこそお前の見栄えする顔と胸が生きると言うもの」
バルベラ伯が俺に水を要求する。
素早く渡すと伯爵は即座に腕を振り抜く。
「ぬあっ!?」
グラスから綺麗な放物線を描いて飛んだ水が片方の男に降りかかる。
「なっ! 貴様どういう――」
「これは申し訳ない。躓きましてな」
バルベラ伯は表情では一切謝らず、堂々と二人の真正面に立つ。
「私の部下が何か粗相を?」
「い、いやそういうわけではないが……」
伯爵は侮蔑を隠さない口調で言うと、付き人の俺に再度飲み物を要求する仕草をする。
俺は白と赤のワインを見比べ、相手の服が白であるから赤ワインを手渡す。
伯爵はゆっくり香りを味わってからもう一人の方にワインをぶっかけた。
「また躓いてしまいました。重ねて申し訳ない」
相手は口を開いて呆然としている。
ここまでわざとらしくやられては逆に反応できないのだろう。
「もしや白の方が好みでしたかな?」
「き、貴様!! 我らを――」
とうとう相手の一人が激昂して一歩踏み出すも、もう一人が後ろから止める。
「よせ弟者! バルベラは相手にするなと父者も言っておられただろうが! きゃつは限度を知らぬ、事を構えればすべからく大事になってしまうぞ!」
二人の貴族はこちらを睨みながらパーティを去っていく。
「愚物が。いずれ全て排除してやる。ベネティア、そろそろ帰るぞ」
「は、はい閣下!」
ベネティアは王子様を見た少女のような顔で伯爵に従う。
そして俺と目が合うと舌打ちしてどっかいけとばかりに手を動かす。
「僕も手伝ったのに」
「ワイン渡しただけでなにを偉そうに!」
シャーと歯を剥かれてしまった。
確かに今の伯爵の素晴らしい男ぶりではベネティアが心酔するのも無理はない。
それなりに立ち場のある相手を敵に回してしまったが、そんなこと気にする人ではないのだろう。
「きゃっ!?」
会場を後にしようとする俺達に給仕の侍女がぶつかった。
悪いことに手には追加の料理を持っており、伯爵のいかにも高価な衣服が台無しになってしまう。
侍女は伯爵の顔を見て真っ青になり尻餅をついてしまった。
「は、伯爵様……お、お許し……お許しを……」
「貴様閣下になにを!」
「あー僕達も早足だったから……」
伯爵は激昂するベネティアと彼女を宥めようとする俺の両方を手で制した。
「急ぐならば周囲を良く見よ。二度やれば叱るぞ」
怒ることなくただそれだけ言って少女をいかせる。
親しみ易くはないが横暴でもない。
中世貴族が平民に取る態度としては十二分に寛容だ。
バルベラ伯爵は抜けかけた腰で転がるように去っていく少女を見て笑う。
「貴族とは民を治め導くものだ。小娘の過ちを責めてどうする」
もしかするとバルベラ伯は所謂英雄に相応しい人物なのかもしれない。
今後を悲観していた俺だが、実はそう悪いモノではないのかも――。
「さて続きだ。王の孫娘マルグリット殿下……大勢に影響のない者の話をしたのには理由がある。先日殿下の荘園で大規模な農民反乱がおきた。厚く支持されているにも関わらず……だ」
「はぁ」
悪くないかなと思ったらこれだ。
「俺の分析ではただの農民反乱ではなく公爵派に扇動されたか、あるいは直接支援を受けた騒乱である。マルグリット殿下を援護することで彼女を取り込み。他勢力に我らの優位性を示す。……お前の力を確かめる試金石ともしたい。二線級の部隊を預ける故、治めて来い」
「治めるとは……どのように?」
「委細は任せる。散らすなり鎮圧するなり殲滅するなり好きにせよ」
物騒なのが混じっているんだよなぁ。
「殲滅って相手も自国民でしょうに」
「民を治め導くのは貴族の務めだ。しかし扇動されたとて法を犯し統治に背くならば、それは民でなく叛徒である。敵兵となにが違うのか?」
ちょっと悪くないと思った直後なのに。
軍隊参加からの市民攻撃とかトラウマをドリルで掘削されるようなものだ。
「どうしてこうなるのか。そんなに悪いこと……したんだよなぁ」
後ろでは酔って暴れているリシュと、それを押さえようとするゴルラ、取っ組み合ううちに良くわからない投げ技が決まってゴルラが地面を転がる。
ベネティアが思わず拍手している様を見ながら、俺は溜息を吐くのだった。
単行本一巻発売中です。
宜しくお願い致します。




