13話 フェリックス・バルベラ
コミック12話部分となります!
次々と討ち取られ、あるいは逃げ散って行く領主兵。
意識を取り戻して喚き散らしながら縛られるカルビン。
油が多すぎた松明のように煌々と燃え上がるボルノフ。
それを背景にゴルラは慟哭しながら全てを告白した。
あえて耳には入れなかったが、いつか聞いたリシュの父の死の真相と懺悔――だろう。
戸惑うルップルの面々とは対照的にリシュは相槌も打たずにそれを聞いている。
そして話が終わるとボソリと呟く。
「ゴルラ……歯を食いしばれ!」
振りかぶられる小さな拳、ゴルラはそれを晴れやかな顔で待つ。
だがその拳は空を切った。
俺は頷く。
リシュも薄々真相に気付いていたのだろう。
そして例え罪滅ぼしの為であってもルップルと自分の為に尽力したゴルラを責めるつもりなどなかったのだ。ゴルラの負い目はここで消え、新しい関係が始まる――
「このバカチンがぁ!」
リシュは空振りの勢いそのままに体を半回転させ、とんでもない勢いの回し蹴りがゴルラの股間にめり込んだ。
「あれー? 許さないの?」
晴れやかな顔のまま目を見開き、前のめりに倒れていくゴルラ。
「ふう……ふう……悪は滅びた!」
両手を掲げるリシュを村人達のどうしてよいのかわからない控えめな拍手が迎える。
「よし終わり」
リシュは泡を噴きながら痙攣するゴルラをビシッと指差した。
「今のでこの件全部終わり! 蒸し返したら体の割に大した事ないソレにもっかい回し蹴りするからね」
「あぁ……あぁ……すまん。本当にすまん。そして……ありがとうリシュ」
ゴルラは目を閉じ、美しい涙を流す。
「美しい? 股間蹴られて泣いてるだけでは?」
「野暮は言いっこなしだよ」
ドリタさんの突っ込みに苦笑して振り返る。
ゴルラには悪いが過去よりも重要なことがある。
「これはまごうことなき叛逆……儂のみでなく、王国へ盾突く行為、ただでは済まんぞ」
後ろ手に縄を打たれて跪きながらカルビンが精一杯のドスを利かせた声で言う。
「まあそう言わないで話をしましょうよ」
俺がにこやかに言うとカルビンは更に凄んでくる。
「黙れ! 領主たる儂にこのような恥辱を与えるだけでも万死に値するというのに、我が騎士達とボルノフまで害するなど、最早どのような言い訳も聞かぬ! 根切り以外には……」
「ふむ……話しても無駄というなら貴方も処分して逃げた方がよろしいかな?」
「ぴっ!」
一瞬表情を消してそういうとカルビンはたちまち震えて小さくなる。
彼なりに虚勢を張っていたのだろう。
俺は再び表情を柔和に戻して続けた。
「まあそんなことをすれば、私達も王国に殲滅されることはわかっております。ですから今回の一件は……まとめて無かったことにしませんか?」
「は?」
カルビンが信じられないとの表情で顔をあげる。
「ですからなかったことに。反乱も戦闘も何もなく、全ては夢で明日からは今まで通りに戻るのです」
「そんな都合の良い話があるか! お前らのやったことを考えてみよ! 王国に報告してすぐに鎮圧してくれるわ!」
さてここからだ。
「ふむ。では貴方の騎士の外道な振る舞いが農民の反乱を誘発……ここは適当に誤魔化すとしても、鎮圧のために領内の村を焼いて回り、最後は農民の集団に負けて捕虜になったので助けて下さい、と王都にご報告を?」
帝国の植民地であってもこんな報告をあげてきた総督が居たら即座に解雇、下手すれば牢獄行きだ。
この世界でも同じなのかカルビンは視線を泳がせて黙ってしまった。
俺はすかさず微笑みかける。
「ここはボルノフが勝手に暴れ回って自滅したことにしませんか? 焼けた村も死んだ騎士もみんな彼のせいにすればいい。死人に口なしです」
「し、しかし、それでは奴の実家に顔向けができぬ。儂はヴァーベク卿には不祥事の揉み消しとか借金とか色々世話になっていて頭があがらんのじゃ」
俺は大丈夫と余裕の顔で続ける。
「なに、ヴァーベク伯爵もボルノフを鬱陶しがっていたのは明白です。実家の名誉を害さない形にすれば大事にはなりませんよ」
「だ、大丈夫かの?」
俺はゆっくりと頷く。
「詐欺師……」
こらリシュ。
交渉中に茶々を入れない。
「伯爵家には内々にボルノフが非道の末に自滅したと連絡を入れておきましょう。必要ならそこに証人もいます。このままでは伯爵家の不名誉にもなるので事故死扱いにしたいと」
「た、確かに伯爵は一族の不名誉をなにより気にしておった。そのやり方ならば……」
これでもし兵士や他の騎士から真相が漏れても名門伯爵家が自分で潰しにかかってくれるだろう。
「頭が良い奴が悪事企むとこうなるんだな」
「ユリウスさん……真っ当な商人とか軍人だと思っていたのに」
まとまりかけている交渉を邪魔しないでほしい。
「さあどうでしょう?」
俺が握手の手を伸ばすとカルビンは躊躇いながらも手を伸ばし――。
「ひ、東から軍隊がやってくるぞーー! すごい数だ! 何千もいる!」
木の上に登っていた見張りが叫ぶ。
「今さら別動隊かい? 本隊が500なのに数千はあり得ないと思うけれど」
見張りは特に技能が必要とされる役目だ。
目の良い狩人とはいえ素人がやっているのだから動揺で数え間違うのはままあることだと笑いながら東に目を凝らす。
「うん。2千はいるね」
ワンテンポ置いてもう一度見る。
確かに2千だ。
それも左右に軽騎兵を展開、前面には散兵、中段を弓兵と長槍部隊が固め、後方に重装騎兵まで伴いながら、一糸乱れず整然と行軍してくる。
本物の中世軍隊だ。
カルビンのなんちゃって軍隊とは訳が違う。
「王国第四軍団……」
「バルベラ伯の第四軍団がヘルヴェン国境から戻ってきたんだ」
「ざまあみろ。これで終わりだ」
兵士達が口々に呟いている。
なるほど王国の正規軍らしい。
そりゃ本物なわけだ。
カルビンは差し出そうとしていた手を引き戻して、再び反乱じゃあ成敗じゃあとわめきたてている。
「なんの、カルビンだって破ったんだ」
「そうだ。こうなったらもう一戦やってやるまでよ!」
「さあユリウス。指示をくれ!」
俺は尚も意気上がる農民達と綺麗な顔になったゴルラへ向き直る。
「みんな大至急白い布を集めてほしい」
そして両手をあげて目を閉じる。
「残念ながらどうにもならない。ここまでだ」
『エー』と悲鳴と不満の声が響くが仕方ない。
最低レベルの練度しかない領主軍相手にこれだけ準備してやっと勝てたのだ。
その4倍の正規軍なんてどうしようもない。
しかもこっちは連戦で疲労困憊、世の中にはできることとできないことがある。
俺達が早々に掲げた白旗を認識したのかどうか第四軍団はそれでも戦闘体勢のまま隙のない行軍で……いや割とあるかな……少なくともこちらが突けるほどの穴はなくやってくる。
遠目に見た通りしっかりとした軍隊だ。
こんなものに抵抗したら大惨事だった。
「包囲せよ」
一か所にまとまって武器を置いた俺達を兵士が取り囲み、後方から立派な馬に乗った男がやってくる。
細身で色白なれど貧弱には見えず、整った顔立ちと風になびく肩まで伸びた豪奢な金髪……『我こそ貴族』といった風体だ。
中世貴族が過去のものとなった帝国で、子どもに貴族の絵を描かせたらこんな感じになるだろう。
こちらを見る目には眼力があっていかにも性格がきつそうだ。
カルビンと同じように交渉したら殺されそうなので黙っておこう。
「おお、バルベラ伯! 助かり申した!」
縄をうたれたままのカルビンがカエルのように跳ねながらバルベラ伯爵の前に出た。
「農民反乱か」
我こそ貴族……バルベラ伯爵というらしい……は短く返す。
「そうなのです! こやつらは王国の正統な領主たる私に逆らいあまつさえ卑劣な罠で――」
「説明不要。全て見ていた」
バルベラ伯の目は真ん前にいるカルビンを見ることなく、武器を置いて降参している俺達の間を漂っている。
というか主に俺を見ていないか?
あのきつそうな見た目からして突然『死刑!』とか言われたらどうしよう。
「ご覧になって……? ではもっと早く助けて頂ければ……」
「農民反乱ごときに国軍が介入せよと?」
視線すら向けないまま厳しい口調で言い放たれたカルビンがスルスルと小さくなる。
ここまで小役人だと逆に愛嬌を感じてきたぞ。
伯爵は俺から視線を逸らさずに問う。
「誰が指揮していた」
俺は咄嗟にゴルラを見てみる。
「貴様であろう?」
だが伯爵は意を決して立とうとしたゴルラを無視して俺を見る。
逃げられなさそうだと俺は大きく溜息をついて立ち上がる。
できる限り生きるつもりだったが、こうなってはもうどうしようもない。
せめて楽な処刑方法が良いのと、木の洞に押し込んで隠したリシュが見つからないことを祈ろう。
「問うべきことがある。答えよ」
バルベラ伯爵がズイと顔を寄せてくる。
眼力が強いので圧はすごいが敵意は感じないな。
「会戦開始が夕刻となったのは偶然か? それとも計算の上か?」
「……一応足止めを少々しました」
今更嘘をついても仕方ない。
「ここいらでは……湿地帯か。次にピエーでの火計、熱と煙で方陣を崩す目的なのはわかった。だが攻撃を仕掛けるタイミングがいささか遅いように思った。何故だ?」
本当に最初から見ていたとは恐れ入る。
「十分な時間、火を眺めさせることで夜目を潰す為です」
伯爵はほうと呟いて更に顔を寄せてくる。
とにかく圧がすごい。
「伏せ釣りからの全周包囲、突破される方向も計算の上だな?」
俺が一歩下がると伯爵は一歩半前に出る。
顔がくっついてしまいそうだ。
美麗とはいえ男性との密着は勘弁願いたい。
ドリタさんが何故かワクワクした顔をしているが気のせいだろう。
「最後の半包囲は見事であった。しかし戦力差を考えれば突破される危険もあったはずだ。二の策はあったのか?」
「一応は……ち、近い」
俺はこのイケメンとのキスをなんとか避けながらゴルラに頼む。
ゴルラと数人が罠を発動させるとルップルの時と同じように木が連なってバタバタと倒れる。
但し前と違って相手を直接押しつぶす目的ではなく……。
「なるほど! 即興の地形障害を構築して第二の防御陣地とする構えだったか! 突破の勢いを殺し、更なる消耗を強いれば未熟な領主軍は士気も折れるだろう!」
伯爵はマントを翻して俺から離れる。
そして一言。
「素晴らしい。やはり領主軍の敗北はただの偶然ではなかった」
「喜んでもらえてなにより」
呆れた感じで言うとドリタとゴルラに口を塞がれる。
心配しなくてもこの状況で相手を怒らせたりしないよ。
「して――」
伯爵がまたバッと振り返る。外見も仕草も演劇みたいな人だ。
「もし貴様が俺の第4軍団を破らんとすればどの程度の兵力が要る?」
思わずため息が出る。厄介なことを言いだした。
適当に答えてもダメだろうし、あまりに低く答えても機嫌を損ねるだろうから……。
「倍の四千あればなんとか負けないぐらいには」
「なんだ。そんなものか」
伯爵が詰まらなさそうな顔になる。
そして数拍おいて。
「それは農民兵が四千おれば負けぬ、という意味か?」
「はあ……まあ」
曖昧に答えると伯爵はまた嬉しそうな顔になる。
「貴様適当なことを言うな!!」
伯爵の後ろから怒り顔で女騎士が飛び出してくる。
気を取られている場合じゃないのはわかるけれど、かなりの美人さんだ。
足がスラリと長く、鍛えられて引き締まりつつも豊満で柔らかな肢体をしているのが軍装越しにもはっきりとわかる。
今にも噛みついてきそうな彼女を伯爵は手で制する。
いかにも性格きつそうな雰囲気が最初に会った時のヴァイパーみたいだ、などと考えていると女騎士と目が合った。
歯をむき出して威嚇されたので逃げるように視線を伯爵に戻す。
「名を教えよ」
「ユリウスです。閣下」
すると伯爵は何故かにこやかな笑みで俺に手を差し出した。
「俺の下で働けユリウス」
「閣下何をおっしゃるのですか! こやつは農民風情でしかも反逆者ですよ!」
女騎士の抗議を再び伯爵は手で制して俺の返事を待つ。
「そうです! こやつは私に逆らい、我が部下を殺し――ぴぅ」
カルビンの抗議は殺気だけで封殺する。
「いや、そういうのはちょっと柄ではないので……軍隊などもう二度と御免と言いますか」
「貴様が我が下で働くならば、此度のこと良いように処理してやろう」
そうくるかと俺は仰け反って天を仰いだ。
カルビンが語気を荒らげて再チャレンジするが、伯爵はそれを表情だけで黙らせた。
「断ると言うならば、常道通り農民反乱として処理するまでだが」
つまりは普通の反乱として加わった者達とその村は全滅と言うことだ。
俺が頭を抱えていると尚も伯爵は畳みかけてくる。
「加わると言うならば今後のことは何も心配は要らぬ。俺にはそれだけの力がある。そしてお前にはそれだけの価値がある。決断せよ」
最悪だ。
戦いだけでも嫌だったのに軍隊とは。
全てが台無しだ。
情けない顔で伯爵の表情を窺うもイエスとノー以外の返事は受け付けないとわかる。
俺が拒めばリシュやドリタや村の人々の命運は尽きる。この男は容赦なく実行するだろう。
「……」
せめてもの抵抗として本当に嫌そうに手を差し出す。
女性問題で飛ばされていた辺境から最前線への復帰を命じる命令書を受け取った時と同じぐらいに。
伯爵は半端に伸びた俺の手を引っ張るように取った。
「閣下! そのような平民と握手などしたら閣下が軽く見られます!」
「ははは、王宮でもなし噂を立てる雀はおるまい。こやつは才ある者、礼を尽くして何が悪いものかよ。それに比べて……」
伯爵の意識がカルビンに向いたのがわかった。
しかし頑として視線は向けない。
さすがにここまで無視を貫くのはちょっと異常な感じもするが。
「小領すら治められぬ統治能力の欠如……治安維持もままならぬ脆弱な将兵、目も当てられぬ! 領主で居続けられると思うなよ無能が」
同一人物とは思えないほどの豹変に未だ縄すら解いて貰っていないカルビンが真っ白になる。
強烈な敵意と侮蔑……ここまでの感情をカルビンに向ける意味がわからないが、今や出荷される家畜と化した俺が考えても仕方ないことだし、もうその気力もない。
「平民風情が調子に乗るなよ。もし閣下に無礼があれば私が制裁してやるからな!」
女騎士がそう耳打ちしてくるが、ボルノフなどと違って不快感がまったくないし、むしろもう少し罵って貰っても良いぐらいだ。
そして近づいてみて分かったが、彼女の胸の大きさは半端ではない。
女性にしては大柄なのを差し引いてもとんでもない巨乳ではないか。
「こうして俺は絶望の中に僅かな希望を見出して生きていくのであった」
何か忘れているような……まあこれからのことを考えればどんなことも些事か。
その日の深夜、俺は木の洞から自力脱出したリシュに膝蹴りからの金的回し蹴り、最後に顎下への頭突きを食らって眠りについたのだった。
しばし後――。
「僕は遠くに売られゆく~」
俺は村の皆に見送られながら王都……名前はなんだったかな、まあいいや……に向かってルップルを後にしようとする。
「旅と言っても荷物なんてないけれど」
旅用の上着の下に着こんだ軍服を除けば、俺の所持品など手に収まる勲章一つぐらいのものだ。
「しかし本当にいいのかい?」
俺は隣を見た。
ゴルラはその体格に相応しい荷物を担ぎ、リシュは何故か巨大な風呂敷を背負っている。
「あぁ、ルップルのことは全部ドリタに任せてきた。税も治安も心配ないし、近隣の村々は今回のことでガッチリ固まった。もう大丈夫さ」
バルベラ伯爵は『俺が自分の下にくれば』ルップルと近隣の村々への免罪だけではなく、特別な配慮を約束した。
俺達だけならともかく部下の前で言い切ったからには立場ある人間として無碍にはできないはずだ。
「余計なことするボルノフも……カルビンももういないしな」
結論から言ってカルビンはもう領主ではなくなった。
バルベラ伯は今回の反乱について工夫を凝らした報告したようだ。
カルビンは統治の不手際によって騒乱を招いた廉で領地は没収。
どこぞやで代官をしている親族の下で謹慎処分となり妻子とも離縁したそうで再起の芽はないだろう。
ボルノフに関してはバルベラ伯爵と実家の間で話し合いがあったようで、俺の思惑通りに騒乱とは関係のない事故死として扱われた。
辺境の小領主と違って王国の高級軍人が相手では実家側も強くは出られず、またボルノフの命ごときの為に争う気もなかったのだ。
次の領主がどんな人物かはわからないがバルベラ伯爵の後ろ盾があるからには無体なこともできないだろう。
つまりルップルは全てにおいて安泰で順風満帆な未来が約束されていた。
「僕の身柄と引き換えにだけれど」
村の皆が苦笑する。
経緯はもう村中に知れ渡り、昨日はみんなで俺への感謝と慰めを込めて接待してくれた。
もう一つ嫌な考え方をすれば、ゴルラが村の英雄的立ち位置だったジェイコブを見捨てたと白状したことで彼に反発する輩が出るかもしれない。
そういう意味でもゴルラが村を去った方が色々綺麗に収まるのは間違いないのだ。
「しかしリシュは……」
リシュに関してはどう考えても残った方がいい。
ルップルは今まで以上に豊かで安全になるのだから、何があるかわからない場所に移る必要はない。
「……父さんはさ」
父の話になって途端に俯くゴルラの脛をリシュが蹴って上を向かせる。
「父さんはさ。小さい頃から私に色々外の世界の話をしてくれたんだ。村の外は危ないんだぞーとか言いながら、とっても楽しそうに」
リシュは一つ頷く。
「あれは一人前になって物事を判断できるようになったら外の世界にも目を向けなさいって意味だったんじゃないかなって。だから私、外の世界を見たい。狭い村だけで終わりたくない」
「それはなんともなぁ」
正直に言って複雑な想いだ。
俺は多分、一市民だったジェイコブさんよりも広く世界を見たとは思うが、愉快で楽しいことと、悲惨で残酷なこと……差し引きしてもルップル村よりマシになるとは思えないのだ。
「でもまぁ、若者の冒険心は止められないか」
「おっさんみたいなこと言うなぁ」
見た目おっさんのゴルラに言われると悲しいものがある。
「だいたいルップルにはなんにもないの! アクセどころか服屋すらないし!」
「服の仕立てはミンロ婆さんが……すまん」
ゴルラを睨みつつリシュは続ける。
「王都にいったらヒラヒラの綺麗な服買って、お洒落なレストランで食事するの。それから集会所なんか比べ物にならないぐらい大きな劇場で流行の演劇を……」
「そりゃあるだろうけれど、先立つものはあるのかい?」
リシュが熱く語るモノは帝国なら大衆にも行き渡っているものだが、中世レベルのここではどれも貴族や金持ちだけに許された娯楽だ。
「ふふふ、それがあるのだよここに。グボンから奪い返した金銀財宝……って思いだした!」
リシュは風呂敷いっぱいに詰めていた自称財宝を置いて俺の襟を掴む。
忙しいなぁ。
「ユーリ、お宝少しちょろまかしたでしょ!」
俺はスイと目を逸らす。
さすがに無理のある量だったか。
「やっぱり使い込んだな! 何に使った! 女か、女だな!!」
「違う違う。少しわけて貰ったのは事実だけれど、人道的配慮……まぁ必要なことだったんだ」
それに関して負い目は微塵もない。
「……まあいいけどね。ユーリがとってきたようなものだし」
俺達がいよいよ村を離れようとすると街道沿いにドリタさんが待っていた。
「ユリウスさんが村を離れるのはとても残念です」
「僕もですよ。本当に……本当にもう」
ドリタさんが色々頑張り、僕は後ろから口だけを出して協力したかった。
そしてあわよくば男女の関係を続けていけたならば……。
「口に出てるっての!」
リシュにローキックを食らう俺を見てドリタさんが笑う。
「ふふ光栄ですけれど残念、貴方の女にはなれないです。私のお腹にはメドの子が宿っていますから」
俺は一瞬驚き、そういうことかと頷く。
「それで……いいのですね」
「はい。メドは倒れる前に私のお腹に子を残した。それでよいのです」
俺達は頷き合い、握手をしながら見つめ合い、そして別れた。
「……あっ」
「んん?」
ゴルラが小さく声を出す。余計なことを言わないでほしい。
リシュが妙なことに気付く前に行こうじゃないか。
首を傾げながら歩くリシュが風呂敷を抱え直した時、ヒラリと手紙が落ちる。
「なんだこりゃ」
拾った手紙を見たリシュの顔が一気に赤くなって奇怪な動きを始めた。
「どういう感情?」
「ありゃ恥じらいだな。スケベなことでも書いてあったのか?」
ゴルラが解説してくれる。
さすが付き合いが長いだけある。
リシュは手紙を握りつぶし、俺を睨んで更に赤くなりながら珍妙な動きをし始める。
「これも恥じらいかな?」
「いや怒りだな。ぶち切れ一歩手前だ」
「いいや違うね。もう踏み越えたよ!」
リシュが俺の顔面に潰れた手紙を叩きつける。
『リシュちゃんへ ユリウスちゃんを宜しくお願いね。カレって見た目から考えられないぐらい夜がすごいから苦労すると思うけれど頑張って! あと今日はすごく疲れていると思うので労わってあげてね。もし機会があったら3人でしましょうね』
「今朝すっきりした顔してたから色々と吹っ切れたのかと思ってたのに……本当にただすっきりしてやがったのかコイツ!」
「仕方ないじゃないか。あんなセクシーな人に誘われたらいかない方が失礼……ぐわぁ!」
わいのわいのと騒ぎながら街道を行く俺達の前に馬車――行商人が使うような荷馬車ではなく乗り物としての馬車が止まっていた。
「ご機嫌よう」
「あ、あんたらは……」
ゴルラとリシュが思わず固まる。
そこに居たのは元カルビン男爵夫人とその一人娘だった。
ゴルラがジリジリと動いて腰の剣に手をかけた。
無理もない。この状況では穏便に収まると考える方が間違っている。
「大丈夫。必要ないよ」
だが俺はそんなゴルラを制し、夫人と令嬢に頭を下げた。
「旦那様の末路に一分の同情もなく謝罪も致しませんが、貴女達から地位と生活を奪ったことは心苦しく思います」
「ご、ゴクリ」
リシュが固唾をのんで次の展開を待つ中、夫人の扇子で半分隠れた顔がふいと緩む。
「カルビンの悪行は貴方達より私の方が良く知っておりますわ。こうなったのも自業自得、誰を恨むことができましょうか」
夫人は軽く笑った。
ゴルラも長く息を吐いて緊張を解く。
「そも私とて実家が弱い立場にあるのを良いことに、強引に妻にされたのです。そうでなくば誰が20も年上のブ男に嫁ぎますか!」
「実家は騎士の家でしたね。それでは領主に逆らえないのも仕方ない」
「美人で有名だった私を嫁に出さねばお役がどうなるかわからないなどと……それで幼い頃から仲の良かったイケメンの婚約者と引き裂かれてあんなのに……」
そこで気まずそうにゴルラが入ってくる。
「気持ちはわかるけど……娘さんもいるんだから、あんまり父親の悪口はよぉ」
「それは大丈夫ですわ」
夫人がゴルラを見ながら無表情のまま言う。
「うん? でもカルビンの娘じゃ」
「大丈夫なのよ」
「かあさま? ねえかあさま?」
ゴルラが察して天を仰ぎ、娘は母親の袖をクイクイ引っ張る。
「ともかく!」
強引に話を切ったぞ。強かな女性だな。
「今日は貴方が王都に立つと聞き、ご挨拶に来たのです」
夫人と娘が揃って俺に頭を下げる。
「離縁はしましたが次の領主との関係を考えれば実家で安穏とする訳にもいかず、困り果てておりましたが、貴方に頂いた財があれば離れた町に移り、慎ましくも不自由なく暮らせるでしょう」
そう俺が山賊の財宝を少し貰ったのは彼女達の為だ。
今回の悪はカルビンとボルノフであり、彼らが苦しむ分には相応の報いといえる。
しかしその家族まで苦しめというのはあまりに野蛮な考えだ。
「ましてよく熟れた魅力的な女性と、いよいよ美少女から美女へと変わった女の子だ。助けてあげたいのが男としての情じゃないか」
「……また口に出てんぞ」
ゴルラが呆れ、リシュが睨み、母娘が笑う。
「ではこれで」
夫人と令嬢が馬車に乗り込む。
そのまま行ってくれれば綺麗に終わったのだが。
今まで下を向いてモジモジしていた娘が馬車を飛び降り、こちらに走ってきたのだ。
「い、色々お世話になりました!」
そして俺の唇にちょいと口づけして帰っていく。
「もう何をしてるのはしたない!」
「母様だってはしたなかったのに取り繕っちゃって。ユリウスさんすごく上手だったよね」
馬車が去っていく。
「母娘まとめて……か」
俺は呟くゴルラを無視して歩を進めようとするが。
「おい待て」
「はい」
リシュに後ろ襟を掴まれる。
「無理やり連れていかれるなんて可哀そうだなと思ってたのに……しょぼくれた顔であっちこっちで女にちょっかいかけやがってこいつは……もいどいた方が世の女性の為かも」
恐ろしい言葉に走って逃げる俺と追うリシュ。
それを困ったような顔で見るゴルラ。
現状は甚だ不本意で前途も多難だ。それでも前に進むしかない。
この世界ではもう繰り返さないと俺は心に決めつつ、リシュの飛び膝蹴りを受けるのだった。
いざ王都バル……バル……思い出した、バルザリオンへ。