表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/28

第9話 踏み越えた一線

コミック8話分相当のお話となります!

ルップル リシュ家


「この字は【ため池】と読むのだったよね。こっちの単語は初めて見るけれどなんだろうか?」

 

 俺はルップルにある数少ない読み物を使ってリシュに文字を教わっていた。


「なんだっけ……王様……王国? だったかな」


 残念ながらどちらも別の単語として既出している。

【国】的な概念だろうか、そして文脈上では重要な土地うんぬんと書いているから。


「【国有地】かな。となると似た構成のこっちは【国有荘園】となるとこれは【徴税官】かな。わかってきたぞ」


「……ぐえー」


 リシュが読み物を投げ出してベッドで仰向けになってしまった。


「こんな難しい単語わかるわけないでしょー。ユーリに教えてると私の方が勉強してる気になる! あー勉強嫌い。頭痛くて熱出そう」


 俺はふむと頷いてリシュの頬に手を伸ばすと細くも引き締まった健康的な手足がピンと伸びた。


「この女好きの前でベッドに乗ってしまった! やばい食われる! せめて食べるなら上からまっとうな順序で――」


 などと騒ぐリシュの頭を軽く支えて左右に揺らす。


「カラン、コロン、ポコン……そこまで空っぽじゃないっての!」


 リシュが怒って俺の頬を引っ張る。


 もちろんこれは冗談だ。

それどころかリシュは相当に学がある方だと思う。


 学校教育が確立されていた帝国ですら、植民地や辺境では識字率に問題を抱える地域もあった。

ましてここは中世レベルの世界、小村の少女が文字を読めることは驚きなのだ。


「お父さんがね。ルップルから出て生きることになった時、役に立つって」

 

 リシュの父は『前の戦争』で故人となったと聞いた。


「立派な人だ。娘の可能性を広げてくれたのだね」

「うん……良いお父さんだった」


 リシュは俺の頬を引っ張るのをやめてもたれかかり、俺もそんなリシュの髪を優しく撫でる。

そしていそいそとリシュの隣に……。


「流れるように同衾しようとするな」


 グイと鼻を押された。


「こいつ穏やかな雰囲気から地続きでスケベ狙ってくるからなぁ……ほんと油断も隙もない」


 そこで唐突に家のドアがノックされる。


「ふぁい!?」


 咄嗟に出た動揺の声を承諾と思われたのかドアが開く。


「おうユリウス、お前に来客が……とうとう手を出しやがったなぁ!」


 ゴルラが村中に響く怒声をあげ、村人達の仕事の手が止まる。


「リシュがとうとうヤられちまったってよ」

「まあ男をずっと家に置いてる時点で今更よねぇ」

「開通祝いのお料理つくろっか?」


「うがぁぁぁ! このアホどもめ! 村中に聞こえてるでしょうが!」


 リシュはお玉を掴んでゴルラの脛をまず一撃、痛みで下がった禿げ頭を3連打しつつ、俺の尻を嵐のように連打する。


「やられてないし開通してない! 私はプリティー清純派!!」


 そして村人達へ向けてゴルラの倍の声量で叫ぶ。

集まっていた野次馬達が耳を押さえて後ずさる。

サイレンみたいなすごい声量だ。


「ふぅふぅ……でゴルラはなにしにきたって?」

 

 リシュが荒い息を整えながら聞く。


「ユーリに『ゴモモ』村から来客だ。なんでも物資集積? だったか。良くわからんが」

 

 あぁ前に話をした女性かな。

上手くいったのか聞いておかないと。


「ところでお前らいつまで同居しているんだ。お互いにその気なら……ぬぅ……俺が言うことは……ふぅぅ……なにも……ぎぎ……ないが」


 すごくありそうだが続けてくれ。


「ユリウスも村で立場ができてきたのに、ずっと居候だと恰好がつかねえだろ」


「うーん。僕は今の生活がとても居心地よくてさ。リシュが嫌でないのならここに居たいのだけれど」


 リシュをみてみると嬉しいと恥ずかしいに少しの怒りを混ぜこんだ珍妙な表情でウネウネしている。

面白いので脇腹をつついて……悪かったから指を逆に曲げるのはやめてほしい。


「と言っても今、村に余分な家なんてないから別の家を間借りすることになるけどな。確かドスケベ姐さん家の離れが空いてたはずだが」


 俺は透き通るような青い空を見上げた。


 次にどこまでも続く水平線を眺める。


 そして青々と茂る豊かな森と飛び交うカラフルな鳥達を見送り。


 最後に遠くに霞む山を眺め――なんか変なのがいたような。気のせいかな。


「やっぱり僕はリシュの家に居たい」


「その割には随分長い葛藤だったな、おい」

 

 お尻をバシバシ蹴られながら俺は来客の下に向かうのだった。



集会所にて


「ユリウスさんの言う通り村同士で調整して集積所を作って積み荷をまとめてみたのです。それで――」


 言葉で聞くまでもなく表情で良い結果だったとわかる。

 

 いつも通り薄利の長旅覚悟で来た行商人は最初に立ち寄った村で必要な品が揃っていることに驚き、それはそれは喜んだそうだ。


「値段も2割上がればと思っていましたが、探りで提示した5割増がそのまま通りました」


 行商人でも補給部隊でも重要なのは時間だ。

輸送時間の短縮はコストに直結し、時には品質や道中の安全性にすら勝る条件になりうる。


「同じサイズの樽を使うことで馬車に積める荷の量が正確に計算できるようになったらしく、私達の焼き物もしっかり積んでもらえるようになりました。利潤が格段に良くなったからと別の商人からもウチをメインの販路にしたいとかで価格競争になっています」

 

 それはなによりだ。

なによりズイと寄ってくるので谷間が見えて良い。

 

 ともあれ良い結果だ。

コモモ村にも他の村にも金が落ちつつ、行商人も利益が増えたのだ。


「なにより素晴らしいのは、俺が口だけ出してなにもしていないことだ。ところでリシュ――うわっと」


 隣に座っているはずのリシュに顔を向けるとゴルラだった。


 至近距離、視界いっぱいのゴルラ顔は心臓に悪い。


「だが価値ある交易の荷をあっちこっちに持ち運んだらまた賊が湧かねえか?」

 

 グボン山賊団は撃滅したが数人で動き回る小さな集団はまだ存在する。

賊すべての根絶は不可能だろう。


「だから自警の一貫として街道を見張ることにしたのさ」


「いやいや、街道つったって結構な距離だぞ。全部を見張るなんて出来る訳が……」


 そりゃ街道全体を切れ目なく警備するなんて千人居ても不可能だ。


「襲撃者が相手を襲う時はどうすると思う?」


「そりゃ草むらとか物陰に潜んで待ち伏せて……近づいてきたところでワッといくんだろ」


 と思いがちだが違うのだ。


「それで襲いかかった隊商が全員ゴルラみたいなのだったらどうする? あるいは旅人のすぐ後ろに武装した自警団がいるかもしれない」


「ゴルラ集団……ものすごい臭いそう」


 リシュの言葉にショックを受けながらゴルラは返す。


「なら……まず遠くから見張っておいて、いけそうな相手だけを」


 俺はピンと指を弾いた。

しかし音は出ずリシュに鼻で笑われる。


「そう襲撃ポイントの他に街道を見張れる場所が必ず要るんだ。だからその場所を先に押さえて、監視ポストを作れば敵の動きを制限しつつ少人数で広域を見張ることもできる」


 もちろん監視ポストは本格的な襲撃には耐えられないが、監視ポイントを襲った時点で近傍で襲撃を企んでいるのが明白になるのだから、荷を別方向に動かせばよい。


「賊側のリスクを高めて襲撃なんて割に合わなくすれば討伐しなくてもいずれ去っていくさ」


「本当にすごい……なにもかも完璧です。これは捕まえておかないと……」


 女性に褒められて頭をかいて笑う。


「ははは、何事にも横から口を出すのは好きなんです。対して責任とるのは嫌いなのですが」


「地味にすんごい駄目なこと言ってるんだよなぁ」


「ユリウスさんとは今後も良い関係で居たいものです。……ところで宜しければ少し村はずれの方を案内して頂けませんか?」


 はてと首を捻ると女性はリシュとゴルラを軽く見てから頷く。


「はい村はずれです。あまり人のいないところに」


 俺は全ての意味を理解して立ち上がる。

普段より5割増しで凛々しい顔になっているはずだ。


「ちょっと案内してくるよ。とても重要な話かもしれないから」


「監視ポストで見てるからな」


 リシュが村の見張り台を指差す。

あの場所から村はずれは……丸見えだ。

重要な拠点を取られては残念ながら身動きできない。


「ね、こういうことなんだよ」


 俺が両手を広げるとゴルラと女性が苦笑した。


「ふふ、ごめんなさい。あとは悪徳騎士ボルノフさえなんとかできれば安心できるのですが」


 笑っていた女性が真顔になって言う。

宴会でも聞いたことのある名前だ。


「悪徳騎士ボルノフ……か」


 悪徳とついても正統な支配階級の騎士となればグボン達とは訳が違う。

法や統治制度の問題となるから柵を立てたり見張りを立てたりで解決はできない。


「ボルノフ……ボル……うーん。なにかひっかかっている気がするんだよね。ダメだ、はっきりしない」


 考え込んでいると表が何やら騒がしい。


「そ、そんなヒムが……嘘よ……うわぁぁぁ!」


トラブルだろうかと覗いてみると、見覚えのある女性が大泣きしている。


「なにがあったの?」


 外にいたミゲルに聞いて見る。


「彼女の実家……クポ村にいた弟が死んだ……いや殺された。例のボルノフだ」

 

 そこで弟の形見を渡しに来たらしいクポの村の人間がゴルラを見つけて近寄って来る。


「アンタがルップルのゴルラか。話がしたい」

「……あぁ」


 彼らはまず感情いっぱいにヒムが婚約者と共に受けた理不尽な仕打ちを語り、次いで村の代表として領主への直訴に加わって欲しいと訴えた。


 身内が殺されたことには同情する。

精一杯の言葉で慰めてもいい。

だが経緯を聞く限り、領主への直訴は悪手だろう。


 ゴルラも同じ思いなのか腕を組んだまま沈黙している。


「頼むよ! この辺りの村はグボンを倒したゴルラを尊敬してる。あんたが動けばみんなが動く!」


 ゴルラが流されても困るからここらで助け舟を出しておこう。


「やめた方が良いと思うな」


 さてキツイ視線を向けられる。

嫌なことに慣れてしまっているけれど。


「領主様への直訴ってのは制度上認められている行為なのかい?」


「いや……領主へなにか言うには年一度、村長から内政官を通じてと決まっている……。だがそんなこと関係ない! お前も今ボルノフの非道を聞いていただろうが!」


 気持ちはとてもわかる。

わかるのがだが、それは悪手なのだ。


「ボルノフの暴虐は『不道徳な彼個人が民に非道をしている』に過ぎない。だが村人が寄り集まって直訴……違反をすれば『地域全体で統治機構に背く』ことになるんだ。これは非常にまずい。領主が狡猾なら治安の乱れを正すと増税や労役を課す口実になるし、バカなら虐殺の原因になる」


 長らく反乱を押さえ込む側だった俺が言うのだから間違いない。


「それじゃあこれからもやられっぱなしで耐えろってのかよ」


「お姉さんの前では言えなかったが、ヒムの壮絶な死に顔が頭から離れねえよ。メリィももう……」


 両隣からリシュと女性がチラチラ見て来る。

ここまで首を突っ込んで『じゃあ後はお好きに』とは言えないだろう。


「別の方法を考えようか。合法なものか……少なくとも表向きはそう見える方法で」




 こうして集会所での秘密会議が始まった。


 窓を閉じ松明を消した部屋の中央で油火を囲んで車座になる。

別にここまでする必要はないのだがリシュによると雰囲気が大事なのだそうだ。


「なるほど、領主の性格は慎重かつ身分制度に忠実でお金を大事にする……と」

 

 この場の全員が頷く。


 つまりは臆病で、上にはへつらい下には偉そうな守銭奴ね。

絵に描いたような小役人気質で理解が早い。


「ボルノフとやらが好き勝手やっているのは彼の実家ヴァーベク家が王都の名門貴族だから……と。それにしても工務長官とはまた大物だね」


 帝国の役職ならば大臣クラスで相当な要職だ。封建制のこの世界においてはなおさらだろう。そしてその一門たるボルノフは田舎でお山の大将と。


「概ねわかったよ。後はボルノフ個人の性格も分かるに越したことはないのだけれど誰か……」

 

「「「▲□◎――!!!」」」


 全員が一斉に罵倒悪態を撒き散らして聞こえないのでリシュに代表して話して貰おう。


「嫌味な貴族だよ。偉そうで傲慢!」

「ふむふむ」


 頭の中に傲慢で性格の悪そうな貴族が浮かび上がる。


「あと大男! ひたすら暴れ回る乱暴者! 野蛮で言葉が通じない! 女を襲う!」

「ううん?」


 脳内イメージが乱れて原人ぽくなってしまったぞ。これでいいのか?


「あと穴あけたの地面に! 今考えればあれもきっとボルノフだよ!」

「……」


 ゴリラが穴掘ってるイメージになってしまった。

もうだめだろこれ。


「それから火を噴くの! ブオーー!! って」

「もういいよ。ありがとう」


 俺は火を噴く怪獣を脳内から抹消した。

傲慢で乱暴な性格ならば交渉に応じる可能性は低い。

まずは直接確かめるのが良さそうだ。




翌日


 俺は秘密会議をした面々を引きつれて街道を歩く。


「山賊と違ってボルノフは権力側の人間だ。被支配層である僕達が真っ当に争えばどんな方法であっても必ず負ける。傷つけたりするのも論外だ」


 だから穏便かつ真っ当でない方法でいく。


「彼は名門家の出なのだろう? それが田舎で領主や代官でもなくただの騎士……概ね想像はついちゃうよね」


 俺は遠い目をして思い出す。


「彼はなにかをやらかして実家にいられなくなった。でも血縁を追放なんてすれば大きな恥だ。だから面目だけは立つように騎士修行とでもしておいて、噂も伝わって来ないような田舎に放り投げられたのさ」


「なんだか見て来たみたいに言うな」


 ずっと昔、自分の勲章授与式に遅刻したことがある。

前日にバーで知り合った女性と一夜を共にしたら物盗りの類だったのだ。

変な酒を飲まされて意識を失い、全裸で目覚めたのはゴミ捨て場だ。

ゴミを纏って官舎に戻った時にはもう式典は始まっていた。


 首相と国防総監に陸軍大臣を3時間ほど待たせた俺は少将への昇進と勲章の授与、そしてド田舎警備部隊への左遷というアクロバティックな評価を受けたのだった。

木を数えて暇をつぶす日々も悪くなかったもののすぐに別の戦争が起きて呼び戻されてしまったが。


「話を戻そう。ボルノフをどうにかするには実家まで届くような大きな問題を起こさせればいい」


「俺達相手のは問題にならないのかよ」


 残念ながら名門貴族ともなれば農民相手の悪行など噂話にもならないだろう。

帝国にあっても植民地で少々暴虐をやっても帝都で支持されていればスイスイと出世できたものだ。


「幸運だったのは実家が工務長官ということ。ほら見えて来た」


 目の前には川とそれにかかる橋がある。


「俺達もいつも使う橋だが……これが何か?」


「ルップルにあった本で調べた限り、この橋と周辺の土地だけはカルビン男爵の領地ではなく国有地になっているんだ」


 戦略上重要な橋が国有なのは、いつの時代でも珍しい話でもない。

何かが起こるまでは誰も気にしない部分だ。


「それで?」


 ゴルラに向けて俺は頷く。


「この橋に細工して落としちゃおうか」


 ゲッと声が漏れる。


「あんた制度上うんぬん言ってたじゃねえか! 橋落とすなんて黒も黒、真っ黒だろ!」

「領主どころか王国を敵に回しちまうじゃねえか!」


 その通り。

大変なことだ。


「その真っ黒をボルノフのせいにするのさ。美味い具合に近くで騒がせてね」


 リシュのわざとらしいドン引き顔と平気な顔しながら頭頂部に汗をかくゴルラを見ながら続ける。


「国有の橋が損壊すればカルビンには国への報告義務がある。話通りの性格ならまず隠蔽を考えるだろうけれど、橋がなくなるレベルで壊れたら、さすがに隠しきれない」


 小心者の小役人が失態を隠せない時、次に考えるのは責任転嫁だ。


「報告先は工務大臣だからボルノフが暴れた、彼のせいだと必死に訴えるだろうね」


 そして実家は頭を抱える。

工務長官の身内が騎士修行の先で国有の橋を壊したなんて笑いものも良いところだ。

上手くいけば本当に追放、そうでなくともどぎついお叱りがある。


「ここで重要なのが彼自身の性格なんだけれど」

「待て、隠れろ!」


 突然ゴルラが俺とリシュを街道脇の草むらに放り込む。 

他の者も慌てて続き、女性も慌てて俺の前で伏せる。


 草で女性のスカートがめくれあがり、大人しそうな外見に見合わない冒険した下着が丸見えだ。


「見ろ。噂をすれば……だ」

「アイツ……村であんなことをしておいて悠々と……クソ」

 

 どうやらボルノフ本人が来たようだ。


 顔を確認しておきたいのだが、角度的に冒険下着しか見えないから仕方ない。

良く歩き、良く働くからだろうか、お尻は大きくも弛まず魅力的だ。


「俺達に気付いてはいないようだ……このままやり過ごそう」


「待て、向こうからも誰か来る! あれは……運がねえので有名な行商人のサムさんじゃないか。」


 反対方向から来たサムもボルノフに気付いたようで、引きつった声をあげたが、今更逃げるわけにもいかないので頭を下げて通り過ぎようとする。


「おい、待てよ」

 

 あちゃーと囁きが漏れる。


「へ、へい。なんでしょうかボルノフ様」


「怪しい積み荷がねえか確かめる。そら見せな!」


 ボルノフはサムの馬車を足でひっくり返した。

積み荷が一面に転がり、サムは泣きそうな声をあげて拾おうとする。


「おっと、ここが怪しいぜ!」


 ボルノフは更に四つん這いになった商人の尻を爪先で蹴り上げた。

苦悶の声があがる。


「けっ! 禁制品をケツの穴に隠しているかと思ったが、きたねえだけだったか。よーし通っていいぞ」


 ボルノフは尻を押さえてのたうち回るサムを笑いながら背を向けた。


「あいつ!!」


 クポ村の男が反射的に立ち上がろうとするのをゴルラがなんとか押さえる。

 

 だがその音にボルノフの取り巻きが反応した。


「ん、誰かいるのか? おい出て来い!」


 まずいな。

この人数で隠れているのはどう考えても怪しすぎる。


 そこでリシュが覚悟を決めた顔で俺を見た。


 俺はダメだとリシュの腕を掴む。


 リシュを囮にしてこの場を乗り切るなど絶対に認められない。

それならば大きなリスクを承知でボルノフの暗殺、隠蔽を試みる方がまだ――。


「キュポポ! キュポポポポポ!」


 だがリシュは囮になるのではなく、草むらを転がりながらとんでもない奇声を発したのだ。

緊張で狂ってしまったのかと悲しくなった俺を置いて事態は思わぬ方向に進む。


「うげっ! キュポポンがいやがりますぜボルノフ様。草むらには近づかない方がいい」


「キュポン! キュポォォォ! キュポッポー!」


「こりゃあいけねえ……相当興奮してやがる。アイツに屁をぶっかけられたら十日は臭いがとれません。服も全部ダメになりますぜ」

 

 ボルノフと取り巻きは引きつった顔で後ずさりながら離れていく。


 キュポポンとはスカンクのような生物なのだろうか。

本物を知らないのでリシュの声真似を評価し辛いが、他の者達の顔を見るに相当似ているのだろう。

しかし酷い絵面だ。


「脅しても言うこと聞かねえ分、下民共より手強いぜ。ぶっかけられる前にさっさと行くぞ」


 ボルノフはそう言って去っていく。

 

 そこで初めて女性のお尻ではなく、ボルノフの姿がはっきりと見えた。


「んん?」


 おぼろげだった記憶が繋がる。

ここに流れ着いた時、俺をボコボコにしたやつじゃないか。

正直チンピラぐらいのイメージしかなく、飢えと渇きで意識が朦朧としていた上に、その後の展開が衝撃の連続で覚えていなかった。


「あぁアレか。なるほどなるほど、なら安心だね」

「あの下着が丸見えなので、そろそろどいて頂けると……」


 俺は女性と丸く大きなお尻に礼を言ってから立ち上がる。


 リシュが睨んでくるがまだ騒ぐのはまずいとわかっているのか自重している。

見事な演技だった。


「ボルノフは見ての通りだぜ。お前の考えはわかったけど、あの乱暴者が実家から『きつめのお叱り』を受けたぐらいでマシになるかね」


「なるさ。今ので確信したよ」


 ああいう手合いは自分が及ばない相手の前ではしょぼくれてしまう。


「強大な相手にも構わず噛みつくようなヤバい奴は、大抵その時が来るまで大人しいものさ」


 なんてね。

きっと俺は300年ぐらい帝国の教科書にヤバい奴として書かれ続けるのだろうなぁ。


「ジトー」


 リシュが口で言いながら俺を見ている。


「キュポ……ぐぇっ」


 冗談を言ったら思いきり足を踏まれ、次いったら殺すとばかりに拳を固めている。

恥じらいが無いわけではなかったようだ。


「ではいったんここで解散しましょう。色々準備も必要ですから」


 女性の提案に頷く。


『ヤバイ ヤバイヤツ ヤバイ コロス』


 ふと頭上で何か聞こえた気がして見上げるも、ただカラスが飛んでいるだけだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ゴモモの村

 

 ルップルから戻った女性――【ドリタ】を迎えたのは青くなった村人達だった。


 僅かに怪訝な顔をしたドリタは怒鳴り声と悲鳴で事態を察する。


 村の広場に陣取り、女に酒を注がせ、男に屈辱的な芸をさせて笑うのは……ボルノフだ。


「橋でやり過ごしたあいつが私たちの村に……なんて間の悪い、ううん。私がいてまだ良かった」


 ドリタは震えながら食べ物を運ぶ少女を呼び止めて役目を変わる。

胸元を破り、スカートを短く切り、煽情的な装いとなって。


「ドリタさん。でも……」


「大丈夫。私は一人身で家族もいないわ。なにかされても大丈夫だから」


「待て、そういうわけには」


 ドリタの肩を掴んだのは村では特に目立たない男だった。


 だがドリタは優しくその手を払い、引きつった顔を無理やり笑顔にして料理を運ぶ。


「おっボルノフ様、色っぽいのが出ましたぜ。飯は置いてこっちにこいよ」


「なんだ随分年増だぞこいつ。期待させやがって腐りかけじゃねえか」


 取り巻きに屈辱的な言葉をぶつけられても女性はニッコリと笑う。


「申し訳ありません。でも年増がこういう恰好をするのも滑稽で楽しんで頂けるかと」


 もちろん屈辱を感じないはずはない。

だが村の為に彼女は笑う。


「はは、一見賢そうなツラしてバカみたいな恰好してやがるのは面白いか」


「よーし、お前ここで乳出して踊れ。アホ面で腰振って笑わせろ」


 取り巻きは小道具だとザルや桶を投げつける。

ドリタは一瞬下を向いて唇を噛みしめたが、すぐに顔をあげてニッコリ笑う。


「わ、わかりました! 年増の変態踊りを楽しんでいってくださーい!」


 ボルノフはずっといるわけではない。

自分が道化として笑われる分だけ村が暴虐に晒される時間が減ると自分に言い聞かせる。

 

 ゲラゲラと笑い声を聞きながら女性は必死に笑顔を作る。


「おい。顔を良く見せろ」


 ボルノフがドリタの腕を掴む。


「おっまさかボルノフ様いくんですか?」


「ははは、たまにはゲテモノも良いですよね」


 ドリタは覚悟を決める。

犯されるとしても同じこと、ボルノフが自分に乗っている時間だけ村は守られる。


「お、お手柔らかにお願いしますぅ」


 嫌悪や恐怖を見せないように、彼らが求める馬鹿な道化を演じて。


「そのヘラっとした顔、気に要らねえな。ふざけた奴を思い出すからよ」


 空気が一気に変わった。


「痩せた年増なんか抱けるかよ。お前みたいなので楽しむ時は……こうするんだよ!」

 

 ボルノフは焚火から火箸を取り出してドリタに握らせた。


「ヒギッ!!」


 肌と肉が焼けただれる痛みに偽りの道化が吹き飛ぶ。


「どけ! 離せ!」

「行っちゃだめだ!」

「なんのためにドリタが耐えているかわからないのか!」

 

 騒ぐ声もドリタの耳には届かない。

全身から冷や汗を流しながら、ゆっくりと火箸から手を放してボルノフに笑いかけた。


「ご、ご無体なことをされたらこまってしまいますよぉ……エヘヘ」


 引きつった顔で必死に媚びるドリタの髪をボルノフは掴む。


「だからヘラっとした顔が気に入らねぇと言っただろうが」

 

 ボルノフは火箸を女性の顔に近づけていく。


「アハハ……お、お止めください。どうか、やめて……」


 真っ赤に焼けた鉄が近づく。

ドリタが次第に笑えなくなり、涙を溜め始めるのを見てボルノフが笑った。

その時だった。


「やめろクソ野郎が」


 ボルノフの前に男が立つ。その手には太い薪が握りしめられていた。


「メド、ダメ……」


 ドリタが言うがもう遅い。

 

「あーなるほどな」


 ボルノフは耳をほじりながら立ち上がる。


「前にも同じようなのがあったよなぁ。で、お前はコイツの婚約者か?」


「違う。ただ一方的に惚れている男だ」


 ボルノフと取り巻き二人は顔を見合わせて笑う。


「いいぜいいぜ。その男気に免じて許してやる」


 ボルノフはドリタをメドに放り投げて歩き去り――。


「……その腕以外はな!」


 振り向き様に斬りかかる。

だが切り裂かれたのはメドの腕ではなく、彼が掴んでいた薪だった。


「なっ!?」

「見え見えなんだよボンクラが!」


 メドは薪を剣に叩きつけ、強烈な痺れにボルノフは剣を取り落とす。


 そこで男は背中に隠し持っていたナタを振りかぶった。


「この野郎! 焼き殺してやる! 焼きころして……何で出ねえんだよ!」


 ボルノフはメドに手の平を向けるが一度目、二度目となにも出ない。

三度目にようやく小さな火球が飛び出してメドの左腕を焼いたが、覚悟を決めた男は微塵も怯まない。

  

「お、お前! 俺を誰だと思って! 土民が貴族に逆らっていいとでも思って――」


 ボルノフは叫びながら後ずさり尻餅をついた。


「知ったことか!」


 ナタがボルノフの頭めがけて振り下ろされる。


 だが鈍い刃はボルノフの頭ではなく、額の皮を深々と切り裂いて空を切った。


「ボルノフ様!」


 取り巻きの一人がボルノフの襟首を引いて後ろへ引っ張ったのだ。

そうしなければナタはボルノフの頭頂部を叩き割っていただろう。


「不埒者め!」


 もう一人の取り巻きが剣でメドの胸を貫く。


「ぐふっ!」


 しかし剣は心臓には当たらず、メドが横薙ぎに振るったナタが取り巻きのこめかみを割った。


「……貴様……生かして帰す……ものか……」


 胸を貫かれたメドは血泡を噴きながらもボルノフを睨みつける。

その迫力を前にボルノフが後ずさる。


 呆気に取られていたドリタも転がる取り巻きの死体と血まみれのボルノフを見て覚悟を決める。

村人全員が手近な得物を手に取ったところで――。


「お、覚えていやがれ! お前ら全員ただで済むと思うなよ!!」

「ボルノフ様! 待ってくださいよ!」


 ボルノフは捨て台詞を残して、いや捨て台詞を言いながら逃げていく。

村人に押し包まれる取り巻きを捨てて。


「下民な段差め! 石風情が貴族を転ばせやがって!」


 途中で転んでは無機物を罵り。


「うわぁ命だけは――ってガキじゃねえか! どけ殺すぞ!」


 5歳ばかりの子どもに悲鳴をあげ、文字通りほうほうの体で見苦しく逃げていく。

 

 メドにそれを追う余力はない。

取り巻きの剣は心臓こそ外したものの十分に致命傷を与えていたからだ。

 

 倒れ込むメドをドリタが支える。


「ごめんよドリタちゃん。ダメだってわかってたのに、がまんできなかったよ」


「いいの、もういいの」


 ドリタはメドを抱き締める。


「ずっと昔から好きだった。でも村の為に生きると言う君に愛を告げる勇気がなかった」


 女性が微笑むとメドは最後まで謝り続けながら、最後の息を吐いた。


「ユリウスに知らせて。今すぐに」


 女性はメドの頬を撫でる。


「バカねメド。全部台無しじゃない……ありがと」


 村を見おろすように一羽のカラスが鳴いていた。


『ハンラン ハンランガ ハジマル』





シローネ 領主屋敷


「ぼ、ボルノフ。具合はどうじゃ」


 カルビンは顔中に包帯を巻き、シーツを握りしめて唸るボルノフを見舞う。


「して此度のことじゃが、我が騎士と知って襲ったとなればその者まともではあるまい。そう、もの狂いの仕業であろう。なればこれは儂の統治とは関係のない異常のことじゃ。幸いそなたの傷は浅く、命に別状もない。であれば、あえてヴァーベク伯に報告するまでもない些事であると……」


「カルビン様」


 まくしたてるカルビンをボルノフは見る。いや睨むと言った方が適切かもしれない。


「不逞農民を討伐して頂けますな?」


「も、もちろん是非もない。すぐにでもゴモモの村長を呼びつけ、その不埒者を首にして……」


 ボルノフは唸りながらカルビンに迫る。


「不埒者ではなく村全てが俺に牙をむきましてございます」


「い、いやしかし村ごととなれば税が……その……」


「我が実家の名誉の為にも、討伐して下さいますな!」


「ふぁ、ふぁい」


 数日後、カルビン男爵はゴモモ村の農民反乱を鎮圧するとして兵をおこしたのだった。

次回からいよいよ……お楽しみに!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 人語を話す謎のカラス……ヤツはいったい……?
[良い点] 悪徳騎士ボルノフの悪名、罵倒悪態‥やっぱりボルノフはクズだなと思いました! ユリウス‥‥色んなところでしくじって、ど田舎の部隊に飛ばされまた中央に再び戻ってくる‥まるで中国戦国時代の李牧…
[良い点] せっかくいろいろ考えてるのに穏便に進まねえw とはいえ読者的にはこっちのほうが面白い
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ