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第10話 臆病者の記憶

「じゃあボルノフが来た村に差出人不明の怪文書として――」


「ユリウスはいるか!!」


 近隣の村々の信頼できる人間も交えてボルノフをどうやって橋で暴れさせるかを詰めていた俺のところにゴモモからの使いが飛び込んでくる。


「ちょっと待ってね。一杯飲んでから聞くよ」


 悪い予感しかしないのでハーブを浮かべたお湯を一口飲み、どうぞと促す。


「う、うちの村でボルノフの野郎が暴れ――それはもうどうでもいい! ウチの村の奴が奴を斬りつけて従士二人を殺しちまった!」


 ゴルラ他、集っていた全員が呻き声をあげた。


「ボルノフ共を直接やっちまったのかよ……とんでもないことになるぞ」

 

 他の村の誰かが呟く。


 俺は湯呑を置き、ふうと息を吐いて問う。


「ボルノフ本人は? 拘束もしくは殺害したかい?」


 そうであれば最悪の中でもまだ先手が打てる。


「に、逃げられちまった。俺達がもっと上手くやっていればあそこで仕留め――」

「そうか」


 俺は後悔の会話を止めさせる。

今まで色々と書き込んできた計画を暖炉に放り込み、無意味となった計画の8割を頭から追い出す。


「ゴモモ村の人達は?」


「間違いなく仕返しが来るからドリタさんは全員を避難させようとしてる。老人から子どもまで家を捨てて全員だ。受け入れてくれる場所があればだけれど」


 まず賢明な判断ではある。


 帝国の社会に例えるならな、町ぐるみで悪徳とはいえ警察署長を襲撃して部下を殺害したようなものだ。疑問の余地なく軍隊がやってきて町は火の海になる。


「そ、そりゃ逃げるよな。下手したら……いやボルノフなら絶対村ごと全員やられる」


「気持ちは痛いほどわかるぜ。俺だってボルノフの野郎は十回殺してもおさまらねえ。従士のドチンピラも同じだ! だからうん……気持ちはわかる」


 同情を示しながらも他の村の者達は目を逸らした。


 当然だ。山賊から逃げたり庇うのとは訳が違う。

ゴモモ村は領主の騎士を襲った。

つまり制度上の悪は彼らであり、それを庇うのは統治機構への挑戦となる。

みんな分かっているから同情はするが受け入れるとは言えないのだ。


 ドリタとの縁ある誼であえて助言をするならば……。


「現実的な選択は完全な離散だ。ここの領主はまともな戸籍もつけていないから家庭単位に分散して遠い場所に逃げてしまえば追いようがない」


「違うだろみんな!!」

 

 今度は俺の話が遮られた。怒鳴ったのはクポ村の人間だ。


「殴られ蹴られて頭を下げ、女を襲われてもヘラヘラ笑い、仲間を殺されて下を向くのか? もうたくさんだ! 税を取るだけで何もしねぇカルビンも、俺達を嬲るだけのボルノフも!」


 男の魂から叫ぶような演説に皆聞き入っている。

なかなか迫力があるし何より正論だから。


「ゴモモの奴らを見ないふりして助かって、それからどうするんだ? またボルノフに媚びて機嫌を取って這いずって生きていくのか? ……俺は嫌だね」

 

 男は全員の顔を覗き込み、小さく頷いていく。

皆の困惑が徐々に溶け、目に光と怒りが灯っていく。

 

 見たことあるなぁこの光景。

あの時も困ったが、結末を知っている今となってはなおさらだ。


「そうだ……ここで逃げたらボルノフにまた同じことをされるだけだ」


「このままでいいはずがない。村のみんなだって同じ思いのはずだ」


「そうだ! ボルノフを懲らしめて領主に思い知らせよう!」


「近隣の村を説得しよう! 全員で立ち上がるんだ!!」


 集会所に歓声が響き、熱気に包まれる。

居眠りしていたリシュが訳も分からずテンションを合わせて騒ごうとしたが、俺の表情を見てやめた。

ゴルラも腕組み仁王立ちのままだ。

 

 俺は皆が立ちあがって空いた椅子に腰かける。

さてボルノフ倒せ、立ち上がれの大合唱だが。


「で、みんなで立ち上がって勝てるのかい?」

 

 と冷水を浴びせてみる。


「近隣の村々全部が立ち上がる! クポもテムテムも、他の集落だって……」

「それで数は? 何人集まるんだい?」


 威勢よく五〇〇の声が出たが、徐々に老人や子どもなどを引いていき最後は三五〇ぐらいなら……となる。まあそんなものだろうね。


「領主の軍勢は何人だい? もちろん皆で立ちあがるなら全力で来るよ」


 二〇〇はいるのじゃなかろうか……と自信なさげな声がする。


「立ち上がった村人三五〇で領主軍二〇〇に勝てると、君達は本当にそう思っているんだね?」

 

 俺は穏やかながら厳しい口調で言う。

この数字自体も希望的な観測が入っているだろうが。


「ここに居る奴の顔を見ろ。燃え上がるような熱意と闘志……わかるだろ!?」

「熱意と闘志がいくらあっても勝てるわけじゃないからなぁ」


 熱意と闘志が無さすぎて負けることは無くもないが、過剰にあっても勝てるわけじゃない。


 軍時代も不屈の闘志で勝ったなどと吹聴する者はよくいたが、分析すれば勝因は大抵別にある。

そして精神での勝利を語るような指揮官はいずれ大負けするのが経験則だ。


「ドリタさんはアンタに任せれば大丈夫だと言っていた」

「嫌だよ。とんでもない」

 

 ゴモモの使いが俺に迫る。


「頼む、俺達を助けると思って」


 そんな顔をしても男の涙では動かないぞ。

なんて考えていたら遅れて到着した女性が涙目で見て来る。


「お願いです……私達を助けて」

「……」


 山賊相手なら頷いたかもしれないが今回は別だ。

状況に覚えがありすぎるので、女性の懇願にも首を振るしかない。

個人として逃げる助けが欲しいなら頑張るけれど。


「ドリタさんは渋ったら村の女性を全部妻にしてもらう線で交渉しろって」

「……くっ」

「オイ」


 リシュにドスの効いた声を出されるがそうじゃない。

ゴモモから到着したらしい職人一家が目に入ったのだ。

 

 特産と言っていた焼き物職人だろうか。

旦那は工房を放棄した悔しさに震え、妻は足を痛めて泣く子どもを細い腕で必死に支えている。

彼らが家族単位で分散して遠方に逃げることが可能だろうか? 言うまでもなく無理だ。

 

 俺はリシュが心配するほどの長さと深さで肺の空気を全て吐き出すのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

数日後 シローネ


 さして高くもないシローネの門前に軍勢が集結している。


 先頭にはまったく似合わぬ鎖帷子を着て馬に乗ったカルビンと額の傷に包帯を巻いたボルノフが並び、いかにも面倒臭そうな顔のカルビンの妻娘が見送る。


「皆の者出撃じゃ。目標はゴモモ村に籠る不逞の輩――」

「ゴモモの全てですカルビン殿」


 ボルノフに指摘されてカルビンは咳払いする。


「……儂に背いたゴモモ村の全てを焼き払う。はぁぁ」


 いかにも不本意な調子でカルビンは号令を下し、すぐに先頭から最後尾へと下がっていく。


「不逞農民など賊と同じ。大将たるワシが先頭におれば卑劣な奇襲を試みぬとも限らぬからな」


「私はどの騎士よりも強いのですからカルビン殿を間近で守るが道理でしょう」


 誰も聞いていないのにそう言ったカルビンとボルノフは気まずそうに顔を見合わせた。


 なんとも恰好のつかない行軍ではあったが、領主軍の中核たる騎士重騎兵が一〇騎、その郎党と雇い兵など歩兵が約二〇〇と戦時徴集をかけていないことを考えれば田舎男爵の兵力としては中々のものだ。

 

 街道を進む領主軍を妨げる存在もなく、彼らは予定通りの日程でゴモモ村へと到着する。


「土民共の巣を丸焼きにしてやれ!」


 ボルノフの号令で家々に火矢が撃ちかけられた。


 藁や剥き出しの木材そのままで作られた家は次々と燃え上がり、たちまちゴモモ村そのものが炎に包まれていく。


 無数の火矢が家畜小屋を、集会所を焼き、工夫を重ねて作られたと思われる焼き物工房、木が香るほどに新しい集積所さえも全て灰へと変えていく。


 ゴモモ村は文字通り完全に焼け落ちた。


 だが村の全てが焼けながら、悲鳴は聞こえず逃げ散る村人の姿もない。


「……誰もいねえ。村ごと逃げやがったな」

 

 ボルノフは苛立った顔で歯を食いしばりながら手の平を向け、慌ててやめる。

突如飛び出したカルビンが射線に入ったのだ。


「家畜は殺さず捕まえるのじゃ! ゴモモ村は反乱の咎で全財産没収! 家畜も当然没収してワシの物じゃ。畑にも絶対火はかけるなよ。後で人をやって収穫して没収するからの!」

 

 言いながら自らも羊を追いかけて捕まえるカルビンにボルノフは頭を横に振った。


「守銭奴め……」


 唾を吐き捨てながらボルノフが呟いたところで、先行していた斥候兵が駆け込んできた。


「ご報告! ゴモモ村の者共はピエー、テムテム、ルップルなど周辺の村に逃げ込んだ模様です!さらに他の村々より武装した農民共が集まりつつあるようです!」


 報告に目を見開くカルビンとボルノフ。


「な、なんということじゃ……これでは今年の年貢はどうなる! 去年の二割増しで取ることを前提に金を借りておるのじゃぞ!」


 愕然とするカルビンに対してボルノフは目を輝かせた。


「上等だ下民共め……俺に傷をつけるってのがどういうことか思い知らせてやる」




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

同時刻 少し離れた丘の上


「予想通り問答無用の焼き討ちだね。だが畑を避けているところを見ると頭に血が昇って無茶苦茶するわけではないようだ……おっとごめん」


 俺は眼下で燃え上がるゴモモをみながらゴルラの禿げ頭を撫で、睨まれて謝る。


 考え事する時はなにかいじりたくなるんだ。

同じようにヴァイパーの胸を延々と触っていて呆れられたこともあったものだ。


「それでどうだ? グボンの時みたいに守りを固めて迎え撃つのか?」


「ふむ、動きはちぐはぐで編制は最適とは言い難い。陣形も未熟極まる……『最低の軍隊』だね」


 そう言ってから期待するゴルラに向けて首を振る。


「彼らは最低レベルながら軍隊として機能している。山賊とは次元が違うよ。本格的な火力投射手段を持つ相手を単純な簡易陣地で迎撃するのは不可能だ。重騎兵相手に野戦も論外、例え奇襲であってもね」


 俺の表情を見てゴルラは事の深刻さを理解したのか黙り込む。


 そもそも相手は最低の軍隊だが、農民の寄せ集めであるこちらはそれ以下なのだ。

まともにかち合えば負けるに決まっている。


「不利地形に誘い込むしかない。それも可能な限り疲弊させた状況でね。隊列が組めず、視界は悪く、天候、時刻、全てこちらに有利になるよう揃える必要がある」


 俺はフワフワしたなにか撫でさすりながら頷き、溜息をついて失笑した。


「ほんと、なんでこうなるんだろうなぁ。修羅道にでも落ちたみたいだ」


 それほど悪いことはしてな……したかな。うん。

フカフカを少し強めに握りしめる。


「おい領主軍が移動を始めたぞ」


「引き返す様子ではないね。既にこちらの集結が伝わっているようだ」


 彼らの斥候はあえて野放しにしていた。


「さて重要な問題は彼らの進路だ。街道に沿って来るとして北に出るか南に出るか、はたまたルップルに来るのか。それによって決戦場所が変わる」


「なら足自慢を見張りに付けましょう」


 ドリタの提案に首を振る。

フワフワも合わせて左右に動く。


「それでは遅い。実際に本隊が移動してからでは準備の余裕がない。事前に進路を知りたいところだから、彼らには少し賢くあってほしいな」


 俺は近場の山を見上げながら言う。


 ふと今までいじっていたフカフワはなんだろうと目を向けた。


「キュポポポポ……」

「おっとこれがキュポポンか。ははは、リシュの声真似は本当にそっくりだったんだね」


 同時にゴルラが飛び退き、ドリタは地に伏せ、リシュは前転し、キュポポンは俺に尻を向けた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


数日後 領主軍 湿地帯


「行軍停止! 止まれ!!」

「またかよ!」


 街道を進む領主軍が停止、ボルノフが悪態を吐く。


「見張りは前に出ろ!」


 街道を塞ぐよう縄が張られていたのだ。


「こんな縄なんて剣で斬り払えば……」


「そういうな。ナイト・アシュレインのこともある」


 馬上からそれをやろうとした騎士アシュレインは傍の茂みからの投石を受けて落馬し、腕を折ってシローネへ引き返すこととなっていた。


「あやつも一応は立場ある家からの預かり、後で詫び状をしたためねば。詫びの品も要ろう……あぁまた金が出ていく」

 

 カルビンの悲嘆の声をあげる中、徒歩兵が周囲を警戒しつつ縄に近づき、何の罠もないと確認してから斬り払って軍勢は再び前進を始める。


「軽騎兵を先行させてはいかがですか」


 ボルノフはいらだちを隠さないまま言うが別の騎士が否定する。


「ここらは湿地帯で騎兵では街道の外を動けない。草の背も高く伏兵を見つけるのも至難だ。結局は歩兵が確かめていくしかないのだ」


「チッ! 一々言わなくてもいいんだよ」


 ボルノフも相手が同じ騎士となれば殴るわけにはいかず、なにより自身に従軍経験や戦術の知識がないと分かっているのでただ悪態だけをついて顔を背ける。


 その時、先頭がまた障害物を発見したと叫び隊列が止まった。

同じように切り払おうと兵が前に出た瞬間、数本の矢が飛来する。


「奇襲だ! 警戒しろ!!」


 たちまち全隊が戦闘準備を取るが、次の攻撃はない。


「矢数からしてほんの数人……捜索しても手間なだけか。草むらへ適当に矢を放っておけ!」

 

 弓隊が矢の来た方向へ数十本の矢を放つが反応はない。

部隊は戦闘態勢を解除してまた歩き始める。


「クソめ……普段の倍はかかっているぞ」


「この分だと到着は4日目の夜になりそうですな」


「矢代が……」


 ボルノフと騎士の言葉にカルビンは頷き、ハッと顔をあげた。


「む、待てい」


 そして遠目に見える小高い丘を指す。


「あの場所……湿地を抜けてピエーへ向かうワシらを丸ごと見おろせるぞ。小賢しい罠を張る知恵があるならば見張りなど置いておるじゃろう! 先行して掃討してまいれ!」


「確かに……さすがカルビン様! 慧眼です!」


 騎士に褒められてカルビンは猫背気味の背中をグイと反らせた。


「ふふふ、テムテムとの境に置いておった見張り台も同じように看破して撃破してやったからのう」


 騎士が更に褒め、カルビンは更に反り返る。


「ワシとて前の戦争の折は陛下から『まあ頑張ったなハラミン』とのお言葉を頂いた身じゃ。我が屋敷には先祖にして王国一の名軍師を自称したるヌケモケ様が残した指南書もあるからには土民風情の浅知恵など何もかもお見通し、我が軍勢の動きを読んで待ち伏せしようなどとは――」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ルップル


「ピエー村にくる」


 監視ポスト襲撃の報告を聞いて俺は地図を指で叩く。

 

 ゴルラとドリタが離れた場所からオォと声をあげた。


「領主軍が初等部並みには戦術を理解してくれていて手間が省けたよ」


 領主軍に叩かれた監視ポストはそれぞれ街道の分岐点を見渡せる場所に設置していたものだ。

自らの進軍を見渡せる位置にあるポストを先に叩いたことで、逆に彼らの進路が判明した。

偽装攻撃の可能性もあるが、そうであれば予備の監視ポストから報告が入る。


「何も気付かずにボーっと進んでこられていたら進路の確定が遅れていたところだったよ。テムテムとルップル近く陣地予定地は放棄。全ての人員をピエーに向かわせてくれ」


 俺が地図を指し、先程合流したドリタを呼ぶと彼女は引きつった顔でやってくる。


「領主軍は概ねこの位置に居るとしてピエーまで徒歩で何日かかるかな?」


「4日後の夕刻か夜ぐらいだと思います……うえぇ」

 

 ふむ、嫌がらせ足止めの効果もあってちょうど良くなった。


「これ以上足止めしたら途中で夜営してしまう可能性があるね。奇襲は中止、罠も全部解除させてくれ」


「……すぐに狼煙をあげよう。ぐ……ゴホゴホ」


 ゴルラが顔をしかめながら応える。


「では最後にもう一度、戦略目標を確認する」


 窓際に居る村々の代表者全員に視線を送った。


「作戦の目的は領主との講和だ」

「「「講和……」」」


 そう不満そうな顔をしないでほしい。


「でも今の状況で交渉に乗ってくる訳はないから、まず彼の軍勢を撃破する必要がある。本人ごと降伏させるのが理想だが行動が不可能になるレベルの損害を与えるのが現実的だろう。殲滅の必要はない」

 

 そこで俺は少し厳しい顔をした。


「タブーもある。領主本人とボルノフの殺害、そして空になったシローネへの攻撃だ」


 不服そうな顔をしたやつはあとでゴルラに睨んでもらおう。

 

 シローネを攻撃して良いならことは簡単だ。

えっちらおっちらやってくる彼らに陽動攻撃を仕掛け、その間に主力をシローネに向かわせればいい。

彼らはこちらを狩りだすことしか考えておらず後方戦力は無きに等しい。


 だがカルビンを殺したりシローネを攻撃したりすれば次の敵は王国全てになる。

勝ち目がないし逃げる場所すらなくなってしまうのだ。


 全員に了解の返事をさせて、さて移動となった時に俺はボソリと呟いた。


「ところで、なんでみんなそんなに遠いんだい?」


「ユーリがくっさいんだよ!」

「全身くせえんだよ! さっきから目にまで来てやがる!」

 

 ちなみに僕の鼻はとっくにいかれて臭いを感じなくなっていた。

さすがキュポポン、ボルノフが逃げ出すだけの威力だった。


 最後に精一杯笑ったドリタが引きつった笑顔で言う。


「で、でも何度も洗いましたし大分マシに」


 ですよねと手を取ろうとすると彼女はサッと身を引き反射的に言う。


「いやっ! くさい!!」


 変な扉が開きそうだ。




 その夜。

 

 俺は何十度目かの水浴びをさせられてようやく落ち着き、村はずれの焚火で服を乾かしていた。

家ではリシュがまた避難壕を掘るつもりなのかうるさくしているので、ここの方が落ち着く。


「おう」


 そこにゴルラがやって来た。見れば両手に酒を持っている。


「明日からは強行軍だ。あんまり酒はよろしくないなぁ」


 とはいえお酒は大好きなので悩ましいところだ。


「わかっているが酒無しで話せる気がしない。大事なことなんだ」


 ゴルラは一気にジョッキを空にしてから、俺と目が合わないよう視線を下げて続ける。


「俺を兵卒扱いにしてくれ。そして後方に……いや最前線でもいい。とにかく俺が何かしても影響がない場所に置いてくれ。ただ暴れるだけの役目にしてくれ」


 はてさてどういうことだろうか。


「そう言われても君は皆から信頼を得ているリーダーだ。理由も無しにハイとは言えないなぁ」

 

 ゴルラがやられたら皆の士気はそこで終わるほどには、みんな彼を頼りにしているはずだ。

 

 するとゴルラは巨体に似合わぬ、聞き取れないほど小さな声でつぶやいた。

その巨体も丸まって実に小さく見える。


「逃げるんだよ俺は……」

「ああ、聞いたね」


 その話は一度聞いている。

しかし山賊戦ではそうならなかった。


「いやダメだ。山賊相手でも限界だったんだ。今回は領主軍相手……やばくなったら俺は逃げる。必ず逃げちまうんだ!」


 自分を大きく見せる者はいくらでもいるけれど、逆にダメなやつなのだと強硬に主張するのはなんとも珍妙なことだ。


「山? で猛獣に襲われて逃げたとか言う話は前に聞いたけれど」


 今さら蒸し返すことではないと思うが。


 俺は酒を一口飲み、視線を夜空に移して問う。


「俺とジェイコブさんの関係は知っているよな?」

「村の人が話していた程度には」


 ゴルラはリシュの父ジェイコブとの話を始めた。

 

 山から逃げてフラフラしているところを拾われたこと。


 何かと世話を焼く彼に反発して暴れたが全く敵わなかったこと。


 いつしか彼に憧れていったこと。


「俺にとってあの人は恩人で、先生で、家族で、かけがえのない人だった。間違いなく一番大切な人だったんだ」


 そしてゴルラは俺の分の酒まで飲んで続ける。


「ルップルに来て、あの人に出会って俺は生まれ変わったと思った。今までのチンケな俺はもういないんだって……でも違ったんだ」



 話が『前の戦争』に移った。


 とある国同士が戦争を始め、そこに介入した国同士がまた戦い、そこに漁夫の利を狙う国が……ともかく敵味方入り乱れたゴチャゴチャの戦乱となった。


 この国――【バルザーラ王国】だったかな――も農民までかき集めて攻めたり攻められたりしていたそうな。


「……あの時は濃霧で視界が効かなかった。なのにカルビンが戦功欲しさに前に出て包囲されたんだ。しかもアイツ本人は部隊を放って逃げちまった。とにかく周り中が敵で味方はバタバタ死んでいった」


 敵中に突出して包囲され指揮官まで不在とは絶望的だ。

濃霧では近隣の味方も状況を把握できず援護は望めまい。


「だがジェイコブさんはビビりもせずに言ったのさ。『俺がここで敵の気を引く。ゴルラは丘向こうまで駆けて味方に知らせてくれ』ってな。そして敵兵を3人も斬り伏せて俺を逃がした」

 

 俺は相槌だけをうつ。


「俺は走った。風のように走り抜けて味方を連れて来る。今の俺ならできる。ジェイコブさんの為なら絶対できるってな。その思いは後ろから馬蹄の音が追ってきても変わらなかった。なのに」


 ゴルラはシワシワの顔をして声もなく泣く。


「気付いたら……俺は這いつくばっていた……見つからないように……目の前にもう味方が見えていたのに! いくら走れと命令しても俺の体はずっと地面に突っ伏して震えてた!」


 やがて敵も味方も去り、戻ったゴルラの前には敵兵数人を道連れに、全身に槍を突き立てられて息絶えたジェイコブが居た。というわけだ。


「濃霧の中で孤立し包囲された時点で概ね詰みだよ。責任は全て無能な指揮官にある」

 

 一応正論を言ってはみる。


「俺は味方のすぐ傍まで行っていたんだぞ! そのまま駆けていれば……あるいは叫んでいれば、俺は殺されても味方は気付いたはずなんだ!」


 否定はできない。

間に合わなかったかもしれないが間に合っていたかもしれない。

今となっては何も言えないことだ。


「恩人だぞ! 先生だぞ! 家族で仲間だ! そんな人さえビビって見捨てる奴がまた逃げないわけがないだろうが!」


 ゴルラが怒鳴り俺はただ聞く。


「俺は罪滅ぼしのつもりでルップルに尽くした。でも妹みたいに思ってきたリシュの目が怖くてよ。いつばれるのか。いや、もう知っているんじゃないかって」


 ゴルラの独白を全て聞いて俺は頷く。

彼に感じた違和感やリシュへの妙な態度などが全て繋がった。


「なるほど分かった。けどやっぱり君は皆のリーダーでいるべきだ」


「なんでだよ!」


 ゴルラに掴まれて揺らされながら淡々と答える。


「いやぁ君はやっぱり逃げないんじゃないかと思うんだ」

「今の話を――」


 俺は地面に転がるジョッキを覗くが残念ながら空だった。


「君が君自身を信じない理由は十分聞いた。でも僕の考えは変わらない。繰り返すが、今回も君は逃げないだろうと思う。だから役目に変更はない。君はルップルの人達を率いてほしい」


 またもシワシワになったゴルラの肩を軽く叩き、俺はその場を後にする。

ちょうど家からリシュの奇声が聞こえてきたので無駄な穴掘りをさっさとやめさせないといけない。

 

 そして声が届かない位置で一言。


「逃げるかもしれないと聞けただけで十分。予想していればなんとでもなるさ」


 彼の持つリスクは頭に入った。

だが、そもそも二倍にもならない農民達を率いて領主軍を撃破せよと言うのが超難問なのだから、あらゆる危険要素を消すなんて土台不可能なのだ。


 もし問題が起これば対処する。

対処できなければそこまでということだ。


 俺は臭いを確かめつつ家に戻り、案の定、半分埋まってのた打ち回るリシュを引っ張り出すのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 新作に気づいて一気読みしました! エイギルとは真反対の主人公ですねー。 今後の展開が楽しみです!
[良い点] 現実主義的にユリウスが血気盛んな村人達を抑えながら、逐一軍勢の情報、位置を特定しているところがまさに策士だなと思いました! 後は領主軍の心情、状況も細かく書かれているなと思いましたね。 …
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